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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 失踪映画館編

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74/79

74旧友の軌跡までおまかせを

 そこは深海のように暗く、どこまでも海底の闇に吸い込まれてしまいそうな黒に染まる。湿度は高く、息苦しい。肌をざわつかせる寒気、更に追い打ちをかけるように何かのぬめりが覆い尽くす。やがてそれは不安という得体の知れないものに支配されようとしていた。チップたちはそこに居た。


(こ・・・、ここはどこだ・・・?何も見えねぇ・・・。)


 チップはどれだけ目を大きく見開いても、視界に映り込むのは暗闇。まるで、カメラレンズに黒のインクを垂らしたかのように、何も見えない状態だった。


(あれ・・・。手も動かねぇし、足も・・・。)


 どれだけ力を込めても、手足はコンクリートで固められたように動かなかった。この時、漸くチップは気付いた。自分は何者かに囚われてしまったのだと。手足は封じられ、何かで目を覆われてしまい、そして・・・。


「ふぼぼッ⁉︎」


(ってなんだこりゃ・・・。口の中になんか管みたいなもん押し込まれて、喋れねぇ・・・。)


 チップの口を無理やり広げ、そこには握り拳程の太さを持つ管のような触手が通されていた。触手は不定期にグニグニと脈を打つように波打ち、幼女の言葉を封じていた。この程度のものなら、噛み砕けば・・・。チップは最初こそ、そう思っていた。だがその現実は早くも打ち砕かれる。不思議と顎に力が入らなかったのだ。顎だけではない。指の先から口元まで全ての筋肉が封じられている事に幼女は気付いた。思った以上に、力が入らない。本来あるべき自分の力が思うようにコントロール出来ないでいた。いやそもそも、その根源たるマナが著しく弱い。それはとある既視感もあった。以前に飛川コマチが放った技、“壊”。チップに置かれた状況は、この技と酷似していた。あの時トリビュートだった頃、コマチに鎖で縛られ、“ギフト”たちの力の根源であるマナを吸われている状況。コマチの“壊”同様、振り解く事は出来ず、本来の力を引き出せず、身動きが全く取れないでいた。


「ふ・・・、ふぐ・・・。」


 唯一捉えられるのは周りの音だけ。チップの近くにも誰かが捕えられているようだった。息を切らしたような弱々しい少女の声。それはチップも聞き覚えのある声でもあった。数秒を置いて、幼女は気付く。捕えられたのは自分だけではない。あの時、一緒に行動していたシウンやソーアもここに居るのだと悟った。同時に恐らく最悪に近い状況下において、不安が滲み寄るように加速する。


(近くに居るのは、シウンか・・・?あいつの声が聞こえた気がするけど、何も見えねぇ・・・。)


 視覚が塞がれている以上、声しか分からないがチップは直感で近くに居るのがシウンだと分かった。

微弱ながらシウンの持つマナの波と一致する。どうやら彼女も手足を拘束され、目を隠され、口も塞がれている様子だった。


「フゴッ!フゴゴゴーッ‼︎」


 すると、直ぐ近くで誰か暴れている声が聞こえてきた。今度は少年のような声。やはり口を塞がれているのか、満足に言葉を発する事が出来ないでいた。その者の鼻息は荒く、怒りに溢れていた。


(んで、その近くに居るのはソーアか・・・。あいつらも喋れねぇ状態か・・・。ここ、マジでどこだ?)


 その声の主はソーアで間違いないとチップは思った。シウンより体力がある彼は、まだマナの余力があるようだった。かろうじて彼らは互いの持つマナに勘付き、三人がここに居る事を理解していた。だが、身動きは全く取れない。ここがどこなのかすらも分からないまま、ただ悪戯に時間だけが過ぎていく。しかし、何の為に自分たちを捕えたのか。見えない恐怖が爪を立てながら頬の輪郭をなぞるように、じわりと凍えさせようとしていた。そして、その答えは数秒を持つ事無く訪れる。


「ん、ンンーーーーッ⁉︎」


 突然、シウンの悲鳴が響き渡る。苦しむような声。まるで電流を浴びるような拷問を受けているような声だった。


「フブッ⁉︎」


(何だ?シウンの悲鳴か?くっそ、さっきから全然力が入らねぇし、コンクリートに押し込まれたみてぇだ。

動けっ・・・くそ、くそ・・・ッ!んだぁあああああ~~~・・・ッ!)


