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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 失踪映画館編

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85最強の臆病者までおまかせを

 ー同刻。場面は変わり、謎の研究施設に降り立った伏黒とティミッド一行は地下一階を探索していた。広大な地下は迷路のように入り組んでいた。彼らはイサムたちのすぐ近くまで来ていながら、互いに気付く事なくすれ違っていた。


「しかし、これではまるで迷路ですな。こうも同じ壁が続きますと、本当に迷ってしまいますぞ。」


「あぁ、下がここまで入り組んでいるとはな。まるで蟻の巣だ・・・。」


 苦言を呈すティミッドは思わず溜め息を吐きたくなる程、げんなりとした表情を隠せなかった。それもその筈。この施設の壁は似たような壁が幾重にも連なって出来ている。当然彼らの地図はない。更にその通路すらも入り組んでいるとならば、道を記憶しておかないと直ぐ様に迷子行きだ。彼らが迷宮入りに陥らずに済んだのは、ティミッドの特殊能力が地図に代わる役割を果たしていた。それは蝙蝠が行う超音波によるソナーが関係している。エコーロケーションと呼ばれる能力がそれに該当する。この超音波の性質により、例え暗がりであろうと物体や扉などの位置を掴む事が出来ている。ただしこれは、迷路から脱出する為の出口という抜け穴があれば、より精度は高かっただろう。実際のところは、この施設に出口という概念はない。部屋と通路を繋ぐ扉があるくらいだ。彼らはひたすら扉となるチェックポイントを手当たり次第、探し歩いていたのだ。


「きゃつらの目的は・・・、やはりマナを蓄える為ですかな。」


「そうだろうな、しかし何の為に・・・。このような施設まで用意してまで。」


「いやはや、分かりませぬなぁ・・・。」


 ティミッドは自慢の口髭を撫でながら、見知らぬ天井を眺めていた。同時に伏黒は顎を摩りながら考え込んでいた。未だ全貌が掴めない謎の施設は、まるで鉄で出来たアリの巣。それは自然と彼らの背筋を震わせていた。恐怖か、それとも武者震いか。彼らもまた、行動範囲を拡げようにも慎重になる。まず初めにここが何の為に作られた施設なのか、それを先に知るべきだと伏黒は感じていた。慎重に行動し、目立たず、平然を維持させるように。だがそう暗示をかけようにも、妙に震えは収まらなかった。普段であれば、この程度で根を上げるような軟弱さではない。現に彼の心拍は安定しており、呼吸に乱れもない。それでも無意識に足の震えが止まらない事に疑問を持った伏黒は、ふと自分の足元を見て確信した。この確信と同時に、ドッと雨でも降るかのように伏黒はその光景に対し幻滅していた。


「あぁ、貴様が先程から小生に引っ付いているのも解せんがな!」


 彼の足元にがっしりとしがみ付いていたのはティミッドだった。まるでそれは、幼子がお化け屋敷に入って震えながら近くの者にしがみついている光景と同等のものだった。伏黒の意識とは逸れたこの震えは、ティミッドによるものだったのだ。


「やや、伏黒殿。それは云いっこ無しでありますぞ!吾輩、見た目通りに臆病者でしてなぁ、はっはっはー!」


 小刻みに震えながらも、ティミッドは豪快に笑いを飛ばしていた。あまりの自虐っぷりに伏黒は、頭を抱えながら苦い表情を浮かべていたのは言うまでもない。そもそも何故このドラキュラは、こんなにも自分の羞恥に対し笑っていられるのかと不思議で堪らなかった。ただでさえ現場は問題の山積みだというのに、肝心のバディがこんなので大丈夫なのかと先が思いやられる。伏黒の心の中で抑え込んでいる堪忍袋は膨らむばかりであった。


「おい!そこの者、ここで何をしている⁉︎」


 突然、男性の声が静寂の通路を走り抜ける。少し野太く、明らかな敵意を向けていた。その声に反応した二人は、一斉に声のする方へ振り向く。だが伏黒はまた別の意味で驚きを伏せていた。彼らの目線の先に居た男性は白衣を羽織っており、その白衣を着ていても分かる程のがっしりとした体型だった。背丈は百八十前後で短髪、ゴツゴツとした分厚い皮膚を覆ったその手には小銃を握りしめながら、肩に掛けていた。


「おいドラキュラ。あれはなんだ・・・。見るからに人間のようだが?」


 見るからにその見た目は人間そのものだ。人間特有の“気”こそはあるものの、桁外れに強大という訳ではない。

むしろ極めて一般人に近く、格闘技を齧っていた程度の質量。伏黒たちから見てしまえば、こと戦闘力においては然程脅威に当たるものではない。そう思っていた・・・が。口にはしなかった伏黒はとある疑問を抱えていた。


(何故、こいつの存在に我々は気付く事が出来なかったのだ・・・?)


