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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 失踪映画館編

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76狐火までおまかせを

「コマチ・・・、その犬どうしたの?」


 これはまたある日の事です。彼女が両手に抱えていたのは一匹の子犬です。今ではあまり見なくなった野良犬ですね。当然、この時期に保健所なんてありませんから、野良犬はそう珍しいものではありません。白く伸びた毛、見るからに足腰はあまり良くなく、酷く痩せていました。それに泥や土汚れが酷く、臭いも中々のものでした。


「多分、捨て犬か野良じゃないだろか。酷く弱ってたからの、拾った!」


 どうやら彼女は、帰りの道中で倒れているところを拾ったんだとか。捨て犬というよりは、野良の方でしょうか。恐らく育てきれなくなった母犬が流したか、それともどこかで逸れてしまったのか。その辺りでしょう。良く聞けば呼吸も荒く、栄養失調を起こしていました。それでも犬というものは健気なものです。人前では元気なフリをしようとするのです。本当は殆ど体力なんて残っていないのに、良く鳴いていました。しかし気になるのは、これからの事です。拾ったとはいえ、彼女この先どうする気なんでしょう。見るから彼女は育てたい一心で固まっているようですが、あ、いや。どちらかというと家来にしたいんでしょうね。彼女、いつも何かを捕まえる度に、それを下僕やら家来やらと無理やりしてましたし。だから私は一応、こう訊きました。


「君の母上、許してくれるの?厳しいんでしょ?」


「大丈夫じゃ!家で飼っちゃダメなら、外で飼えば良ぇんじゃ!」


 全く、とんでもない理屈です。けど、その真っ直ぐさが良いんですけどね。彼女の母は人として厳しい方でした。それでもしっかり叱り、しっかり褒める。きちんとした飴と鞭を持った母です。生き物を飼うとなれば、もっとです。命の大切さを、きちんと重んじなければならないですからね。私は動物愛護では無いですから、溺愛しろとは言いませんが。人よりも短い命を持つ犬に対して、最低限の責任を負わなければなりません。無論それは、この時代ならではのね。それでも住むところは何とかなったとして、あとはこの子の容態でしょう。私は腕を組みながら子犬の目を見つめました。


「うーん、けど何か食べさせてあげないと、この子死んじゃうよ。」


 子犬の目は渇望に溢れていました。まだ生きたい、ここで死にたくない。そんなメッセージが飛んで来たのです。通常よりも重い呼吸、身体を揺らすように息をしている。口から舌を出しているが、血色は良くなかったですね。水分と栄養、第一にこれが必要でした。可能であれば薬を投与すべきでしたが、そんな薬なぞこの時代には多く普及してません。ましてやここは都から離れた町。商人も頻繁に出向いている訳ではありませんから、尚更無理です。間に合わせにはなりますが、ここは何か穀物などを湯掻いたもので最低限の栄養を確保しないと。そう私は考えてました。するとコマチさんはキョロキョロと周りを見渡し、何かを探している様子でした。


「それもそうじゃ。んー・・・、おっ!」


ブチッ・・・ブチチ


「ほれ、犬!これを食えば、元気出るぞ!遠慮せず食え!」


 徐に道端の草をぶちぶちと引き千切って渡してきたんですよ。それを見て私も子犬も仰天しました。仮にも犬ですよ。専門知識が無くても、あげちゃダメでしょってものくらい分かる筈なんですが・・・。


「く・・・くぅん・・・。」


「ちょッ!それ、ニラでしょ⁉︎多分、それ食べさせちゃダメなやつーーーーッ!」


 あろう事か、彼女はその辺に生えていたニラを差し出してきたのです。子犬も眉をひそめながら、俯くばかりです。ご存知の通りニラは犬にとって毒性の強い野菜です。ニラ特有のツーンとくる臭いに押し負けられ、子犬は涙目でした。それどころか余程その臭いが嫌だったのか、モゾモゾと彼女の胸元の奥へと顔を突っ込み、うずくまっていました。


