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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 失踪映画館編

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75/79

75七百年前の少女までおまかせを

 これは今から遡ること、およそ七百年前に起きた出来事。そうですね、どうせならここから・・・。話すならば私と彼女が出会った時期からの方が良いでしょう。その方が時系列的にも整理しやすいでしょうしね。先程も申し上げた通り、私が彼女と出会った時代はまだ人間たちが刀を振り回しながら、領土を取り合っていた頃です。今思えば、こんな小さな島国なのにと思うかも知れませんが、いつの時代も皆必死だったのですね。そこはとある町、歴史からも消えてしまった飛川(トビカワ)と呼ばれる町です。その町はまぁ極度に貧困でもなければ裕福だった訳でもありません。実に平凡で活気はそれなりでした。唯一の救いは土が良かったので、農作物は程よく育ってくれてました。なので、その頃の私たち化け狸はあやかっていた訳です。そう、ご想像の通り簡単に決められた場所に美味しい食べ物が実ってくれるなら、と云う話です。私たちの食料にもなっていたので、人間たちにバレないように身を隠しながら食べていたのです。そんな時でした。えぇ、彼女との出会いは最悪な状況です。


「おっかぁ!たぬき!たぬきが捕まっとる!」


 私は人間たちが仕掛けていた“くくり罠”に引っ掛かったのですよ。いやぁ、あれは迂闊でした。夢中に野菜を食べていたら、まさかこうなるとは。ほら、見た事があるでしょう?輪を踏んでしまうとクイっと締まるアレです。うっかり踏んでしまった私は縄に引っ掛けられてしまったのです。それで先ほどから喚き散らしている少女こそがそう。今でこそ訛りは酷いように聞こえますが、この時代背景で考えれば割と標準寄りなのです。少女の髪は黒髪のおかっぱ。服装は多少継ぎ接ぎはありますが、まぁこの程度は普通ですよ。あぁ、言い忘れておりました。私の目の前で指を差している彼女こそ、人間だった頃のコマチさんです。びっくりしたでしょう?性格も元気溌剌というか、感情がそのまま表情に出ている雰囲気なんて今と全然違うでしょ?この時の彼女の年齢は恐らく十歳ぐらいでしょうか。恐らく家族が耕している畑の手伝いをしていたのでしょうね。まさに最近、畑泥棒なる食物を荒らす輩が居るからという事で罠を仕掛けたのでしょう。皆まで言わないでください、いずれも恥ずかしながら私です。


「かー、狸かい。狸ならえぇ、はよ逃したりなさい。」


 するとすぐ傍らまで寄ってきたのはコマチさんの母親です。母は怪訝そうに私を睨みつけてました。まるで埃を払うように手を振ると、かなり煙たがっている様子でしたのは良く覚えてます。


「えぇー、良ぇんか?久々の肉なんにー。」


 彼女は涎を垂らしながら、頬に人差し指を当てて母に聞いてました。本当にこの時まで私はこの者たちに食われてしまうんだろう、あぁここでお終いなんだ、なんて思ってましたよ。だってこんなマジマジとした顔で本気で聞いているんですから、いつ食われてもおかしくないのは当然でしょう?そうしたら彼女の母親は再び怪訝な表情で顔を横に振りました。


「えぇえぇ、狸なんか小便臭くてとても食えたもんじゃない!それに狸なんて不吉じゃ!ほれ、罠外して逃したれ。」


 どうやらこの時代の風習では、狸は災いの前触れとかがあるみたいで忌み嫌われていたんですよ。狸が現れたら天候が崩れたり、病が蔓延するなど本気でそう思われていたんです。まぁ私も化け狸ですから、やろうと思えば似たようなマヤカシは見せることは出来ますけどね。何にしてもその迷信のおかげで命拾いしました。


「だってよー。お前、狸で良かったなー。」


 彼女はそう言いながら私の後ろ足に掛かった縄を解いてくれました。まぁその時の私の持ち方は、気遣い不要のもう片方の後ろを掴みながらやってましたから、頭に血が昇りそうでしたけど。