 と・・・。人には微弱でも“気”というものが存在している。探知能力が長けていないものであっても、この数メートルの距離まで迫っていれば嫌でも気付く筈。それは臭い、気配、風の流れなど様々だ。それでもこの男に気付く事が彼らには出来なかった。見た目は人間だが、油断はできない。これは、既に何かをされているサインでもあった。だが原理は理解出来ない。それが不気味。ピリッと走る悪寒が彼らの背筋を震わせていた。


「そのようですな・・・。ですが、何故このようなところに?」


 流石のティミッドも飄々とした表情を陰に潜ませ、静かに目を細めた。


「人間・・・、貴様は何者だ?」


 人工的な壁に覆われた通路に、冷たい風が走り抜けるように伏黒の問いが男の耳へと伝う。


「くく・・・、それを易々と答えると思うか?」


 それを聞いた男は薄ら笑みを浮かべると、ゆっくりと口角を上げながら分厚い唇を開いた。瞬間、ぞわりと逆撫でするような風が吹く。それは異様なプレッシャーを放つこの男からだった。


「まぁ普通はそうでしょうな。」


「ならば、尋問するしかあるまい。この施設の事も含めてな。」


 伏黒は片足を軽く上げ、戦闘体勢へと移行していた。男から放つ独特なオーラに、警戒は止められない。この男から現れる自信という威圧は、どこから溢れ出るのか。何故、自分よりも脅威である筈の妖怪や悪魔を前にして慄かないのか。そして何故、気配に気付けなかったのか。そればかりの不安材料が脳裏を駆け巡る。だが、伏黒たちは悟った。ここで敗れる訳にはいかない。まずは現況の情報を手に入れる事。だからこそ伏黒は、目の前に対峙する男に集中した。


「尋問はこちらのセリフだ。だがお前たちはドラキュラに・・・、そこの老人は妖怪だな!サンプルとして回収してやる!」


 男は大きく腕を振るいながら、まるで演説でもしているかのように声を荒げた。


「ほぅ、吾輩たちをサンプルと・・・。それは、どんな了見ですかな?」


「くく・・・、この場合、答える義理は無い・・・、だろ?」


 左右の拳を鳴らしながら、挑発を挑発で返す。ニィっと口角を上げると、男の威圧は荒波のように吹き荒れる。


「口が固いのは結構ですがねぇ、吾輩たちも用事があるから来たのですぞ。」


「構わん。ドラキュラ、こいつから出来る限り尋問するぞ!」


 ティミッドは深く帽子を被ると、更にその目を鋭く細めた。彼奴の自信はどこからか、ティミッドは男を冷静に分析していた。普通の人間がこんなにも悪魔や妖怪相手に牙を向けるか?否、それは自分にとって絶対的な勝算を持ち合わせているからこそ、溢れる自信の表れ。その瞬間、ティミッドは確信した。この男の自信に。口髭をさらりと指で払った。


「ふはは・・・、俺が化け物相手に自信があるのはちゃんと理由があるのだ!これさえ、あれば・・・ッ!」


 男が白衣の内ポケットから何かを取り出そうとした、その時だった。


「おや、これは何ですかな?不思議な形をした機械でありますなぁ。」


 それは一瞬の出来事に等しい。予め勘付いていたティミッドの行動は、この場に居る誰よりも早かった。秒針が傾く間も無く、彼は男が取り出したモノを奪い取り、それを握っていた。その形状はペン型の懐中電灯のようであり、先端には赤いボタンが備え付けられていた。一見はごく普通のペンライトだが、あまりに異質なオーラを放っていた。これこそがこの男の自信。


「な⁉︎貴様!い、いつの間に⁉︎」


 奪い取る動作に、男は痛みどころか風が当たる感覚すら無かった。まるでトリックでも見せつけられているかのように、初めから自分ではなくティミッドが持っていたのかと錯覚させる程。それは男にとって全くの予想外。一瞬の驚きは、男の体全体を縛り上げるように硬直させてしまっていた。


