71御曹司とその執事までおまかせを
僕らが向かったのは、大和テンジョウの居る大和コンツェルンだ。乗り込んだのは“ヤドリ”の殆どのメンバーと僕を含めた計五人である。それでもアドレは店に残っていた。彼はどちらかというと“ヤドリ”のメンバーではなく、あくまで喫茶雨宿りのマスターだからだ。それにアジトには孤児たちも暮らしているし、もしレタたちが何かあっても大丈夫なように残ったのだという。戦線はかなり前から離脱しているけど、本当は“ヤドリ”の誰よりも強いらしい。今回みたいな件では復帰してほしいけど。本人が乗り気じゃないなら無理強いをするのは良くないし、彼がアジトの近くにいるのなら安心だ。
さて僕ら一行といえば、半ば強行突破のように大和コンツェルンの受付を済ませた。ほぼ無感情に等しい受付の女性が要件を尋ねるも、レタの一言で目の色を一気に変えさせていた。鶴の一声とは、まさにこのことか。「お宅の社長に“ギフト”をね。」と云ったきり、直ぐに受付の女性は内線を繋いだ。彼女が「今、テンジョウ様は会議中ですので。」と伝えるも、肝が据わっているレタは直ぐに一蹴。何食わぬ顔で「構わないわ。お茶さえ用意してくれれば、彼の部屋で寛いで待ってるから。」と当然かのように返すのである。いや、これを肝が据わっていると云うべきか、図々しいと捉えるべきか。僕とセンは半ば彼女の対応に引いていた。
テンジョウが構える応接室は、それはそれは広い部屋だった。というか僕が住んでいる家よりも広い。リビングから玄関の隅まで足しても、恐らくこの応接室の三分の一に満たないだろう。中央のローテーブルを囲うように置かれた漆黒の分厚い皮を被ったソファ。一際目立つ重厚感溢れる長机。それに見合うのは埃一つ許さない本革仕様の真っ黒なデスクチェア。恐らく、普段テンジョウが座っている椅子だろう。あろう事か何の躊躇を持たずにレタはその椅子に深々と腰掛け、脚を組みながらゆったりとリラックスしていた。ここまで堂々としていると驚きすら失ってしまう。というか呆れすら覚えてしまう。それから、約十五分後の事。少し忙しめのノックの音が鳴ると、少しネクタイがズレた状態でテンジョウが足早に入ってきた。
「・・・で、随分な大所帯で今日はお越しですね。」
「それだけ緊急事態だからって事よ。」
そう云うと彼は、スタスタと真ん中に設置された一際目立つ長机に向かった。レタの傍らまで近付き、実に申し訳なさそうに頬を軽く掻きながら彼女へ声を掛けた。
「あの、そこ僕の席なんですが・・・。」
何か言葉を返すかと思いきや、彼女は一言も発する事無く、静かにニコッと笑いながら立ち上がった。すると招き入れるように真っ直ぐに指を伸ばした手のひらで、本革の椅子へエスコートしていた。社長が来るまでに温めておきましたみたいな顔を見せるが、残念ながら雪女故にその椅子は酷く冷えていたように見えた。彼女の行動に少しギョッとしたテンジョウは震えを抑えるように、ゆっくりと本革の椅子に腰掛けた。まぁ、彼の云いたい事は概ね理解出来る。第一声に、これはどういう状況なのかと。下請けの社員たちが雁首揃えて腕を組みながら、彼に向けられているのだから。彼のリアクションも当然である。
「はぁ・・・、無粋な聞き方で申し訳無いですが・・・、その緊急事態と弊社にどのような関係が・・・?」
テンジョウは重い物でも持ち上げるように、恐る恐るといった眼差しで唇を震わせながら訊いた。これも当然といえば当然。ぶっちゃけた話、彼にこんな沈黙の鋭い眼差しを向けられる義理は無いだろう。それにハッキリ云って、御社とはほぼ関係無い内容でもある。だが、そこで変に謙らないのが彼女、レタである。
「そんなの、あんたが欲しがってる人材の為でしょーが!」
彼女はテンジョウの座る椅子に足を掛け、ネクタイを鷲掴むと思いっきりテンジョウを引っ張り上げた。それもただネクタイを全体ではなく、俗に云う小剣部分と呼ばれるネクタイの細い方を引っ張っているのだ。ネクタイを締める者なら分かる話だが、ここを引っ張るとネクタイ全体が締まる構造になっている。つまり・・・。
