41.かえろう
――ヴァニーユ 四歳
あの日、ヴァニーユの住んでいた小さな村が襲われた。
巻き込まれた両親が亡くなり、そして彼女は村の子供たちと共に孤児院へと引き取られていた。
毎日が楽しさに満ち溢れていた頃から一転し、ヴァニーユの表情は凍り付いたように動かなり、その心は冷たく、冷たく閉ざされた。
同じ孤児院へと連れてこられた子供たちもいたが、誰もが余裕など持ち合わせていなかった。
大人たちはそんな子供を黙れと殴り、命令し、支配した。
毎日のように、あの頃に帰りたい、帰りたいと願い、夢に見ては目覚めて、絶望を感じながら、被害を受けないように従っていた。
「この魔法陣と魔術式を覚えなさい」
孤児院では怖い顔をした大人たちが、複数の子供にそう指導していた。
村から共に来た見覚えのある子供たちは月日が経つにつれて徐々にいなくなり、優秀な子供たちだけが残り、このような指導を受けていた。
それにヴァニーユも選ばれてしまっていたのである。
「あなたは選ばれた子供なのです。この年にして既に将来魔術師になれる可能性を秘めている。きちんと学んでいかねばなりません」
「外にいるような自由奔放な子供たちとあなたたちは違う世界に居るのです」
「平民とは頭の出来が違うのです。将来必ずこの孤児院の力になれるように、高みを目指しなさい」
ヴァニーユの他にも、そう指導されている子供たちはいた。
しかし、ついていける子供など少なかった。
彼らのほとんどは心に深い傷を負っており、病にかかり動けなくなっていく者も後を絶たない。
孤児院の子供が減っては増え、減っては増え、とてもではないがいい環境とは言えなかった。
そのような中で、ヴァニーユは五歳にして才覚を表し、ついに風属性魔術の発動に成功してしまった。
成功してしまったのである。
「この子は風属性魔術に適性があるようだ」
「五歳にしてこの魔術式を理解したのか?」
「もっと時間がかかるかと思っていたが、運がいい。連れていけ、隔離しろ」
その後、個室に閉じ込められたヴァニーユは、風属性魔術関連の魔法陣や魔術式を朝から晩まで覚え込まされた。
同じように閉じ込められている子供がいるのかどうかすら知らないまま、言われるがままに頭に魔術式を詰め込んだ。
苦しみは感じなかった。
感情が酷く鈍っているようだった。
食欲はどんどん消え失せていき、スープを飲めない日もあった。
ヴァニーユは自覚がないまま、徐々に弱っていっていた。
それでも彼女は言われるがままに魔術を覚えようとする手を止めなかった。
機械のように、ただただ記憶していくことを、自分ではやめられなかった。
毎日毎日、息が詰まる。
もう外へは出られないのだろうか。
気付けば、彼女は七歳になっていた。
他の子どもたちはどうなったのだろうか。
いつかここから外へと出られる日が来るのだろうか……いや、それより死ぬ瞬間の方が早く訪れるかもしれない。
孤独が当たり前のように感じていた。
そんな時だった。
ドォン!! と大きな音が、建物ごと空気を震わせたのだ。
魔術式を覚えている途中のヴァニーユは、まるで水の中に居るかのように、その音を遠くで聞いていた。
機械のようにただ学習をしていた所から、遅れて意識がふわっと浮上してくる。
――何か、音がしたような気がする、と。
「襲撃ですか!?」
「わからない、見張りとの連絡が取れないぞ」
「この音とピリつく感じからして、雷属性魔術の攻撃か」
「おい、この子供を絶対に渡すな!! 連れて逃げろ!!」
ヴァニーユの腕が乱暴に掴まれ、付け根から痛みが走った。
その痛みが、ヴァニーユの意識をはっきりとさせる。
取り囲む大人は皆怖い顔をして、ヴァニーユをどこかへ連れて行こうとしていた。
そして彼女は、反射的に体を縮こまらせた。
「い、痛い……」
「しゃがむな!! 言うことを聞け、このッ――」
そうしてヴァニーユが抗っている間に、その人物はこちらへと距離を詰めていた。
「おやまぁ」
柔らかで少し掠れた声が響くと共に、辺り一帯の緊張感を高める。
「そんなところに子供がいるのかい?」
「――!!!」
この場の雰囲気には全く合わない、優しそうな、あたたかな、そんな声音をしていた。
ヴァニーユはその穏やかな声に、思わずふっと息が漏れた。
「雷造の魔術師!?」
「どうして英傑がこんな所に!!」
「ちょいと、その子の具合を見せておくれ」
当時の英傑の一人であった、雷造の魔術師と呼ばれた者がそう心配そうな声を出して詠唱をすると、周りにいた大人が一斉に地面にひれ伏した。
――ヴァニーユを除いて。
倒れ込んだ大人は皆、ピクピクと引き攣るように微かに動き、痺れているように見える。
ヴァニーユの頭の中は、一体何が起きたのかと混乱していた。
この優しそうなおじが、魔術を使ったのだろうか。
この人は敵か? 味方か? 少なくとも孤児院の味方ではなさそうだ。
徐々に近付いてくる『雷造の魔術師』に、ヴァニーユも警戒し、彼に対して右手を広げた。
「突風!」
しかしその魔術は軌道を変えて壁へと当たり、雷造の魔術師の元へは届かない。
何度も何度も魔術を行使している間に、先にヴァニーユの体力が尽き、腕を下ろした。
ヴァニーユがどれだけ魔術を使おうが、このおじには届かないのだ。
そう、理解した時だった。
「もう、大丈夫だからの」
「……」
そう、優しい声が響いた。
思わず肩の力が緩み、鼻の奥につんと痛みが走る。
「このような狭い部屋から出て、自由に生きないかい」
やさしくやさしく、そのおじはヴァニーユに声をかける。
彼女の警戒心が解けるまで、距離も詰めずに、ただ優しく。
「君のしたいことを、探さないかい」
体が震え始め、とめどなく涙が溢れる彼女に、ようやく雷造の魔術師はゆっくりと近付いた。
その時、まるでこれまで心の奥底へと押し込めていた感情が、その優しい声で一気に解放されたかのように、胸が熱く痛くなった。
「かえりたい」
ヴァニーユが掠れる声でようやく口に出せた気持ちは、もはや叶わないものだった。
そう、ヴァニーユは解っていた、もう帰れる居場所はないと。
しかし、それでも雷造の魔術師はその穏やかな声で応えた。
「かえろう。一緒にかえろう」
そうして彼女は、その心の底から優しい声にようやく安心して、彼に抱き着き眠りについたのだった。
それから数年後のこと、彼女は知ることになる。
村が襲われ、両親を殺し、子供たちを攫い、引き取り、魔術を覚え込ませた……その一連の流れ全てが、組織ぐるみの犯行だと。