「おい、人間。質問しているのは、こちらの方だ。さっさと答えろ。」


 ジリっと伏黒は利き足を前へと滲み寄せる。徐々に詰め寄る彼のリーチとプレッシャー。思わず男は僅か半歩後退りを起こす。が、その一歩を踏み込む直前で、再び噛み締めるような薄ら笑みを浮かべ始める。


「ぐぐ・・・、ならば!」


 突然、男は白衣を脱ぎ捨てた。その真っ白な白衣とは対照的な上下黒のインナースーツ。男の筋肉は、各部位を隆々とした山脈を宿わせたようなプロポーションだった。一度拳を握れば、はち切れんばかりの血管が太く浮き出す程である。だが特筆すべきは、それだけではない。彼の胸元に付けられた機械的な半球体。淡い光を赤く点滅させ、まるで男の心臓とリンクしているように呼応していた。男は躊躇を捨て、真っ先にそのコアとなる半球体を強く握り締めた拳で叩き付けた。すると・・・。


ガチャガチャチャ・・・キシューーーーーーン


 鉛色で成型された機械仕掛けが露わになる。一瞬にして、鋼鉄を全身に武装させた。腕周りは機械で包まれ、肩は排熱させる為のパイプが飛び出す。拳は人の手の三倍ほどの大きさにした機械の手。脚も同様に機械で覆われており、太ももの付け根や踵にはブースターのようなものも備え付けられていた。顔はバイザーとヘルメットで包み込まれており、胸元のコアと同様に赤く光らせていた。それはパワードスーツそのもので、百七十センチの体格を武装させたその姿は、二倍近くまで男を大きく見せていた。


「この対魔導アーマーで拘束するまでよ!」


「ふん!」


 伏黒もまた、すぐに動いた。この戦闘において、長期戦はかえって不利。そう踏んだ彼は先手必勝の上段蹴りを振り回した。だが・・・。


ガッ


「ッ⁉︎」


 彼の一撃は、確実に相手の急所を射抜いた渾身、その筈だった。だが実際はいとも容易く、巨大な機械仕掛けの拳に防御されてしまう。まるで最初からここに攻撃される事を予測していたかのように、完璧なタイミングで受け止め衝撃を受け流した。彼の蹴りは壁まで吹っ飛ばす程の力を込めていた筈だったが、その機械仕掛けの拳には傷一つ付いていない。


「はっはっはっはーー!どうだ、これぞ対魔導アーマーの反応速度!防御力、そして機動性!」


「チッ・・・。一撃では屠れんか・・・。」


 伏黒は眉を歪ませながら、舌を打った。無意識に力を分散させてしまったか。一瞬そう悟ってしまうが、実際に彼のコンディションは極めてベストに近かった。しかしそれを認めてしまうとなると、男が身に付けた対魔導アーマーはハッタリでも虚勢でもない。紛れの無い性能を誇った戦闘技術の塊。


「ならば・・・。」


 伏黒は半歩下がり、弧を描くように右足を振り上げ、遠心力を加えた。ただの打撃では効果は薄いと判断した伏黒は、すぐに機転を効かせた。


「三日月ッ‼︎」


 長い脚を槍のように飛ばす後ろ回し蹴り。だがその本質は蹴り自体ではない。脚の先から繰り出す槍のように突き出たマナの塊である。


ガゴォォオッ


 男の胸元目掛けて繰り出した三日月は、寸前で巨大な拳でがっしりとガードされてしまった。


ビィーッ ビィーッツ


「ハハハッ!面白いッ!対魔導アーマーも悲鳴を上げるとはなぁ!だが、それまでだ。それだけの事で造作も無いッ!戦いに必要なのは技術、知恵、判断能力・・・。」


 受け止めた拳は白煙を機具の隙間から吹き出し、心臓を逆撫でするような警告音を鳴らしていた。通常の攻撃よりはダメージが通っていた。それでも巨大な拳に僅かなヒビを残す程度。これが決定打だった。この瞬間に、男は確信していた。戦いには相性がある。得手不得手とあるように、戦闘も同一。ギラリと伏黒を捕捉した男の目は、狩人そのものだった。


