89最下層の母までおまかせを
無機質に密閉された空間、エレベーター。僕らは今、そこに居る。籠内はやけに静かで、降下するベルトの音すら聞こえない。聞こえるのは、言葉では表現しきれない、僅かに唸らせる低い音。これが今、本当に降っているのか、それとも実はまだ止まったままなのかと、錯覚すら与えさせてしまう。そういえば無機質な音声が云っていたな。このエレベーターは直通だと。つまり、その目的地までは止まらない。それまで僕らの目の前にあるこの扉は、頑なに開こうとはしないのだろう。電光盤に表示された「B1」も変わらない。ただ、僕らは無機質で無音の、恐らく降っているであろうエレベーターに立ち尽くし、静かにその電光盤と扉を見つめるばかりだった。本当にこの行き先で良かったのだろうか、と僅かな不安が過ぎる。センはどうだろうか。僕は彼女に目線を送ってみた。彼女は腕を組みながら、じっと扉を見つめている。けれど、油断という言葉は脱ぎ去っている様子だった。腰にかけた刀をいつでも抜けるように、彼女の細い人差し指はゆとりを持たせていた。気付けば僕は沈黙から訪れる誘惑に耐え切れず、ぽつりと溢れた息から言葉が漏れ出した。
「なぁ、セン。このエレベーター、直通って云ってたよね。」
「えぇ、そうね。どっちかでしょうね。」
「どっちかって?」
「女王様の部屋か餌場かって事よ。」
素っ気なくも彼女はそう答えた。顔を見て分かったが、彼女も冷静を装ってはいるようでも、どこか落ち着きが無かった。
「じゃなきゃ、直通エレベーターなんて作らないか。」
直通というだけだ。恐らくは、そのどちらかだろう。しかし、どちらにしても僕らだけで大丈夫だろうか。少しでも戦力を回復させる為に、それこそレタたちと合流するのを待つべきだっただろうか。傍らにいるこの青天狗も、きっと同じようにそんな迷いを抱えている感じなのかな。いや、いずれにしても外との通信はできない状況だし、彼らの安否も未だ分からないのが現状だ。このままさっきの場所で立ち止まっていても、ただただ敵に遭遇するだけで体力も消耗するだけだろう。だったら、やはり前に進むべきだったか。
「けど、不思議だと思わない?」
彼女は首を傾げながら、そう尋ねた。
「巣窟にしては、手薄過ぎるって事?」
それは僕も思っていた。舞台は大掛かり、人攫いに謎の研究施設。それなのに、それらを守る陣営はあまりに脆い。
「イサムも気付いていたのね。うん、これだけ大掛かりに準備している割に、手応えがね…。」
「やっぱそうだよね。となると、本命はこの下に居る・・・。」
「スクリーンに現れた化け物よね・・・。」
本命はあの化け物。スクリーンに現れた巨大なタコの脚のような奴だ。けど、どうしてここの陣営はこんなに脆いんだ?僕らを襲ってきた人たちは、僕やセンを見てサンプルにするとか云っていたよな。やっぱりここは何かを集める為の研究施設なのか。何かのエネルギーを集めるのか、生態的な何かを調べているのか。人間である僕や妖怪たちに共通するものといえば・・・、身体とマナ・・・だろうか。けど何故、守りが弱い?逆に考えろ、立場を逆転させて、俯瞰しろ。あいつらが見せたマナ圧縮装置、マナを強制的にカットさせる機械。スクリーンに現れた怪物。捕まれば、すぐにここに転送されて研究材料にされる。それだけの設備があるからこそ、戦力を過剰に注ぐ必要が無い?それとも他にもこんな施設があるから、ここは支部に過ぎない?だとすれば、合点はいく。もし、まだ他にも支部が数箇所とあるならば、それだけ戦力を分散させる必要がある。ましてや、ここは九紋一族とやらの息がかかっている組織だ。だから、ここは・・・、守る必要がない施設!万全の設備、環境が整っているからこそ、放っておいても問題ないと奴らにはそう認識されている。蓄積されたデータは、勝手にこの施設の人たちが送ってくれるのだから。もしそうなら、ここにいる九紋一族は下っ端だけ。それもどちらかというと“雇われ”の方が多いのだろう。だったら幹部たちに気付かれる前に、チップたちを早く救出しないと!
