90地下プレリュードまでおまかせを
刻は僅かに遡る事、イサムたちがマザーラークと遭遇する少し前。漸くイサムたちと連絡が取れるようになり、レタは安堵を漏らしていた。現実的に、イサム・センのペアが最も戦力が薄かったからだ。いくらカイデンの元で鍛錬を積んだとはいえ、センの戦闘力を加えて漸く他のペアの戦力と同等ほどになるくらいである。だからこそレタは、イサムとの合流を急ぐ必要があった。聞けばイサムたちはエレベーターに居ると言う。ジャミングは解除したとはいえ、僅かに残るノイズが彼の声に影を落としていた。
「そうなの?今、何階に向かっているの?あたしたちは地下三階で執事さんたちと合流する予定だけど・・・。」
伏黒と合流する前に寄り道をし、先にイサムとの合流をすべきか。ここから先は、本格的に作戦行動が始まる。囚われた人たちの救出。ここからは人数は多い方が良い。故にレタは葛藤を滲ませていた。
〈うぬ・・・。どうやらこちらからは、あの小僧と連絡は取れぬようだな。〉
〈そのようですな。こちらへの返答は、反応がないようでありますし。〉
その間、伏黒やティミッドは何度かイサムやセンに呼びかけを行っていた。しかし、何故か応答はない。まるで暗い水底に消え失せていくように、彼らの返答はなかった。イサムらとレタがコンタクトが出来ているのは、恐らく距離。比較的、イサムとの距離はレタの方が近かった為だろうか。それでもやはり、決して音声は明瞭ではなく、雑音が残る。やがてその雑音は、ひしひしとレタの脳裏に暗雲を漂わせていた。それは彼女自身の独特の感性、女の勘。
「嫌な予感が的中しなきゃ良いけど・・・。」
カリッとレタは爪を噛んだ。レタの思う最悪のパターン、それはイサムたちがマザーラークと遭遇する事だった。マザーラークはこの施設内を徘徊するタイプではなく、一つの場所に留まる定着型と想定していた。それ故に、こちらから出向かない限りは遭遇する事はまず無い。そこで彼女らの推察では、三階が囚われた人らの格納先。蟻の巣でいうところの餌場である。そして、四階に位置する一際大きいエリアが女王蟻の部屋。つまり、マザーラークの棲家となる。だがこれらの想定はツヅミが手に入れた施設内の地図があるからこそ、成し得ている。未だ地図などの情報を得ていないイサムたちにとっては、全くの手探り状態なのである。彼らが誤って四階に向かわない為にも、彼らとの合流は必要だった。・・・だが、不穏はザラつくように頬を掠める。
〈四階よ。〉
そっと溢れたセンの一言を聞いた皆は凍り付く。
「四階⁉︎ちょッ・・・、ダメよ!今すぐ引き返してッ‼︎」
その返答に驚いたレタはギョッと目を丸くし、飛び出したバネのように身体をはねさせた。ましてや、自分が恐れていた最悪の想定だったからだ。イサムペアがマザーラークと鉢合わせになる事。最もあってはならない状況であり、何よりも避けなくてはならない事だった。怒声が混じる声色でレタは、必死に引き返すよう彼らへ命じた。
〈なんですって・・・、これは不味いですね。垂さんたちが四階へ向かってるとなると、恐らくマザーラークのところ・・・。レタさん、なんとか引き返すように誘導しないと!〉
モニター越しで耳にしたテンジョウも、思わず絶句をしていた。だが外部であるテンジョウらからでは、やはり直接勇への交信は出来なかった。それが何とも歯痒い状況であった。今、唯一イサムと連絡が取れるのはレタのみ。直接の誘導も出来ず、施設内のマップや現況共有も出来ないままである。そう彼は、レタへ促すしか出来ないのだ。それが何とも歯痒かった。
〈いや、まぁ・・・。〉
イサムの返答は口篭っていた。とは言われても、といった声色であり、もどかしさがあった。
〈だって、これ直通エレベーターだから、下に着くまで止まらないわよ?〉
続けてセンがイサムの言葉を引き継ぐ。しかもその内容は、最も頭を悩ませる状況だった。直通エレベーター。文字通り、一度行き先を選んでしまったら、目的地まで止まらない。行き先はよりにもよって、地下四階であるマザーラークの棲家。
〈・・・最悪だ。どうする社長さん?今いるメンバーで分散させておく?〉
〈いえ・・・。〉
ジェニーの問いかけに、否定の言葉の後に僅かな沈黙を残す。
