50.ティータイム
王宮にある図書館で、その彼女は静かに植物の本を読んでいた。
彼女は毎日のようにこの図書館へやって来ては本を読み、勉強をしていた。
静かに本に視線を落とすその彼女は、王宮内にある図書館を利用することを許されている、数少ない人物であった。
その窓の外、幻術で姿を隠したヴァニーユとサーシャは、静かに彼女を見詰めている。
「彼女はエル嬢だ。薔薇園の管理を任せている、ヴァニーユと同い年の者だ」
「エルさん、ですか」
そのエルと呼ばれる少女は静かに本に目を走らせており、その姿だけでもヴァニーユから見て所作が美しいように感じた。
美しく、しかし真剣なその姿に、ヴァニーユは思わず目を奪われてしまう。
彼女が薔薇の研究をしているという人なのだろうか。
「彼女は俺の卒業と入れ違いで、これからアルカナ学園の高等部へと編入する予定だ」
「編入ですか?」
「エル嬢はこれまで家庭教師の元で基礎を学んでいたからな」
「そうなのですね」
ヴァニーユの瞳に映るサーシャの表情は少し険しい。
あの少女に何かあるのか、もしくはあの少女の周りで何かあるのか、それはヴァニーユにはわからないが、あの少女が守られるべき存在ということだけは理解した。
何か事情があるのだろう。
「ヴァニーユが自分の道を歩みたいというならば申し訳ない。断ってもいい話だ」
「……今の学校には不満も思い入れも何もありません」
「そうか、ならば……少しは受け入れやすいであろうか」
サーシャはエルと呼ばれる少女からヴァニーユへと視線を移すと、あたたかな微笑を見せる。
「ヴァニーユには、彼女の護衛を任せたいのだ」
ヴァニーユは彼女を紹介された時、薄々気付いていた。
紹介したい人がいて、依頼に関係していて、その人は王宮の図書室に出入りしているともなれば、保護したい相手と見て間違いないだろう。
「学校の話をしてきたということは、私も転入という形でということでしょうか」
「あぁ、ヴァニーユには悪いが……」
「別に、悪くはないです。あなたが守るべきと判断した方なのでしょう?」
どのような事情があるのかはわからない。
けれどヴァニーユは、サーシャに頼られたのだ。
サーシャが自分を認め、魔術の腕や判断力を認め、そして護衛としてその信頼を預けてくれた。
それがヴァニーユは嬉しかった。
理由など、それだけで十分だったのだ。
「その依頼、お引き受けいたします」
「引き受けてくれるのか?」
「えぇ。貴方からのお願いなら、喜んで引き受けます。彼女のことは任せてください」
サーシャは安心するようにほっと肩の力が抜けた。
肩の力が抜けてから、彼は緊張していたのだと気付いた。
それから二人はその場を後にし、薔薇園の方へと歩みを進めながら、和やかに話をした。
「そういえば、飛竜が私たちの横を抜けて王都へ飛んで行った時、広範囲の雷鎖を展開しましたよね。あれはすごかったです。助けていただきありがとうございました」
ヴァニーユがサーシャにそう礼を言うと、直後に彼の顔はぱぁっと明るくなり、いつものサーシャのように見えないしっぽでも振りそうなくらいに喜んでいた。
本当に王子なのかと疑いたくなってしまう程、無邪気な人だ。
「あぁ、頑張ったのだ!」
「だからこそ、そのことが公表されないことに私は不満を抱いていますけどね」
「なに、不満があったのか」
サーシャは何でもない顔をして、不機嫌さを見せるヴァニーユを見下ろす。
彼にとっては実績が消えることなど、そう珍しいことではないのだ。
「魔術がこんなにも強いこの世では、王族などすぐ攫われてしまう。皆で隠して守ってもらっている立場上、そのような不満は湧かない」
「でも、あと少しでそれも解禁されるじゃないですか。たった数か月ですよ」
「決まりは決まりだ。それに、そのおかげである程度の自由が許されているのだ」
薔薇の香りがふわりと二人を包み込む。
薔薇園の中心にはガーデンテーブルが置かれており、彼の侍女が紅茶を用意して待っていてくれていた。
その美しい景色に、ヴァニーユは思わずほぅっとため息をつく。
「ヴァニーユが知ってくれているのだから、それでいいのだ」
サーシャがヴァニーユに手を差し出す。
ヴァニーユも思わずそこに手を乗せて、いつの間にやら流れるようにエスコートされていた。
ここに来て初めて王子様っぽいと思ったかもしれない。
「貴方も、そう言うのですか」
「他に誰か言っていたのか?」
「師匠にも言われました」
それでもヴァニーユは、まだ少し納得いっていない。
自分がまだ子供だからなのだろうと、頭では解っていた。
これは時間に解決してもらうしかないのかもしれない。
「しかし、ヴァニーユがそこまで俺のことで不満を感じてくれている事は嬉しいぞ」
「貴方はそうやってよく人を誑かそうとするのでしょうか?」
「誑かされている自覚があるのか?」
「……少し意地悪になりましたか?」
「いや、可愛がっているのだ」
「やっぱり誑かそうとしているじゃないですか!」
そんなやり取りをしながら席に座っていると、紅茶を淹れてくれていた侍女にくすくす笑われてしまった。恥ずかしい。
サーシャは優雅にティーカップに口を付けながら、ヴァニーユをじっと見つめる。
「ヴァニーユは、もう俺のことをサーシャと呼んではくれないのだろうか」
ふいにそんなことを尋ねられ、ヴァニーユは視線を上へと向けて考える。
そのことについてどうすればいいのかという問題は、まだヴァニーユの中でも解決していなかった。
二人の時はサーシャと呼ぶことにしていたが、正体が解った今、本当にそれでいいのかと考え続けている。
「殿下とお呼びした方がよろしいでしょうか? あれ、でも隠されているなら殿下では良くないですか」
「二人の時はサーシャがいいぞ。今は皆サーシャ様と呼ぶ」
「なるほど。ではこれまでと変わりませんね」
変わらないということならば、ヴァニーユも少し気が楽である。
「肩の力は抜けただろうか?」
「おかげ様で。ここは人が少なくていいですね」
「人払いしているからな」
なるほど、とヴァニーユは一つ頷き、ティーカップに口を付ける。
なんだか気付かない所でいろいろと気遣ってもらっていたようだ。
「ありがとうございます」
「俺がゆっくりと話したかったのだ。それに誕生日だからな、この後ケーキを食べる余裕は残っているか?」
「ケーキまでいただいてよろしいのですか?」
「もちろんだぞ」
至れり尽くせりだ。
きっとヴァニーユはこの日のことを一生忘れないだろうと思いながら、二人きりのティータイムを楽しんだ。




