温室のお姉様とハーブティー
「私はリアラ。こっちはアルヴェナ、Sランクのメイドよ」
Sランクを見るのは初めてだった何年もメイド室で暮らしてるのに…それにさっき、後ろのお姉様方をたった一言で黙らせた人だ本物だ…。
「あ、ナナです。こっちはミイス……二人とも、Cランクです」
鋭い赤い瞳と、澄んだ青い瞳。二人の視線から逃げるように、少しずつ顔を下げた。
お客様の白く艶やかなブラウス。その下には、マリーゴールドの花みたいな鮮やかで綺麗な色をしたスカートが広がっている。
「ねぇ、あなたたち何歳なの? 可愛いわね。お菓子とか好きかしら?」
「あ、えっと……多分9かじゅ――」
「答えなくていいわ、Cランク」
アルヴェナお姉様の声が割って入った。
「お嬢様。このようなお遊びはおやめください。今日はもう帰りましょう」
「ダメよ。今日こそシリスを私のものにするの」
え。
シリス?
「お、おねえしゃま!?」
身体が勢いよく前へ出た。
「あら、知り合いなのかしら?」
知り合いも何も、お姉様は小さい頃からずっと……。
いや、まってお姉様は薬草にもすごく詳しいし。
うーん……体調もどうにかできるかも。
「……お客様を治せるかも。でも、お姉様は私だけのお姉様だし……」
……………。
人がたくさんいるはずなのに、呼吸の音まで聞こえてきそうなくらい静かだ。
違和感を覚えて顔を上げると、お客様とアルヴェナお姉様が揃って私を見ていた。
「……私、どこかでミスでもしたかしら」
お客様の口元から笑みが消える。一瞬だけ、澄んだ青い瞳がひどく冷たく見えた。
「いえ、お嬢様は完璧でございました」
「そうよね。そのはずだわ……なんなのかしらね、この子」
気まずい……。
さっきもそうだけど、この二人の目。
……少し怖い。
「くふっ、くすくす」
笑いを堪えるような、聞き慣れた不愉快な声がする。
さっきまで緊張で固まっていたミイスが、口元を手で隠している。それでも肩だけは小刻みに揺れていた。
「出てたよ。全部、口から。ぐふっ」
「……何が。てか今、そんな空気じゃないよ!」
お客様に聞こえないよう、小さく呟く。
「あなた、本気で気づいてないの?」
アルヴェナお姉様の鋭い声に、頭の中が真っ白になった。
何が?
どうしてそんな顔するの?
ミイス、アルヴェナお姉様、お客様。
つい順番に顔を見回す。
「もう無理、ナナ。ぶははっ! 出てた! 全部口からー!」
ミイスがとうとう吹き出した。
その直後、お客様の肩も小さく揺れ始める。
「あなた、面白いのね。どうして分かったのかしら。それに……ふふっ、シリスはあなただけのお姉様なのね」
「こほっ、こほっ」
お客様は口元に手を添えたまま、まだ肩を揺らしている。
「ごめんなさい。少しむせてしまったわ」
「こんなに笑ったの、いつ以来かしらね、アルヴェナ」
「ええ、お嬢様」
むせながら笑う姿も、さっきまでの笑顔も、こうして見ると普通のお嬢様みたいで、とても可愛い。
まだ顔が熱いけど……もういいや、。
しばらくして、笑い声が静かになった。それでも部屋には、さっきまでの余韻が少しだけ残っている。
リアラ様は一度息を整え、姿勢を正した。
それだけで、さっきまで近くに見えた人が急に遠くなる。
「さて、決めたわ」
青い瞳が、まっすぐ私たちへ向けられた。
「私の我儘を聞いてくださるかしら?」
「は、はい!」
私とミイスは揃って背筋を伸ばした。
「いい返事ね」
リアラ様は楽しそうに笑う。
「シリスをここへ連れてきてちょうだい」
―――
リアラ様の笑顔と、一瞬だけ見せた表情がいまだに脳内に焼き付いて離れない。