「何を言う阿呆め!おっかぁが言っておったぞ!野菜は身体に良いから、ぎょうさん喰っても損はせんって!」


「人と一緒にしちゃ駄目だよぉおおおお!」


 この後、私はめちゃくちゃ説得しました。それでも何度か無理やり、自分が採ったニラを食べさせようとしてましたけどね。口では説得し、手でその行為を止めるのにもう精一杯でしたよ。私の非力さもあるでしょうが、強情な時の彼女。少女とは思えない程の馬鹿力なんですよ。大人と綱引きをしているんじゃ無いかと錯覚する程です。それでも何とか説得を終え、私は彼女の母や近所の住人に頼み込み、食材を分けて貰いました。それから火や水、食器を借り最低限の栄養を取れるものを作りました。事情を知ったコマチさんの母は協力的でしたよ。ニラをあげようとした彼女にはゲンコツをお見舞いしていましたけど・・・。彼女の母のアドバイスが効きました。見様見真似ではありましたが、栄養を確保できるご飯を器に乗せ、少しずつ冷ましてからそっと置きました。


「おぉーーー!食った!食いおったぞ、こいつ!テンジョウは凄いのぉ!」


「間に合わせの穀物を湯掻いただけだけど・・・、食べてくれて良かったぁ・・・。」


 幸運な事に子犬は飛びつくようにご飯を食べてくれました。まだ食べるだけのエネルギーが残っていて何よりです。私たちはその光景を見て、ホッと安心しました。これで少しは元気になってくれる筈です。彼女は飛び跳ねるように喜んでいました。と、いうのも先ほど母から犬を飼う許可も降りていたので、それもあってでしょう。ここで元気にならなければ、どうしようかと路頭に迷いながら暗い雰囲気のままでしたが、結果オーライです。かくいう私も安心していたのですから。 


「しっかし、いつまでもこやつの事を犬と呼ぶのも愛着が湧かんのぉー・・・。」


 さっきまでジャンプしながら喜んでいたと思えば、今度は石像のように唸りながら考え込み始めました。どうやら名前を決めたいようですね。しかし、彼女のネーミングセンスは中々に奇抜です。満足に首を縦に振れるものは少ない。ザリガニにはタメザエモン、カブトムシにはイッポンヅノ、雀はチュウベエで、鼠に至ってはライデンです・・・。ほらね、どこからそんなセンスが生まれるんだと疑いたくなるレベルでしょう?あぁ、そうですか今も健在なんですね。そういえば、あの悪魔にもチップと名付けていましたものね。なんか私も納得しました・・・。


「おっ!そうじゃ!」


 すると彼女は掌をポンっと叩くと蝋燭に火を灯したように何か閃いたようです。私はこの頃から彼女のネーミングセンスに疑問を抱いていたので、嫌な予感しかしませんでした。どうせとんでもない名前を思い浮かべたのでしょう。彼女の独特なセンスが光る瞬間です。そう思いながら、私は重めの溜め息を色濃く吐き出しました。


「お前は目がクリクリしておるから、メルじゃ!お前は今日から、メルじゃ!」


 そう、ちょっとびっくりしたんです。今までに無い透き通った名前でした。あまり聞き馴染みの無い響きに私は、悔しながら感銘を受けましたよ。見た目で決める直感さに彼女らしさこそはありますね。


「唐突に決めたね・・・。それで良いの、君は?」


「わんッ!」


 メルと名付けれた子犬は、疑いや淀みの無い声で鳴きました。それはもうはっきりとね。私が用意したご飯を少し食べてくれたお陰か、声に張りもありましたから少し安心しました。


「何と申したのじゃ?」


「気に入ったって。良かったじゃん。」


 言い忘れていましたが私も妖怪の端くれです。動物の言葉は大体わかります。あ、完璧じゃ無いですよ。あくまで大体です。細かい文脈までは流石にわかりませんが、ニュアンスくらいはわかります。このメルと名付けられた子犬も「それで良い。」と本人が言うのですから、止める必要は無いでしょう。少なくとも私にはそう聞こえましたし、悪い感じはありませんでしたからね。するとコマチさんもそれを聞いて、にんまりですよ。頬を火照らせて、ニヤニヤと笑みを溢していました。


