伝説のハーブティー
装飾の施された豪華な廊下を、シリスお姉様の背中を追うように進んでいく。
その先には、何人ものお姉様方が列を作っていた。
私はティーポットとカップ、それに蜜や果物みたいな香りのする粉を入れた小皿をいくつも乗せた銀のトレーを両手で抱え、できるだけ前を見ないように歩く。
「うそ、あの手紙……」
「Cランクを連れてるわ」
あちこちから小さな声が重なり、廊下がざわつき始める。
そうか。
ここにいるお姉様方は、まだ何も知らないんだ。
そんなことを考えているうちに、シリスお姉様の背中が急に近づいた。
「あっ」
慌てて足を止める。
列の一番前にいたお姉様が、シリスお姉様を睨んでいた。
「シリス。あんた、気でもおかしくなったの? Cランクなんか連れて」
「……」
シリスお姉様は何も答えない。
代わりに懐から一通の手紙を取り出し、豪華な封蝋が見えるようにそっと差し出した。
それだけだった。
さっきまでざわついていた声が止まり、目の前のお姉様が黙って横へ退く。
それにつられるように、列が左右へ割れていった。
「二人とも、行くわよ」
「は、はい」
銀のトレーを握る指に力が入る。
いよいよだ。
少しずつ手が震えてきた。
コンコン。
「シリスです。失礼いたします」
ミイスが扉を開いた。
その瞬間、部屋中の視線が一斉にこちらへ集まる。
「シリス。久しぶりね。やっと顔を出してくれたのね。さあ、こっちへいらっしゃい」
リアラ様は嬉しそうにシリスお姉様を見ている。だけど、その隣からものすごい圧を感じる。
私はお姉様の背中へ少し身体を隠した。
見なくても分かる。
あの鋭い赤い目が、こっちを捉えて離さない。
「シリス。これはなんの真似かしら?」
アルヴェナお姉様の声が飛んでくる。
……怖い。
さっき廊下にいたお姉様たちより、ずっと怖い。
そんな時なのにシリスお姉様は微動だにしないし返事もしない。
その代わり、ちらりとミイスへ視線を向けた。
作戦開始だ。
待ってましたと言わんばかりに、ミイスがアルヴェナお姉様の前へと立ち塞がるとそのままエプロンを外し、アルヴェナお姉様の顔へ向かってふわりと放り投げた。
「えいっ!」
白い布が視界を塞ぐ。
同時にミイスは姿勢を低くし、アルヴェナお姉様の足へ抱きつくように両腕を広げた。
まずは第一段階。
アルヴェナお姉様の制圧!
すごい。
ミイス、普段はバカなのに、目的があるとこんな動きまで――
パンッ。
……無理だけど。
何が起きたのか分からなかった。
さっきまで宙を舞っていたはずのエプロンが、いつの間にかミイスの両手両足へ絡みついている。
本人も分かっていないのか、床に転がったまま固まっていた。
アルヴェナお姉様は何事もなかったように手を一度払うと、そのままこちらへ赤い瞳を向ける。
無理。
絶対無理。
銀のトレーを持つ腕が震える。
単純に重いからなのか、このあと自分がどうなるのか分かってしまったからなのか、自分でも分からない。
そっと机の上へ銀のトレーを置いた。
「あら、やられちゃったわねこの子は何がしたかったのかしら。」
リアラ様が床のミイスを見て、楽しそうに笑う。
シリスお姉様は何事もないかのように慣れた手つきでポットを持ち上げ、静かにカップへ注いでいく。すると少し青臭い匂いが客間いっぱいに広がった。
鼻の奥に残る、つんとした匂い。
嗅いでいるだけなのに、その青臭さが舌の奥まで溶けてくるようで、思わず眉間に力が入る。
「こんな物をお嬢様に飲ませるのかしら、シリス」
……ごもっともだ。
こんなの、そのままじゃ飲めない。ましてや相手はお貴族様。
少し心配になり、シリスお姉様へ視線を向けると、ちょうど目が合う。
――次は私の番。
第一段階が失敗した場合は――今度は私。
震える腕を、力なく左右へ広げた。
「う、うわ〜……」
一歩。
もう一歩。
歩くより遅いくらいの速さで、目を閉じたままアルヴェナお姉様へ近づいていく。
怖い怖い怖い。
腕だけは力を抜いたまま。
でも、身体の中はいつ痛みが来てもいいように、めいっぱい力を込める。
すぐ何かされる。絶対される。
……あれ?