「わかった、わかりました!とりあえず、ネクタイの小剣部分だけを中心に引っ張り上げるのやめて貰って良いですか⁉︎」
案の定、彼の首は思いっきり引っ張りあげられているせいで、強く首を締め付けられているのだ。実際、大剣部分より小剣を引っ張られた方が遥かに締め付けが増して、凄く苦しいのである。入社当時、あの社長にも何度かやられた事があるから、テンジョウの苦しみは凄く伝わる。「グェえ⁉︎」と口に溜まった唾を吐き捨てるような声が漏れると、焦り混じりに彼はレタの突然の暴走を宥めようとしていた。正直やりすぎではないかと思うことだろう。僕もそう思う。この無茶苦茶なやり取りはどこかあの社長に似ている。
「それはあんたの対応次第よ!直接これを首に巻いたって良いのよ?」
「生憎・・・、まだ、余生は楽しみたい、ので!ご遠慮、願いたいですね・・・。」
レタは彼のネクタイを釣竿のように引っ張り上げ、彼の心情などお構い無しだった。というかこの光景は、首輪で繋がれた奴隷とかに凄む勢いだ。彼女の圧は凄まじく、残念ながら冷静さを欠いている。最初から交渉する気は持ち合わせておらず、白状するまで返さない一昔前の刑事ドラマでも観ているようだ。当然、事の惨劇を直に受けているテンジョウは、すっかり怯え切っている。そりゃあそうだ、誰でもあーなる。いきなりネクタイを掴まれて、あれだけ凄まれでもしてしまったら萎縮していないだけまだマシだろう。兎に角、今は彼女を少しでも抑止しないと・・・。そう思った僕は彼らの仲裁に回った。
「レ、レタさん・・・。今はまずお話をしましょうよ・・・。彼だってまだちんぷんかんぷんでしょうし。」
彼らの間に入って彼女の冷たい腕を掴むと、キッとナイフのように尖らせた視線を飛ばしてきた。ちょっと興奮気味に鼻息を鳴らし、こちらを睨み付けるがネクタイを離す事は無かった。その代わり少しだけ落ち着いたのか、ネクタイを握り込む力は徐々に弱まっていく。するとテンジョウは両手を上げながら、発言したいとでも云うようにアピールを始めていた。僕がどうぞ、と手を差し出すとゆっくり立ち上がった。
「い、いえ・・・、凡そあなた方の聞きたい事は見当が付きます・・・、あ痛ててて、なんで締めるんですか?」
「なんであんたが知ってるのよ?あんたがこの件、手回したって事?」
「ち、違います違います!誤解ですって!まずは話しましょう!暴力良くない、ダメ絶対!」
あぁ、この人発言する度に反感を買われてる・・・。今のレタには何を云っても刺激的なのだろう。まぁ・・・、自分の仲間の安否に関わる問題なのだから、レタの気持ちも掬えなくはない話なんだけど。すると彼らの間にもう一本、一振りの腕が振り下される。真っ黒なタキシードで身を包んだ姿。襟から裾の先までピンとしっかり綺麗にアイロン掛けされたタキシード、少々皺混じりの片手。片方の前髪だけを下ろし、白髪オールバックの初老が立ち塞がる。
「おい、雪女。それ以上、我が主を傷付けるならばその首飛ばすぞ・・・。」
刀を振り下ろすように仲裁に入ったその手は、彼らの間に一筋の線が引かれたようだった。初老の男性は確かテンジョウの執事で、名前は伏黒と名乗っていた気がする。テンジョウもそうだが、河童騒動の時以来である。しかし、あの時は殆ど喋らず、彼の側に居るだけだったから印象は薄い。ただ覚えているのは、いつもこの人は主であるテンジョウに危害が加わった時に必ず仲裁に入る事。それもその瞬間まで自分の気配を悟らせないように、俊敏な動きでその場に現れる。云うまでもなく、ただの執事でない。社長曰く彼もまた妖であり、犬神の一種だと云っていたな。
「あら・・・、あなたはいつでもこの子の側に居るのね。影が薄くて、気付かなかったわ。」
「ふん。」
仲裁が入られた事でその不満を皮肉混じりなセリフを加えながら、初老へとレタはぶつけた。伏黒は彼女の言葉は軽めの挑発と捉えたのか、目を向ける事無く颯爽にいなした。