しゅる


 彼女はパンッと手を二度叩くと、草むらの向こうへ行くように合図してくれました。


「ほれ、はよ行きや!じゃないと、誰かに喰われてまうでー!」


 いやはや、子供とはいえ実に恐ろしい事を。本当に彼女の言葉には冷や汗が止まりませんでしたね。私は草むらへ飛び込み、数歩進んだところで影でマヤカシを作り、奥へ逃げ去っていくように見せました。少し気になったんですよね、あの時は。この人間に何故か興味を持ってしまったのですよ。だから彼女たちの会話が聞こえるギリギリの距離にある茂みに隠れながら、少し会話を聞いてみる事にしたんです。


「コマチ、父ちゃんの畑、手伝ったってやー。」


「えーー!またー?うち、腹減ったーー。」


「贅沢言うんでね!戦が終わるまで、我慢せぇやコマチ。」


 そんなダダを捏ねながら、彼女は地べたにペタンと座り込みました。戦は日常茶飯事の時代です。どことどこの領土の取り合いなど、理由は様々ですが大変な時代だったんですよ。畑で育てた殆どの野菜や穀物は兵糧として使われてしまいます。なので食材が一般人に渡るのは最低限な訳ですね。


「うち、米食いたいー。」


 そんな彼女のダダの捏ねようといったら、子供そのものでした。お腹を何度も摩りながら懇願してました。けれど彼女の母親は頑としてスタンスを変える気はありません。彼女の顔を見るまでもなく、せっせと作業に入ろうとしてました。


「アホ抜かせ!米なんてそないな高級もんは、特別な日だけじゃ!粟飯があるだけ、有り難いと思いや!」


「また粟飯ー?うち、それもう飽きたー。ゴワゴワしてぼっそぼそして嫌いや!米粥がえぇーーえ!」


 彼女は苦虫を噛んだような顔色で嘆いていました。この時代の主食は粟飯。麦でも祝いの日くらいです。昨今で主食となる白米に至ってはそうそう彼女らのような身分では早々口に出来る物ではありません。彼女は一度口にした事があるのですね、きっと。そんな彼女は尚も我儘を押し切ってダダを捏ねていました。


「飯抜きにするで⁉︎」


 キッと母親が刃物を飛ばすような圧を加えると、それに驚いたのかコマチさんは脊髄反射のようにピンと立ち上がりました。


「ほな、行ってくるでおっかぁ!」


 何かの危険を察知したのか、そのまま母親から離れようと風のように走って行きました。あぁ、この子は良く母親に怒られているからこその行動なんでしょう。まさに良く見る光景、良く見る子供です。けれど、何か不思議な感じがしたのです。それは理屈ではなく、本能的にといえば良いのでしょうか。何か運命的な何かを感じるという余りにもスピリチュアルな直感があったのですよ。


「ん?んー?」


「あ・・・ッ。」


 ついボーッとしていた私は唖然としました。彼女は徐に草むらを掻き分けて、私を見つけ出したのです。子供の感性というのは凄いですね、恐ろしい感の鋭さです。これでもちゃんと気配を消していたんですよ。なのに彼女は真っ先に私をピンポイントで見つけたのです。あまりの突然さに私は、心臓が飛び跳ねるようでした。危うく気絶してしまう程のね。ほら、狸って本能的に結構ビビリなんですよ、ははは。


「お前、まだおったんー?」


「だって、お礼、まだ言ってなかった、から・・・。」


 いや、今思えばこれも迂闊でした。私はただの狸ではなく妖怪。当然、言葉を持って話せます。何故か咄嗟に声が出てしまったんですね。この時は盗み聞きしていたのをどうカバーしようかと必死でした。それで咄嗟に出たのが彼女へのお礼でした。事実、助けてもらったのは変わりないですからね。まぁ、今思えばあのくくり縄を仕掛けたのは彼女らですけど。僕が言葉を口にして、数秒の静止が訪れました。当然です。だって狸が話したんですもん。時計の針が止まったように彼女は暫く硬直してました。そして、我に返った頃にはわなわなと身体を震わせると。


「お・・・お、お・・・、お・・・!おっかぁッ‼︎た、狸が・・・、狸が喋りおったぁーーーーーッ‼︎」


 まるで山火事でも目撃したかのように彼女は大声で叫びました。いやぁこれは焦りました。どうやって彼女を落ち着かせようかヒヤヒヤものです。私もどう説得するか必死で前足をわしゃわしゃと踠いている仕末でした。


「あ、ああ、大声出さないで!大丈夫、多分この声、君にしか聞こえないと、思うから‼︎」


「そ、そうなん・・・?」


 実際は嘘ですけどね。ぶっちゃけ誰にでも聞き取れます。こうした方が特別感があるかなと思った次第です。案の定、彼女はそう聞くとケロッと表情を変えて、ポカンとその場で立ち尽くしていました。


「さっきは、助けてくれてありがとう。」


 一応、こう言っておこうと思ったのです。本当はこの人たちが仕掛けた罠ですけどね・・・。経緯はどうあれ、助けてもらったのは事実です。私は深く頭を下げました。でも彼女、その時なんて言ったと思います?