何も来ない。
ポフッ。
すると顔いっぱいが、柔らかくて温かいものに包まれた。
……生きてる。
まだ何もされてない。
それどころか、すごくいい匂いがする!!。
いくつもの香りが重なって、鼻の奥へ流れ込んでくる。
どの花とも言えないのに、頭の中には色とりどりの花畑が浮かんだ。
もっと知りたくて、鼻先をアルヴェナお姉様の身体へ押しつける。
すん すん。
その奥に、別の匂いがある。ミルクそれから、甘い蜜。
もっと奥には――
その瞬間、ぐいっと後ろ襟を引っ張られた。
「むぐっ」
身体がアルヴェナお姉様から引き剥がされる。
「何、この子。シリス、どう責任取るのかしら」
子猫みたいに後ろ襟を摘ままれたまま持ち上げられ、そのまま少し離れた床へ降ろされた。
「恐れられて距離を取られることはあるけど、まさか抱きつかれるなんてね」
リアラ様がとても楽しそうに肩を揺らす。
「まったく。だから嫌なのです、Cランクは――」
頭の中はまだ、アルヴェナお姉様の匂いでいっぱいだった。顔を上げ、お姉様を見つめたまま、
ふと気づく。
鼻の奥に残ったお姉様の匂いと、机の上から漂う解熱剤の青臭い匂い。それが混ざった瞬間、匂いがそのまま口の中へ流れ込んでくるような感覚がした。
青臭いはずなのに、不快じゃない。
甘い蜜。その奥にミルクの柔らかさがあって、薬草の苦味までちょうどよく残る。むしろ、その苦味を蜜の甘さが引き立てている。
……これ。
「シリス、気づいていないと思ったのかしら」
「待って、アルヴェナ。私が薬を嫌がったのがいけないの」
お姉様方とリアラ様の声に、はっと我に返る。
そうだ。まだ作戦が……。
でも、まだできるかも。
私は立ち上がり、机の上に並んだ小皿を見る。
ある!
ミノムシみたいに床へ転がったままのミイスを跨ぎ、言い争うシリスお姉様とアルヴェナお姉様の間をすり抜けて机へ向かう。
途中、リアラ様と目が合った。
青い瞳は少し潤み、頬もさっきより赤くなっている気がする。
「あ、私が美味しいお薬作ります! そしたら、えっと……」
その先が喉につかえた。
治してあげるから、なんて言ったら、人の弱みにつけ込んでるみたいで…私は口を閉じ、机へ向き直った。
小皿がいくつも並んでいる。
さっきのアルヴェナお姉様の匂いを思い出しながら、蜜の入った一枚を手に取り、鼻へ近づけた。
違うさっきより甘すぎる。
すぐに隣の小皿を取り出す。
これも違う。
もう一つ。
角に置かれた小皿を手に取り、そっと鼻を近づける。
――これだ。
花畑とは違う。でも、アルヴェナお姉様から香っていた、どの花にも例えられなかった匂い。その正体がこれだ。
慣れない手つきでスプーンを小皿へ入れる。蜜をすくい、解熱剤のカップへ運んだ。
こぼさないように。
跳ねないように。
慎重に。慎重に。
スプーンの先から琥珀色の蜜が細い糸になって落ちる。
青臭い解熱剤の中へ沈み、ゆっくり筋を引きながら広がっていった。
鼻を近づける。
……まだ足りない。
「ふぅ……」
額に汗が浮かぶ。
蜜の残ったスプーンをそのままカップへ入れ、ゆっくり回す。それから別の小皿に入っていた山羊のミルクを、ほんの一滴だけ落とした。
その瞬間だった。
鼻を刺していた薬草の匂いが、ふわりとほどける。
蜜の甘さとミルクの柔らかさが間へ入り込み、青臭さだけが丸くなった。それでも薬草の苦味は消えていない。