〈ここでメンバーを分散させる訳にいきませんね・・・。爺たちは一階、レタさんは二階にいるようですし・・・。戦力的にも、時間的にも、別に回すには苦しい判断ですね・・・。〉
テンジョウは腕を組みながら、自分の腕を強く握り込む。その状況は苦渋の決断を強いられていた。今すぐにイサムの元へフォローを手配させるか、第一優先である人命救助へ当たるか。実際のところ、この施設の攻略は完全な破壊を目的としていない。あくまで囚われた者たちの救助が最優先事項である。その為、マザーラークの討伐は作戦外。そこに戦力を注ぐのは合理的ではない、とテンジョウは思っていた。だがそう決断すれば、残されたメンバーからの反感は生まれる。士気は低下し、作戦どころではなくなってしまう。分断か続行か、その苦渋の決断を彼は沈黙の中で葛藤していた。
「イサムくん!今すぐ引き返してッ!そこは・・・、まだ二人では不味いのよ!」
レタは必死に訴え続けた。辛うじてまだ、通信は行えている。それならば、エレベーターが開いてもすぐに引き返し、元の階層に戻れば良いだけの事。
「良い⁉︎扉が開いてもすぐに引き返して、上に上がってきて!イサムくん、聞こえる⁉︎」
〈ザ・・・、ザザ、な・・・、ど、ザザッイ、が、ザザ、うな・・・ザザッ。〉
障害、再び。イサムの声は荒く濁った砂嵐に巻き込まれる。ノイズが全体を包み込み、音声は途切れ途切れとなってしまった。イサムも何かを発しているようだが、それを聞いた皆は何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
「また電波障害⁉︎さっきジャミングは解除した筈なのに・・・。」
〈恐らく垂さんたちがいるところが、磁場が相当強いところに入ったのでしょう・・・。くそっ!〉
ダンっと、デスクを叩く音が鳴り響いた。その発信源はテンジョウからだった。いつもの丁寧口調はそのまま。だが致し方無い状況とはいえ、その苛立ちは隠せなかった。
「イサムくん!聞こえる⁉︎セン、あんたも聞こえてるの⁉︎そこはマザーラークの棲家よッ‼︎早く引き返して!」
ザ・ザザ・・・、ザザーーーー
返事を返してくるのは、砂嵐のようなノイズだけだった。もはや双方の声は、届いているのかどうかさえ危うい。
〈駄目か・・・。あいつら、出くわしちゃったみたいだね。〉
はぁー、とジェニーは深い溜め息を吐いた。徐々にノイズが激しくなった事から、恐らくそれは強力な磁場を発しているマザーラークに近付いたからだろう。やり場のない苛立ちの中、テンジョウは決断する。
「ちょっと、あたし行ってくるわ!」
〈駄目です。時間が間に合いません。〉
レタへの回答は珍しく酷く冷たいものだった。
「はぁ⁉︎何言ってんのよ、あんた‼︎イサムくんたちがマザーラークと遭遇したのかも知れないのよ⁉︎まさかだけど、あの子たちを見捨てる気なわけ⁉︎」
彼女は怒声をマイクに浴びせた。言葉の節々には、キィーンとハウリングを添えていた。だがそれでもテンジョウは、冷静を忘れなかった。イサムを見捨てたい訳ではない。これは彼なりの決断。
〈いえ、仕方ありません・・・。我々の第一優先は、囚われた人たちの救出です!〉
その決断は、あまりに非情なのかもしれない。だが、合理的ではある。やむを得なかった。仮にフォローに回ったとしても、戦闘が開始されていればエレベーターなどで逃げるのは不可能だと踏んでいた。この施設の四階へ行く手段は限られている。直通エレベーターか、三階からの専用エレベーターのみ。非常用の階段などは作られていない為、逃げ場はない。下手に向かえばミイラ取りになるだけだ。だからこそ、テンジョウはイサムらへの加勢は行わずに人命救助を優先させた。
「冗談じゃないわよ・・・。そんなの認められないじゃない・・・!」
「わかってます・・・、けれど。これが最善なんです。」
テンジョウの返す言葉は、あまりにも苦かった。現場を理解しているからこそ、苦しかった。レタは、沈黙を盾に言葉を返さなかった。ただ、奥歯を噛み締める。
「・・・そ。なら、とりあえず合流するわ。」
レタは、素っ気無くそう返した。それは彼女が雪女であると体現するかのように、淡白で冷たかった。テンジョウの考えに間違いはない。けれど、決して絶対的な正解でもない。だから、彼女は煮え切れなかった。合理的であるが故に、テンジョウへ反論はしない。
