77少女の決意までおまかせを
「テンジョウ・・・。」
「コマ・・・チ・・・?」
「うち・・・、化け物に、なってしもうた・・・・・・。」
こんな展開、誰が予想したでしょうか。私は言葉を失いました。頬に涙を伝わせた少女がそこに居ました。狐のような耳と尻尾を生やし、身体中を炎を纏わせた少女が泣いていました。全てを打ち砕かれた少女の目は、悲しみに満ちていました。自分にはどうする事も出来ない力に振り回されて、震えた声で私を呼びました。一体、彼女の身に何があったのか。人の物ではないマナを身に纏い、彼女は嘆き悲しんでいました。
「嫌じゃ・・・、どうして、こんな事に・・・。おっかぁも、おっとうも、みんなみんな燃えてしもうた・・・。」
ひたひたと、彼女はゆっくりと歩み寄りました。今も尚、燃えているメルを抱きかかえながら・・・。その光景に私は息を呑みました。心臓の鼓動がいつもより早い。それは恐怖にも似た感覚でもありました。恐らく彼女の力は暴走している・・・。何が原因かはわかりませんが、彼女の中の妖気が暴走し、招いた結果なのだと。信じ難い状況ではありましたが、そう認めざるを得ない。彼女は虚ろな表情で周りを見渡していました。けれど、これは彼女の意思による物ではない。半妖の力が暴走した結果が招いた事なのだと。
「コマチ!」
「テンジョウ・・・、うち、どうしたら良ぇん・・・?メルも・・・燃えてしまいそうじゃ・・・。」
「あ、あ・・・。」
コマチさんは言葉を震わせながら、今も尚燃える子犬を差し出してきました。私は恐怖しました。彼女にではありません、彼女の暴走しているその力に。息を吸う事も忘れ、驚愕が身体を悴ませていました。自分と対して変わらない背丈の筈なのに、まるで巨大な猛獣を見ているようでした。幼かった私にはその肥大化したプレッシャーに耐える事が出来ず、自分の意思とは関係無く歯はガタガタと震えました。
「うち、体が熱くて・・・、目も喉も焼けるように痛い・・・、あ、あ、ああぁぁぁぁぁあああああああああああん‼︎」
彼女は膝を落とし、その場でへたりとしゃがみ込みました。体全体を支える糸が切れてしまったかのように。そのままコマチさんは灰色の煙が立ち籠る空を見上げながら、泣き叫びました。その時、私はハッとしました。目の前に居るのは化け物ではない、見た目は変わってしまっていても、彼女自身に違いは無い。コマチさん自身の純情こそはそのままなのだと、私は気付きました。
「コマチッ!」
「あぁあああああああああん、嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃあああああ!うちが、うちが人で無くなってまうぅゥゥううう‼︎」
「落ち着いて、コマチ!僕が今・・・、今なんとか・・・!」
彼女は錯乱していました。頭を掻き毟り、酷い頭痛を抑え込むようでした。どれだけ涙を流しても。どれだけ泣き叫んでも、どれだけ頭を掻いても、彼女の中に入り込んだ異様な疼きは治ろうとはしませんでした。我に返った私は体躯に纏わりついた恐怖を振り払い、彼女へ駆け寄りました。
「うちの家も・・・、畑も・・・、町のみんなも・・・、記憶も思い出も・・・、全部燃えてまう・・・。」
ジュゥウウウ
「・・・熱ッ⁉︎」
彼女の身体を揺さぶろうと触れた時、強烈な熱が私の指を噛みました。まるで無数の針で刺されたかのような痛み、それは何百度にもなる炎に触れたかのような感覚でした。とても、人の体温が持つものではありません。煌々と真っ赤に膨れ上がった鋼鉄に素手で掴もうとしている物でしょうか。私の手は一瞬にして赤くなり、ヒリヒリと焼け焦げた臭いと共に辛辣な痛みが走りました。それでも依然、彼女の錯乱は止まりませんでした。このままでは何もかも燃えてしまう。彼女の町も思い出も、彼女自身も。意を決した私は抱いていた疑念を全て脱ぎ捨て、代わりに彼女の手首を掴みました。