「ううん、別にえぇで。・・・うちは食いたかったけど。ほんま良かったな、お前、狸で。」


「え、えぇ・・・。」


 彼女に悪意は無いと思うんですけどね、童心宛らの純粋な思いでそう返してきたんですよ。涎を垂らしながらね。相当、お腹が空いていたんでしょうか。私は本気で背筋の冷や汗が止まりませんでした。あの母親に止められなかったら、真っ先に私を縛って今夜のメインディッシュになっていた事でしょう。時代背景上、肉は禁止されてましたけど実際は隠れながら猪とか兎を食べていたみたいですよ。今晩のメインを逃した為か、時折彼女は鼻を抑えながら苦い顔をしていました。最初は何かの癖かなと思いましたけど。どうやら違うみたいです。何故なら彼女と私とでは絶妙な距離感だったのです。ギリギリ手が届かない距離くらいのね。その時、私はハッと気付きました。


「あの、・・・僕、そんなに臭い?」


「うーーーん・・・・・・、ちっと。」


 彼女は暫く唸るように考え込むと、実に申し訳無さそうにそう口にしました。


「凄く正直だね、君は。」


 子供って本当に正直ですよね。けれど当然です、いつの時代も獣の匂いを好むものなど中々居ませんからね。ましてや家畜や愛玩とは違う、山育ちの野生の化け狸なんですから。独特な獣臭に忌み嫌われても無理はないです。


「当ったり前じゃ!本当の事、言わんまま隠す方が、よっぽど人生損じゃ!」


「そ、そうかもね・・・。」


 彼女は腕を組みながら、恐れ慄く事無く堂々と空にも届くような勇ましさで告げました。確かにそれもそうですね。言いたい事、思った事を裏表話せた方が何よりも気が楽でしょう。変に気を遣うといったストレスも無いですからね。この少女は本当にコロコロと表情を変える子でした。ふと何かに気付いたのか、今度は頭を傾げ再び唸りを上げるように考え込んでました。私がどうしたのかと尋ねると、彼女はキョトンとした顔でこう返しました。


「お前、名前なんて言うん?」


 あぁ、そういえばまだ名乗っていなかったよなって私も我に返りました。でもこの時の私、あんまりこの流れ好きじゃなかったんですよ。ちょっとしたトラウマという奴です。


「テンジョウ・・・。」


 私は片耳に手を添えてギリギリ聞こえる程度の声で呟きました。目線を合わせるのも嫌なくらいね。私は自分の名前が嫌いでした。テンジョウなぞ偉そうな名前だと良く馬鹿にされたものでした。臆病で優柔不断で、いつもおどおどしてハッキリしない性格では完全に名前負けだったんですよ。だからこの名前だけで虐められていたんですよね。きっと私の名前を聞いた彼女も、他の者と同じく馬鹿にする。そう思っていました。けれど・・・。


「なんかお天道様みたいな名やな!化け狸のくせに、良ぇ名前じゃ!」


 彼女はにんまりと、向日葵のような笑顔を明るく私に見せつけてきたのですよ。私は唖然としました。いつも名前を聞いた瞬間に指を差され、馬鹿にされ、虐めの対象にされていたのに。彼女は私の名前を褒めてくれました。恐らく今に至るまで名前を褒めてくれたのは彼女だけです。だからこそ、彼女のリアクションには受け入れるのに時間が掛かりました。こんな事を言われたのは初めてでしたからね。私は戸惑いを隠し切れませんでした。


「僕の、名前・・・、変だって思わないの?」


「思うかい阿呆!親が付けてくれた名前じゃろ?名前があるだけ誇りじゃろ!」


「うん・・・、ありがとう。」


 なんだか子供ながらに彼女の言葉にハッとしましたよ。後ろめたさに頭が上がらなかった自分が馬鹿みたいでした。彼女は笑いながら手を差し伸べていました。この時の顔は、とても印象的でした。満月に咲く桜よりも美しく、野原一面に咲く向日葵よりも雄々しく、木漏れ日に輝く清流よりも繊細で。彼女は笑って私にそう言ってくれたのです。私は思わず感謝が溢れました。反射的に出たんでしょうね。誰にもこんな事言われて来なかったもんですから、ただただ驚くばかりでした。でも驚きはこれだけじゃありませんでした。その後、間髪入れずに彼女、なんて言ったと思います?