「おー!メル!同時に今日から、うちの従順なる下僕じゃ!光栄に思えよ、はっはっはーーーーッ!」


「わんッ!」


「おぉー、なんじゃこいつ!舌でぺろぺろと、()いやつじゃのう!ワハハ、くすぐったいではないか!」


 新しい主人に巡り会えた事が嬉しかったのか、メルはサッと地面を蹴り、コマチさんへ飛び付きました。そのまま彼女を倒し、ぺろぺろと舌で頬を舐めていた訳ですね。うぅむ、今思うと少し羨ましいですね。あ、いや失敬。その光景はまるで花園で戯れ合っているようにも見えましたよ。私も混ざりたいくらいでした。その時の私は漸く緊張が解れ、肩の力を抜いたところです。


「まぁ、いっか。本人も気に入ってるみたいだし。」


 メルが元気になってくれて良かったなと。この子も彼女の不思議な魅力に惹かれてしまったのでしょう。余程メルは嬉しかったのか彼女の頬を舐めるのを中々やめませんでした。同時に彼女の笑い声も。いつまでも、いつまでも。


「ワハハ、ワハハ、ははは、は、は・・・、ってやめーーーーーーい!と言うとるじゃろがぁッ‼︎」


「くぅんッ⁉︎」


 彼女の中の我慢の尾がプツリと切れたのか、メルの首根っこを掴み取り、叩きつけるように投げました・・・。えぇ、もう動物愛護団体が見たら恐らく発狂レベルでしょう。メルは反応良く、ピタリと受け身を取り着地してましたけどね。


「えぇー・・・。」


 本当に不思議な方です。強情で、自分勝手、けれどどこか魅力がある。その根底は何なんでしょうね。今この瞬間の状況では私も言葉にはなりませんでしたが、この実に人間らしく、真っ直ぐなところが良いんでしょう。


・・・。


 またある日の事。・・・え?またあまり関係の無い話なんじゃないかって?私、言ったじゃないですか。コマチさんの事、私が知っている限り全てお伝えしましょうって。今までのも、これからのも全て繋がりますよ。今風に言わせて頂ければ、伏線というやつです。だから今から話す事も必要な事。全て繋がるお話です。


「お・・・、雨じゃ。雲一つ無く晴れてるのに、不思議じゃのぉ・・・。」


 空を見上げれば、誰もが認める程のカラッと浮かぶ晴天でした。雲も無く、風もそよ風程度。けれどそんな常識を打ち砕かんとする程の雨が降り注ぎました。それも中々の大粒です。そうですね、思わず頭を守るように手を添えて、今直ぐどこかの屋根の下へ駆け込みたくなるくらいです。けど、そんな雨だって言うのに私たちはそんな不思議な天気の下で、ぼーっと立ち尽くしていました。何故か不思議と足が動かなかったのです。その理由はきちんとあります。


「天気雨だね。今日は、山には行かない方が良いかもね・・・。」


 私はボソリと呟く程度に発しました。雨音で掻き消されてしまうじゃ無いかって程のね。雨に隠れてはいますが、この時の私は冷や汗が止まりませんでした。それは本能なのかも知れません。実際に見た事は無くとも、本能がそれを知っている。そう、私の身体は雨に凍えるように震えていました。


「何故じゃ?」


「こういう天気は狐の嫁入りと言って、化け狐たちの嫁入り行列が行われるんだ。何人たりとも見てはならない。だからこうやって雨を降らせれば、人々は家に入ったり雨宿りを始める。その隙に、行列を済ませるんだ。」


 あなたも聞いた事くらいあるでしょう?狐の嫁入りというものを。今風にいえば、都市伝説寄りなんですかね?いずれにしてもそれは見てはいけないものです。だから近付けさせないのですよ。けれど、これが人間の(さが)でしょうか。見るなと否定されてしまっては、無性に見たくなってしまう。ほら、鶴の恩返しみたいなもんです。好奇心豊かな彼女も、当然その性に逆らえません。むしろ興味津々で目を爛々と輝かせてしまう始末です。