「・・・痛ッ、ぐ、く~~・・・、こっち!」
「テンジョウ・・・!」
「うん!」
「ダメじゃ、テンジョウ・・・。お前まで、燃えてしまう・・・。うちの、うちのせいで・・・!」
彼女の手首は、とても熱かったのをよく覚えています。本当に溶解炉で熱した鉄の棒を素手で掴んでるみたいでした。掌全体が隙間無く小さな針で刺された感覚。激痛が走る中、私は彼女を持ち上げ、立ち上がらせました。糸に引っ張られる人形のように、彼女自身の体にはまだ力が入っていない感じでしたね。そして、私はすっかり燃えてしまったメルを抱きかかえました。正直、もうダメかと思いました。白く長い毛は黒く燃えてしまい、脚は無惨に炎で溶けてしまっている。それでもまだ息はある。呼吸はか細く、まだ生きているのが不思議なくらいです。私もこの時から諦めの悪い男でした。まだ可能性がある。まだなんとかなるかも知れない。一パーセントにも満たない可能性に、私は賭けようとしていたのです。
「君のせいじゃない!大丈夫!僕が、僕がなんとかするから!コマチも、メルも!助かる方法、見つける、からッ!」
私は人の姿となる変化を解き、彼女らを背中に乗せながら走りました。ここに居てはただ死を待つだけ、助かる可能性が少しでもあるならとそんな悲願を胸に私は脚を前へと出しました。私の父上ならば、何か解決に導けるかも知れない。コマチも、メルも、救う手立てがあるかも知れない。そう思いながら私は必死でした。背中が熱い、私も焼けてしまいそうだ。けれど、さっきより少し熱が下がっている。変化を解いた事により、本来のマナを纏う事が出来た私は最小限のダメージで抑える事が出来ました。けれど、時間はありません。メルは瀕死の重傷、コマチさんは・・・。
「テンジョウ・・・。ひぐ、ひっぐ・・・、ご、ごめん・・・なさい。」
半妖となってしまった彼女は、掠れるような声で私に謝っていました。いえ、私だけでは無いですね。ここに居る全てに謝っているようでした。両親に、人々に、この町自体に。彼女は震えた声で詫びていました。
・・・。
私は彼女らを抱えて、自分の棲家へ帰りました。私はこの時、久々に父の顔を見ました。私よりも何倍も大きく、広く高く作られた穴倉の天井に頭を掠める程で、どっしりと胡座を掻いていました。周りには沢山の同胞に囲まれていました。私たちを睨む者、牙を向ける者、威嚇は堪えませんでした。響めきは止まりません。特にコマチさんへ向ける眼差しは私以上でした。啜り泣き、えずきが止まらない彼女は俯いたままでしたね。どれだけ涙を拭いても溢れてくるばかりで、それでも未だ異様なマナを放ち続ける少女が不気味だったのでしょう。父はこの山の主でもあり、同時に化け狸の長でもありました。化け狸の主、ヤマト。それが父の名です。あぁ、私の名字はそこから取っているのですよ。大和は、ヤマトととも読みますから。父は私と違って“剛情一徹”、更に“旧態依然”な方です。要は物凄く頭が固く、昔の考えを貫き通すような方でした。だから私は、正直なところ父が嫌いというか苦手だったんですね。
「ならん。」
父の第一声は、鉄槌を振りかざすような威圧でした。大きな腕を組み、父はドス黒い目で私を睨み付けました。普段であれば私は萎縮してしまっていたでしょう。現にこの時私は、心臓が弾き飛ばされそうでした。けれど私はそれを押し殺し、弾き返しました。
「父上!」
「こやつは忌み子になったのだ。人間でも妖でもない、中途半端な存在。九紋一族の呪いだ・・・、触れてはならん。」
「けれど、父上・・・。彼女は、巻き込まれたんです!これは不慮の事故、彼女に罪はありません!」