「お前、また遊びに来い。うちらはもう友達じゃ。そうじゃろ?」


 最初は何を言っているんだこの人は、と思いましたよ。彼女は人間、私は妖怪です。今よりもずっと身近だったとはいえ、自然と忌み嫌っていた間柄です。


「友達・・・?けど、僕は(あやかし)だから・・・。」


「え・・・?妖なん⁉︎」


「え⁉︎なんだと思ったの⁉︎」


「喋る化け狸だと・・・。」


「えぇ・・・。」


 どうやら彼女、私が妖だという事すらちゃんとわかってなかったみたいです。また少し唸るように考えてましたが、子供ながらの大きめな溜め息を吐くと何かを決意したようでした。腰に両手を添え、ジャリっと音を弾ませながら彼女は堂々と足を広げました。


「まぁ、良ぇじゃろ。女にも二言無しじゃ!それに、うちの勘は良く当たるんやで。」


「どんな勘?」


「お前とは、腐れ縁になれる気がしての!女の勘といったヤツじゃ!」


 本当に不思議な子です。私の事を妖怪と知って、尚私と仲良くなろうと言うんですから。なんだかんだ今もこうして交流があるんですから、彼女の言っていた女の勘とは馬鹿に出来ないもんですね。


「じゃ、じゃあ、またコマチに会いに来て良いの?」


「ん?なんでうちの名前、知ってるん?」


 すると彼女は不思議そうにまた首を傾げました。そうか、私は名乗っていたけれど、彼女から直接名乗りはまだでしたからね。そう思われるのも当然です。私は彼女たちの会話を盗み聞きしていた訳ですから、彼女の名前は直前に知っていただけですからね。


「だって、君の母上がそう言ってたじゃない。」


「あ、そっか!うちは、コマチじゃ。この飛川の、コマチじゃ!」


「コマチ・・・、うん、もう覚えた!」


 少しずらした返答で行きましたが、まぁ結果オーライというヤツです。彼女はにっこりと笑いながら改めて名乗ってくれました。飛川のコマチと。その時、私たちの間を抜けていった風の強さは良く覚えています。程良い風でした、柳を揺らす程度の心地良い風。ふわりと舞った彼女の髪が揺れ、キラキラと輝く彼女の瞳がとても美しく見えてしまいました。もしかしたら、これを一目惚れと言うのかも知れませんね。そう考えれば、私の初恋はこの時からで今も続いている。そう捉えても良いかも知れませんね。あ、ちょっと気持ち悪いなって顔をしましたよね?まぁ、良いですけど。現にこの時の私は、時間に置いてけぼりにでもされたかのようにポツンと止まったままでしたから。この時、何を考えていたかとか具体的な事は覚えてませんけど、これだけはハッキリ覚えてます。凄く嬉しい気持ちで一杯だったのだと。


「それよりも・・・、お前その格好だと、また誰かに捕まってまうで?なんとか出来んの?」


 今度は腕を組みながら、まじまじと私を見つめていました。眉を吊り上がらせ、どこか不服そうに。急接近された彼女の顔に、私は心臓を強く打ちました。そうそう、狸って小心者なんですよ。こんな事されたんじゃ、普通の狸なら死んだふりか失神しているところです。確かに、このままでは不味いですね。野生の狸がポンっと人里に降りてきて、少女と遊んでいるところを目撃されたらと思うとね。それを見た人間たちにお互い何をされるかわかったもんじゃありません。そこで私は考えました。