 チップは身体をがむしゃらに動かそうとするが、自分の体というのにビクとも動こうとはしなかった。コンクリートに身体を埋め込まれてガッシリと固定されてしまい、指先一つ動く事も許されない。想像以上に動かない自分の身体に、チップはもどかしさから焦りを滲ませていた。せめて声を発する事が出来れば、もしくはせめて視界があればとチップは悲願した。だがいずれも踏み付けられるように叶わない。殆どの自由を奪われた三人はただただ、この得体の知れない空間に監禁状態となっていた。


(まともに喋れねぇんじゃ、こいつらとのコンタクトも・・・、てか待てよ。あいつらのマナ、どうなってんだ・・・?蝋燭の火みてぇに全然弱っちくなってんじゃねぇか・・・!くそ、おい・・・、これ外せよ、おいッ‼︎)


 残された力で抵抗するも虚しかった。チップは力を振り絞り踠き続けるが、やはりビクともしない。声を荒げようにも口が塞がれている以上、言葉にもならない。チップは悟った、これは絶体絶命なのではないだろうかと。すると、口を塞いでいた管のようなものが突然蠢き出した。


グニョ・・・オン


 視界を塞がれているというのに暗闇の向こう側から、怪しげな光が照らされる。粘り強い液体が口の中で掻き乱すように動き回った。その動きにリンクするように管は上下に粘液を放出し続ける。


「ふ・・・、ブブ、ブホッ・・・、ゴボ・・・。ん?ンンーーーーーーーーッ⁉︎」


 一頻り口の中で動き回ったと思えば、今度は身体中の力を吸い上げるような感覚に陥る。少しずつ意識が遠のき、踠き抵抗しようとする力すらも吸い上げていく。


(な・・・んだ、これ・・・。力が、マナが・・・吸われて、いる・・・だと?)


 それは生き物というよりは、機械的な動作だった。無理やり口に咥えられた管から粘液を出し、マナを吸い上げる。吸い上げようとする対象の体力などお構いなしだ。一定数それを繰り返すと、時計の針が止まったようにピタリと止まり出す。ただし、その吸い出す量は非常に少ない。身体に掛かる負荷こそは大きいものの、肝心のマナを吸い出すものは食塩を一摘みするほどの量。


「フーーー、フーーー・・・。」


 チップは呼吸を整えるのにも必死だった。普段であれば自分の身体に縛られた拘束を解き、すぐに脱出していた事だろう。だがこの拘束具は一切の抵抗を許さない。チップは悟った。これはただマナを吸い出すだけのものではない。これは精神面と体力面も同時に削ぐものだと悟った。この吸い出すマナの量も、わざと少なくしている。そうする事で対象者の体力を奪い、抵抗を与えずにマナを吸い出し続ける。マナとは永久機関ではない。マナとはどれもが平等の数で割り振られたものではない為、その者の潜在的な能力に直結し、総体量が決められているのだ。それらを一度に多く吸い上げてしまえば、再び当人のマナが吸い出せる量になるまで時間が掛かる。まるで少しずつ注がれるコップの水を待つように、フチまで貯まるのを待っている。だからこそ、この拘束具は少しずつ滲み寄るように僅かな数だけじわりじわりと吸い上げているのだ。


(畜生・・・、成程な。そりゃ通りで、力もまともに出せねぇ訳だ・・・。って事はここは、なんかの腹の中か苗床か・・・?)