「あの、イサム。この人は誰なの?なんか偉そうだけど。」
するとセンはいよいよ気になったのか、雪女にネクタイを引っ張り上げられたテンジョウに対して訊き始めた。彼女にとっては、大和コンツェルンの人たちとは初対面だからなぁ。気になるのも無理はないだろう。ぶっちゃけた話だと、僕も彼らの事について深くは知らない。
「彼は大和テンジョウ。この大和コンツェルンっていう大企業を担う社長の御曹司。」
そう、僕が知ってるのは本当にこの程度。あとは先にも云った通り、噂に関しては誰よりも耳が早い事。あとで社長から聞いた時には、コツメと初めて会う時には既に河童たちの騒動について嗅ぎ付けていたと聞く。センは実に不思議そうに首を傾げると、こちらを見ながらテンジョウへ指を差した。
「え、だってあれ化け狸よね?」
「あー、やっぱりセン達にはそういう風に見えるんだ・・・。」
僕から云わせてしまえば、この場に居る人たちは全員、人間に見えてしまうんだけどね。容姿は普通の人間と瓜二つだし、正直妖怪や悪魔だと明言されない限り、一般人には気付かれないだろう。それだけ彼らはこの人間社会に溶け込んでいるのだ。特にあの高そうな椅子に座るテンジョウは、その上位タイプ。溶け込むどころか人間社会の上の立場に居るのだから、そのカリスマ性というか統率力は本物なのだと思う。
「妖怪が人間社会で良い椅子に座ってるって、なんか不思議な感じよね。」
「ちなみにレタたちが率いる“ヤドリ”のクライアントで、援助もここから出てるんだよ。」
「し・・・、失礼しましたッ!」
僕がそう云うと、慌ててセンは頭を下げた。さっきまで腕を組みながらジロリとテンジョウを見つめていたのに。一気に手のひらを返すように、勢い付けてピッタリ九十度の大袈裟なお辞儀をしていた。ここまで切り替わりが速いと、彼女の順応性というか突発的な柔軟性には昔のビジネスマンを見ているようだ。如何に素早く目上の者を立てるかを反射的に理解し、直ぐに自分の非礼を詫びている。いやしかし、随分深いお辞儀だな。
「あ、いや全然大丈夫なんですけど・・・、それよりも、僕のネクタイ放して貰うようにお伝え願いますか?」
再びテンジョウは懇願する。握る力は弱まったとはいえ、その手を放す事無く首輪と化したネクタイは彼女の手中にある。一向に放さない彼女の手は徐々に冷たさを増してきた為なのか、ピンと張り詰めたネクタイは凍ってきている。まるで極寒の中で濡らしたタオルを振り回した時に起きるような、ネクタイがガチガチに固まってきていた。当然、氷点下を下回るネクタイの温度がテンジョウの首元まで登り詰め、彼の体温すらも冷やそうとしていたのだ。これはもはや交渉を大幅に通り越して、脅しであり恐喝に近い状況である。そこで流石にと思ったのか。スタスタとブーツで蹴り上げながら、彼らに近付く青年が一人。少し癖毛が目立つ明るめの金髪を揺らす。胡桃を小刻みに鳴らしながら、弾み良い音を奏でるジェニーだった。そう、ここに来る前に漸く彼は復帰したのだ。
「レタ・・・。どうやら、シデの云う通りやはり何かアテがあるみたいだ。噂好きというのは、本当のようだね。」
あのスランプを抱えたネガティブモードから一転、本来の冷静さを取り戻したジェニーがそこに居た。おぉ、いつものジェニーだ。この物事を一手先まで見通したような話し方は、本調子を取り戻した姿である。胡桃効果、すげー・・・。本当に復帰したよ。だが仲間からの仲裁すらも、彼女の興奮は収まる事は無かった。まるで怒りの竈門へ高濃度の油を注いだかのように、青筋を立てた雪女は三度ネクタイを握り込む。
「だから今こうやって聞いているんじゃない!さっさと吐いて楽になりなさいよ、うちの子達が・・・。」
「失踪してしまったから、どこに居るのか知らないか・・・、ですか?」
「え・・・?」