「えっと・・・、じゃあ・・・!」


ぼんッ


 私は人の子に化けました。と言ってもまだまだ三流も良いところ。背丈は人間の子供。耳に掛かるくらいの髪の長さ、コマチさんに寄せた服装までは良かったんですけどね。まだ尻尾を隠す事は中々出来ませんでしたし、目のクマも落とし切れてません。あぁ、葉っぱですか?意外とあなたも古典的なのですね。葉っぱなんて使わなくても変化(へんげ)は出来ますよ。あれは所謂、雰囲気です。こうした方がカッコいいという理由で広まっただけですから。


「おぉーーーーーー‼︎人間じゃ!(わっぱ)じゃ!童に化けよった、はっはっはーーーーーッ‼︎」


 彼女は飛び跳ねるように驚きました。間近で狸の変化を見た訳ですから、驚きが隠せなかったのでしょう。それでもその時の私に、変化の自信はあまり有りませんでした。私のところで、一番変化を使うのが下手でしたからね。コツを掴み切れていなかったのもあって、三流だとよく同期には馬鹿にされたものですよ。私はオドオドしながら、慣れない人の手で人差し指同士をツンツンしながら聞きました。


「ど、どうかな・・・?」


「狸の尻尾は出とるが、まぁ良いじゃろ!お前、本当に凄いな!凄く面白いぞ!」


 彼女はバンっと私の背中を叩くと笑ってそう言ってくれました。これがコマチさんとの出会いの始まりです。それからは事ある事に、良く彼女と遊んだものです。


・・・。


「テンジョウーーーー! 喇蛄(シャコ)取りして、相撲しよーーーーーッ‼︎」


 ある日は小川に入って遊んだりもしていました。ちなみにここで言う喇蛄とは、あのシャコじゃないです。この時代の喇蛄とは、ニホンザリガニの事を指します。えぇ、今ではめっきり見なくなった絶滅危惧種ですよ。先に言いますが私はこの手のものが大の苦手でした。山育ちなのに思われるかも知れませんがね。あのひっくり返した時の足の具合が駄目なんですよね。彼女はそんな私を無理やり誘った訳ですよ。私も大した反論が出来ず、いやいや小川に入った訳ですけどね。


「えぇ・・・、気持ち悪いよー、脚多いし、挟まれたら痛そうだよー。」


「怖くない、怖くない!ほれ、こうやって後ろからハサミの根元をなー・・・、ほいッ!」


 この頃の時代は、本当に川が綺麗だったんですよ。ザリガニや蛍も珍しくないくらいね。なので小川に指や小枝を入れれば簡単に獲れてしまうくらい溢れていたのです。けれど、彼女は小川に居るザリガニを素手で捕まえて見せたのです。バシャっと弾ける水音に、陽で乱反射する水飛沫。でも彼女の手には、わしゃわしゃと動くザリガニが踠いていました。


「わーーッ!すっごい!いや・・・、やっぱ気持ち悪いよ・・・!わしゃわしゃしとるし。」


 最初こそ、捕まえた事に感動は覚えましたけど、薄れるのは早いもんです。

現実、まだ必死に踠くザリガニを顔に向けられたんじゃ、ドン引きするのも無理はないでしょう?

怪訝そうに顔を歪めるのも当然です。だって苦手なんですから。すると彼女は、とんでも無い事を提案してきました。


「はっはっはー!こいつはもう、うちの(しもべ)じゃ!ほれ、テンジョウもやってみぃー!」


 大体の話の流れでそうなるなとは思ってましたけどね。今度は自分に促してくるだろうと。私は覚悟を決めました。これならまだ蜘蛛の巣に突っ込んだ方が遥かにマシです。直に素手で掴もうと言う訳ですから。


「~~~ッ!でぃッ!」


 決死の思いで私は川に手を突っ込みました。けど健闘は虚しく、私の捉えようとする手をするりと抜けザリガニは逃げました。


「わ、わ、わ、あぁあああああああ~‼︎」


 そんなに急な流れの川ではなかった筈なのですが、私は小川の泥濘みに足を滑らせてしまいました。そのままあれよあれよとお尻から川の中で転んでしまい、全身はびしゃびしゃ。頭の上にはさっき捕まえようとしたザリガニが乗っかっていました。


「あっはっははー!なんじゃ、その屁っ放り腰はー⁉︎ほんと、面白いのーお前は!」


「あはは・・・。」


 彼女は腹を抱えながら大笑いしていましたよ。私の気なんてこれっぽっちも咎めずに。けれど、なんでか私も彼女に釣られて笑っていました。嫌いなザリガニが頭に乗った事すら気にならなくなるくらい。踊るように跳ね回る水飛沫のせいかも知れませんね。


