<月世界マップ>
ルナ中央行政シティの役所は、白亜の外壁が眩しい巨大なドーム建築だった。
先日取材した植物園を思い出す。
あそこでは植物から建材まで作り出していた。
ということは、この大理石のように美しい壁も、実は植物由来なのかもしれない。
建物に一歩足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように消えた。
ひんやりと澄んだ空気が頬を撫で、どこからともなく木々の香りが漂ってくる。
「役所っていうより……高級ホテルみたいだな」
思わずそんな感想が漏れた。
中の造りは、人間だった頃の記憶にある役所とそれほど変わらない。
受付カウンターが並び、
『暮らしの手続き』
『税金・保険』
『福祉相談』
といった案内板が見える。
その一方で、あちこちにはソファやラウンジ、多目的ホールまで設置されており、住民同士がおしゃべりを楽しんでいる姿も目立つ。
行政施設というより、地域全体のコミュニティセンターのような雰囲気だった。
ぼくは目的もなくロビーを歩き回った。
すると、総合案内の隣で、ひときわ大きな透明パネルが目に飛び込んでくる。
高さ三メートルはあるだろうか。
まるで一枚の巨大な水晶板だ。
そこには大きく、
『月世界マップ』
という文字が浮かび上がっていた。
「これだ」
思わず足が止まる。
今のぼくに一番足りないもの。
それは、この世界全体の姿だった。
そっと指先でパネルへ触れる。
ぽちゃん――。
まるで湖面に石を落としたように光の波紋が広がり、透明だったパネルの内部に立体映像が浮かび始めた。
「うわっ……」
思わず声が漏れる。
そこには月世界全体が、巨大なホログラムとして展開されていた。
中央には、天を突き刺す一本の巨大な塔。
『月面の塔』
その周囲を囲むように、都市が環状に配置されている。
まるで一つの巨大な生命体の臓器を見ているようだった。
ぼくは一つずつ都市をタップしていく。
まずは中央にそびえる月面の塔。
月世界通信管理施設
一般住民立入禁止
「展望台があるのに入れないのか……」
少し残念だ。
その次は見慣れた場所。
ルナガーデンシティ。
巨大植物園の映像が映し出される。
「あそこなら取材したばかりだ。」
画面の説明より、自分のほうが詳しい気がして少しだけ嬉しくなる。
さらに指を滑らせる。
北クレーター港。
大型宇宙船が並ぶ映像。
説明には、『旅客利用可能』と表示されていた。
「つまり……この月世界の外にも行けるってことか。」
胸が少し高鳴る。
続いてスターグラス商業シティ。
編集部のあるオフィス街。
「あそこはもう職場だな。」
エターナル・メモリアルパーク。
色鮮やかな花々が咲き誇る静かな公園。
「歴史を残す場所……か。」
なんとなく、その言葉だけが胸に引っかかった。
ルナニュータウン。
ぼくが暮らす住宅街。
地図を拡大すると、駅前しか知らなかった街が想像以上に広がっている。
「こんなに広かったのか……」
まだ知らない道が、無数にある。
南クレーター港。
こちらは工業専用。
一般立入不可。
「ここも秘密が多そうだ。」
そして――
ギターストラ採掘所。
特殊鉱石。地熱管理。
一般住民立入禁止。
「植物だけで文明が成り立っていると思っていたけど……やっぱり何かある。」
植物園で感じた違和感が蘇る。
地下施設。
厳重警備。
地鳴り。
あれと何か関係しているのだろうか。
続くギターストラ工業シティは一般人も入れるらしい。
「ここはいずれ取材してみたいな。」
そしてルナ研究大学。
最先端科学。
植物工学。
工業技術。
様々な研究施設が集まる学術都市。
「面白そうだ。」
思わず笑みがこぼれる。
記者としてだけではない。
純粋に学ぶ者として、一度歩いてみたい街だった。
最後は、このルナ中央行政シティ。
政治と行政を司る中枢都市。役所のあるこの場所だ。
「なるほど……」
ぼくは思わず感嘆の息を漏らした。
地球から見上げていた、静かで何もないはずの月。
その裏側では、これほど巨大な文明が息づいていたのだ。
植物が都市を支え、モノレールが都市を結び、
それぞれの街が役割を分担しながら、一つの世界を形作っている。
「これはもう、月じゃない。」
思わず苦笑する。
「完全に、一つの国家だ。」
さらに画面を操作すると、
人口統計。
植物生成率。
酸素生産量。
生活物価。
モノレールの路線図。
港の運行状況。
行政サービス。
リアルタイムの都市情報まで表示される。
どうやらこの情報は個人端末とも連携できるらしい。
ぼくはタブレットを取り出し、案内に従って同期設定を済ませた。
これで取材にも役立つだろう。
便利になった、と満足して顔を上げたその時だった。
「……こんにちは!」
背後から、鈴を転がしたような澄んだ声が聞こえた。
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