やはり彼女に降りかかったものは、九紋一族の呪いでした。恐らく、彼女は巻き込まれてしまったのでしょう。狐の嫁入り目撃したところを、奴らに見つかってしまったのか。もしくは図られたのか。原因はわかりませんが・・・。いずれにしてもこんな事を出来るのは、九紋一族くらいしか居ません。純血の妖狐の集団である彼らは、絶大です。それは仮に父が立ち向かっても、恐らく歯が立たないでしょう。実質、妖力に関してはこの国を牛耳れるレベルですから。そんな奴らの呪いを受けたとなれば、触れる事すら恐怖してしまう事でしょう。そうです、父も恐れていたのです。
「テンジョウ!往生際の悪い息子よッ!この童を助けて何になる!こやつは九紋一族の呪いを受けた!我が一族にもその呪いが移り、我が同胞たちがどうなってしまうか貴様に想像できるのか!」
父は扇子をナイフのように振りかざし、私へとその切先を向けました。周りの同胞もざわつきました。「そうだ、殺せ」「早く捨ててしまえ」「忌み子は不吉の始まり、生かせん」「殺せ」「殺せ」「殺せ」飛び交う野次は辛辣でした。確かに父の仰る通りでしょう。奴らの呪いを解くのは容易では無い、それどころか蔓延する可能性だってある。忌み子と呼ばれる半妖の呪いを受けたのであれば、仮に純血の妖怪である私たちに乗り移ればどうなるか・・・。正直、見当も付きません。彼女のように理性を保てなくなり暴走してしまうか、原型を留めれなくなってしまうか。けれど、私はそんな考えまで至れていませんでした。考えが幼なかったとはいえ、迂闊だったとは思ってますよ。でもこの状況では処理出来なかったのでしょうね。私は父の叱咤激昂に脂汗が止まりませんでした。頬を伝い、顎下にどんよりとした汗が流れ落ちていきました。
「しかし、父上・・・!お願いします・・・、何とかしてあげたいんです!」
私は父に対して、土下座をしました。頭を下げ、必死に懇願をと。けれど、現実はとても高く聳え立っていました。
「ならんと申す!大体、何をそこまでしてお前はワシに頭を下げるかッ‼︎」
「たった・・・。たった一人の人間の友人だからです・・・。彼女は、コマチだけは楽しそうに僕を笑ってくれた・・・。友達だと言って、僕を見捨てようとしなかったからです!だから、僕はコマチを助けてあげたいからですッ‼︎」
もしかしたら、父に反発したのはこれが初めてかも知れません。普通に考えれば異常な考えでしょう。同胞ならまだしも、何ら関係も無い人間に、むしろ害を脅かす人間に対して何故ここまで肩を持つのかと。疑問を持ってしまうのは当然でしょう。けれど、私は彼女を助けたかった。ただ一人だけ私を認めてくれた彼女を。私の名前を馬鹿にせず、いつも笑ってくれた彼女を。私の事を友達と呼んでくれたコマチさんを、私は救いたかった。だから私は、父の前で頭を下げるのをやめませんでした。すると、父はスゥーっと重めの溜め息を吐きました。
「・・・わしが出来る事は少ない。忌み子よ、わしの声は聞こえるか・・・?」
「ひっぐ・・・、えっぐ・・・。」
父はコマチさんへ言葉を向けました。えずきが収まらない彼女は、何度もゴシゴシと目元を両手で拭いてました。父の言葉がずっしりと重い。まるで大きな手で踏み潰されそうだ。それでも彼女は何度も首を縦に振りました。
「お前が酷な事になったのは、理解出来る。だが、ワシらが対処出来るというのはどうにも叶わん。期待をさせて済まない。一度、忌み子となったものはもうどうにもならんのだ。どちらにも寄らず、永遠にも近い命を彷徨う。自らで死ぬ事も許されぬ。酷な現実だとは思う。受け止めるには、お前はあまりにも幼さ過ぎる。」
「う、うちの・・・、えッぐ・・・、うちの事は、良ぇ・・・。」