・・・。



「ねぇ、コマチ・・・。こんなに獲ったら、怒られちゃうよー・・・。」


 そのまたある日の事。これは炎天下の続く夏の頃でしょうか。私とコマチさんは、良くイタズラをしたものです。とまぁ、正確には彼女に引っ張られて連れ回されていたの方が正しいかも知れませんが。コマチさんの家から数軒離れたところには茄子や胡瓜が大きく実る畑がありました。確かにあの時私はお腹が空き、喉も乾いたとは言いましたけど。まさか、勝手に人の畑に入るとは思いもしませんでした。無論、彼女はこの畑の所有者に許可など取ってません。無断で茄子を口一杯に頬張りながら、せっせと収穫してるのです。それもこれでもかと言うくらい次々と服の中に茄子を押し込んで。入り切らなくなったら、今度は私に持たせて・・・。茄子の一本くらいならと思っていた私が浅はかでした。彼女は出し惜しみなく、次から次へと茄子を獲っていきます。流石に不安になってきた私は、彼女を止めようと声をかけた訳ですね。彼女は頬張った茄子を飲み込むと。


「構へん!こんなぎょうさんあるんじゃ、残す方が罰当たりなんじゃ!」


 そう彼女は真面目な顔で反論してきたのです。それは時と場合によるし、多分これは今じゃない。冷や汗が滲む頬は間違いではなく、その圧倒的なプレッシャーに私は言葉を失いました。多分、私が何を言っても彼女が満足する量まで獲り続けるのだろう。そう思っていた矢先でした。


「こりゃーーーーーーッ!童ども、またお前らかーーーー‼︎」


 突然の怒号。全身の身の毛が反り立つんじゃないかと言うくらい私たちは驚きました。心臓は一打跳ね上がり、ボトボトと獲った茄子が手から離れていきました。その声の主は何度も聞いた事のある方でした。彼のセリフで何となく察した事でしょう。私たちがこの畑を食い荒らしていたのは、一度や二度じゃありません。所謂常習犯というやつです。恐る恐る振り返ると、そこには畑の主が居ました。その形相はまるで仁王像のように怒りに身を任せていました。憤怒を抑え込むように腕を組み、今にも額の血管がはち切れそうな表情を私たちに向けていたのです。


「やっべ、テンジョウ!ズラかるぞぉーーーーーッ‼︎」


 するとあろう事か彼女は誰よりも一足早く、ボトボトと茄子を落としながら走り去って行ったのです。


「え?え?えーーーーーー⁉︎」


 私も捕まるのは嫌だったので、彼女にロープでも引っ張られているかのように全力で走りました。両手に持つ沢山の茄子をこさえながらね。いっそ食べる分だけ持って逃げれば良かったものの。ここまできたら、と思ったのか私も彼女に倣うようにボトボトと茄子を落としながら逃げたのです。


「待たんかい、童ども!うちの茄子ばっか貪り食いおって!今日という今日は許さんぞぉオオオオオオオオオ‼︎」


 畑の主も必死でした。両手で(くわ)を構えると、ブンブン振り回しながら追いかけてきたのです。そりゃあそうです。汗水垂らして丹精込めて育てた茄子を盗み食いされているのですから。それも一度ならず何度も何度も。ご主人が怒るのも無理はないです。慈悲を欠いた仁王に待ったはありません。野生の勘が働いたのか、今ここで捕まれば確実に今晩のおかずにされてしまうと思ったのでしょう。私は情けない事に泣きじゃくりながら必死に腕を振り、全力で逃げました。


「ひぃいいいいいいいいいいいい~~ッ‼︎」


「阿呆が!ここで立ち止まる阿呆がどこにおるじゃ!」


 あろう事か彼女は更に挑発をぶん投げていました。彼女は驚きこそはありましたが、恐れ知らずでした。まさに火に油を注ぐ事に関しては天下一品です。惚れ惚れするくらい私は、ドン引きでしたけどね。さて、この小話のオチですが・・・。