甘い。
少し苦い。
その苦味が、逆に蜜の甘さを深くしている
。飲んでいないのに、舌の奥まで味が広がってくる。
……できた。
さっきまでとはまるで違う、独特で芳醇な香りが客間へ広がった。
「嘘でしょ、これ」
「リンクスよね……」
部屋の隅に控えていたお姉様方まで、堪えきれないようにざわつき始める。
その声に気づき、言い争っていたシリスお姉様とアルヴェナお姉様もこちらを見た。
「あら、いい香りねぇ。これなら飲めそうだわ」
リアラ様の声が少し柔らかくなる。
でも、リアラ様とは違いシリスお姉様も、周りのお姉様方も、それどころかアルヴェナお姉様まで、驚いたように私を見ていた。
「ねぇ、あなた。何を入れたの?」
リアラ様が頬に手を添える。
「わかりません!」
勢いよく頭を下げた。
「……おそらく、私の香水と石鹸を手掛かりに選んだのでしょう」
アルヴェナお姉様が机の上へ視線を向ける。
「この者の鼻が確かであれば、その蜜はソレナ……いえ、ここではやめておきましょう。毒はございません。そのままお飲みいただいて構いません」
そう言うと、アルヴェナお姉様はすっとカップを取り、リアラ様へ差し出した。
「では、いただいてもよろしいのね」
リアラ様はカップを持ち上げ、口元へ運ぶ。
静かに一口。
カップが、そっと机へ戻された。
しばらく何も言わない。
でも、少しずつリアラ様の顔が緩んでいく。
「……ミルクのコクと、芳醇な蜜の甘さ。その奥に薬草の苦味が残って、それがかえって深みになっているのね。それに、この味……懐かしいわ」
リアラ様が顔を上げ、まっすぐこちらを見る。
「とても美味しいわ。良い判断よ。どうして分かったの? 花の蜜まで」
私は思わずアルヴェナお姉様を見る。
「は、はい。その……アルヴェナお姉様の匂いと、服の下から微かに香るミルクの匂いが、ポットから出てる葉の匂いと混ざって……」
「ちょっと待って!どうして匂いだけでここまで分かるの?」
リアラ様が思わず立ち上がる。
けれど、すぐ我に返ったように座り直した。
アルヴェナお姉様が、すかさず口を挟む。
「お嬢様。屋敷の石鹸にはゴートミルクを材料として使っております。その香りかと」
「だとしても……それに、この味……」
リアラ様はカップを、アルヴェナお姉様の方へ静かに動かした。
意図を察したのか、アルヴェナお姉様がカップを手に取り、一口だけ口をつける。
「……なるほど。やはり」
あの。
どうすればいいの。
アルヴェナお姉様を見る。リアラ様を見る。シリスお姉様を見る。
なんでみんな黙ってるの。
その時、肩に温かい手が置かれた。
「私も、よろしいでしょうか」
シリスお姉様だった。
リアラ様が頷く。
お姉様もカップを受け取り、一口飲んだ。
そして、額へ手を当てる。
「……ナナ。あなた、本当に……大変なことをしたわね」
頭でも痛いのかな。私、何か失敗した?
リアラ様とお姉様方の視線が、また一斉にこちらへ向く。
「いい?」
「は、はい」
「この味はね。王族や名だたる貴族が、どうにかして抱え込もうとしている店のお茶の味に、とてもよく似ているの」
「……え?」
「もちろん、レシピは一切公表されていないわ」
次のリアラ様の言葉だけは、背筋が冷えるほどはっきり聞こえた。
「あなた……このままだと命、狙われるわよ?」