「ほぅ、何だか面白そうじゃの!」


「駄目だよ、絶対に!化け狐は本当におっかないんだから!」


「わんッ!」


 メルとは良く意見が合いました。この猪突猛進というか怖い物知らずというか、彼女のその根性には溜め息が出ます。しかし、こればかりは別物です。狐の嫁入りは勝手が違うのです。私たちは必死に止めました。彼女はその目を輝かせながら、森の方角へと視線を向けていたのですから。ちょっとくらい良いだろう。そんな気持ちが高揚させるのでしょうね。でも、私たちは抵抗をやめませんでした。


「お前も駄目だと申すのか?うーむ、皆がそこまで言うならば、薮坂ではないな。」


 いつもより私たちの抵抗が激しかったのか、彼女も張り合いが無かったのでしょう。すとんと荷を下ろしたように、彼女は握り締めていた手から力が抜けていきました。そのまま降り止まぬ雨を掬うように空に向かって手を差し伸べると、先程とは打って変わって何処か黄昏ていました。何かを安堵するような落ち着いた表情を浮かべ、薄く開いた瞳でこう言いました。


「けど、まぁ雨が降って良かったのじゃ。ここのところ日照り続きで作物が育たん!と、おっとぅが言っておったのじゃ。」


「この季節は仕方ないよ。けど、少しでも降ってくれるのは有り難いよね。」


「のー、テンジョウ。雨が止んだら、行列は終わるのか?」


 振り続ける雨は少しずつ彼女の黒髪を濡らしていきました。じわりと髪の先端に水玉が集まっていき、ゆっくりと大粒が落ちる。ぽたんと落ちる雨粒は彼女の足の甲に落ち、じわりと滲んでいく。彼女は雨が嫌いだと言っていました。雨のせいで色んなものが静かになってしまうと。鳥も、森も、町も、人でさえ、不思議と静かになってしまう。それはまるで誰も居なくなってしまったのでは無いのか、と錯覚させてしまうくらい寂しさが募るものだと言うのです。少し大袈裟なように聞こえますよね。この時の私はそう思ってました。だから、この時も特に気にする事はありませんでした。


「んー、どうなんだろう?その日はあまり山に近付かない方が良いのが、間違いないと思うんだけど・・・。」


「ならば、仕方ない。今日は家で休むとするかの。」


「うん!」


 彼女はそのまま、私たちを家へと案内しました。晴天の下で降り注ぐ雨の中を渡って・・・。


・・・。


「コマチ、今日も居るかな・・・?」


 またある日の事です。丁度、この狐の嫁入りがあってから一週間くらい経った頃でしょうか。私はこの日も自分の森を抜け、コマチさんの住む町へと向かっていく最中の事でした。


「うちの山でイチジクがいっぱい実ったんだ。僕のところの山は、凄く実がトロッとして美味しいんだよなぁ。早く、コマチにも食べさせてあげなくちゃ!」


 毎年、私が住んでいた山ではイチジクが良く実っていたんですよ。他の物とは比べ物にならないくらいそれは甘美で、濃厚な蜜が入った実なので私は大好きだったんです。この間の雨があったお陰でしょうか。いつもより早く実っていたので、私は彼女に知らせたかったんですね。イチジクは捥ぎたてが一番です。特に私の森のイチジクはね。私が摘んで持っていく方が早いと思ったでしょう?彼女にも捥ぎたてのイチジクを食べさせてあげたかったのですよ。だから、私はいの1番に彼女に知らせたかった。草木を分けて走り、土を蹴り、彼女が喜ぶ姿を見たいという一心が心臓を高鳴らせました。ドクドクと積み立てる音が呼吸を掻き乱してくれました。私も高揚していたんですね、きっと。すると、私の鼻にぽたんっと水音が弾かれました。小粒の雨粒が当たり、ふわりと土の匂いが変わったのです。ふと空を見上げると、また雲一つない晴天が顔を覗かせていました。けれど、しとしとと雨粒が降り注いできたのです。