「イサム?」
「え?」
はっと我に返ったように振り向くと、不安そうな顔で見つめるセンが傍らにいた。どうやら考え事をフルスロットルで回していた為か、彼女の声がけに全く気付かなかったようだ。
「大丈夫?」
「あぁ、ごめん。ちょっと色々、考えて・・・。大丈夫だよ。」
僕はサッと手を翳し、少し滲み出た額の汗を拭った。けれど、これまで考えていた事はあくまで仮定だ。決定的な確証がある訳じゃない。一応、センに話すべきか・・・。いや、返って判断を鈍らせてしまうかも知れないな。
ザザ・・・
すると耳につけていたインカムから砂嵐のような音が走った。念の為にと一応ずっと身につけていたけれど。まさかこの反応は、無線が復活したのか?・・・何かを云ってる。女性の声だ。何か、誰を呼び叫んでいるような・・・。
〈ザ・・、ザザ、イサムく・・・、イサムくん!聞こえる⁉︎〉
砂嵐は風の矛先を失ったかのように拭い去り、雪女レタの声が鮮明に耳元で鳴り響く。
「え、インカムが聞こえる⁉︎レタさん!レタさんですか⁉︎」
僕は歓喜した。漸く離れた仲間と連絡が取れるようになったのだから。それに、最初に囮となってしまったレタからの通信からなのだ。彼女が無事だというのが特に大きい。
〈良かった・・・、そっちも無事みたいね。〉
彼女は安堵の息を漏らすようにそう告げた。
「他のみんなは?」
〈全員、無事よ。あたしがジャミングを解除したから、漸く連絡が取れるようになったけど。でも、君らのところだけ妙に繋がり悪いのよ。〉
「あー、今エレベーターだからですかね?」
先ほどよりは音声がクリアになったとはいえ、まだ雑音は残る。まるで壁にこびり付いた汚れのように完全には消えない。多分それはここが地下だからっていうのもあるのだろう。それにここはエレベーターは元々、電波が届きにくい構造にもなっていると聞く。更に一般的なエレベーターと違い、このエレベーターは妙に無機質な機械仕掛けであるのもそうだろう。きっとこれも無線などの電波を遮断させるような役割があるのだろうか。けど、ここまで無線に対し妨害を徹底するのは何か意味があるのか?
〈そうなの?それで、今何階に向かっているの?あたしたちは、三階で執事さんたちと合流する予定だけど・・・。〉
どうやら、レタたちは三階で合流する予定のようだ。そうか、それは一足遅かったか。それだったら、このエレベーターに乗るのに少し躊躇するべきだったか。そうすれば、彼女らと同行する事が出来たのに。けれどこのエレベーターは直通。もう下に着くまで止められない。
「四階よ。」
〈四階⁉︎ちょッ、ダメよ!今すぐ引き返してッ‼︎〉
そう聞いた彼女は、鍋をひっくり返したかのように突然慌て出した。すぐに引き返せ・・・、それにこの慌てっぷり・・・。一体、何があるっていうんだ?
「いや、まぁ・・・。」
「だって、これ直通エレベーターだから・・・、下に着くまで止まらないわよ?」
ドクンッ
⁉︎
突然、何者かの強力な力がのしかかり、重圧が僕らの体躯を縛り上げるようだった。心臓を鷲掴まれたような感覚。その感覚が悲痛のように叫んでいる。これ以上近付くな、と・・・。全身の毛が逆立ちでもしてるかのように、僕の腕は鳥肌になっていた。
「な・・・、何・・・?今の、プレッシャーは・・・?」
ゾッとするような恐怖。その感情は、傍らにいるセンにも滲み出ていた。身体を硬直させ、ツーっと冷や汗が頬を伝う。刀に手を伸ばそうにも、その手は微かに震えていた。
「わ、わからない・・・。けど、物凄い悪寒が走り渡ったような・・・。」
なんだよ、この下に何がいるっていうんだよ・・・。まさか、いやまさかな・・・。そんなハズレくじがあるって事無いよな・・・。いや、大抵だけど、今までの人生で大体わかるんだよ、こういうの。
〈ザザ、イサムくん!今ザッすザ引きザザッしてッ‼︎そこは・・・、ザザ、ザザザ・・・。〉
再び、無線に砂嵐が巻き起こる。レタの声が徐々に途切れ途切れとなってしまい、言葉の節が奪われる。
ガゴ・・・ンン
重厚な音を奏でながら、エレベーターの扉は開かれた。その瞬間、異様な臭いが立ち込める。例えるなら、何日も放置された死体の山に突っ伏したような臭いだ。云うまでも無い、鼻が曲がりそうだ。一度でも嗅げば、嗚咽が胃の奥から昇っていく。僕は思わず鼻と口を塞いだが、それでも臭いは執拗に付き纏っていた。