「そしてぇーーーー!このパワーよぉぉおお‼︎」


ブォン


 男の背中に備え付けられたブースターが閃光のように火を吹いた。すると一瞬にしてその巨体は目の前から姿を消す。


ヒュォッ


 ・・・否。それは超高速で男は伏黒の背後へと周り、完全に死角を手に入れたところからの渾身のボディブロー。あまりの超高速に、伏黒は驚愕を伏せられなかった。その驚愕が一瞬の判断を鈍らせる。機械仕掛けに膨れ上がった拳が襲いかかるところを、伏黒は寸前で右腕で受け止め、衝撃を分散させる為に左手を添える。


ドゴォッ、メキメキ・・・


「ぐッ・・・⁉︎死角からの攻撃・・・、だと⁉︎」


 鋼鉄の拳は深く彼の右腕に減り込む。受け止めた腕は骨を軋ませ、鈍い悲鳴を上げていた。伏黒は決して油断をしていた訳では無い。むしろ一瞬の隙さえあれば、追撃を促す程だった。だがそれすらも与えさせない超反応を実現させた対魔道アーマーが、伏黒の攻撃を容易く阻む。


「素晴らしいだろう・・・?切り札というやつは、こう使うのだ!これは常に相手の急所を的確に狙う。更に最適な死角を演算し、最も効率的な戦闘を熟すのだ!」


 伏黒はすぐにステップを踏み、距離を取った。そして、彼は確信した。この対魔導アーマーなるこの代物こそが、絶対的な自信の正体。


「おい、ドラキュラ。なんだあいつの・・・、カラクリメカは。」


 防いだ腕は手首を強く握り締めながら手前に捻ると、ゴキンっと鈍めの音を奏でながら外れた骨を戻した。


「恐らく吾輩たちの対抗する為に作られた兵器でしょうな。さっき、きゃつから奪ったコレもその類かと。」


 ティミッドは改めて、先ほど男から奪い取ったペンライト状の機具を伏黒へ見せた。


「それはなんだ?」


「何かエネルギーを抑制させる機械のようですな。これがもしマナの類であれば、吾輩たちも人と変わらん事になりますぞ。」


「ふむ、最悪の事態は免れたという訳か。しかし、こいつを突破するのも骨が折れるな。」


 相見えた先の戦いで、肉弾戦はこちらが不利。そう認めざるを得なかった。伏黒は近接白兵戦を得意とはしているが、それはあくまで生身の相手である事。物理的な攻撃ではダメージが通りにくい。伏黒は歯噛みをして男を睨み付けていた。


「では・・・、ここは吾輩が適任でありますな。」


 そこへ一歩名乗りを挙げたのは、臆病者のドラキュラことティミッドだった。伏黒は一度目を疑った。こいつは正気なのか、と。見るからに戦闘要員という風貌ではない。どちらかといえば、サポート役の方が適任に見える。性格も臆病で軟弱。そんな男が自ら前に出てきたのだ。何故、という言葉も愚問だろう。だがその疑いは一度で充分だった。ドラキュラの瞳が全て物語っていたからだ。口髭を揺らし、一見は飄々としたいつものドラキュラ。だがその瞳の奥は、強者にこそ伝わるプレッシャー。


「ほぅ、勝算があると?」


「悪しからず。」


 その五文字の言葉で、伏黒は確信に至った。もう、こいつに任せて大丈夫だろうと。伏黒は特にその後の台詞を返す事なく、静かに頷くと後を引いた。選手交代、これは逃げではない。適材適所である。後を任されたティミッドは、蝶ネクタイの位置を整えると黒縁の眼鏡を取り外した。それは彼自身の配慮。これから起ころうとしている事は、かえって眼鏡が邪魔なのである。


「さぁ、どうした?選手交代かぁ?まぁ、どっちでも良い。これから起こる事は、一方的なフルボッコだからなぁ‼︎」


 男は左右の鋼鉄の拳をぶつけ合わせ、撃鉄を弾かせたような音を響かせながら挑発した。対峙する異様な組み合わせ。絶対の自信を持つ対魔導アーマーを装着した男と、シルクハットを深く被るドラキュラ。ティミッドはシルクハットのツバを摘み、指二本分の高さだけ上げると鋭い眼光を覗かせていた。けれどそれは、ほんの一瞬だけ。すぐにくしゃりと表情を和らげ、いつもの飄々とした笑みで言葉を返す。


「勘弁してほしいですな・・・。吾輩、結構臆病なんですぞ。」


「だったら、そのまま震えていろッ‼︎」


 先に動いたのは、対魔導アーマー。先手必勝。アーマーの演算はそれが適正と判断していた。男もアーマーの判断に、迷いはしなかった。一撃で屠る。拳の出力を上げ、背中と脚に備え付けられたブースターは火力を上げる。