「あれ・・・?また天気雨・・・?」


 それは中々無い光景でした。あの時と同じ雨が降り注いできたのです。 


「また狐の嫁入り行列・・・?この間、あったばかりなのに・・・。」


 狐の嫁入りはそう頻繁には行われないのです。せいぜい年に一度あるか無いか。ましてや同じ場所に、それもこの一週間程度の短いスパンで行われる物ではありません。だから、この光景が不思議で堪りませんでした。いえ、これを不思議だけで済ませてしまった。これが最大の要因かも知れません。


「不思議だなー、まぁ良いか。早くコマチのとこ、行ってあげよ。」


 せいぜいこの時は、こんな事もあるんだなぁと思う程度でした。私は特に気にする事無く、コマチさんの元へ向かいました。



「あのー、コマチは・・・?」


 いつもなら、家の前か畑の近くに居る筈のコマチさんは何処にも居ませんでした。私は仕方なく彼女の母に尋ねました。すると、母も首を傾げながら眉をひそめていました。


「あれま、テンジョウちゃんかい。困ったねぇ、コマチなんだけどねー。まだ帰ってきてないのよ。おっとうの手伝い行ってくるって言ったきりさ、あたしも見かけていないのよ。」


「え・・・、そうなんですか?」


「あたしもてっきり、おっとぅの畑の手伝いでもしてんかと思うてたけど、さっき聞いたら、おっとぅも見てないって言うし。全く、あのじゃりんこ。テンジョウちゃん置いて、この雨の中、どーこほっつき歩いてるんだか。」


 彼女の母はカンカンでした。「全く!」と腹を膨らませながら大きめの溜め息を吐き、両手を腰に当ててました。その瞬間、何か尋常ではない悪寒が背筋を凍えさせてきました。ぞわりと来るそれは、気のせいでは無い。いえ、違いますね。むしろ気のせいであって欲しいとさえ、そう思う物でした。だから、こうしていられない。そう思った私は・・・。


「僕、ちょっと探してきます!」


 私はその嫌な予感を頼りに、すぐ近くに聳える山へと向かいました。丁度私が住む山とは反対の方向です。雨はどんどんと強くなってきました。それはまるで嵐でもきたのでは無いかと思う程。風は強く、細い木ならひしゃげてしまいそうな程に。それでも私はなりふり構わず走り出しました。


「何言ってんだい、雨降っちょるんよッ!風邪引いてしまうよ!」


「大丈夫でーーーーす!雨は慣れているのでーーーーーッ!」


「ちょっと、テンジョウちゃーーーーーーん!」


 母の声はやがて雨の音で掻き消されてしまいました。今、足を止めては駄目だ。手遅れになってしまう前に。そんな思いが私の足を速くさせました。


「なんか、嫌な予感がする・・・。凄く、不気味で・・・、嫌な予感が・・・!」



・・・。


 私は向かいのある山へと入りました。普段はなんて事の無いところです。自然に身を任せた普通の山。けれどそこは異様でした。山へと踏み入れた瞬間に訪れる突然のプレッシャー。足を踏み込む度に電流が走りました。まるでこれ以上、近付く事を許さないといった具合です。雨は強まり、雨具が無ければ目も開けてられない程。周りに動物たちは居ませんでしたが、雨のせいだけではありません。山の雨など良くある事です。普段であれば皆、雨宿りをする為に身を隠しているだけなのですから。けれど、この山は違いました。パタリと動物たちの気配が無かったのです。詰まるところ、この山を…森を…、ぽっかりと避けているかのように。その異様な空気感の正体は程なくして、私の目の前に飛び込んできました。