「ねぇナナ、あの人なんだったの……」
廊下を歩きながらミイスを見る。まださっきのことが残っているのか、私と同じように少しふわふわしてるみたい。
「指名されちゃったり……」
指先を合わせ、胸元へ当てている。
初めて見たミイスの一面……ちょっと。
「きもいよ」
「何をー!」
今にも追いかけてきそうに前のめりになるミイスを横目に、長い廊下を走る。
等間隔に並ぶ茶色の扉を横目に通り過ぎていく。床には赤い絨毯が敷き詰められ、走る足音を柔らかく飲み込んでくれる。
減った靴底にも優しくて、ここに来るとなんだかんだ走ってしまう。
お姉様に早く会いたい。
角を曲がった先、廊下の突き当たりだけ壁がレンガ調へ変わっていた。近づくほど、湿気の混じった匂いが濃くなる。
いつの間に追い越したのか、ミイスが扉の前でぴたっと止まる。私も遅れて隣に並んだ。
ミイスが温室の扉をノックしようと、手を伸ばした。
その瞬間だった。
ドンッ、と扉が勢いよく開く。
「ううっ……」
顔をくしゃくしゃにしたCランクのメイドが、涙をこぼしながら飛び出してきた。
慌てて道を譲る。
ミイスはその背中を見送りながら、妙に落ち着いた声で呟いた。
「まーた被害者が出たか……」
「被害者?」
そう聞き返す前に、温室の中へ視線を戻すと広い温室の真ん中に、ぽつりとひとりのメイドが立っている。薄い緑色の髪。毛先だけが白く、前髪の隙間から少し悲しそうな目がこちらを見ていた。
「お邪魔しまーす、シリスお姉様」
けれどミイスは何も気にせず、スカートの裾をふわりと靡かせ、弾むような足取りで温室へ入っていく。
私も慌てて後を追った。
中へ入ると、湿った暖かい空気が肌に触れる。
一瞬、季節を疑うほどだった。
土と植物の匂いが一気に鼻へ押し寄せてくる。
知っている森とも違う。
異国の森の植物の匂いだ。
さっきまでの柔らかな絨毯とは違い、床にはごつごつした石が敷かれている。
減った靴底越しに凹凸が当たって、少し痛い。
その先を進むと、道を侵食するように根を張った木々や、分厚い葉をした背の低い色とりどりの植物が広がっている。気をつけないと、スカートに引っかかりそうだ。
さらにその一帯を囲むように、蔓を垂らした樹木や背の高い木々が並ぶ。
シリスお姉様専用の温室。
……やっぱり、何度来てもここが好き。
そんなことを考えているうちに、シリスお姉様の花と土の匂いが、すぐ近くまで来ていた。
「シリスお姉様、ごきげんよう」
「ええ、ごきげんよう。ナナ、ミイス。こっちへいらっしゃい」
いつもなら、穏やかな笑みを向けてくれる優しいお姉様。
「お姉様! 聞いて! 聞いて! ナナがね……」
ミイスは、さっきの出来事を楽しそうに話し始めた。
お客様のこと。私が気づいたこと。それから、シリスお姉様を連れてくるよう頼まれたこと。
シリスお姉様は優しい顔で最後まで聞いてくれた。
「……ごめんね。それでもダメよ。行けないわ」
そう言うと背中を向け、そそくさと木々の間をすり抜けていく。
「あ、お姉様!」
温室の隅にあるキッチンへ向かっていった。
私たちもつられて後を追う。服やスカートの裾を引っかけながら、お姉様を見失わないよう背中を探す。
「あーもう、お姉様! どこ行ったの!」
ミイスの声を背に、すかさず鼻先を上げる。
さっきのお姉様の匂いが、木々の奥へまだ細く残ってる。
こっちだ。
「あっ」
匂いの方へ視線を向けると、蔓と草花の隙間から綺麗に手入れされたキッチンが見えた。
その奥で、シリスお姉様が戸棚を開けている。
