13.幻を見せるプロ
――木への雷撃は成功した。
心臓がどくどくと早鐘を打ち、緊張で杖を持つ手がが痺れている。
乱れる己の呼吸音だけが鼓膜を揺らし、冷や汗が首を伝った。
一撃、彼女に食らわせることが出来ただろうか。
だが、彼女の姿は見当たらない。
目を凝らして彼女がその木の下にいるかを視界の隅から隅まで探していた、その時――微かな旋律が聴こえてきた気がした。
「おしまいですか?」
澄んだ声音が背後から届き、その気配にサーシャは思わず振り返る。
ハッキリと届いたその声の周囲に目を走らせるが、そこには誰もいない。
まだ気を緩められないサーシャは、荒れる呼吸を落ち着けながら、ふと先程の会話が頭の奥で再生されるのを感じた。
彼女と風属性魔術で話したやり取り――その時もすぐ近くで声を感じ取ったのだ。
それを思い出した瞬間、サーシャの頭からサッと血の気が引く。
――しまった!!!
その背後からの声こそが、彼女の得意な風属性魔術ではないか!!
そう気付いた時には既に遅く、サーシャが再び視線を木へと戻すと同時に、突風が腹を殴るようにして彼を襲った。
突風を受け吹き飛ばされたサーシャは、受け身も取れずに地面に転がり込む。
「気を張りすぎて気配を誤察知することもあるんですよ」
戦闘など本当にあったのかと錯覚するような、そんな柔らかな声が、頭の上から降ってきた。
近付く軽い足音が耳へと届いた時にはもう遅く、視界にはしっかりと彼女の足元が確認出来た。
「特に、音には皆敏感になるんです」
サーシャの頭上から、温度の変わらない、鈴を転がすような声が聞こえた。
あぁ、やはり勝てはしなかった。
「ヴァニーユ……」
「幻術がなくとも、人は誤認させることができます。まぁ、覚えておいても損はないでしょう」
そう言い、彼女はなんてことないように澄ました顔でサーシャを見下ろしていた。
本当にこの人は、人に幻を見せるプロなのだ。
幻術がなくとも誤認させるだと……?
信じ難い、しかしサーシャには考え付きもしない方法で、彼女は本当にそれをやってのけたのだ。
「――っはは!!」
気付けば、サーシャは思わず笑っていた。
緊張が解け、彼女の顔を見てほっと気が緩んだ反動で、笑いが止まらなくなる。
――なんて面白い奴なんだ!!
ヴァニーユは自分の得意魔術を封じられたところで、息のひとつも切らさずに、自分よりずっと大柄な男を前にして、次々と予想外のことを軽々引き起こした。
こんな少女は見たことがない!
この距離ではもう、サーシャに挽回出来る道もないだろう。
「完敗だ、ヴァニーユ」
ははっと笑いが止まらないまま痛む腹を撫でつつ起き上がり、呼吸を整える。
緊張の糸が切れ、意識がもっていかれそうだった。
実際、サーシャが身に付けている雷の攻撃魔術では、高火力を一瞬だけ引き出す雷撃がまだ限界なのだ。
身を守る為に覚えたはずの結界術だって、実戦では咄嗟に発動する余裕などなかった。
知識があったところで、反応が出来なければ意味も無い。
魔術師との実戦経験もないサーシャにしては、頑張った方である。
ヴァニーユも隣に座り込み、サーシャの服についた葉や砂を払ってくれた。
「雷光で視界を封じてからの誘導、そして高火力の雷撃の流れが実に見事でした」
「本当か!?」
ヴァニーユがそう褒めると、サーシャは目を輝かせて前のめりになり、喜びを噛み締めていた。
ないはずの尻尾が左右に揺れている幻覚さえ見えて来そうな勢いである。
「しかし、その後私を見失ってから、もうひと工夫出来そうでしたね」
「見失ってからか……?」
あの時、サーシャは背後のヴァニーユの声を聞いた瞬間に後ろを振り向き、隙を見せてしまった。
「あなたは私を見失ったと気付いた瞬間に、警戒して結界を張るべきでした。それくらいの時間はあったでしょう?」
「……確かに、今思い返すとあったな」
「あなたの今の強みは、最短詠唱と魔力の持続力です。結界術の無駄遣いをしても、短時間の戦闘なら問題ない程の魔力量を持っているはずです。それを活かしてください」
サーシャは彼女の言葉を頭の中で反芻する。
確かに、相手の攻撃魔術に合わせて結界を貼る必要性はないかもしれない。
そうか、攻撃だけが全てではない。
自分自身を守れてさえいれば、持久戦に持ち込めば勝率が上がる可能性はあったのか。
「ヴァニーユはすごいな。当たり前を覆してくる」
「考え続けていれば、自然と気付くものですよ。特別なことではありません」
「教師からは指摘されたこともなかったぞ」
「高等部の教育方針はまだ私にはわかりません。でもそうですね、オドの多い生徒がそもそも少ない為に、教えられることが限られているのかもしれませんね」
彼女はそう話しながら、空を見上げる。
それを辿るようにしてサーシャも、空を見上げて考えた。
確かに、サーシャは自分よりオドの量も濃度も多いという人間には、学校で会ったことがない。
正直、量や濃度の多い人物の戦い方を見た事がないので、イメージが付きにくいのだ。
初めてそういった説明が出来る人間に出会ったサーシャは、ヴァニーユに聞きたいことが次から次へと湧いてきていた。
彼はすっかりヴァニーユの魔術と、自分に合った最適な分析力に感服していた。
これまでよく理解出来ていなかったことも、彼女ならば教えてくれるかもしれない。
さて、どこから教えてもらおうか?
サーシャは先程の戦闘を含めて、自分に必要な知識や戦略を、心の底からヴァニーユに教わりたいと、そう思ったのだ。