「居た‼︎・・・コマ・・・・・・ち・・・・・・?」


 えぇ、確かにコマチさんは見つけました。けれど、これはもう手遅れというべきでしょうか。むしろこの時は半信半疑でもありました。何故なら、彼女の傍らには狐たちが列をなして行進していたからです。彼女もその列に参列していました。けれど、自ら進んでという感じではありませんでした。強制的にそうさせられている方が正しかったのかも知れません。コマチさんは俯いたまま、静かに歩いていました。それは恐怖心に支配されてるが故でしょう。手は拘束され、目は包帯のようなもので縛られていました。包帯には不思議な印模様が描かれている事から、何らかの術式を施されていたのです。これは後で分かった事ですが、その術式は聴覚を塞ぐものでした。つまり、彼女は何も見えず何も聞こえない状況だったのです。十歳前後の少女に恐怖を与えるには充分過ぎる物でしょう。どれだけ怖いもの知らずだとしてもね。


「これは・・・・・・、これが、狐の嫁入り行列・・・。」


 私もこの光景を見るのは初めてでした。何十匹もの狐が二本足で立ち、黒留袖を羽織っていました。先頭は良く見えませんでした。朱色の大きな和傘が周りの視線を隠すように塞いでいたからです。雨は降っているとはいえ、まだ陽が明るい昼だというのに提灯を灯し、ゆらりゆらりと一歩ずつゆっくりと進んでいました。


「でも、なんで・・・、なんでコマチがあそこに・・・。目を塞がれて、手は拘束されているように見えたけど。」


 それはどれだけ異様な光景だったか。私はその時、今までに感じた事の無い程の恐怖に駆られました。身体が警告するのです。これ以上、進んではいけない。これ以上、近付いてはいけないと。喉を誰かに絞められるように掴まれてしまい、息は苦しく冷や汗がびっしりと体躯を包み込むようでした。彼らの一歩は白々しい程ゆっくりで、少しずつ少しずつ前へと進んでいました。その時、提灯に描かれた模様が見えました。その瞬間に、私の体の中で電流が走り渡るような感覚がありました。


「それに・・・、あの印模様・・・・・・、どこかで見た事がある。確かあれは、九紋一族(くもんいちぞく)の・・・印。」


 漢数字の九のような字に菊籠目(きくかごめ)の模様。それは、とある組織の(しるし)でもありました。九紋一族とは化け狐、詰まるところ純血の妖狐で構成される組織です。実際のところ、私も今日に至るまで具体的な事はまるで分かりません。謎に満ちた存在です。極めて残忍で、狡猾。故に九紋一族には触れるべからず、九紋一族には見るべからず。直接口にするなど以ての外、さすれば災いその身を包み込むだろう。父が口を酸っぱく私に言っていた言葉です。本来であれば直ぐに立ち去るべきでしょう。けれど、状況が状況です。あそこにはコマチさんが居る。私は父の忠告を無視し、助けたい気持ちで一杯でした。幸い、まだあの狐たちは私の存在に気付いてませんでした。雨と自分の体よりも大きく生えた茂みのお陰です。


「でも、何とかして助けなく・・・ちゃ・・・、あれ・・・?」


 突然、急激な眠気が襲ってきたのです。それもただの眠気だけでなく力が抜ける感覚がありました。まるで、無理やり血を引き抜かれていくような近さでしょうか。膝は竦み、手の力は抜け、意識が遠のく。気付けば私は地面に倒れ込み、呼吸をするだけでも必死な程でした。酷い倦怠感、吐き気、胃の中を抉られたみたいです。


「力が入らない・・・、それに、凄く眠い・・・。」


 私は出来る限り、腕を伸ばしました。けれど健闘虚しく、やがて椿の花を落とすように、地へと腕は落ちてしまいました。何者かの力で押さえ込まれるような感覚でした。頭の中がぐるぐると回り出し、思考は混乱するばかりです。


「こ・・・、マ、ち・・・・・・。」


 ここで私は気を失いました。ほんの一瞬、気のせいだったのかも知れません。彼女がこちらに振り返り、見つめているようにも見えました。目を塞がられていたので、はっきりではありませんが。そのまま私は小説のページを数枚切り抜かれたかのように、眠ってしまったようです。



パチ、パチパチ、ゴォォオォォンン


 暫く経った後なのでしょうか。数分、いや数刻か。明るかった昼下がりとは違う雰囲気。身体が妙に生暖かい。空から照らす明かりではなく、目の前で光っているような感覚。何かを軋ませる音と、度重なる轟音。