「ンンーーーーーッッ⁉︎」


 今度はソーアの苦痛とも捉えられる悲鳴が聞こえてきた。彼も同じく口を塞がれている為、出口を失った音が籠る。この拘束具は一斉に対象を吸い上げる訳ではなく、ここも敢えて規則的なローテーションを組み、順番に吸い上げている。後に気付かされたのは、これも精神面を削る為でもあったのだとチップは知った。自分の番以外は他の者の悲鳴が聞こえてくる。そうする事でいつ自分の番が来るのかという恐怖を植え付ける。聴覚だけを残しているのは、この為だ。


(こいつ、定期的に俺らのエネルギーを吸い続けているのか。ははは、こりゃやべーかもな・・・。)


 チップはゾクリと軋む程の焦りを感じていた。こう雁字搦めにされては、まさに手も足も出ない。状況は絶望に限りなく近い。恐らくは長い時間を掛けて、対象が完全に乾涸びるまでこの拷問を繰り返すつもりなのだろう。いや、これは拷問と言うよりは機械のように“強制的に養分を接種する為の家畜化”のようなものの方が遥かに近い。


グリュんん


『ンンーーーーッ‼︎』


 再びチップの口に入れられた管が動き出し、上下に激しく動き始める。口の中に粘液が強制的に入り込むと、管がぐるぐるとお構いなしに暴れ回った。ドクンっと心臓の鼓動が鳴り出すと同時に、再びチップのマナを吸い出し始める。身体に電流を流し込まれるような痛みと痺れ。強制的に血液を吸い出される感覚。徐々にチップの体力は消耗していく。意識が遠のいていき、幼女の抵抗する力はもう残されていなかった。


(くそ、マジで手も足も出ねぇじゃねぇか・・・、他にも誰か居るみたいだけど、誰かを構う余裕なんてねぇーぞ・・・。イサム・・・・・・、今回ばかりは、マジでやばい・・・。)


 マナを吸い出す量よりも痛みや苦しみの方がずっと上だった。今は呼吸をするだけでも精一杯なのである。あちこちで定期的に悲鳴が飛んでいる。それも何十人単位だろう。敵の狙いは何なのか、何の為にこんな事をするのか。自分がされている状況はわかっても、これだけの数を集めてマナを吸い上げる狙いは何なのか。全てが謎である。チップの近くに居るのは、ソーアとシウンなのだと辛うじて把握出来ているが、依然として状況は最悪だった。


(もし、届くんなら・・・、助けてくれ・・・・・ッ‼︎)


 それは今にも消えそうな程、か細い蝋燭に灯された火のように、悲痛の叫びでもあった。だが幼女の悲願はまだ垂の耳に届く事は無く、定期的に機械的に訪れる摂取を強制的に行われる時間だけが過ぎていく。せめて、この手を伸ばしたい。暗闇の中縛られる身体に鼓舞し、せめてこの手だけでも、と。だが、それすら叶わない。そう、悪戯に時間だけがいやらしくゆっくりと過ぎていく・・・。



・・・。



・・・・・・。



 映画館へ突入する為のブリーフィングまで時間が生まれた。各々で準備を整えながら時間を潰すように、と指示があった。トイレに行ったり、外の空気を吸いに行ったり、中にはもう一度映像を確認しに別室に行ったりと皆それぞれ自由に行動していた。偶然にも応接室には僕とテンジョウ、そしてその傍らで静かに佇む伏黒のみ。これは本当に偶然か・・・?と思う程。ピタリと“ヤドリ”たちが居ないのはどうにも違和感だが、これはまさかテンジョウが何かしら仕組んだのか?相変わらず掴み難い人だ。けれど、これはお互いに都合が良い。“ヤドリ”のメンバーもこの話を聞いたら、少しややこしくなる。彼はその為に敢えて、この時間を設けたのか。彼も何か見出そうとしている?いや、どうだろうか・・・。この人の場合、面白半分というのが一番近しい筋かも知れない。応接の為に用意された厚手のソファに僕は腰掛けた。鈍めの摩擦音を奏でる本革仕様の如何にも高そうなソファは、どうにも僕の身体には合わない。座り心地こそは申し分無いけど、なんだか落ち着かない。そんな彼はゆったりと脚を組みながら、じっとこちらを見ていた。


