43.仰せのままに
――その日、家から一歩出た瞬間になんだか空気が淀んでいるように感じられ、ヴァニーユは眉を顰めて空を見上げた。
最近になって小さな鎖をいくつか繋げられるようになったサーシャが、護衛と共にそろそろ来訪する時間になる。
ヴァニーユの後ろから家を出てきたライラックも何か違和感に気付き、空を見上げた。
鳥が一羽も見当たらない空はどことなくいつもより静かに感じ、不気味であった。
「ヴァニーユ、索敵魔術を展開しなさい」
「どこまでですか?」
「広めに……しかし戦える魔力は残しておくように」
「わかりました」
ヴァニーユはその場で索敵魔術を展開すると、すぐ近くに二人こちらにやってくる様子が伺える。
これはサーシャ達だろう。
その奥、森から出た道にまた一つ反応があるが、これは恐らくいつもサーシャ達の送迎をしている馬車だろう。
王都の方向には違和感は見つからない……では逆側だろうか。
ヴァニーユが辺りを探っている間にライラックが結界術を展開すると、森の広範囲が結界で覆われた。
普段サーシャと訓練している時よりも広めの範囲だ。
と、その時、サーシャ達がこちらへ到着したようで、魔術を発動している様子の師弟が目に映った瞬間、サーシャが顔を顰めて駆け寄ってくる。
「どうかしたのか?」
「この森の空気に違和感があるので、少し探っています」
「違和感……?」
どうやらサーシャには感じられないらしいその違和感に、彼の護衛が微かに反応するのを感じた。
「探っているとは、近くに敵がいるということでしょうか?」
「いえ、怪しい動きをしているようなものは見当たらな……」
そこで不自然に言葉を止めたヴァニーユが顔を上げる。
索敵魔術の外から範囲内に入ってきた反応を受け取ったのだ。
「この反応、竜がすごいスピードで近付いて来ています」
「竜が……?」
「この速さは、たぶん飛竜です。王都の反対側からまっすぐ……このままではこの森の上を通過して王都に入ってしまうかもしれません」
飛竜といえば、空を飛び、空から風を操って攻撃してくる竜である。
その鋭い爪や速い動きのせいで近距離戦には持ち込みにくい。
「何頭おる?」
「七です」
「急ぎ、住民への避難指示を仰ぎたい。しかしここからでは……」
いくら急いで王都へ向かおうが、飛竜のやって来るスピードには勝てない。
ここで迎撃するしかないとしても、七頭全てをここで倒しきれるとも限らない。
ヴァニーユは自分とライラックのみで倒しきれるとは思えなかった。
サーシャはまだ戦闘に加われる程までは強くはない。
護衛は未知だが……普通の護衛ならばサーシャの身の回り程度でしか戦えないだろう。
――と、考えていたその時。
その護衛がヴァニーユを見下ろして尋ねた。
「幻術師殿、王都へ声を届けることは可能ですか?」
「……え? いえ、さすがにここからでは届きませんが」
「魔石の力を借りても?」
その言葉に、サーシャがはっとして、その首元にある魔石をヴァニーユに渡した。
緊急事態ではあるが、押し付けられたその重みに彼女の口からひゅっと音が出た。
高価な魔石だとか、壊したらいくら飛んでいくのかとか、そんなことを考えている場合ではないけれど。
サーシャは護衛に向き直ると一つ頷き、口にする。
「ならば私の声を届けよう。その方が動かしやすいだろう」
「仰せのままに。雷造の魔術師殿、申し訳ありませんがこの結界はすぐに壊されてしまうでしょう。こちらで張り直しますが、それも破られた時は頼めますか?」
「えぇ。この森の範囲内では任せておくれ」
その時、ヴァニーユの頭の中では大混乱が起きていた。
師匠の結界が破られるとの想定はともかく、護衛の彼が張り直すとは……?
というか師匠は今の事態についていけてるのか? いや、ヴァニーユが知らないことを知っているのか。
索敵魔術を見るに、飛竜はまっすぐ飛ばず、ばらけ始めていた。
まとまっていた時に倒したかったが、戦闘の舞台が空中ともなるとやはりこのまま森で王都を守り切るのは難しいだろう。
せめて王都に居る英傑の手を借りられれば守り切れるだろうか。
そう考えていた時、護衛の男が小さな棒を取り出したと思ったら、その棒は長い杖となる。
それを目にしたヴァニーユが『あの人、魔術師だったの!?』と驚いている中、彼は空中に段を作るように平面結界を展開し、上へと登っていった。
「時間稼ぎはお任せください。幻術師殿は王都に殿下の御声を届けて――あ」
「――? ……でんか?」
上から降るその護衛の声にヴァニーユは隣にいる彼を見る。
そこにはこちらから視線を逸らしたサーシャが、気まずそうにしていた。
「後で説明する。魔石を使って魔術協会に繋げてくれないだろうか」
何もかもわけが分からないまま事が進み、どうやらこの場で戦えそうな者がもう一人いることと、彼が『殿下』であるらしいということ、ヴァニーユはそれだけ理解した。
「はい、仰せのままに……?」
そしてヴァニーユは少しの間、思考を放棄することにした。