「熱い・・・、なん、だ・・・、一体何・・・が・・・・・・ッ⁉︎」


 目が覚め、私は飛び起きました。寝ていた場所はさっきの山の中。辺りはすっかり陽が沈み、代わりに三日月が夜空に浮かんでいました。ただそれよりも目の前に飛び込んできた光景。それは実に信じ難いものでもありましたよ。


「町が・・・燃えてる・・・⁉︎眠っている間に何が⁉︎」


 山の中から見下ろした時に見えるコマチさんが住む町が燃えていたのです。家一つや二つではありません。町全体を丸っと炎が包み込み、周りに街灯が無いこの時代では、スポットライトを浴びたように大きく照らされていました。火を弱まるどころか、どんどん町を飲み込み大きくなっていました。それよりも気になるのは、周りに町の人の姿が無い。これだけの大火事なのです。急いで逃げる者や水を汲んで火を消そうとする者の一人が居ても可笑しくないです。ところが誰一人として、そんな者は居ませんでした。まるで私一人だけ取り残された気分です。悲鳴や叫び、怒号、阿鼻叫喚がそこにはありませんでした。あるのは静かに燃え盛る荒々しい炎のみ。一言で言えば、実に異常です。


「そうだ、こうしちゃいられない!コマチは⁉︎コマチの家族も⁉︎急がなきゃ‼︎」


 私は直ぐに立ち上がり、今も尚燃え盛る町へと向かいました。通常であれば、あり得ない事でしょう。私だって炎は得意じゃありません。むしろ苦手な方です。けれど、足が勝手に動いてました。速く、もっと速くと。必死に腕を振り、息が切れようともそこから立ち止まる事無く、私は走り続けました。何がそう原動力とさせているのか。それは私もあの町の人たちに情が湧いていたのでしょう。コマチさんの両親、隣の畑のご主人、まだ幼い子犬のメル、そしてコマチさん自身に。



「コマチーーーーーーーーッ‼︎どこだーーーーーーーー⁉︎返事しておくれーーーーーーーーッ‼︎」


 町に着くと想像以上に熱い。まるで提灯の中に放り込まれた気分です。炎は家を飲み込み、無慈悲に柱を崩し、また一軒また一軒と燃え広がっていく。その時の風は実にいやらしかったです。例えるなら炎が広がり易いように、大きな扇子で仰がれているのではないかと思う程の熱波が舞っていました。その風は私自身にも降り掛かりました。風に乗った火の粉が度々降り掛かり、行手を阻むようでした。息は苦しく、空気が熱い。喉が今にも焼けそうで、瞳は徐々に乾いていく。それでも私は彼女の名前を叫びました。


「コマチーーーッ‼︎」


 暫く町を探し回る内、その現実を嫌と言う程叩きつけられました。通りで誰も居ない訳です。何故なら、この町に住む彼らはもう焼死していたのです。家は灰となって崩れ、畑は見る影もありませんでした。茄子畑のご主人はマネキンのように歪な体勢のまま、燃えていました。肉は焼かれ、顔の皮膚はドロドロに溶けていました。吐き気を催した私は思わず口に手を当てていました。嗚咽の反動か涙が溢れるように漏れる仕末です。他の町の人たちも皆、燃えていました。中には原型を留めないくらいに燃えているものも。それは別の意味で阿鼻叫喚なのかも知れません。もはやそれは人だったのかと疑う程のものです。