掠れた彼女の声がしんと響きました。その瞬間、何か時でも止まったかのような感覚でした。私は思わず顔を上げてしまい、彼女の顔を見る為に振り返りました。泣きじゃくった顔、本当に酷い顔でした。目元は涙袋が大きく膨れ上がって真っ赤に腫れて、食い縛る口元からはもう鼻水なのか涎なのか、もうぐっちゃぐちゃ。それでも両手を強く握り締め、降り掛かる恐怖に抗おうとしていました。
「ひゅー・・・、ひゅー・・・。」
まだ微かに聞こえるメルの呼吸音。もう生きているのが不思議なくらいです。メルも彼女の前では死ぬまいと必死なのでしょう。四肢を失った子犬が、まだ生きたいという渇望が全身から漲っていました。「生きたい、まだ死ねない・・・。死にたくない。」メルの声が私の脳裏に響き渡りました。悲痛にも聞こえる叫び。その時でしょうか。
ダンッ
コマチさんは眉をピンと上げ、突然地面に頭突きをして頭を下げました。額からはツーっと真っ赤な血を流し、それを地面に擦り付けるように土下座をしながら、スゥーっと息を吸うと・・・。
「うちの事は、どうでも良ぇから!この子を・・・、えっぐ、メルだけは救っちゃってくれ!お願いだ!頭なら、なんぼでも下げたる!足りんなら、腕でも脚でも持ってけ!どうせ、自分で死ねんのやろ⁉︎腕が足りんなら耳でも良ぇ!耳でも足りんなら髪でも口でも好きなもん使っちゃって構へん・・・、せやから・・・。ひぐ、こんな何もかも燃やしてまう力なんて、嫌じゃ。せやったら・・・、誰かを治す力が良かった・・・!でも、うちにはそんなん出来ん・・・!だから、お願いだ!堪忍じゃ、メルだけでも、助けて・・・ください・・・。」
「コマチ・・・ッ!」
彼女の、渾身の悲願が響き渡りました。皆、その光景に圧倒されてました。それは私や父も例外ではありません。驚いたでしょう?彼女の口からこんな言葉が出るなんて、と。彼女はそのまま、気絶してしまった。私は急いで彼女の元へと寄り、眠りについたその身体を抱き締めました。先程とは比べ物にならないくらい冷えてました。まるで寒空に晒された蝋を握り締めているみたいでした。全く、どうしようも無い人です。まさか自分を元に戻せとか無茶を言い出すのかと思えば、自分よりもメルを助けるよう差し向けてきたのです。妖怪の、この山の長である私の父に対してですよ?普通なら恐れ慄いて、口が滑っても言えるもんじゃ無いですよ。父はじっと、すっかり眠りについてしまった彼女を見つめていました。ふんっと鼻息を鳴らすと、父は再び重い唇を開きました。
「案ずるな、テンジョウ。力をずっと放出しておったのだ、気絶するのも無理はない。」
そう言うと、父は右手をサッと挙げました。すると、周りに居た同胞たちを立ち退けさせました。同胞たちも何か勘付いたのか、潔く一人また一人と姿を消していきました。周りに私とコマチ、メル、そして父だけとなった時。父は重い腰を上げ、ゆっくりと立ち上がりました。大きな身体を揺らしながら、彼女に近付いてきたのです。
「僕のせいだ・・・、僕が、コマチと会わなければこんな事には・・・。」
私は嘆きました。元々こうなってしまったのは、私が彼女と出会ってしまったからなのではないか、と。偶然会うだけならば、それだけで良かったでしょう。いけなかったのは、彼女と友達になってしまったから。妖怪である私が彼女と友達にならなければ、コマチさんはこんな惨劇を味合わずに済んだかも知れない。私はそう思ってしまったのです。同時に私は、私自身に恨みました。こうしなければ良かったという後悔も交えて。しかし私の言葉に対し、父は首を横に振りました。
「それがこの童の運命だったのだ。誰も咎められない。歳を取っても老いは無く、永遠に彷徨うのだろう。二十五かそこらか・・・、それを節目にこやつの老いは止まる。ある意味、死よりも辛い・・・、呪いだ。」
