<はじめての休日>
あの狂気的とも言える執筆の熱狂から一夜――いや、正確には半日以上の眠りを経て目を覚ますと、
窓の外には柔らかな人工太陽の光が部屋いっぱいに差し込んでいた。
薄く開いたカーテンの隙間から差し込む人口太陽の光は優しく、
昨日まで画面の白い光だけを見続けていた目には少しだけ眩しい。
時計を見る。
昼から眠り始めたはずなのに、表示されているのは翌朝の時刻だった。
「…本当に寝続けてたのか」
思わず苦笑する。
丸二日かけて植物園の記事を書き上げた反動は、自分が思っていた以上に大きかったらしい。
ベッドの上でゆっくり身体を起こすと、背中や肩から小さく骨が鳴る。
腕を思い切り伸ばす。
「んーーーーっ!」
全身の筋肉がようやく目を覚ますような感覚だった。
部屋の中を見回す。
机の上には物理キーボードが出しっぱなしになり、植物由来のカフェイン飲料の空ボトルが何本も転がっている。
床には取材メモが散乱し、昨日まで必死に画面へ向かっていた自分の戦場の跡がそのまま残っていた。
まるで台風が通り過ぎた後のような有様だ。
しかし、それを見ても嫌な気持ちにはならない。
むしろ、
「ちゃんと終わったんだな」
そんな達成感の方が強かった。
編集長から届いたメッセージを開く。
『二日間ご苦労だった! 約束通り今日と明日は休みだ。仕事のことは忘れて好きに過ごせ!』
豪快な文章を見て思わず笑う。
二日間の休日。
この世界へ来てから初めての、本当の意味での休日だった。
目覚まし時計に追い立てられることもない。
締め切りに追われることもない。
「……今日はのんびりしよう。」
そう呟きながら窓の方に近寄る。
ルナニュータウンの朝は今日も穏やかだった。
道路では配送用機械が静かに飛び交い、小さな配送ポッドが各家庭へ荷物を運んでいる。
散歩中らしい老うさぎ夫婦。
元気よく学校へ向かう子どもたち。
庭の手入れをしている主婦。
遠くにはモノレールが音もなく高架を滑っていく。
地球の都会とは違う。
忙しく動いているのに、不思議なくらい騒々しさがない。
植物が空気を浄化しているからなのか、それともここに暮らすうさぎたちの気質なのか。
静かな朝だった。
窓辺に立ちながら、ぼくはふと思う。
「この世界へ来てから、仕事しかしていないな」
花屋へ行き、植物園を取材し、記事を書き続けた。
仕事は楽しかった。
知らないことを知る喜びは、人間だった頃から変わらない。
しかし、それだけだった。
自分が暮らしているこの世界がどんな場所なのか。
どれほど広く、どんな街があり、どんな人々が暮らしているのか。
ぼくはほとんど何も知らない。
毎日歩いていた駅前ですら、一本裏道へ入れば知らない景色ばかりなのだ。
記者として記事を書くなら、まず世界を知らなければならない。
そして何より。
「今日は記者じゃなく、この世界の住人として歩いてみよう。」
自然とそんな気持ちが湧いてきた。
「よし。」
小さく拳を握る。
「今日は、この世界を知るために少し遠出してみよう。」
まずは部屋を片付けることにした。
机の上に積み重なった資料を本棚へ戻し、空になったカフェイン飲料のボトルをリサイクルボックスへ放り込む。
床に散らばったメモも一枚ずつまとめて引き出しへしまった。
十分ほど掃除をするだけで部屋はすっかり元通りになる。
生活感のあるワンルームが戻ってきた。
朝食は簡単に済ませる。
野菜とコンソメ味のハードビスケットを二枚。
少し硬いが栄養価は高いらしい。
温かいハーブティーで流し込む。
取材中なら味わう余裕もなかったが、今日はちゃんと香りを楽しめた。
「悪くない。」
食後、仕事用ではなく私服のシャツへ着替える。
鏡を見る。
「今日は完全にオフだ。」
少しだけ気分が軽くなる。
タブレットで行き先を検索する。
『ルナ中央行政シティ』
行政の中心。
この世界全体を知るには、まず情報が集まる場所へ行くのがいいだろう。
モノレールへ乗り込む頃には、朝の通勤ラッシュも終わっていた。
車内は静かだ。
窓際ではニュースをタブレットで読む老うさぎ。
学生らしい若いうさぎはタブレットで講義資料を眺めている。
親子連れは窓の外を指差しながら楽しそうに話していた。
昨日まで締め切りしか見えていなかったぼくには、その何気ない日常がどこか新鮮だった。
ガタン、コトコトコト。
規則正しい振動が身体へ伝わる。
窓の外では緑豊かな住宅街が流れ、やがて白い行政区画が見え始める。
心地よい揺れに身を任せているうちに瞼が重くなっていく。
まだ疲れが残っているらしい。
気づけば夢とうつつの境界をウトウトと漂っていた。
『次は――ルナ中央行政シティです』
車内アナウンスにハッと目を開く。
「あっ!」
慌てて閉まりかけたドアを飛び出した。
ホームへ降り立ったぼくは苦笑する。
「危ない危ない。危うく寝過ごすところだった。」
休日らしい、少し気の抜けた一日の始まりだった。
目の前には、白亜の巨大なドーム都市が広がっている。
「さて──今日は、この世界をもっと知ろう。」
このストーリーのショート動画も作成しています。
https://youtube.com/shorts/0UcN_6x8FkU?feature=share