「駄目だ・・・、家が燃えてる・・・、多分、そこに倒れて燃えてるのは、コマチの母上だろうか・・・。肉が焼け焦げて・・・、うぅ・・・。」


 せめてもの願いを込めて、私は真っ先に彼女へ向かいました。もしかしたら、彼女だけでも生きているかも知れない。そんな浅はかな願いを抱きながらも束の間でした。当然、彼女の家も漏れなく全焼していました。それだけなら、まだ良かったかも知れません。その傍らには何かを抱きかかえるように倒れている焼死体がありました。・・・コマチさんの母親でした。ギリギリその方の特徴が残っていたせいで判別出来てしまいました。悲しさ、虚しさ、同時に私の拳には怒りが込み上げていました。誰が一体、こんな事をと・・・。ショックのあまりに、私は焼死体となった母の姿をそれ以上見る事が出来ませんでした。何があったのだと。疑問が頭の中に過りました。あの時、不自然に行われた狐の嫁入りが原因なのか・・・。コマチさんが囚われたから。私がその光景を目にしてしまったからか・・・。色んな疑念が飛び交いました。これは、これが妖狐の報復だと言うのか。


「ひっぐ・・・。」


「コマチ・・・⁉︎コマチの声が聞こえたぞ、あっちか⁉︎」


 燃え盛る町の中で、ひっそりとベソを掻く一声が耳に入りました。それはずっと遠くにある筈の声なのに、何故かその一声だけが静寂のホールに一打だけ弾かれたピアノ音のようでした。後先は考えられませんでした。私はその声のする方へと走り出しました。荒くなった息が呼吸を邪魔する。


「酷い・・・、こんなに、こんなに燃えてしまって・・・、一体誰がこんな事を・・・。」


「えっぐ・・・。」


 更にもう一打。先程よりも大きな声でした。それは近付いている証拠。彼女が直ぐそこなのだという確信でもありました。私は口に両手を添え、これでもかと彼女の名前を呼びました、叫びました・・・。


「近い・・・!コマチーーーーーッ!助けにきたよーーーー!コマチーーー!」


 焼けた家の角を曲がると、開けた道が広がっていました。普段なら畑が取り囲むように広がっているのですが。今は炎の海に包み込まれ、天変地異でも起こされたのでは無いかと、これは悪い夢ではないかと思いたくなります。その道の中央に、何かを抱きかかえる少女が居ました。啜り泣く声の持ち主は、炎の中哀しげに立ち尽くしていました。


「て・・・、テンジョウ・・・。」


 少女は僕の声に気付いたのか、ゆっくりと震えながら振り向きました。間違いない、この声の持ち主はコマチさんでした。しかし、どうも様子が可笑しい。溢れる涙を、止まらぬ涙を頬に伝わせながら、彼女は震えた声で私の名を呼ぶのです。バチンッと焼けた柱が倒れ込み、彼女を松明のように明るく照らしました。私はこの時、漸く気付かされたのです。


「コマチ・・・!大丈・・・・・・、あ・・・、え・・・?」


「テンジョウ、駄目なのじゃ・・・、近付いたら・・・。」


「コマチ・・・なの・・・、君は・・・?」


「ううん・・・、ひっぐ・・・。」


「その耳・・・、その尻尾は・・・?」


 振り向いた彼女の頭には一対の耳、お尻には尻尾が生えていました。まるで狐のような容姿。それに異様なマナが彼女の体躯を包み込んでいました。決して人が出せるようなマナではありません。どこまでも禍々しく、異様で、卑しくも燃え続ける炎のようでした。彼女の腕に抱えられているのは、一匹の子犬。彼女に抱きかかえられているせいか、その子犬も燃えていました。毛は焼かれ、脚は既に溶けていました。その犬こそ、メルでした。その信じられない光景、受け止められない現実に、私は驚愕しました。また呼吸が荒くなる。瞳孔の震えが収まらない。まさかとは思いたくなかった。まさか、これをやったのが彼女?この町も、町の人も、家も、畑も、メルも・・・、彼女が全てやったと言うのかと。けれど周りの炎と彼女のマナは同一のものでした。紛れも無く彼女のもの。だからこそ、信じられませんでした。


「テンジョウ・・・、うち、うちな・・・・・・。」


 彼女は震えた声で、掠れ混じりの乾いた感情を押し殺して僕に告げました。


「化け物になってしもうた・・・。」


 そう、彼女は堕とされたのです。半妖という忌み嫌われた存在として・・・。それは狐火のように面妖で、分厚い熱波が静かに押し寄せてきているようだった。

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