ブオォッ


 瞬く間に彼らの距離は詰められる。瞬きすら与えさせない超高速。アーマーの演算は完璧だった。一瞬にしてティミッドの背後へと回り込み、伏黒と同様のボディーブローを放っていた。


「獲ったッ‼︎ドラキュラだろうと関係ない!その土手っ腹に風穴をォォオお‼︎」


 男は目先の勝利を掴み取っていた。口程にも無い、どんな妖怪や悪魔だろうと、このアーマーを前にしては無力。赤子を捻り潰すようなもの、それだけ容易い。そう思っていた・・・、この拳が放たれるその瞬間まで。


「“ 反転する紅い湖畔(スカーレットアイズ)”。」


ダ・・・ンッ


 次の瞬間、鋼鉄の拳は空を掠めた。つい先程まで完全に捉えた筈のティミッドは、そこには居なかった。彼の代わりに拳の衝撃は、鉛色の壁へと激突していた。その拳からの衝撃により、壁を大きく減り込ませ広範囲のヒビを成形させた。


「何、だ、と⁉︎対・・・、対魔導アーマーの攻撃を躱わした・・・、だと⁉︎」


 確かに演算は完璧だった。スピードもパワーも、その判断に至ってまで全てを捉えていた。だがその確(・)か(・)は、刹那の晦冥(かいめい)によりいとも容易く砕け散る。


「いやはや、これは本当に速い。吾輩でなければ見逃してしまいそうですぞ。」


 ティミッドは、既に男のすぐ後ろに立っていた。男はこのタイミングで初めて驚愕した。アーマーの反応が追い付いていない事に。ティミッドの言葉が発されるまで、位置すら全く気付く事が出来なかった。


(今・・・、何をした・・・?外した?アーマーが?演算が?何を、この男は、何をしたのだ・・・⁉︎)


 焦りはバイザー越しから汗を加速させた。あり得ない、あり得てはならない。そう現実を受け止められなかった。しかし、いずれにしても男には、ティミッドが行ったその手段が分からなかった。それが一層、不気味にさせる。その時、二人の視線はぶつかり合った。まもなく男の衝動は、電流のように身体中を駆け巡った。


(な、なんだ・・・?あの、赤い瞳は・・・。血のように、赤いあの瞳は何だ・・・?」


 ティミッドの瞳。それは今まで黒い瞳から一変。大量の血をどっぷりと漬け込んだような紅い瞳。目の中心にあるべき円形状の黒目は、細く描かれた十字状の黒目へと成形を変えていた。特筆すべきはそれだけではない。彼が身体中から放つ、マナの放出も先程の比ではない。それは見た目だけに限らず、男が身に付けるバイザーから分析された戦闘データからも訴えかけられていた。データの更新、叩き出された数値は戦闘前の倍以上。先程の攻撃はその為か、男はそう思った。


「マグレか⁉︎いや、そんな筈は無い!このアーマーの演算は完璧の筈なのだ!」


 ならば、と男は攻撃を再開させる。先程のは単なる計算ミス、いや対象させるタイミングを誤っただけ。更新をかけた今ならば、もう問題はない。そう思った男は、ひしゃげた壁から拳を抜き取り、そのままぶっきらぼうに振り回す。タイミングは完璧。攻撃とは反射。通常、生身の人間であれば僅かな予備動作が必ず存在する。だがこのアーマーは、そんな予備動作すら無視し、的確に最短ルートで目標を駆逐させる。謂わば人の意思を無視した攻撃。


「ほっ。」


 しかし、これもまた空を切る。ティミッドは絶妙なタイミングで背中を大きく仰反らせ、鋼鉄の拳を回避した。


「ま、また・・・、躱わした・・・だと⁉︎」


 一度ならず二度までも。それも再計算された攻撃すら、回避を許してしまった。それは彼にとって、あってはならぬ事。何故、回避する事が出来る・・・?それだけが男の脳裏に深く刻まれていた。すると肩の埃を払うように、ティミッドは自分の肩を二度程叩くと、口髭を上品に摘んだ。