〈マザーラークの棲家よッ‼︎〉
「マザー・・・、ラーク・・・?」
ザッ、ザ・・・、ザザザーーーーーー・・・
そこで回線は完全に途切れた。彼女の声はもう届く事はなく、砂嵐が酷く邪魔をする。
「ちょ、ちょっと・・・、何よ、これ・・・。」
「これは・・・。」
僕らは驚愕した。目の前に広がるこの光景に・・・、惨状に、ゾクリと脈を打った。薄暗い広間、けどここだけはあまりに異質だった。これまで人工的だった設備は、一切そこには無い。今までの階層よりも天井が数倍高く作られており、ホールのようにがらんと広い。上のかいと打って変わって床から突き出た巨大な根、壁も同様に夥しい数の根が広がっていた。異臭の正体はすぐに判明した。部屋の隅に投げ捨てられている腐敗したモノたち・・・。どれも酷く痩せ細っており、それが人だったのか“ギフト”だったのかさえ判別出来ない。何故、こんなところにこんなものが、と最初は思っていたが時を然程待つ事なく分かってしまった。中央に聳える巨大な何か。あれは大木とでも云うべきか。巨大な木が中央に聳えている・・・。だが普通の木では無いのは確かだ。耳を塞いでも聞こえてしまう脈動音が、重低音を鳴らしている。天井まで高く伸びる枝。葉はなく、無数に伸びる枝が太く、そして長い。
コヒュー・・・、コヒュー・・・
するとその大木から掠れるように篭れる呼吸音が聞こえた。それが何だったのか・・・。目にした僕は、一瞬にして怒りへと塗り替えるには造作もなかった。
「チップ‼︎」
大木の中央部分にチップが埋め込まれていた。手足は拘束され、目元は触手のように伸びた枝で覆い被されている。チップの口は管状の器具が取り付けられており、常に何かを流し込まれているようにも見えた。あいつ・・・、こんなところに居たのか!ぱっと見でもわかるけど、早く助け出さないとかなり不味いよな。周りの腐敗していったモノを見る限り、多分あの大木に搾取された末路がそうなのだろう・・・。
「イサム、あそこにも!」
同時にセンも何かに気付いたようで、慌てるように指を差した。彼女が指し示した方へ目を向けると・・・。
「あれはソーアと、シウン!これって・・・、取り込まれているのか・・・?」
チップの傍らには狛犬兄妹も囚われていた。チップと同様に四肢は埋め込まれ、目隠しと口を管で塞がれている。行方をくらませていた彼らを漸く見つけた事への安堵はあったが、依然として殺伐としたこの空気感は拭い切れない。兎に角、何とかして彼らをあの大木から引き剥がさないと・・・!そう思った僕は急いで、大木へと駆け寄った。
ドクンッ
大木へと近付くや否や、再び高圧力のプレッシャーがのしかかり思わず僕は足を止めてしまった。いや、何か違う。これ以上、近付くな。自分のテリトリーにこれ以上踏み込むな、と首を掴まれた気分だ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ・・・。」
内臓を震わせるような呻き声が響き渡った。まさか、これ・・・、ただの大木じゃない・・・⁉︎こいつ生きてるって云うのか⁉︎こいつ自体が自我を持ち、防衛本能を働かせようとしているのかよ。傍らにいたセンは、咄嗟に刀を抜いて構えた。だがその切先まで伝わるのは自分自身の震え。
「冗談でしょ・・・、これが悪魔だって云う気?こんなデカイの・・・、聞いてないわよ、レタ・・・。」
巨悪に満ちた恐怖を無理矢理押し付けられるようなプレッシャー。それは並の者なら、戦意を削ぐくらい容易いだろう。あのセンですら皮肉をダイレクトに吐き捨てる程だ。センも悟ったのかも知れない。これは一筋縄どころでは済まされない、と。
「レタさん!あれがマザーラークってヤツですか⁉︎」
そうレタがこのホールに入る時に口にした言葉。マザーラーク・・・。この大木も“ギフト”だって云いたいのか・・・?くそ、最早何でもありだな。やはり、ここに来るのは早過ぎたか。ならせめて、レタともう一度くらい連絡を取って、確認を・・・。
ザザザ・・・、ザザ
だが、返答もろとも砂嵐の中に吸い込まれてしまっていた。
「くそ‼︎肝心な時にッ!」