「行くわよ、ツヅミくん。」
「あいさー、お嬢!・・・でも、良いんすか?このままで・・・。」
珍しくツヅミは彼女の心を覗いたかのように、気に留めていた。それが彼女の本心なのかと、問いかけるようでもあった。作戦上に間違いはない。だがそれは、個人の意見は抜きにしての話だ。ツヅミは、本心を知りたかった。では、どうしたいのか。彼女ならどうしたかったのか。
「まぁね。それでも・・・、納得は、出来ないところだけど・・・。」
彼女は奥歯を噛み締めた。本心は、やはり納得出来ない。それでも、今はイサムらを信じるしかない。無事である事を、信じて良かったと思えるように。レタは、パンっと頬を叩いた。本心を押し殺して、今は自分たちが出来る事を全うしようと。決意の表れでもあった。
・・・。
・・・・・・。
それから数分後。地下三階の構造は、マナ収容所の一室のみ。エレベーターから降りると、大きなドアが一つ。両開きの扉が固く閉じられている。先に辿り着いたレタたちは、ドアの端に備え付けられていた端末に目を向ける。テンキーが付けられており、パスワードを入力する事で扉が開くようだった。レタはすぐにジェニーへ報告し、解析をさせた。闇雲にパスワードを入力して、エラーを感知させる訳にはいかない。そんな時に役立つのがジェニーだった。先にジャミングを解除させた事で、ジェニーはすぐに施設内のサーバーへとアクセスし、パスワード解除を急ぐ。それから間も無く、靴音を木霊させる反響音が聞こえてきた。階段を降りる音、敵意のない足音。レタは特に気にも留めなかった。何故なら、その足音の持ち主は知っている者だから。
「おや、レタ殿。ご無沙汰ぶりですな。」
「えぇ、ティミッドも変わらないようね。それに、随分到着が早いわね。」
先に現れたのティミッド。シルクハットを脱ぎ、軽く会釈をした彼の顔は、満悦の笑みを浮かべていた。彼に続いて、後ろから現れたのは伏黒。腕を後ろに組みながら、ふんっと軽く鼻息を鳴らす。
「あぁ。ツヅミが手に入れた地図を元にケットシーが最短ルートを案内してくれたからな。」
そうして、三階に辿り着いた彼らは漸く合流を果たした。すると、レタの後ろからヒョコッとツヅミが顔を出した。
「お、ボスー!そっちは大丈夫でしたーー⁉︎」
ご自慢の満面無垢な笑みを全力で振り撒きながら、彼はブンブンと右腕を何度も強く振った。
「見ての通りだ、馬鹿者。」
ツヅミのあまりのはしゃぎっぷりに、伏黒は幻滅を滲ませながら目を背けた。まずは自分が無事だった事を褒めて欲しいのか、主人に溺愛した子犬のようにアピールを振り撒く。それを見て軽く溜め息を吐いた伏黒は、ジャケットの内ポケットから個装されたビーフジャーキーを取り出す。袋を開けてツヅミへサッと投げ入れると、ツヅミは子犬のようにジャンプし、ビーフジャーキーを口でキャッチした。一連の光景を見ていたレタは、それで良いのか…と半ば呆れた様子だった。
「んで、ここが例の部屋っスか?」
ビーフジャーキーを咥えながら、ツヅミは扉へと指を差した。
〈あぁ、ここがマナ収容所。つまり、ここに囚われた人たちがいる筈だよ。〉
「確かに、そのようですなぁ。」
ティミッドは黒縁の眼鏡をクイッと掛け直しながら、扉をジーっと見つめていた。正確には、扉の奥。扉の向こう側へと目を凝らしていた。目を丸めたり、時に細めたりと目に力が入る。その間、整った口髭を軽く摘みながら凝視に集中している。
「どう?何か、見えるかしら?」
「恐らく対妖怪・悪魔用のジャミングがここでも起きてるのでしょうな。間違いなく言えるのは、ここが本筋。ただ…、生憎ではありますがー…、扉の奥は霞んでしまっていて、ふぅ。あまりよくは見えないですなぁ!はっはっはー!」
ティミッドの目は、ドラキュラ故に特別性。ある程度のものは、空き通して見る事が出来る。どれだけ分厚い壁であろうと、本来であれば扉の奥を覗き込むのは容易であった。だがそう上手く機能させていないのは、ここでもジャミングを施された事が要因だった。彼の目を持ってしても深い霧に包み込まれたように、扉の奥がどのような状況かはわからなかった。
ピピッ
〈お待たせ。扉の解析が終わったよ。レタ、そこの端末のエンターキーを押したら扉が開く筈だ。〉