扉が開いた瞬間、中に詰め込まれた乾燥した花やハーブの瓶が姿を見せた。
ここからでも鼻の奥が少しくすぐったい。
「お姉様、またキッチン移動してるし。それに――」
「そんなことより、なんであんなに嫌がったのかな」
植物を傷つけないよう蔓を掻き分け、身体を隙間へ滑り込ませる。
「お姉様……」
思ったより小さな声が出た。
「どうして嫌なの? すごい美人じゃん」
「もう! ミイスは黙ってて!」
バカミイスの肩を押し、隅にある椅子へ座らせる。
「あの方にお迎えされるのが嫌なわけではないのよ。でもね、私はあの方の一番にはなれない」
シリスお姉様は背伸びをして、戸棚の奥へ手を伸ばした。
「何をもってしても……あのお姉様には勝てない。はい、これ」
瓶を受け取る。
蓋には埃ひとつついていない。大事にされている瓶だと、すぐに分かった。
顔を近づけた瞬間、鼻の奥に青い匂いがつんと来る。
「それが理由……?」
「えっ! てことは、お姉様は一番になりたいの? それじゃ両思いじゃん!」
ミイスを無視して、お姉様の顔を覗き込む。
「あの、本当にそれだけ?」
お姉様もこちらを覗き返した。
「あら、ごめんなさい。もちろん、それだけじゃないわ。ナナも、ミイスも。それに、ここも大好きだから」
そっと身体を寄せてくるお姉様。
耐えきれなくなったのか、ミイスが小声で囁く。
「だってさ」
お姉様の腕を取り、身体へ引き寄せて、めいっぱい抱き締めた。
「ならさ! 三人であの人のメイドになればいいじゃん! あの怖い目のメイドも三人でやっつけてさ!」
さっきから空気を読まないミイスに、だんだんイライラしてきた。
瓶を持つ手と、お姉様を抱く腕に力がこもる。
「さっきから! バカミイス! ほんっとう……」
「それは名案ね。いたた……」
「うぇ!?」
まさかのお姉様の発言に、怒りの矛先が分からなくなった。
変な声しか出ない。
言った本人は何事もなかったように、大きなすり鉢を片手に持っている。
……いつ出したの、それ。
「ナナちゃん、離してね。痛いわ」
「あ、すいません」
慌てて腕を離す。
「ねぇミイス。ナナの持ってるハーブを、このすり鉢で細かくしてほしいの」
「もう、お姉様! そこは『しなさい』でいいの!」
そう言いながらも、ミイスはすり鉢を受け取ると、瓶から乾いた葉を数枚ひっ掴んだ。
そのまますり鉢へ放り込み、力任せにぐるぐる回し始める。
お姉様は横目でそれを見ながら、かまどへ薪を一本くべた。
「てか、お姉様。さっきから何作ってんの?」
「解熱剤だよ、バカミイス。昔飲んだの覚えてないの?」
そう言いながらしゃがみ込み、下の棚にある小さな取っ手を引く。
瓶。
その隣も瓶。
……ここも瓶ばっかり。
カップとポット、どこだろう?
「右上に移したのよ」
「はーい」
ゴリゴリ。
「解熱剤……お姉様……ぶつぶつ……ぐふふ」
すり鉢を回しながら、ミイスがにやにやし始める。
何か良からぬことを考えてるみたいだけど……触れないでおこう。
右上の棚からカップを取り出し、机へそっと置いた。
「お姉様、準備できました」
「ありがとう」
バンッ!
突然、ミイスが机に両手をついて立ち上がる。
「いいこと思いついた! 二人とも、ちょっとこっち来て!」
お姉様と目が合う。
……多分、同じことを考えてる。
一応、聞いてあげないと拗ねる。
「えっとね……」
なぜか小声になったミイスに合わせて、お姉様と一緒に顔を寄せる。
この時の私はまだ知らなかった。
その小さな作戦が、巨大なメイド室全体を震撼させることになるなんて。