テンジョウの放った言葉がすとんと落とし込まれる。瞬間、息を呑む程の静寂が訪れた。それはネクタイを握り締めていたレタも例外ではなく、目を大きく見開いていた。
「あくまで弊社内でですが今、ちょっと話題になってるんですよ。この手のニュースはね。」
やはり、彼は情報を掴んでいた。それも僕らよりも、ここに居る誰よりも深く・・・。僕は長机に勢い良く手を付き、前のめりになった。
「という事は、テンジョウさんもそれを探っていて・・・?」
「えぇ、ここ一ヶ月ほど前からね。」
「どういう事?」
一ヶ月前・・・、そのワードに背筋が凍り付くようだった。堪らずレタもその手からネクタイがするりと抜けた。
「漸く手を放してくれましたね。全く、このネクタイ・・・、パパから貰ったものなのに。」
漸く安らぎを得たテンジョウはふぅーっと安堵の深い溜め息を溢しながら、ゆっくりとネクタイを緩めた。すっかりヨレヨレになってしまったネクタイを見つめると、クシャリと顔を歪めるように哀しげな表情を浮かべていた。すると直ぐ様あの執事が目にも止まらぬ速さで現れると、膝を突きながらしゃがみ込み、掲げるように手を差し出した。
「坊っちゃま、すぐにクリーニングを手配致します。代わりにこちらを。」
「あぁ、助かるよ爺。ありがとう。」
代わりに渡されたのは、ペリドットの宝石が装飾されたループタイだった。テンジョウは直ぐにネクタイを解き、ループタイを真っ白なシャツの襟元に通した。解いたネクタイを伏黒へと手渡すと、その執事はシルクのハンカチで包み込むとそのまま胸ポケットに仕舞い込んだ。
「勿体無きお言葉でございます、坊っちゃま。」
伏黒はその言葉に添えるように軽くお辞儀すると、そっと立ち上がった。主であるテンジョウの後ろへと三歩ほどの距離まで下がり、今度は静かに一礼をした。
「それで、この失踪事件についてですが・・・。実はとある映画館で頻繁に発生している模様なんです。」
「映画館・・・?」
レタは前のめりに返した。それは意外な言葉だった。誰もが思ってもみなかったものだったからだ。映画館で失踪事件?とてもそれだけじゃあ、点と点が線で結ばれない。一体、どういう事だ。彼は少しずつ、そのベールを紐解いていく。
「はい、その映画館に入った者が失踪してしまうという不思議な事件です。調べによると、犠牲者は既に数十人単位。共通しているのは、映画を観終わった後に居なくなっている事ですね。」
彼は言葉を綴りながら、数枚の紙を長机に置いた。それはこれまでに行方不明となってしまった人たちのリストだった。紙に書かれているのは名前と写真だけではあったが、数は四十前後だろうか・・・。フルネームでずらりと並んでいる。その中にはチップやソーア、シウンまで記載されている。というかこの人たち、一体どこでこんな情報を・・・。噂程度で捉えていたが、彼の情報網は本当に凄まじい。けど、なんであいつらが映画館なんかで・・・。あ、そういえば。
「映画館・・・、チップたち、映画を観に行くとか云ってたな・・・。」
「あぁ、イサムくんたちがカイデンのところに行く日ね。確かにあの日から、ソーアもシウンも帰って来ていない。となると映画館で失踪したのも合致するわね・・・。」
今更になって、思い出した。チップたちは映画を観に行くと云った日から帰ってきていない。となると彼らは道中でも、その前に襲われた訳ではない。この事件は、全て噂の映画館で起きているのか。しかし、何故・・・。それに何が目的だ?彼らの共通するもの・・・、子供?いやリストを見る限り、大人も混じっている。年齢に法則性は無い。性別でもなければ、職業や性格なんかも当てはまっていない。
「弊社でも既に犠牲が伴ってまして、その映画館へ調査班を派遣させて行っている訳ですが・・・。」
「まさか・・・、戻ってきた人が居ない・・・、なんて云わないわよね?」
レタは恐る恐る、口に溜まっていた唾をゴクリと飲み込んだ。テンジョウは、軽く両手を上げながらこう云った。
「ははは・・・、そのまさかです。無線機やライブカメラでもモニタリングはしておりましたが・・・。」