弾みの良い電子音が鳴るのと同時に、ジェニーから解析完了の報告が舞い込んだ。
〈百も承知だとは思いますが、皆さん油断はしないで下さい。〉
「わかってるわよ。それじゃあ、行くわよ!」
ジェニーの指示通り、レタは扉の付近に設置された端末を操作する。端末に表示された液晶画面には既にジェニーがアクセスし、パスワードが打ち込まれていた。あとは彼女のGOサインであるエンターキーを押すのみ。彼女に、躊躇はなかった。そっとエンターキーを打つ。“OPEN”と無機質で青白い文字が浮かび上がると、固く閉ざされていた扉に反応が現れる。
ダンッ、ガ・・・ゴォンン
扉は開かれた…。そして、その先に見えた光景に、一同思わず息を飲む。
「・・・ッ。」
「これはまた・・・。」
「随分、酷い臭いね・・・。鼻が曲がりそうだわ。」
最初に立ち込めてきたのは、誰もが嫌悪感を抱きたくなる異臭。生魚とブルーチーズを常温で放置されたような臭い。いくら収容所といえど、その臭いのキツさは胃の中の物をひっくり返されるような悪臭だった。中はホールのように広いが酷く殺風景であった。そして、最も異様と評される物に皆、目を丸めた。人一人を裕に包み込む透明なカプセルがズラリと所狭しに並んでいる。カプセルの一つ一つには、青色の液体が入っている。そして青色の液体に漬け込まれているのは、多種多様な妖怪や悪魔、人間が入っていた。どれも意識はなく、まるで夢でも見ているかのように目を瞑っている。
「それに我々のデータでは、囚われた者の数は数十人単位でなかったか・・・。これでは少なくとも、百はくだらないぞ。」
伏黒たちが事前に聞いていた情報では、行方不明リストは凡そ五十人程度。だが、目の前に広がる光景は違った。その倍以上の数の犠牲者が、この部屋に収容されている。彼らはこの光景を見て、何となく察した。マナ収容所とあって、恐らくあのカプセル内で漬け込まれた対象者のマナを工率良く吸収しているのだろう、と。対象者を生かし過ぎず、しかし殺しもしない。あくまで効率良くマナを絞り出す為に、ギリギリに生かす。だから彼ら“ギフト”たちは眠っている。
「凄いッスね・・・、それだけじゃなく全身の毛がビリビリ来る感じするッスよ!」
それは悪寒か、はたまた武者震いか。明らかな異常さに彼らは感覚が麻痺しそうだった。ツヅミですら目を細め、緊張を走らせていた。
「ジェニー殿、聞こえますかな?すぐに応援要請を!救出部隊を整えて欲しいでありまする!」
ザ・・・ザザ、ザッザザ・・・
先ほどまでクリアだった無線は、再び砂嵐に包み込まれていた。外部の応答はなく、雑音で押し潰される。
「ここにもジャミングが残っていたか。仕方あるまい・・・。まずは彼らの保護からだ、ツヅミ、雪女手伝え!」
そう伏黒が指示を飛ばし、振り向こうとした矢先だった。
「ほぅ・・・、あなたたちですか。先ほどから暴れ回っているという俗物どもとは。」
ゾワ…
「…ッ⁉︎」
その異様さに感化されたのか、直前までその存在に誰も気付けなかった。声の主は音もなく、レタたちの前に現れる。容姿は人間。やはり白衣を着用しており、白い軍帽を被っている。細身な体型で身長は百八十センチ前後。耳が隠れる程の長い黒髪。目は糸線のように細く、僅かに口角を上げた顔立ち。
(いつの間に・・・。あたしたち・・・、全くあいつの気配を感じなかった⁉︎)
レタたちが驚いてしまったのは、その存在に気付けなかった事。通常の人間であれば内包されている“気”により、姿が見えずともその存在に気付く事は容易であった。何故、気付けなかったのか。それはこの異様な光景に感覚が麻痺された為か、それとも別な事象があるのか。いずれにしても、この目の前に現れたこの男は、ここにいるレタたちのレーダーを潜り抜けて現れたのだ。それこそが異様であり、ただただ実に不気味。同時にレタは直感した。この男こそ、ここの長。上の階で出会ったどの者よりも格上の存在である、と・・・。
「あ、あら、『俗物』の使い方も分からないのかしら。その言葉は、自分よりも身分の低い人へ向けて使う言葉よ?」
レタは挑発を送った。この者に弱みを見せてはいけない。虚勢を張ってでも体勢を整えなければ。挑発を受け取った白衣の男は、顎に手を添えると暫く天井を眺めながら考え込む。