それも残酷な話です。彼女は死を許されない。妖怪と同じく歳を取っても老いは無い。人の姿だと言うのに、永遠にその命を生き続けなければならない。一見それは桃源郷のようなものに見えるでしょう。永遠の命、永遠の若さ。その一皮だけ見てしまえば、喉から手が出る程かも知れません。けれどその理想は、はっきり言って真逆です。死という終わりがあるからこそ、人は人であるのです。この均衡を崩してしまえば、その先にあるのは実に虚しいものです。誰よりも長く生きてしまい、誰よりも多く死を見てしまう。一生、その死を訪れる事なく永遠に彷徨い続ける存在とは、果てしなく虚しいものです。厳しい言葉を言い放っていた父の顔は、少し虚しさをブレンドさせていました。この時まで見た事無い顔でした。すると父は大きな手を広げ、彼女とメルに覆い被さるようにかざし始めました。
「父上・・・、何を⁉︎」
すると不思議な光が淡く輝き始めました。彼女の身体からマナを引き上げるように掬う。ほわりと浮かんだマナはそのまま、四肢を失ったメルへと包み込ませました。
「これは、この犬の思いだ。彼女の側で生きたいという願いを。思いは言葉となり、言葉は力となる。言霊・・・、それがこの妖怪の本質よ。この忌み子の呪いも同時に受ける事になるが、窮地を脱するには・・・な。」
「メルを、言霊にしたと・・・?」
「あぁ・・・。もっとも、本来であればこの粗治療は成功なぞせぬ。だがこの二つの魂は違う。互いに認め、互いを愛している。その思いの強さが言霊となり、生を繋ぎ止める事が出来たのだ。」
父が施したのは、謂わば一種の蘇生術でした。まだ死にたく無いというメルの思い。死なせたくないというコマチさんの思い、それらは言霊となり小さな見えない光となります。それをマナという力を具現化させたのは、彼女の半妖となった暴走した力。父が行ったのは、半妖の暴走を抑える為にメルへ彼女のマナを分け与えさせたのです。これらの条件が重なった事で、メルは一命を取り留めました。飛散してしまう僅かな力を父は繋ぎ止めたのです。失った四肢はすっかり消え失せ、体も消え、顔だけとなり、その代わりに真っ白な毛が全身に生えていました。瞳も大きくなり、容姿こそは犬とは似ても似つかなくなってしまいましたね。メルはその小さな身体を浮き沈みさせながら、安らかに眠っていました。私はその奇跡のような光景を見て涙しました。
「それじゃあ・・・。」
私は声を震わせました。その信じられない光景に。あの頑固者の父が、まさかこのような情けを、と。穴蔵の中では少し冷たい頬の雫が、ツーっと顎下まで通り過ぎていく感覚は今でも忘れません。
「わしが出来るのは、ここまでだ・・・。こやつの期待通りかは知らんがな。あとは・・・、お前に任せる。テンジョウ、こやつには好きに生きるよう、伝えよ。」
父は彼女らに手をかざすのをやめ、そっとまた立ち上がりました。しかし、それでも私は不思議でなりませんでした。あれだけ毛嫌いしていた忌み子であるコマチさんを、コマチさんの願いを叶えさせたのか。その疑問だけが頭に残されていました。
「ありがとう・・・、ございます・・・、父上。けれど、何故・・・?」
私はまだ震えている声で訊きました。この情けに一体どんな訳があったのだろうと。すると父は哀れむような目で彼女を見つめると、分厚く重い唇を再び開きました。
「テンジョウ、お前はこの童に一度救われたのだろう・・・?」
「・・・はい。」
「ならば、せめての・・・、ワシからの恩返しだ。・・・高く付くぞ、狸の恩返しなぞな・・・。」
父はそっと笑いながら、私の頭を撫でました。こんなに分厚く大きな手なのに、優しさ一杯に包まれた花の冠を添えられたようでした。
「はい・・・・・・・。」
静かな歓喜とはこの事を言うのでしょうか。私はこの一声すら出すのが精一杯な程、感涙に満たされていました。どれだけ歯を食い縛っても、頬を赤らめても、その涙は朝まで止まる事はありませんでした。