「な・・・、何よ、気味の悪い勿体付けね。」
「彼らは音も無く、忽然と姿を消してしまったんです。というか・・・、襲われた、とは少し意味合いが異なる見解です。何故ならば、彼らの悲鳴すら聞くこと無く消えてしまったんですから・・・。」
犠牲者の悲鳴すら無く・・・?じゃあ、つまり彼らは攫われた事すら直前まで気付かずに居なくなったって云いたいのか。それではまるで、神隠しにでもあったみたいじゃないか。僕は思わず親指の爪を噛んだ。
「人間業では無いですね・・・・、となるとやはり、妖怪や悪魔絡みの何かですかね?」
「まぁ、そう捉えた方が良さそうです。あの映画館で、何かが居るのは間違いないでしょう。」
まぁそこは、十中八九そうだろうなぁ。とても人間が成せるものではない。妖怪や悪魔の類である事に間違いない。けど目的はなんだ・・・?何故、人を攫う?人質とかそんな話では無いだろう。もっと話はシンプルな筈だ。何かの生贄に捧げる為?それとも単に食べる為に?いずれにしても、あまり時間は無さそうだ・・・。
「しかしながら、安易に吾輩たちも調査に向かうのは得策ではありませんなぁ。どう見ますかジェニー殿?」
「流石に話だけじゃ確証は持てないよ。社長さん、何かその時の映像とか無いの?」
ティミッドの云う通り、何も事前調査無しで行動するにはあまりにも危険過ぎる。現にテンジョウの派遣隊がまとめて返り討ちにされている以上、ノープランで突撃するにはリスクしかない。そこで人一倍冷静なのがジェニーだ。確かに、モニタリングしていると云う事は何かしらの映像記録は残されている筈。彼はきっとその映像を元に検証していきたいのだろう。これから、僕たちがどう動いていくべきかを。するとテンジョウはにっこりと笑いながら、両手の指を一本ずつ丁寧に組んだ。
「えぇ、勿論。」
「じゃ、見せて。」
「嫌です。」
と彼は食い気味で断りを入れた。勿論、そんなセリフに反応しない訳がない人物が一人。怒髪天を突くとは、まさにこの事だろうか。レタは今日一番に眉を吊り上げると、テンジョウに飛び掛かったのだ。それはまるで茂みから飛び出した狼の如く、再びテンジョウの胸ぐらへ掴み掛かる。
「はぁ⁉︎この土壇場で何云ってんのあんた?」
「痛いです痛いです、ループタイで目元を縛らないで下さい!」
「だーーーーったら、さっさと素直に答えなさいよ!是非、私めが用意した映像をご覧下さいと首を深々と!」
レタは今し方身に付けたばかりのループタイを無理やり引っ張りあげると、目元をぐるりと縛り付けた。そして、ピンと襟元までアイロン掛けされていたシャツに掴み掛かり、ぶっきらぼうにテンジョウを揺らしていた。あぁ・・・、なんでこの人、映像を見せるのをこのタイミングで断ったんだろう。今のレタは過剰なまでに沸点低いのに。遂には数歩離れていた伏黒は黙って見ている訳にはいかず、慌てて主の救出に向かい始める。
「あーーッ!坊っちゃま!なんとおいたわしや・・・、おのれ雪女!今日というこの無礼、タダでは済まさんぞッ‼︎」
震える手で主を心配するように見つめると、キッと反転しレタを睨み付ける。その瞬間、ピリリと感じる電撃のようなプレッシャーが辺りを散らす。そう、云うまでもない。勃発したのだ・・・。
「うるっさいわね‼︎犬爺は、さっさと紅茶でも淹れてきなさいよ!」
「その熱湯で貴様を溶かしてやっても良いのだぞ、小娘が!」
彼が怒り出すのも無理はない。むしろ、彼の方が真っ当だ。主人があんな目にされたら、怒らない従者は居ない。
「えぇー・・・、もうごっちゃごちゃじゃん・・・。」
「イサム、これじゃ話が進まないわよ・・・。」
戦いの火蓋が降ろされたこの応接室で、僕とセンは呆気に取られていた。なんでこんな事になるんだか・・・、そして何故、妖怪や悪魔はこうも血の気が多いのだろうか。センの呆れっぷりは相当なもので、まるで程度の低い小学生の喧嘩を見ているようだった。