「それで、垂さん。話というのは?」


「・・・便箋小町の事です。」


 そう、僕が彼とのコンタクトで行いたかった一番の理由。飛川コマチの旧友である彼なら、一番彼女の事を知っている筈。本来であれば、より密接的なメルや彼女が唯一笑顔を見せる情報屋の板さんに聞いた方が、当然得られる情報は濃いだろう。けれど、どちらも聞く為にはリスクがある。彼女の隠された目的が知らない以上、より密接的な人物は避けるべきだ。それならば、この街で最も噂に対して耳が広く、彼女が妙に毛嫌いしているテンジョウが一番の適任。この人ならば、きっと何かを知っているかも知れない。そんな推測が僕の頭の中で過ぎっていた。


「おや、それは自社の事でしょう?自分の会社の成り立ちくらい知らないと、・・・ですよ?」


「いえ、正確には社長の事、飛川コマチについてです。」


 彼は文字通り、手のひらを翻すように言葉を返した。テンジョウの云いたい事はわかる。いや、これは聞き方が悪かった。そう、正確には彼女のことだ。飛川コマチという最も異質な存在を。自らを半妖と称し、都市伝説まがいの仕事をし、未だ謎めいた存在。そして一体、何が目的であの仕事をしているのか。関わってしまっている以上、僕はそれを知る必要がある。すると彼は目を丸くし、少し驚いた。その拍子のせいか、頬に含ませた空気がブフゥっと溢れ出ていた。


「あぁ、ゲフンゲフン・・・、失礼。なんだ、コマチさんの事ですか。彼女、すっごく強情でしょう?」


 咳払いを数回行い、手をこちらに添えながら、ハンカチを額に当てていた。自分に聞きたい事が飛川コマチの事と分かった途端、一気に緊張が解れたのか彼の表情の強張りは薄れていた。むしろ、「強情でしょう?」と口にした時なんて、にっこりとこちらへ笑顔を見せるくらいだ。誰もが吊られてしまいそうなくらいの満面な営業スマイル。三ツ星ホテルでも引けを取らないクオリティだ。


「そうですね、時に豪快だったり大胆な事をして見せたり・・・。」


「ハチャメチャだけど、必ず目的を達成させるところとかですかね。私が思う彼女の印象としては。」


 彼は身振り手振りで彼女のパフォーマンスを表現していた。強情で大胆、でもどこか繊細な面もあって、彼の云う通り必ず目的を達成させるという決意を持っている。


「えぇ。」


「けど垂さん・・・。そんな事を訊きたい訳じゃないんでしょう?」

 

 その瞬間、ピタリと風が止んだような気がした。彼の声だけが浮き彫りになるように全ての音が掻き消され、その言葉だけピンと短く震わせるみたいだった。テンジョウのその目は先に見せた満面の笑みとは違っていた。顔は笑っているようだが、目は笑っていない。むしろ川から飛び上がる魚をじっと狙っているかのように、虎視眈々と冷静な眼差しを向けていた。思わずゴクリと生唾を飲み込んだが、変に気管へと入ってしまい余計な咳払いが生まれた。