「成程・・・。では、認識通りであるな。」
男はレタからの挑発を軽く受け流し、そのまま挑発を重ねた言葉で返す。これは、どちらかが逆上すれば好都合であった。逆上や怒りは正確な判断を鈍らせる。戦場において油断してはならない、無意識の不穏分子。だがその揺さぶりは、僅かにこの男のほうが一枚上手だった。
「貴様が諸悪の根源か。個人的な恨みはないが、早々に処分させて貰おう!」
「おやおや、そちらは四人も居ますからねぇ。それも、どれも相当の手練れと見える。成程、そうかそうか。これでは上の雑魚どもでは、止める事は無理でしょう。」
「あんたたちの計画は何なの?何が目的でこんな事を⁉︎答えなさいッ!」
レタは六花を起動させ、銃口を男に向けた。だが、その銃口は僅かに震えている。無意識の震え、武者震い。その正体は、男の周囲から滲み出す奇怪な既視感。首筋を舐め回されたような悪寒が走り抜ける。
(それに何なのこいつは。制御室に居た奴みたいな覇気、ひょっとしてこいつも・・・。)
“キメラ”。人間と“ギフト”の力を混合させた存在。彼女の脳裏に真っ先に浮かんだ言葉だった。直前まで姿を感じさせない、人とは違う覇気、“ギフト”が持つ波長を力任せに捻じ曲げたような感覚。その共通点から辿って導き出された答えこそが“キメラ”だった。銃口を向けられたというのに、男は全く動じなかった。たとえそれが威嚇ではなく、本気で撃ってきたとしても男は動じない。彼女の言葉に男はクスリと鼻で笑うと、柔らかく口元を開く。
「それを答えるとお思いですか?話す訳がないでしょう・・・、今から死ぬ者になんて。」
「ふん、減らず口を。貴様一人で何が出来る。」
「ほぅ・・・、いつから私が一人だと思ったのでしょうなぁ・・・?」
不気味な笑みを浮かべた瞬間、背筋が凍り付く。それは薄暗い影から立体的に浮かび上がるように、姿を現す。
ゾワ・・・
一体、また一体と異形のものが現れた。その姿は極めて虫に近い。硬い外殻は黒く、二対の長い脚。爪先にかけて鋭利な形状をしており、床を突き刺すように歩く。節は頭部と胴体に分かれており、胴体に対して頭部は小さい。頭部の殆どが大きな単眼を備えており、赤くギラついた瞳をレタたちへと向けていた。
「な・・・⁉︎」
「なんだこいつらは・・・⁉︎」
「ウヘーーーーーーー⁉︎めちゃくちゃ湧いてきたっスよーーーッ‼︎」
「間違いありません、彼奴らがラークでありますぞ!」
この虫のような造形をしたものこそ、悪魔ラーク。その数は、優に百を超える。対峙する男を中心とし、まるでオーケストラを演奏するかのようにズラリと整列していた。トッ…と革靴を鳴らした男は、その一歩をレタたちへと近付けた。
「成程、そうかそうか。俗物どもの中にも多少の博識を持ち合わせていると。ご覧の通り、こいつらはラーク。しかし一般的なラークとは異なります。我々が改造を施した悪魔。群体ラーグたちです。」
「悪魔を・・・、改造した・・・ですって⁉︎」
血の気が引くような言葉に、レタは息を呑んだ。だが、同時に悟った事もあった。“キメラ”という悪魔の力を植え付けた人間がいるくらいの施設だ。混合させるものは、何も人間をベースとは限らない。ベース先は妖怪でも悪魔でも、恐らく理屈さえ叶えば組み合わせは可能なのだろうと。故に、自分たちが使役するように改造を施すのも、“キメラ”化の工程で生まれた副産物。ならば、今ここに無数に現れた改造ラークだって不思議な存在ではない。レタは静かに怒りを覚えた。人間とは、どこまで傲慢なのかと。そしてどこまで残忍なのか、と・・・。
「如何にも。私はこのラークたちを統べる者、守矢。そして、もはや私のトリックも勘付いている頃でしょう。」
守矢と名乗った男は、指揮棒を振るうように大きく腕を広げた。まるで幕が開かれ、これから演奏会を始めるかのように盛大に。それとほぼ同タイミング、ドス黒い覇気が放出される。
「みんな、すぐに構えてッ!」
逸早く察知したレタは、すぐに皆の体勢を整えさせ警戒を促した。ゾクリと脈を打つ感覚。喉元を締め付けるような嫌な感触。悪寒と殺気が入り混じり、不協和音となって襲い来る。
(やっぱり、こいつ…。さっきの奴と同じ……、いや違う!明らかに格上ッ!こいつは、他の奴と何か違うわ!)