「人間のあなたにもお分かり易く、ご説明致しましょう。殆どの生き物の瞳にある網膜の中に、視細胞と呼ばれるものがあります。これは光の刺激を受けて物を見る事が出来る感覚細胞でありますな。光に対し、背を向けて並んでいるのが一般的ですぞ。しかしながら構造上、視神経が光を遮らないように視細胞の裏側へ回り込まないと行けませぬ。そして必ず盲点と呼ばれる視神経乳頭と呼ばれる部分があります。これが所謂、死角というやつですな。」


 ティミッドは淡々と今までに起きた事象を説明し始めた。それは教壇に立つ教師が教科書でも握り締めながら、講義を始めるかのように。


「何をごちゃごちゃと!貴様は、何が云いたいのだ⁉︎結論を言えッ‼︎」


「おやおや、これはこれは。結論とは、仮定あってのものですぞ?まぁ・・・、良いでしょう。」


 ティミッドはシルクハットをそっと取ると、顔をゆっくりと上げた。長く伸びた髪を後ろへと掻き上げると、より紅く染まった瞳を鋭く光らせていた。その時、男が感じたのは確かなプレッシャー。まるでゼロ距離で銃口を向けられたかのように。


「吾輩の目は今、その視細胞が逆向きになっているのですぞ。では、お望み通り結論を申し上げましょう・・・。今の吾輩の視野は三百六十度。全ての角度が視界となって、吾輩には見えているのですぞ。」


 その結論に男の手は震えていた。わなわなと止まない体の震えは、一種の拒絶。信じ難い結論に対しての拒絶だった。


「ば、バカな!そんな事したら、あまりの情報量に耐えられる筈が無い!」


「おやおや、中々鋭い洞察力ですな。仰る通り、通常では脳の処理が追い付かず、たちまちオーバーヒートするでしょう。ただし、お忘れなく・・・。吾輩、貴殿と違って、ドラキュラですので。」


「小癪な!ならば、これなら!」


 そう、そうであってたまるか。男はその一心だった。仮にそれが実現出来たところで、膨大な情報量に押し負けられる。それが何故、あのドラキュラと名乗る男は平然と使い熟しているのかと、受け入れられなかった。男はアーマーの出力を最大まで引き上げた。両の腕を大きく振りかぶり、そのままティミッドに向かって突っ込む。


ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ


 そして繰り出される巨大な鋼鉄の雨。機関銃を浴びせられる方がまだマシだっただろうか。その連続で放たれるラッシュは糸を縫う隙間すら与えさせようとしてくれない。


「どうだ殴打のラッシュだ!この高速で繰り出す連続攻撃では、いくら見えていても身体が追い付く訳が・・・⁉︎」


 だがそのどれもが掠りもしなかった。本来であれば、全弾命中。文字通り一方的なフルボッコだっただろう。しかし、当たらない。当たらない。当たらない。どの一打も手応えは全くなく、ドラキュラの影を追うばかりだった。男が繰り出す超高速ラッシュを前にしても、ティミッドには当たらなかった。


「おっと、云い忘れておりました。勿論、この眼の間は、動体視力も上がっております故。今の吾輩ならば、菜箸で蠅を捕まえるのも容易でありまする。」


(何故だ・・・?何故だ何故だ何故だ何故だ⁉︎なんで、攻撃が一つも当たらないんだ!くそっ、くそっ・・・!クソォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎)


「つまり貴殿のその対魔導アーマーなるものは、死角を突く戦闘を前提としております。ならば・・・、吾輩には通用しませんな。」


「うるぁあああああああああああああッ!」


 烈火に燃え盛るような雄叫びを上げながら、男はラッシュを止めなかった。それは最早、感情に支配されたラッシュ。腕の血管がはち切れようと、筋肉が弾けようと構わなかった。一矢報いて、目の前のドラキュラを殴り飛ばす。その一心だった。サンプル確保という、本来の目的も忘れて。ただ一心に攻撃を、鋼鉄の拳が降り注ぐ雨を途絶えさせなかった。


「では、吾輩のとっておきをお見せしましょう。」


トッ・・・


 ティミッドは一歩、後退する。それは逃げる為でも避ける為でもない。適正な射程距離に移動する為だった。彼は指揮棒を振るうように両腕を大きく広げた。その瞬間、ゾクリと心臓を抉り取るような不気味な悪寒が重圧となる。男が垣間見たのは、恐怖。たった一つのシンプルなプレッシャー。それは、“死”という一文字であった。そうして男は、その絶望の淵から湧き出す現実に理解した…。自分は今、捕食者の前に立っているのではないかという事に。