「ごほっ、えっと・・・、彼女は一体何者なんですか?彼女の目的は、何なんですか?」


 彼は言葉よりも先にコクリと頷いた。数秒の間を置いた後に、またにっこりと営業スマイルを見せる。


「順番に答えましょう。もっとも・・・、私が知っている限りですがね。」


「構いません。」


 やはりテンジョウは何かを知っているようだ。飛川コマチの事を。彼女の目的を。すると彼は人差し指を一本だけ立てると、弾み易いその唇を開き出す。


「コマチさんが、半妖というのはご存知ですよね?」


「えぇ、自分でそう云っていましたから・・・。」


 それは知っている。彼女は年齢を隠しているが、自分が半妖だと云う事は第一に話していた。


「彼女は元々、人間です。ほら、どこか人間臭さがあるでしょ?」


「それを云ったら、あなただってそうじゃないですか。」


 彼女が元は人間・・・?いや、だから半妖か。半妖とは後天的に身に付けられるものなのか。それは彼女が望んだ事なのか?それとも何か事情があってなのか。彼の話振りを聞く限り、何か知っている様子だ。確かにテンジョウの云う通り、彼女の考え方や行動はどこか人間臭さが残っている。まぁ実際のところ、どの辺が妖怪らしいのかと云うのも正確には図る事が出来ないけれど。それに人間臭さと云うワードだけを汲み取れば、彼だって該当してしまうじゃないか。こんなにも人間社会に溶け込んで、それどころか人の上に立つ立場まで登り詰めているのだから余計に違和感がある。すると彼は、ドッと遠慮を溢すような笑いを見せた。いやいやと右手で宙を払う。


「ははは、ご冗談を。私は根っからの妖怪です。彼女風に云わせれば、純度百パーセントの“ギフト”というやつの類ですね。私はただ、好きで人間の真似をして楽しんでいるのですよ。」


 やっぱりこの人も変わり者か・・・。例に紛れず、この人も変わった趣味をお持ちのようだ。けどその点においては、意味合いが彼女とは異なるか。あの社長は元が人間で、妖怪の血が流れるようになっただけ。対するテンジョウは純粋な妖怪で人間に化けながら、趣味を謳歌しているだけ。似た者同士のようで、その本質はまるで違う。好きでここまで登り詰めるか?この人こそ、何が目的なんだろう。そう思った僕は、思い切って彼にこう尋ねてみた。


「征服でもする気ですか?」


 これは一つのブラフでもあった。まぁ、彼の場合、こんな薄ぺらなブラフじゃ釣られはしないだろうけど。仮に本当だったとしても決して口にはしないだろうし、それを云うメリットが彼には無いからだ。だから返ってくる言葉は、決まって否定から。そしてこの後に来るのは、最もらしい言葉を添えてくるだろう。


「まさか!生憎、そのような度胸なんてありませんよ。単純にこの方が森で暮らすより、よっぽど楽しいのです。この街に暮らす“ギフト”たちも、きっとそのような理由だと思いますよ。」


 彼はシュラグを振る舞いながら、営業スマイルを見せつけた。やはり、最もらしいセリフ。妖怪もまた人の住む街が興味があるのか、いやこればかりは妖怪自身の好奇心のようなものか。現に“ヤドリ”のメンバー、特にレタやセンはその理由に該当するだろう。彼女らも自分が元居た里から降りてきた妖怪だ。確かに人に紛れさえすれば、外で暮らすよりもずっと刺激的なのかも知れない。センのように特別な理由もあるだろうけど。テンジョウがここまで動こうとするその原動力は、この街のそんな彼ら“ギフト”たちを守る為に?


「もしかして、今回の件・・・、率先して動いているのもその理由が背景にあるからですか?」


「彼らが・・・、種族の垣根を超えて、楽しく暮らして欲しいからです。だから、私はこの企業に居るのです。それに良く誰かが云っていましたよ。誰かを助けるのに、理由など要りませんから。」


「・・・。」


 不自然に口角は上がっていない。瞬きも増えている訳じゃないし、目も泳ぐ事無く、じっとこちらを見つめている。むしろ見つめられ過ぎて、逆にこちらが先に目線を背けたくなるくらいだ。初歩的な動作確認だが、嘘は無いのかも・・・。やはり彼に飛川コマチの事を聞く事については、危険が無さそうだ。テンジョウは手拍子をするように二度手を叩く。