僕は思わずインカムの本体ごと床へ投げ捨てた。こうなってしまっては、もう邪魔なだけだと思ったからだ。ここまで来たら、ただでは帰れない。どうせなら、やるしかないだろ。はは、本当にハズレくじじゃないか。クソッタレ。僕は腰に隠していたナイフを取り出した。くるりと回転させ、キラリと光る刀身から鏡反射した僕の顔が映り込む。全く、なんて顔なんだ。目の前に自分のバディが居るんだぞ。丸ごと救い出して、ここなら脱出してやる。
「イサム、構えて!多分、これがマザーなんとかってヤツよッ‼︎」
センは刀を構えながら、そう僕へ注意を払った。こんな木の化け物を僕ら二人で、か・・・。けど、案外デカいだけで動きは遅いのでは・・・?何ならあそこから動く気配もないみたいだ。これなら何とかチップたちの居るところまで取り憑いて、ひっぺがしさせすれば何とかなるのでは・・・?そう・・・、思った矢先だった。
「おおおオオオオオオオーーーーッ!」
ブォォッン
重低音が増幅した呻き声と共に、巨大な鞭が真横から襲いかかった。けれど動きは、極めて単調。僕でも見えてしまうくらい、その動きは決して速くない。ただ大きく、大縄を何本も束ねたサイズの鞭が飛んできたのだ。一瞬とはいえ、身の危険に思わずギョッとした。寸前で僕はしゃがみ、センは翼を広げて高く飛び上がる事で難なく躱す事が出来た。
「どわぁッ⁉︎木の根っこ⁉︎一体、どこから⁉︎」
「多分・・・、あいつの身体でしょうね・・・。成程、ヤツの棲家とはよく云ったものね・・・ッ!」
翼を羽ばたかせ、宙にいるセンは数秒周りの状況を確認するとそう告げた。センは、僕へと合図を送った。人差し指を挙げ、くるりと何周も時計の長針を進ませるように立てた人差し指を回した。それを見た僕はハッと気付く。おいおい、マジかよ。そんな事ってアリなのか・・・。彼女が云いたいのって、この空間全体があいつの攻撃範囲だって云いたいのか?さっきの根を振り回した攻撃といい、床や壁には夥しい数の植物の根のようなものがそこら中に生えている。これが全部あいつの身体だっていうなら、あいつにとって、もう僕らはマザーラークの射程範囲内に居るって事かよ・・・。すると今度は数本の根が牙を向ける。宙に浮くセンへと照準を合わせると、その根は一斉に襲い掛かった。
「センッ!」
僕がそう叫ぶと、彼女は返事の代わりに無言でコクリと頷いた。バサっと黒翼を羽ばたかせると、彼女の目付きはガラスのように鋭くなった。襲い掛かる根をはらりと躱し、二撃目、三撃目もリズミカルに羽を動かすと独自のステップで華麗に避ける。やはり動きは単調だ。ただ真っ直ぐ標的に向かって飛ばしているだけのように見える。
切先が分かっている以上、センがそれを捉えるのはあまりにも容易だった。刀で切り捨てるまでもなく、最小限で回避。それでも執拗に襲い掛かる木の根。一の矢、二の矢が効かないと判断したのか、根は不器用に入り混じり即座に束ねた。すると、大きな槍となってセンへと真っ直ぐ突っ込んでこようとしていた。だだ彼女は冷静だった。一度抜いた刀を敢えて鞘へと納め、半拍の呼吸をそこに置く。
「はぁあああああああーーッ‼︎」
彼女の叫びと共に繰り出された超高速で繰り出された連続の抜刀。やがてその斬撃は空気を斬り、鋭い衝撃波と化す。その一振りに見えた斬撃は、一体どれだけ切り刻んだのだろうか。あまりに早過ぎて、その剣先が全く見えなかった。ほんの一瞬、空気を斬る動きが何重にも重なって見えてしまうくらいの残像が浮かび上がる。
「抜刀・漣ッ。」
ジャギギギギギギギッギギギーーーーーーン
彼女の連続で繰り出した一閃が束ねた根に触れるとピタリとその大槍が動きを止める。チャキっと刻みの良い音を奏でながら再び刀を鞘へと納めると、半歩遅れて束ねた木の根はバラバラに斬れていった。微塵切りのように、太く束ねていた根を数センチ単位まで切り刻み、粉々にしてみせたのだ。
「オオオオオオオオオオーーー・・・。」
再び奴から苦しむような呻き声が聞こえた。これはもしかして効いているのか?それならまだ勝機はあるぞ!なんだ、デカいだけでつい萎縮してしまったけれど、ここは冷静に対処すれば・・・。地道にこうやって根を攻撃していけば、奴だって体力が無限じゃないんだ。徐々に減らしていって叩けば何とかなるぞ!