「垂殿、垂殿・・・。」
「はい・・・?」
そんな中、今度はティミッドが耳打ちをするように耳元でギリギリ聞こえる程の大きさの声を掛けてきた。
「吾輩に妙案がございまする。」
「え、あ、はい・・・?」
「なーに、任されたれよ。」
彼の中でどうやら、この場を収めるような作戦があるようだ。これなら大丈夫と、自信満々な表情である。ふふんと口髭を弄りながら、コツコツと靴音を爽快に奏でると貴族のような佇まいで彼らに近寄った。一体どんな奇策があると云うのだろうか。あんな今にも殴り合いが始まろうとしている戦果に、鎮静剤なるものが?いや、とは云っても彼は僕よりもレタとの付き合いは長い。きっと、こういう時の対処法など、もはや日常茶飯事。行き先を尋ねる老人に道案内をするくらい、彼にとっては雑作の無い事なのかも知れない。ティミットはコホンっと遠慮を交えた咳払いから、一拍置いて二人の肩に手を添えてこう云った。
「まぁまぁまぁ、皆の者。ここはお茶の一つで落ち着きを当てまして、一句でも嗜みつつ・・・。」
「うっさい、邪魔ッ!」
「蝙蝠は、そこでぶら下がっていろッ!」
なんという事だろう。仲裁に入ったドラキュラはどうなってしまったのか。もう一度、振り返ってみよう。水を差した事により逆鱗に触れたのだろう。伏黒からは目にも止まらぬ速さの後ろ回し蹴りが炸裂。対するレタは肩に触れた事で青筋が膨れ上がり、なんとも空気の読めないセリフに堪忍袋の緒が外れたのだろう。加減の知らない右ストレートがティミッドの顔面を貫く。二人の攻撃がほぼ同じタイミングでミートした訳だ。すると後は皆の想像通りである。撃鉄から弾かれたピストル弾のように彼は、吹き飛ばされたのである。
「キュー・・・。」
「ティミッドさーーーーーんッ⁉︎」
それだけでは飽き足らず、本来はテンジョウの上着を掛けるコートハンガーと上手い事衝突したのか。彼は蝙蝠のように逆さまになって、気を失った状態でコートハンガーに掛けられてしまった。一瞬でも彼を信用した僕が馬鹿だった。下手に刺激しないように止めるべきだったな。しかし、この状況・・・。いや・・・、もう、いいや。なんか面倒臭くなってきた・・・。いっそなすがままに、彼らの気が済むまで暴れてもらった方が良いのかも知れない。
「ねぇ、爺ー?爺どこー⁉︎ループタイで目元が覆われて、前が見えないよ!何とかしてよぉぉぉぉお、爺ィイ~!」
対する彼方のボスといえば、先程レタにループタイで目元を覆われて視界が塞がって困っているようだ。というかあんな細い紐なんだから、普通に手でどかせばなんとかなるだろうに・・・。相当テンパってるんだな、あの人。
「おい、雪女そこに直れ。」
「良いじゃない、丁度あんたと一度踊ってみたかったのよ。」
「ほぅ、小娘に社交ダンスが務まるのか見ものだな。その氷ごと、噛み潰してくれる!」
いよいよというべきか。彼らはお互いのマナを放出し、ビリビリと肌を痺れさせるようなプレッシャーを飛ばす。一触即発となった彼らの眼差しは、ゴングが鳴る前のボクサーのように闘争心を剥き出しにしている。
「よーしシデ、外野はこっちだ。熱りが冷めるまで、待っていよう。」
一際冷静になっていたジェニーからの提案。壁側の方へと指差し、飛び火が来ないようにと案内してくれた。この人もしかして、こうなる事も想定済みだったのか?だから、あんなに冷静に落ち着いていられるのか。彼は二人の放つプレッシャーなど、良くある秋風でも浴びているかのように澄ました顔で胡桃を鳴らしていた。
「良いの、イサム?」
「彼女も色々溜まっているんだろう。落ち着いたら、僕も聞きたい事あるし。」
「えーー・・・。」
これから勃発しようとしている二人にセンも心配しながら指を差すが、こうなってはもう二人を止める方が危険だ。だったら、もう好きにやらせてお互い納得出来るまで待った方が最良なのだ。あぁ、なんか“ギフト”絡みの付き合いが増えてから、僕も色々変わったよなぁ・・・。