「さて、お話が少々逸れましたね。戻しましょう、コマチさんのお話に。」


 テンジョウは小説のページを捲るように、足を組み直した。まるで一つの節目を終えて、新たな(ふみ)へと読み進めるように誘導を始める。今まさに声を発しようとしたその寸前で、彼は右ポケットに指を差すとクルクルとなぞるように回した。そして自分の胸を人差し指でトンっと三度叩くと、ニコッと笑顔を見せていた。そうか、やっぱり気付かれたか。僕は彼との会話する手前に、予めスマホで録音をしていた。彼はそれに気付いていたようで、録音を止めるよう促したのだ。ここまでの会話は黙認するが、ここから先は別。ここからは、完全に機密事項だからこそ、記録は残させないって事か・・・。仕方ない、こればかりは従わざるを得ない。僕は胸ポケットに忍ばせていたスマホを取り出し、大人しく録音を切った。まぁ、これは当然といえば当然か。再び操作するのを懸念してか、長机にスマホを置くように無言でテンジョウは指示した。異様な徹底ぶりだな。それだけ彼女の事が他には知られたく無いのだろうか。本当に用心深い男だ・・・。だから、“ヤドリ”たちをこの部屋から自然に退席さるように仕向けたのか。音も無く彼は立ち上がり、長机に置いたスマホを確認すると彼はスマホの電源を切った。地上から五十階の高さの窓から見える景色を眺めながら、そっと彼は溢した。


「私と彼女は、もう何百年も経つほど古い付き合いです。全く、時が経つのは早いものですね。思い返せば、まだ刀を振り回して、こんな小さな島国の中で更に小さな領土をあちこちで争い合っていた頃からです。」


「そんな時代から・・・。」


 テンジョウと飛川コマチは古い仲だと云っていたけれど、まさか数百年単位だったとは・・・。五年、十年のような浅い溝では無く、それは途方も無く遠い昔から。僕が産まれるよりもずっと前。刀をって・・・、単純でも二百年や三百年も前じゃ無いか。思わず僕は指折り数え始めていた。すると彼は、それに添えるように「あなたが思っているよりも、更に倍ですよ。」と告げらる。全く、妖怪の物差しは次元が離れ過ぎてて、途方に暮れそうだ。するとなんだ・・・、七百年近くも前からなのか。彼と飛川コマチの馴れ初めというやつは・・・。七百年?そういえば、メルの年齢もそれくらいだったような。いや、これは何かの勘違いか・・・?なんだこの、点と点が薄らと結びそうなこの感覚は・・・。


「初めて出会ったのは、まだ彼女が人間だった頃。小さな領土を持つ、しがないただの町娘でした。・・・と、これは少し長くなりそうですね。全部、聞きますか?」


「え、あ・・・、そうなんですか。」


 彼は握手でも求めるように手を差し伸べた。彼女の話を、全部・・・。いや正直、喉から手が出る程の情報源だ。こんな機会は、恐らくもう無い。僕は彼の問いに頷こうとすると、今度は静止を求めるように手を前に突き出した。


「失礼、正確に云うと・・・、あなたにそれを聞く覚悟がありますか?」


「・・・。」


 突き出した手の奥に見えたのは、彼の鋭い眼光。にこやかだった笑顔は冷たい濁流に流されたのか、恐ろしくもその睨みはナイフのようだった。一度(ひとたび)闇雲に突っ込んでしまったら、一瞬で切り刻まれてしまう程の研ぎ澄まされたプレッシャー。その瞬間だけ、頬に伝う汗があまりにも遅く感じてしまった。