レタは確信した。目の前に対峙する者は間違いなく格上の“キメラ”。上の階で出会った者と比べて、明らかにドス黒いマナの量を放出している。それは悪魔の濃度がより濃い為か。
「あいつは普通の人間じゃ……ッ⁉︎」
レタが慌てて皆に注意を払おうとした時だった。
ズズ…ッ
レタの目の前に突如として現れた巨大な大鎌。守矢はその巨大な鎌を振るい、既にレタの首筋を捉えていた。刃との距離は僅か数センチ、ギラリと光る刀身にレタの顔が映り込む。
「え・・・ッ」
あまりの唐突さに、レタは身動きが取れなかった。頬に伝う汗すらも、ゆっくりと流れているような感覚。走馬灯のようにゆっくり、ゆっくりと・・・。スローモーションのように、時が流れる。冷たく襲い来る死線の先には、守矢がニヤリと薄ら笑みを浮かべていた。
ガッ
振り被られた大鎌がレタの首を跳ねようとする刹那、噴水のように鮮血が撒き散らされた。その血は一瞬にして凝固し、鋼鉄をも弾く巨大な盾へと変貌した。
「いきなりレディに斬りかかると、いけませんなぁ・・・!大丈夫ですかな?レタ殿ッ!」
「ティミッド!」
誰よりも早くレタのフォローに回ったのは、ティミッドだった。彼には見えていた。守矢の動きを“反転する紅い湖畔”で捉えていた。超人的な反応速度と動体視力を得ていた彼は、瞬時にレタを守る事が出来た。
「ほぅ・・・。この速度に反応しますか。流石、と評価しましょう。」
守矢は攻撃こそは受け止められたが、ふふんっと鼻で笑った。むしろこれは、安心に近いのかも知れない。こんな簡単な攻撃でやられるようでは、退屈で仕方がない。自分が出てきた意味がまるでない。少しは楽しませてくれそうだ、と楽観していた。それだけの余裕をこの男は持ち合わせていた。
「やっぱり、あんたも“キメラ”ってわけね・・・!」
「御名答、私も“キメラ”です。先程もお伝えした通り、この群体ラークたちの指揮命令権を手にしているのです。ですから・・・、もうお分かりですよね?」
「ちっ・・・、また面倒そうな相手が現れたものだ。」
そう敵は一人ではない。守矢という“キメラ”だけではない。その周りに働き蟻のように群がっている改造ラーグも、牙を向けている。各々が武器を手に取り、緊張を走らせながらも構え始めた。
「えぇ、ここが私たちにとって最終防衛ラインです。だから、出し惜しみは致しません。」
ラーグたちの赤い単眼が鈍く光る。無数の銃口を向けられたように、その視線は明らかな殺気を放っていた。
「それでも、やるしかないじゃない!覚悟ならとっくに出来てるわッ‼︎」
「あなたたちが相手するのは、圧倒的な群でも強大な個ではありません。・・・その両方なのですからネッ‼︎」
地下の死闘。群は押し寄せるように飛びかかり、個は悍ましくも大鎌を構えている。そんなプレリュードが荒々しくも始まった。