「ンぶッ⁉︎ンンンーーーーーーーーッ⁉︎」
するとチップの悲鳴が響き渡る。何かを苦しむような言葉にならない悲痛が木霊する。
「チップ!」
なんだ・・・、一体何が起きたっていうんだ・・・?センが根に攻撃をした途端、急にチップが苦しみ出した・・・。
「手応えはありそうって感じね・・・。よし、これなら!」
センはまだ何か気付いていない・・・。いや、でもこれも確証たるものじゃないけど、恐らくは・・・。だとしたら、最悪のケースだぞ・・・、これは。彼女は再び次の攻撃へと転じようとしていた。刀を構え、低く体勢を屈めるとチップたちへと目線を合わせる。
「セン、待って!」
僕は咄嗟に彼女へ叫んだ。駄目だ、このまま闇雲に攻撃しては駄目な気がする。もし、奴に攻撃をしてしまうと・・・。
「え?」
僕の声に反応した彼女は、ピタッと攻撃を止めた。セン自身、何が起きたのか戸惑いの表情を浮かべ始めていた。
ヒュオッ
マザーラークはその隙を機械的に逃さなかった。センの死角を縫うように根の槍が襲い掛かる。
「くっ・・・。」
ガガガッ
寸前でその殺気に気付いたセンは、腰に掛けていた鞘を抜き取り防御へと転じた。飛ばした根の槍は弾かれたが、それでも数本の根が鞘に突き刺さる。ギリッと火花を散らすような音を掠らせながら、攻撃と防御がぶつかり合う。
「こいつに攻撃は駄目かも知れない!さっきのセンの攻撃でチップたちが、苦しみ出している!」
「そ、そんな・・・!こいつ、痛覚をチップくんたちとリンクさせてるって云いたいの⁉︎」
それは見間違いではなかった。確かにあの時、攻撃をした瞬間に囚われたチップたちが突然苦しみ出した。そんな惨状を目にして思い当たる節といえば・・・、痛覚共有だ。恐らく、あいつは自分の受けたダメージをそのままチップたちにも流している。分け与えるとかじゃない。そのまま受けたダメージをそっくりに、チップや狛犬兄妹にも与えているんだ。くそ、随分厄介な事をしてくれる。ストっとセンは僕の傍らへと降りてきた。戦況が変わった。それもかなり芳しくない。いや、初めからそう仕組まれていたんだ。僕らはそれに気付くのが遅れてしまっただけだ。
「セン、大丈夫かい⁉︎」
「えぇ・・・、けどイサム。これ、どうしよう・・・。」
「チップたちを救うには、あいつから引っ張り出さないといけない。けど、攻撃したらチップたちも苦しんでしまう・・・。だからって、攻撃せずに救うだなんて・・・、一体どうすれば・・・。」
そう頭では分かっている。理屈だってそうだ、分かっている。ただ、これは分かったところでどうしろっていうんだ。奴への直接的な物理攻撃は、ダメージが与えられてもチップにもその反動がいってしまう。かといってあの無数に繰り出される木の根は非常に厄介だし、反撃せずに突っ込むのも無理が生じる。仮にチップたちの元へ近付けたとしても、どうやって引き剥がせっていうんだよ。そんな不毛ありかよ。だがただでさえ絶望に近いこの状況に、僕らはまだその絶望と呼べる海の浅瀬を覗いていただけに過ぎなかったのだと・・・。そう、気付かされてしまった。
ぢゅぅうううううう
「ン⁉︎ブブフッぅぅうううううーー‼︎」
突然、チップの身体から淡い紫色の光が照らされる。その光は、チップの口元に付けられた管へと吸い込まれるように流れていく。まさか、あれは吸い込んでいるのか・・・?チップの、マナを・・・。
「な・・・。」
「チップくんたちの、マナを吸ってる・・・、の・・・・?」
こんなの誰が見ても驚愕したくなるだろ?目の前で仲間が良いように力を吸われているんだ。それが憤怒となって拳を握り締めたくなるのも、無理はないだろう。怒るなら充分な動機だ。
ゾアッ
空気が一変したーーのか。そんな感覚だった。悪寒が執拗に背中を舐め回すような気分だ。だが、これはどこか見覚えのある感覚だ・・・。そう、もっと身近で、妙に既視感のある感覚だ・・・。
「はッ⁉︎・・・イサム、伏せてッ‼︎」
