42.大丈夫
語り終えたヴァニーユは目を瞑り、ゆっくりと過去から現実へと浮上してくる。
「その孤児院は、あってはならない教育をしていた機関でした。師匠は前々から調べていたそうです」
目を開くと、ヴァニーユの隣にはサーシャがいる。
それを確認するように、ヴァニーユは彼を少し見詰めていた。
彼はいつもとは少し違い、視線を落とした真剣な表情で静かにそれを聞いていた。
ヴァニーユにとってあの頃のことはもう、過去なのだ。
今と過去の区別をつけるように、そう自分に言い聞かせる。
「ヴァニーユ、まずは話してくれてありがとう。俺を信頼してくれたのだな」
「――ッ」
ヴァニーユはその瞬間、目の奥がちりりと痛むように感じて、思わず顔を下に向けた。
過去と今を区別して、心に落とし込みたい……そんなわがままだった。
彼ならば、聞いてくれる。
彼ならば、他言しないだろう。
それは確かに、信頼しているからこそだった。
「我慢せずともいい」
「……情けない姿をこれ以上見せるわけにはいきません、ので」
「少しくらい見せてくれてもよいのだぞ」
サーシャは何を思ったのか、自分の膝をポンポンと叩き、ヴァニーユを見下ろした。
「ほら、ここに寝転ぶがいい!」
「サーシャを枕にできる程私の肝は据わっていません」
「大丈夫だ、誰にも見られておらぬ」
「い、いや、遠慮……」
「こういう時は全力で甘えるものだぞ」
サーシャはヴァニーユの手を優しく引き、彼女の顔を覗き込む。
「たまには年上らしいことをさせてはくれぬか?」
「……」
そういえばこの人年上だった……と、ヴァニーユはそんな当たり前なことをふと思い出したのだった。
そう困ったように言われてしまうと、彼女も弱くなってしまう。
「ほら」
「せ、せめて肩でお願いします」
「そうか? まぁよい」
しぶしぶ了承してくれたサーシャの肩へ、彼女は遠慮気味にもたれかかる。
ヴァニーユより大きな手が彼女の頭に置かれると、優しくぽんぽんと撫でた。
草木の香りの乗った爽やかな風が、そんな二人を撫でつけて通り過ぎていく。
ヴァニーユは不思議な気持ちだった。
自分が魔術を教えている立場であるのに、不思議と彼の隣は誰よりも安心するのだ。
それはきっと、物理的に強い弱いの話ではないのだろう、彼だからこそだ。
彼が大丈夫というなら大丈夫な気がするし、自分を許されるような気がした。
「サーシャは不思議です。広い心を持っている気がします。いつもそんなに人に甘いんですか?」
「そうでもないぞ。これでも普段は人に厳しくしているのだ」
「なんですかそれ、嘘でしょう」
「嘘だと思うか?」
「想像できません」
彼が人に厳しかろうが、ヴァニーユはいつも見ている彼しか知らない。
魔術が好きで、雷造の魔術師に強い憧れを持っていて、元気で騒がしくて、訓練に真剣に取り組む。
それがヴァニーユの知っているサーシャだ。
「貴方が普段は厳しかろうと、私が魔術を教えたくなったのは、私の知っている貴方であることに変わりはありません」
ヴァニーユはサーシャを見上げて、ふわりとした微笑を見せる。
「人の根っこは変わらないものです」
サーシャは面食らったように数秒固まり、それから少し顔を赤らめた。
胸元の魔石の光が大きく揺らめくと、彼はその魔石に手を置いてサッと隠す。
どうやらこれは少し恥ずかしかったらしい。
「ヴァニーユはどんな俺でも根は変わらないというのか」
「えぇ。理不尽な怒りを向けるようなタイプでもないでしょう?」
「そうでありたいな」
「サーシャなら大丈夫でしょう」
そう笑うヴァニーユは少し機嫌が良くなっていた。
昔のことは思い出したけれど、サーシャに丸ごと包まれて「もう大丈夫だ」と言われたような気持ちになり、すっかりと落ち着いた。
彼女はふぅと一息つき、それから立ち上がると、サーシャに向かってぺこりと礼をする。
彼に話せて、本当によかった。
「落ち着けてくださり、ありがとうございます。スッキリしました」
「もういいのか?」
「えぇ。訓練を再開しましょう」
どことなく寂しそうな顔をするサーシャは、しっぽの垂れた犬のようで、ヴァニーユはくすくす笑う。
サーシャも立ち上がると伸びをしてから、拳をギュッと握りしめて気合いを入れた。
「よし、鎖をつくるぞ!」
「その意気です」
いつ来るかわからないタイムリミットが近付いていようと、今出来る精一杯を彼に叩き込もう。
サーシャから感じ取れる焦りには気付かないふりをして、ヴァニーユは彼が自分から離れていっても魔術の訓練が出来るように意識しながら、鎖をつくるコツを教えた。