・・・翌る日ーー。
雨が程良く降っていました。ずっと居れば髪の毛はどんどん濡れていくでしょう。けれどそんな事は些細な事。傘を差さずとも気にはなりませんでした。生憎の曇り空で、薄らと灰色が空を染めてました。風はなく、雨粒は一つ一つ丁寧に地面へと落ちていきました。そんな雨が昨夜からずっと続いていたのでしょうか。それとも家に帰っている間、外は大雨でも来ていたのでしょうか。コマチさんの住む町の火はすっかり消えていました。畑も民家も人も全て焼け焦げ、しんと静寂を気取るように息を引き取っていました。あの賑やかだった町が嘘のようです。雨のせいか、焦燥した臭いも無く、徐々に自然へと帰ろうとでもしているようでした。私はそんな町の状況が見える丘の上で座っていました。彼女もその傍らで眠っています。だいぶ落ち着いています。相変わらず泣きじゃくっていた彼女の目元は赤く腫れてしまっていて、頬にニキビが出来てしまう程に。コマチさんのマナも今は落ち着いています。あの時現れた狐の耳や尻尾は、今は姿を見せていません。勿論、力をその日の内に使い切ったと言うのもありますが、理由はもう一つあります。それは彼女の髪を結ぶ“元結”のお陰です。この元結には特別な和紙が施されていて、要は彼女の妖力の暴走を止めるストッパーの役割を果たしてます。ほら、今の彼女も似たようなヘアゴムで髪を結んでいるでしょう?あれも似たようなものです。それにこの時のコマチさんは、妖力の暴走を止めるような対抗手段なんて知りません。だから、父はそれを託しました。全く、自分で直接渡せば良いのに、こう言う時だけ素直に渡さないのは父の悪い癖です。挙句の果てに父はこうも言いました。「その元結はワシからだとは絶対に言うではないぞ。」と。よく分からない方ですよ、父は。人前で妖怪の力は出したくなかったのでしょう、お堅い方ですから。ぽたりと少し大玉の雨粒が彼女の目元に当たりました。目元を弾き、小さな水飛沫が輪を描くように散っていきました。すると・・・。
「テン、ジョウ・・・。ここは・・・?」
コマチさんはここで目が覚めました。まだ半覚醒状態というか、眠気をまだ十分に脱ぎ切れていない状態でした。目を開けても、起き上がりませんでした。まだ身体が慣れていないようです。何度も手を閉じたり開いたり・・・。首もまだ動かすのもやっとなくらい。だから、彼女の視界に映る光景は、灰色の曇り空から降る雨だけでした。まだ昨日の今日です。コマチさんの瞳は、虚に近い色をしていました。あれだけの惨劇です。彼女が何故、忌み子となる半妖になってしまったのかは謎ですが、恐らくは九紋一族の仕業でしょう。私たちでは想像も出来ない恐怖があの日、まだ幼い彼女に降りかかった訳なのです。平常を保てる筈がありません。彼女の声で起きた事に気付いた私は、敢えて彼女に近寄ろうとはしませんでした。彼女と同じように、同じ景色を眺めながら私は告げました。
「雨が降って・・・、良かったね・・・。町は燃えちゃったけど、山火事にはならなかった・・・。」
彼女は小さく「そうか。」と返しました。短く切った言葉でしたが、それでも彼女はどこか安心した様子でした。一度開けた目をもう一度閉じ、何かを思い詰めているかのような仕草を見せました。そして彼女はもう一度だけ灰色の空を見つめながら、雨水で潤わせた唇をそっと開きました。
「・・・メルは、どうなったん?」
そう、私が彼女の傍らに寄らなかったのは、ちゃんと訳があります。
「メルなら、ここに居るよ。」
ぴょんっと彼女の胸に飛び込んできたのはメルでした。白く透き通るような毛を震わせながら、彼女を舐めていました。
「おぉ・・・、なんかお前、凄くフッサフサになったのぉ・・・。それに・・・、綺麗な毛並みじゃ。」