何かに気付いたセンは咄嗟に僕の頭をガッと鷲掴み、勢いよく床に突っ伏させた。一瞬見えたのは黒い影。それも。酷く見覚えのあるものだった。巨大な腕のような影が、僕らへ襲い掛かったのだ。
「え、え・・・、のわぁああああ⁉︎」
センの容赦のない力加減で、僕の鼻は勢い良く床に叩きつけられ鈍い痛みが走り渡る。けど、そんな痛みはどうでも良い・・・。あの攻撃は、紛れもない・・・、僕が一番知っているあいつの十八番だ。
「今の、攻撃はまさか・・・。」
「チップの影を使った攻撃・・・。」
さっきの動作は、チップのマナを吸うだけじゃない。チップ自身の力も吸い取ったって事なのか・・・?本人が使っていた技。あれはチップが良く使っていた技、グラビティバインド。巨大な腕で掴み掛かり、相手のマナを消費させる技だ。あの大木、そんな事まで出来るのかよ。さっきのが本当にチップのグラビティバインドそのものだとしたら、捕まってしまったら一溜まりもない。“気”を持ち合わせていない僕ならまだともかく、マナをエンジンとして戦うセンにとっては致命的だ。
ジャキッ
「おいおい・・・、おいおいおいおいおい!嘘だろ⁉︎」
無数の腕を模した影がこちらへと切先を構え始めた。その切先はまるで銃口のような形状をしていた。これもチップが使っていた技、ガトリング・デストラクションだ。くそ、厨二臭い名前なのに、腹が立つ。
「まさか、コピー能力まで持ってるとはね・・・。随分厄介じゃない・・・。」
ダダダダダダダダダダダダダダダダッ
無数の銃口から放たれる影の弾丸。弾丸の一つ一つは、針のように細く鋭い。まるで横から降り注ぐ雨のように。それらが一斉にこちらへと照準を捉えると、真っ先に飛んできた。云うまでもない、回避不可能な攻撃だ。命中精度など関係ない。雨のように放たれた影の機関銃なのだから。
「だぁあああああーーーッ‼︎」
センは奮い立たせた叫びと共に、小さな身体に込められたマナを解放する。ゆらりと帯のように薄い刀身を振るう。まるで空を抉り取るように、ぐるんっと振り下ろした刀をそのまま切先を空高く振り上げた。瞬間、刀身が揺らぐ。紙一枚分の薄さしかない刀身は、彼女の剣捌きでスッと姿を眩ませた。
「断風ッ‼︎」
ーー暴風。いや、これは真空の刃か。彼女が振り上げた斬撃から繰り出される真空の刃だ。それも先程見せた無数に放たれる真空波である“漣”とは違い、こちらはまるでそれらを一つに束ねた巨大な真空の刃。マザーラークが放った影の弾丸たちと巨大な真空の刃がぶつかり合う。個と群のぶつかり合い。その勝負は一瞬だった。一波の辻風を起こすと互いの攻撃は打ち消された。
「セン!」
本来であれば、必殺級の威力の筈だ。けれどチップのコピー技で互角の威力で打ち消されてしまった。
「・・・はぁ・・・、はぁ・・・せめて、あいつに届いてくれれば良かったんだけどね。まさか掻き消されるなんて・・・。」
彼女は無意識に力を抑えていた訳ではない。むしろ、恐らくは全力だった筈だ。それだけ強大なマナを蓄えているって事だよな。さて、どうするよ垂イサム・・・。
「イサムはチップくんたちを救出して!私が何とかあいつの気を惹きつけるからッ!」
この時、僕はカイデンから教わった試練を思い出した。これは巨大な蛇ジジの缶蹴りと似た状況だ。そうだ、冷静に対処し周りの環境を観察するんだ。今回のバディもセンなのが都合が良い。
「わかっ・・・。」
いや、待てよ。何か見落としている気がする・・・。そうだ、あそこに取り込まれているのはチップ、ソーア、シウン。今さっき、チップのコピー技を使ってきたと云う事は・・・。その瞬間、脳裏に電流のようなものが走った。まるで首元に刃を向けられたような危険信号。
「いや、ダメだ!セン、今すぐ離れてッ‼︎」
「え・・・⁉︎」