「まぁ、話をする私自身も覚悟しているんですよ。なに分、彼女は昔の話が大嫌いですからね。もし話した事がバレでもしたら、首が九本あっても足りませんよ。」


 と、今度はケロッと表情を変えると再びシュラグを見せた。そういえば、昔の話もそうだけど、彼女はあまり自分の話をあまりしなかったな。だからこそ、謎だらけなんだろうけど。先のプレッシャー、恐らくテンジョウ自身も決意を固めているからこそ絞り出したもの。ここで中途半端なんてダメだ。全部受け止めるんだ、彼の思いも含めて・・・。どうせ、いつかは通る道だったんだ。今まさに、ここが僕のターニングポイント。彼の覚悟を無駄にしちゃいけない。ならば進むしかない。選ぶのは僕だ。僕はもう一度だけ、大粒になっていた生唾を飲み込んでた。今日は恐ろしく喉の通りが良いじゃないか・・・。


「聞かせて下さい・・・。あなたの知っている事、全て・・・。彼女の、事を・・・!」


 気付けば、握り込んだ手にはびっしょりと汗が滲んでいた。遅れて肌の色はほんのりと赤く、緊張を隠すように僕の掌は震えていた事にも気付かされる。すると彼は軽く会釈すると、またいつもの営業スマイルを見せた。朗らかで凪に仰がれた波のように。


「わかりました。爺・・・。」


「はい、坊っちゃま。」


 伏黒は音よりも早い速度で姿を見せるとテンジョウの傍らで跪き、主人の命令を待っていた。


「彼に、心を落ち着かせるような静かなハーブティーを。僕は爺のブレンドに任せるよ。」


「かしこまりました。すぐにご用意を・・・。」


 そう言葉を残すと、一瞬にして再び姿を消した。その光景はまるで忍者のようだった。テンジョウは再びソファに座り出し、長くもない足を組んだ。


「私も好きなんですよ、彼女の事が。何事も一生懸命で、がむしゃらで強情だけれど、芯を曲げない姿がね。でも時折、彼女は見せるんです。そんな強いイメージで覆われたベールに隠されている本当の弱い自分を。それが堪らず愛おしくも見えてしまうのです。あぁ、あの時から変わらないなって。」


「それは、ちょっと気持ち悪いです。」


 彼は自分の身体を熱く抱きしめるように、顔を火照らせながらそう云った。堪らずその光景が気持ち悪かったのか、思わず僕はそのドン引きした言葉が溢れ出ていた。けど彼はそんな言葉すらも弾き飛ばす勢いのポジティブフェイスを見せ、一本矢の嫌悪など容易く弾き返した。


「はは、それだけゾッコンなんですよ私は。」


 彼の眼差しは冗談を云うような目ではなかった。むしろ本気でそう思っているかのようだ。あの社長にどんな魅力があって彼の心をここまで動かしているのだろう・・・。するとカチャリ、と陶器の弾むが聞こえる。僕らの元に運ばれたのは一対のティーカップ。見るからに高級そうなカップとソーサーだ。どこの何か全然わかんないけど!ティーカップからは白く半透明な湯気を漂わせ、彼の要望通り心をスゥーっと落ちつせるような香りがしていた。なんのハーブティーか全然わかんないけど!ただ庶民にもわかるのは、気品があってめちゃくちゃ高そうな紅茶だと云う事。テンジョウの元にも同じようにティーカップが行き渡っており、僕のとはまた違う香りを漂わせていた。比べれば僕のよりも少し匂いがキツく、黄色と緑を薄く合わせたような色味をしている。伏黒は角砂糖の入った小瓶とスプーンを置くと一礼し、この応接室から退出した。これで完全にテンジョウと一対一。そうか、自分の側近にも聞かせられない内容な訳か・・・。また一つ、生唾を僕は喉に押し込んだ。


「さて、お茶も用意出来た事ですし・・・、決戦前のお茶会と致しましょう・・・。」


 カチャリとティーカップの擦れる音が静かに響き渡る。誇張しない静寂が幕を引き、語り部が姿を表すように・・・。彼の口から溢れ出たのは、今から七百年前の記憶と云う軌跡だった。

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