28.決めたのは自分
サーシャは詠唱と共に、ろうそくの左から右へと指先を動かす。
まずは、平面結界の展開が成功した。
彼の視線はまっすぐ、ろうそくへと向けられ、何度か結界を手前へ切るように動かそうとする。
しかし、ブレないように結界を動かすことには、少し苦戦していた。
空気の抵抗を感じる為、角度が合っていないのかもしれない。
何度も挑戦を繰り返しながら、サーシャはふとあることを思い出し、ヴァニーユに話しかける。
「ヴァニーユは以前、模擬戦でも先程話していたような戦術を使っていたな。幻術がなくともわたしに気配を錯覚させたりしていただろう」
「そうですね。あの手のことはよく考えていますので」
「本当に人を錯覚させるような手法がいくらでも出てくるのだな」
「人から逃げていましたからね」
サーシャは結界の位置を微調整しながら、ヴァニーユに今まで気になっていたことをふと尋ねる。
「ヴァニーユは、昔のことがあって人が苦手になったのか?」
「……そうですね」
「では――わたしのことは、最初会った時に怖くはなかったか?」
ヴァニーユの視線が、ろうそくの炎から、真剣な表情で結界術を使うサーシャの眼へと向けられる。
少し心の奥がひんやりとするようだった。
「ヴァニーユから見たら、わたしや護衛はさぞ大きな男だったことだろう。怖がらせてしまっていたやもしれぬ」
確かに最初は、何者なのかと思って逃げたくなっていた。
――しかし今のヴァニーユは、そのことについてサーシャに謝ってほしくなんてなかった。
彼が優しくて、ヴァニーユに大きな影響をもたらしてくれる人物だということは、彼女は自分でもうわかっている。
人は見た目で判断なんて出来ないということを、彼から教えられたようだった。
傲慢そうに見えて全然そんなことはなくて、魔術にこんなにも真剣に向き合っていて、私の課題を文句一つも言わずにこなそうとしている。
「私は、あなたに魔術を教えたいと思い、自分で教えることを決めました」
それは己がしっかりと見定め、決めたことだ。
「私から魔術を教わることを、あなたに後悔はしてほしくはないのです」
ヴァニーユの声は震えていたが、はっきりとそう言い放った言葉をサーシャは受け取った。
サーシャの胸元にツキンと痛みが走る。
その言葉は、「今でも怖いのではないか」と不安になっていたサーシャにとって、望んでいた以上に喜ばしい言葉であった。
ヴァニーユは最初こそ師匠に多少の文句ばかり垂れていたが、今ではその頃の自分すら後悔している。
こんなにも魔術に貪欲で一生懸命な人だとは、あの頃はまだ知らなかった。
彼に魔術を教えるという、この選択は後悔していないし、彼に後悔して欲しくもない。
「初対面の頃のことは、もういいのです。今胸を張ってサーシャ様に魔術を教えられている自分がいる、それが今の全てです」
「……ヴァニーユ」
サーシャの結界術が、ふっと炎を消す。
それと同時に、彼とヴァニーユの視線が交差した。
くしゃくしゃなヴァニーユの泣きそうな顔を見た彼は、胸元の魔石を握りしめたまま、自分を落ち着けるように息を少し吐いた。
そして不安そうな彼女を宥めるように、珍しく柔らかな微笑みを向けたサーシャは、彼女の頭へと手を伸ばした。
「先に謝っておく」
そう口にしたサーシャは、ヴァニーユの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「わっ!? サーシャ様!?」
「――色々と事情を伏せねばならん事が多くてな。だがいつかは話そう」
サーシャによって乱された髪を、ヴァニーユは手ぐしで整えながら話の続きを聞く。
「わたしはそのうち、ヴァニーユにある依頼をしようと思っている」
「依頼ですか?」
「信頼のおける者にしか頼めない依頼だ」
信頼のおける者にしか、頼めない依頼……?
「……私でいいのですか?」
「ヴァニーユがいい。わたしがそう決めた」
次の瞬間にはニカッとした笑みを見せたサーシャは、ろうそくの方に指先を向けると、胸を張ってヴァニーユに言う。
「どうだ! 杖なしで結界術が使えるようになったぞ、ヴァニーユ!!」
それはそれは嬉しそうに、誇らしげに、いつものようなはしゃぎ声でそう報告してきたサーシャ。
それにヴァニーユもふっと笑い、その手をおそるおそる彼の頭へと伸ばし、よしよしと撫でる。
「よく出来ました。本当にあなたの成長には目を見張るものがありますね」
「そうであろう!! もっと褒めても良いのだぞ!!」
この日を境に、杖を使わずに結界術を使えるようになったサーシャは、この後もしばらくろうそくの炎を消す訓練を続け、夕暮れ時に帰って行った。