次々と繰り出される枝の攻撃。縦横無尽に動き回り、機械的にセンへと叱咤に攻撃を繰り返す。だが、先程と何か違う。放たれた枝を鞘で受け、センが反撃を行おうとした瞬間、枝はするりと彼女の攻撃を躱した。空を切ったセンの攻撃の僅かな隙を逃さなかったマザーラークは、枝の攻撃とチップを模した影の攻撃を繰り出した。センは止むなく攻撃する事をやめ、回避に専念した。軽やかにバク転を連続で行う事で、一撃が致命傷になりかねない攻撃を躱す。
ズザザザザザザザッ
滑り込むように後退した彼女は、距離を取り再び僕の傍らまで戻ってきた。
「くっ!な、なんで急に・・・、こっちの攻撃が読まれるような・・・。」
その予想は、最悪だった。マザーラーク、恐れなくはいけないのはその巨体ではない。こいつの仕組みそのものだ。こいつは取り込んだ者のマナを吸収して、その対象者の能力を我が物にするんだ!
「あれはもしかして、シウンの索敵・・・、それを応用したものか・・・⁉︎」
「そんなのアリなのッ⁉︎」
バッと彼女はこちらに振り向き、とてもじゃないが認めたくないといった表情を浮かべていた。
「って事は・・・ッ!」
そう、気付いた時には遅かった。マザーラークは既に次の攻撃を実行していた。
ズドォオオオーーーーーン
背後からの一撃・・・。しなる鞭のような蔦が音速を超えた一撃を僕の背中へと命中させた。完全な死角。落雷が降り注ぐような轟音もまた、既視感を味合わせる。そう思わせたのは、ソーアが使う技だったからだ。
「が・・・・・・ハッ⁉︎」
全く予想もしなかった奇襲に、一瞬何が起きたかわからないくらいだ。気付けば、床に倒れ込んでいた。手足が痺れている。小刻みに痙攣を起こしていて、早く立ち上がろうにも体が云う事を聞いてくれない。くそ、やっぱりそう云う事だよな。コピーしているのがチップだけな訳がない。狛犬兄妹の力もしっかりコピーしている。落刃・・・だったか。確かそんなような名前だったよな。何だよ、これ・・・。めちゃくちゃ痛いどころじゃない。背中の皮膚を引き千切られたような痛みだぞ、これは。
ヒュンッ
マザーラークは追撃を続けていた。一瞬の油断が、それを許さなかった。横目に捉えたのは巨大な影。巨人のような手を模した影の集まりだった。大きく手を広げ、物凄い勢いで迫り来る。その直線上にいるのは、センだ。駄目だ、セン!早く逃げないと!くそ、くそ!なんで、こんな時に声が出ないんだよ!こんな掠れた声じゃ、あの子に届かない!気付いてくれ!センーーー!
「イサムッ‼︎きゃッ・・・あああああああああああ‼︎」
だが、そんな願いは届かなかった。センが気付く数歩前には巨大な影は、彼女を鷲掴んだ。そのままセンを掴んだまま、壁まで突っ込む。あまりの勢いに、握り締めていた刀すら手放してしまった。
ドゴォ・・・ンン
叩きつけるように壁へと押し込まれたセンは、影の手に掴まれ身動きを封じられていた。ただ掴まれてただけでなく、壁にピッタリと張り付かれてしまい一寸の隙も与えない。あれでは力を込める事も出来ないし、両手と両足はまるで磔にされたように拘束されている。
「セ・・・ン・・・。」
くそ、呼吸をするのでやっとかよ。なんだよ、この掠れちまった声は・・・。指の先の痙攣が少しずつ治ってきたけど、満足に立ち上がれない。おいおいおい、これってだいぶ不味いんじゃないのか。
「ごほッごほ・・・、か、刀・・・、刀はど、どこに・・・。」
影の手に捕らわれたセンは踠きながら、自分の愛刀を探す。しかし、彼女の刀は絶望的だった。落とした刀はマザーラークに拾われ、がっしりと先ほどの蔦で縛り付けられている。あれでは取り返すのは不可能だ・・・。
ミシミシミシシ……
「ガッ・・・あぁあああああ・・・ッ。」
蠢く影がセンを握り潰す勢いで掴む力が増す。骨まで砕かんとするような軋ませる音は、やがて彼女の悲鳴とリンクする。あれは、チップのグラビティバインド・・・。くそ、あいつ。センのマナを吸い上げているのか。・・・って事はこのままじゃ、センもマザーラークに取り込まれてしまう!