「次やったら、百叩きじゃからな!覚悟せい!」


「ごべんばばい・・・。」


 私たちはそのご主人にボッコボコに張り手を浴びせられ、真っ赤に膨れ上がった頬を浮かべながら正座してました。口の中は血の味はするし、最悪でしたよ。ご主人もめちゃくちゃ怖かったですしね。数ある歴史の中で、私にとっては間違いなくこのご主人が怖い人ランキングの五本指に入る存在でしょう。隣からグスっと涙を堪えながら鼻を啜る音が聞こえてました。半べそになっていた彼女はグッと堪えてました。まるでこんな奴に泣かされてたまるかと謝りはしたけど、子供ながらの抵抗をしていたのです。本当に懲りないですよね、この人は。


「ほれ・・・。」


 するとご主人はどういう訳か、私たちに大量の茄子を手渡してきたんです。私は何が何だかという困惑した思いが霧のように立ち込め、意味がわかりませんでした。


「え・・・、こ、これは?」


「わしが怒ったのは、お前らが勝手にわしの茄子を食ったからじゃ!じゃから、次からちゃんとわしに言えい。」


 ご主人は鼻を手で擦りながら、笑っていました。さっきまでの仁王像のような形相とは一転した顔でした。


「お前ら、わしの茄子が美味かったんじゃろ?道理は関心せんが、美味そうに食ってくれたんは本望じゃ。せやから、また食べたくなったら今度はわしに声かけるんやで?そしたら、ぎょうさん用意したる!」


 捕まって叱られて殴られて、最後の最後で彼は笑って許してくれました。それどころか、茄子を食べさせてくれるという何と寛容のあるご主人ではないかと。私は子供ながらに感動しましたね。これは流石に頭が上がりませんでした。非礼を詫びるだけでは足りない、何とお礼をすれば良いかと。そう考えが過ぎるばかりでした。けれどそんな中、彼女だけは違いました。


「当たり前じゃ!そん時は、いっっちばん美味いもん用意したれよ!」


 まだ痛みが走っているのか、片目に涙を浮かべながら彼女はそう凄んだのです。良くもまぁ、この状況でそんなこと言えるなぁって思いましたよ。流石の私もドン引きです。傲慢、遠慮無し。彼女の減らず口もこの時から完成されていたのかも知れませんね・・・。


「阿呆がッ!どの口が言うかこの童め!」


 そして当然の制裁です。彼女の脳天に特大級のゲンコツが飛んでいきました。ゴツ・・・ンンっと重低音が鳴り響き、圧倒的な力で彼女を捩じ伏せたのです。彼女は苦痛を唸るように抑え込みながら、頭を必死に摩ってました。


「うにぃ~~・・・。オヤジこの、この痛み忘れんからなぁーッ!」


「いや、今のはコマチが悪いよ・・・。ちゃんと謝ろ・・・。はい。」


 私はこれ以上の争いが見てはいられなかったので無理やり彼女の頭を掴み、ぐいっとその頭を下げさせました。ほっといたら彼女、気絶するまで抵抗し続けてしまうくらいの暴れ馬だったからです。歳なんて関係ありません。気に食わないものには何でも噛み付いてくる元気な童でした。けれど、今回の場合ご主人の方が正しい。私の言葉にハッとしたのか、彼女も漸く我に返った模様です。


「・・・ご、ごめんんさい。」


 それでもちょっと悔しさは滲み出ていましたが、今度はちゃんと自分の口から謝っていました。


「はっはっはっはーーーッ!気の強い女は良ぇぞ!まだ童じゃが、良ぇ女になると良ぇなぁ!」


 そう言いながらご主人は去っていきました。きっとこんな大人がいるからこそ、真っ直ぐな清い心が引き継がれるのでしょう。人とは短く哀れながらに、本当に美しいものだと思いましたね。ハンカチ要ります?あぁ、大丈夫ですか。彼が去ると直ぐ様、コマチさんは正座をやめ、代わりに胡座を掻いてました。


「なぁ、テンジョウ・・・。」


「うん?」


 振り向くと彼女は夕焼けになろうとする空を見つめていました。でも、空を見ているって感じではなかったですね。もっと先の事。目には見えない何かを見ているって感じでした。


「明日は、何をしようかの?」


 まだ真っ赤に膨れ上がった頬を浮かべながら、彼女は笑ってそう訊いてきました。全くこの頃のコマチさんはどうしようもなく、面白い方です。あなたもそう思いませんか?





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