コマチさんは先ほどの虚だった瞳が嘘のように大きく見開き、どっと安堵が溢れるような微笑みを見せました。そこで漸く彼女の身体も言う事を聞くようになったのか、震えるようにメルの体を抱き寄せ、優しく撫で始めました。自分の思いが届いたのだという溢れる安堵感に包まれているようで、何度もその小さな身体を摩りました。絹のように心地良く、何度も指の間をメルの毛並みが通り抜けていきました。モゾモゾと動くメル。何かを言いたそうな表情を浮かべると、むずむずと口元を前後左右に動かしていました。そして・・・。
「ちこ・・・ま、ちこ・・・、ま、マ・チコ!マチコッ!」
「お・・・、おい、こやつ・・・、喋りおったぞ!気のせいではないな⁉︎今、マチコと‼︎」
彼女はガバッと飛び跳ねるように起き上がりました。さっきまで鉛のように動かなかったのに嘘のようです。何度もこちらを振り向き、私の顔を疑心暗鬼に見つめていました。時には自分の頬を抓ったりもしていました。「いてて。」と痛みがあったようなので、夢ではない事を悟ると彼女はまた微笑みを見せました。
「マチコ!マチコ!マチコ‼︎」
メルも嬉しかったのでしょう。彼女が目を覚ました事に、言葉を手に入れた事に。まだ言葉を発するには慣れていない模様ですが、それでもメルは必死に、嬉しそうに彼女の誤った名前を呼び続けました。
「マチコではないぞ、うちはコマチじゃ・・・!」
コマチさんはメルを包み込むように抱き締めました。間違いを訂正しようとは促してましたが、そんな些細な事はどうでも良い。またメルの声を聞けたのが何よりの嬉しさ。そんな喜びという水彩が彼女の顔に満遍なく染め上げていましたから。
「マチコーーーーッ!」
メルもまた、それに応えるように彼女の名を繰り返し叫びました。
「お前、前より元気になったのではないか?そうじゃ、マチコじゃ!もうマチコで構へん。メル!お前が無事で・・・、本当に、良かったぞ・・・。」
彼女は再び、その瞳に涙を浮かべていました。赤く腫れてしまった目元が涙で沁みていたのでしょう。どれだけ抱き締めても、抱き締め足りなかったのでしょう。お互いまだ不慣れな身体を力一杯抱き締めていたのですから。
「全く、君らしいね。自分の事より、メルの事を気にするなんて。」
「うちの事はどうでも良ぇんじゃ。どうせ、もう・・・、帰るとこなんてありゃせん。」
彼女の瞳に迷いはありませんでした。むしろ、清々しさすらあるくらいです。私のすぐ後ろではすっかり焼け跡となった町も見えている筈です。それでも彼女はその光景を背けませんでした。もしかしたら、父に頭を下げる時から覚悟していたのかも知れません。起こしてしまった過去を背けまいと。どんな形であっても、自分が残した軌跡は消す事は無く、しっかりと前を見るのだという決意を。彼女は立ち上がりました。まだ若干ふらつきこそはありましたが、歯を食い縛りながら踏ん張り、立ち上がりました。私は訊きました。いえ、これはどちらかと言うと確認に近いかも知れません。何故だか、彼女の言いたい事が分かったのです。だからこれは、確認です。
「これから、どうするの?」
「こやつと旅をしながら、考える!どうせ、時間はたっぷりあるんじゃ!気ままに考えながら、旅をする!」
「うん!」
ほらやっぱりと、私はそっと彼女に釣られるように笑いました。きっと彼女なら、そう言うのだろうと思って。けれど私は敢えて言いませんでした。彼女について行く、とはね。これは彼女自身の決意。だから、気軽に踏み込んで良いものではありませんからね。
「飛川の名はうちが継ぐ。うちは、今日から飛川コマチじゃ。忌み子なんて気持ちの悪いもんは呼ばせん。半妖の・・・、飛川コマチじゃ!」
だって彼女がそう言うものですから。これが私の知る昔の飛川コマチさんです。さて、垂さん。ご清聴ありがとうございました。