「くそ・・・、セ、セン・・・!今、助け・・・。」
よし・・・、少しは痺れがマシになってきた。立ち上がって、ナイフを持てよ垂イサム。せめて、センが取り込まれる前に救出して・・・、体勢を立て直すんだ。きっとまだ、勝機はある。諦める訳にはいかない。そんな一筋の希望くらい、あって良いだろう。・・・そう思った矢先だった。
ズザザザザザッ
「ぐあぁッ⁉︎」
立ち上がろうと左手に力を込めようとした時、嘲笑うように数本の影の針が左手に突き刺さる。なんだよ、これ。まさかチップの技が、こんなに厄介だとは思いもしなかったな。これじゃあ、手も足も出ないじゃないか。
「ま、マジかよ・・・、ちょっとはマシになったと、思ったんだけどな・・・。けど・・・。」
僕は立ち上がった。もうまともに戦えるのは僕しかいない。大丈夫、右手は残っている。足も・・・動ける。伊達に皆伝で鍛錬してきてないんだ、こっちは。激痛を抑え込みながら、左手に刺さった影の針を抜いた。意外とズシリとくる影の針を投げ捨て、僕はマザーラークへと突っ込んだ。あいつは今、油断している。それを利用するんだ。相手の油断を利用しろ、それが陽炎の点火となるんだから!
「チップが目の前に居るんだ・・・、諦めてたまるもんかぁあああああああああ‼︎」
陽炎を発動しようとした刹那、心のない残酷は巨大な波となって押し寄せる。
ドンッ
どこからともなく現れたのは巨大な丸太。まるで城門でもこじ開けるような勢いで僕の身体を叩きつけてこようとしていた。
「イ、イサ・・・ム・・・。」
駄目だ・・・、こんなの当たったら死ぬに決まってるじゃないか。バカか、僕ただの人間だぞ?不思議と丸太が当たる寸前まで、時を遅める感覚に僕は陥っていた。そうか、これが走馬灯ってやつか。いや、何を云ってるんだ。早く回避を、普段なら回避できる筈だ。まだここで死ぬ訳にはいかないんだ!
その時だった。押し寄せる恐怖に、一閃の光が灯す。
ガッ
「オオオオオオオオオオオオオオオオオ⁉︎」
丸太が・・・、止まった・・・?けど、何故?何が起きた?マザーラークが止めを刺さない?いや違う。今も丸太は僕を貫こうと、ミシミシと軋ませている。けれど、ピクリと寸前で止まって動かない。
「おやおや、久々に会ったと思えば、いや何。随分とまぁ・・・、虫の息ではないか。」
その声を聞いて、僕は悪夢から覚ましたように目を丸めた。僕の目の前に立つのは、真っ黒なスーツ姿の女性。栗色の長い髪を一本にまとめ、ふわりと絹のように舞う。肩にかけたスーツジャケット・・・、両手には白い手袋・・・。この喋り方、このどこか傲慢で高飛車な感じはまさか・・・!
「あ、あなたは・・・。ま、まさか・・・⁉︎」
「ふむ、些か大きな木ではないか。トリミングをお勧めするぞ・・・。」
間違いない、この女性は・・・。便箋小町の社長で、半妖の力を身に纏う存在。彼女はゆっくりと右手の手袋を脱ぎ捨てると、金色の毛を纏う荒々しい獣の手を露わにさせた。
「なぁ・・・、木偶の坊よ。」
僕が見間違える筈がない・・・、半妖の・・・、飛川コマチだ。