「“麗しき貴婦人に雨を(ブラッディレイン)”。」



 ぽつりと刻まれた静かな詠唱。その詠唱とは対照的に、周囲は一瞬にして移り変わる。ティミッドを中心に現れたのは、無数の刃。だが、それは通常の刃とは訳が違う。その違和感は赤く・・・、じわりと紅く侵食されていく。


「血の・・・刃の雨・・・だとぉオオオオオオオオオオオオオオオオオオ~~~ッ⁉︎」


「貴殿にはご安心を・・・。痛みは、一瞬ですぞ。」


 その刃は血で成形されていた。ナイフ、レイピア、カタール、ロングソードと形は全て違えど、どれも血で作られている。鮮血で染め上げられた刃たちは、一斉にその切先を男へと向けていた。男は驚きなど、とうに忘れていた。今ここにあるのは、たった一つの絶望。一思いに巨大なミサイルでも浴びた方がまだマシだ、男はそう思っていた。


ズザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザッ


 大小さまざまの鮮血の刃が一気に降り注いだ。何百……、何千とその雨は休む間もなく降り注ぐ。


「うぎゃああああああああああああああああああああああああああ‼︎」


 次々に降り注いだ刃の雨は、躊躇なく男の身体を貫いた。また一本、また一本・・・、足を、手を、首を、舌を、腹を、問答無用で穿っていく。男の断末魔は、血の豪雨に掻き消される。辺りはその返り血で真っ赤に染め上げられていた。もはや、その血が男の血なのか、降り注ぐ刃の血なのか、技を放ったティミッドですら、もう分からなかった。


ぴ・・・ちょ・・・ンン・・・


 ティミッドの人差し指に一滴の血が零れ落ちた。その一雫が床に広がる血溜まりへと混ざり合う。凪にも近い小さな波紋を描き、静かに溶け込む。


「ふぅ・・・、吾輩云ったではありませぬか。・・・臆病者なんですぞ、と。」


「・・・で、でかしたぞ。ドラキュラ!」


 伏黒はその瞬間まで唖然としていた。目の前に佇むこの男は、本当にさっきまで自分の足にしがみついていた同一人物なのか。ただただ、その光景に圧倒されていたのだろう。血溜まりは床一面へ広がっている。その中心ではあの男が倒れ込んでいた。対魔導アーマーなるものは見る影もなく、粉々に打ち砕かれており、染め上げられていたのは真っ赤な残骸。殺したのか・・・、そう確認したところ、男はまだ息があった。べっとりと血に染め上げられながら、気を失っていた。ティミッドは腰に手を当てながら、口髭を上品に弄りながらドヤ顔を決め込んでいた。


「ふふーーん。」


べちゃッ


 そうしてティミッドは、まるでドミノ倒しのようにその体勢のまま垂直に倒れ込んだ。


「ドラキュラ⁉︎」


「いやはや、この能力はちょいと制約がありましてな。想像の通り、すぐオーバーヒートするのですぞ。乱用禁止。普段、光を避けて行動しているのはこの為なのです。」


 彼の能力には、とある制約があった。それはいくつかある。一つは自分自身の血を消費する事。日光が無く、水や火、鏡が無い事が条件である。彼が使う技は、決して万能無敵ではない。ドラキュラとしての最大限の力を発揮する為には、それらの条件がクリアされた時のみ活かされる。だがそれでも彼が扱う能力の最大の欠陥は、その燃費の悪さである。一度(ひとたび)技を使えば、たちまち貧血を起こしてしまうのだ。


「いや、充分だ。少し休め・・・。後の事情は、小生がこやつから聞き出してやる・・・。」


 そう言うと伏黒は、ティミッドが撃退した男の方へと振り向く。


「ふ・・・ふへ、ふへへ・・・。」


 すぐに尋問を始めようとは思ったが、真っ赤に染め上げられた男は生死の境目にいた。無数に受けた攻撃のショックで我を失っているのだろう。ヒクヒクと目を見開いた状態で、無意識に男は笑っていた。その光景は絶望に心を奪われた死屍と同様。どれだけ伏黒が声をかけたり、頬を叩いても反応は変わらなかった。


「全く・・・、急所は避けているようだが・・・。少し、はしゃぎ過ぎたようだがな。」


 今は二人の回復を待つ事にしよう。この男への尋問も、この施設の攻略もそれからだ。内ポケットから懐中時計を取り出し、一定のテンポで刻まれる秒針を眺めながら伏黒はそう思った。


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