メイド室とメイド達
朝、私とミイスは早朝の窓拭きを終え、自分たちの寮へ戻ってきた。
古く年季の入ったオーク材の両開き扉。その前に立ち、私はポケットから自作の耳栓を取り出した。音を消すことはできないけれど、少しだけ遠ざけてくれる。
「ナナ、行くよ。……ふんっ!」
ミイスが重い扉を押し開けた。
中から漏れたランタンの明かりが、薄暗い廊下へ差し込む。それと同時に、何十もの声が吹き抜けを伝って押し寄せてきた。
「お、雑用係。次はお姉様の手伝いよ。上へ来なさい」
「ちょっと、そこどいて!」
「このあと授業だっけ?」
「誰よ、私の靴下持っていったの!」
一階から四階までを貫く吹き抜け。その周囲を四角く囲む各階から、絶え間なく声が足音が降ってくる。
「何がお姉様だよ。同じランクのくせに。聞こえないふりして私達の陣地にいこ!」
ミイスは腕を組み、私たちの陣地へ向かって歩き出した。まぁ陣地といっても階段下を無理やり本を積んで壁としてなんとか仕切りを立てた物にすぎないんだけど……。
「うん。……あれ?」
石鹸と湿った布の匂い。その中に、別の匂いが混じっている。
「なんか、油臭くない?」
「え、そうかな。ランタンがいっぱいあるからでしょ」
足を止めて上を見た。
北側にあるこの寮には日が入りにくい。そのためなのか吹き抜けの周囲には24時間ずっとあらゆる場所を照らせるようにいくつものランタンが吊るされている。
その明かりを遮るように、二階から四階にかけて無数の洗濯紐が渡されていた。転落防止の柵から柱へ、柱から階段へ。上へ行くほど数は増え、四階ともなると蜘蛛の巣のように絡み合っている。
その隙間で、メイド服やエプロン、シーツ、下着が重なって揺れていた。
「うーん……分かんないや」
「いいから、ほら!」
ミイスは私たちの陣地へ戻ると、ポニーテールをほどいてベッドへ潜り込んだ。布団を少し持ち上げ、自分の横に空けた場所を手でとんとんと叩く。
「寝よ! 昼まで。ほら、早く!」
こっちへ来い、という合図だ。
いつからか、一緒に寝ることにも慣れてしまった。
昔は一人一組、寝具があった。ミイスが乾かそうとして焦がすまでは。
「バカミイス!」
「え、急になんで!? ひど!」
布団の中から抗議するミイスを見下ろしながら、私はエプロンへ手を掛けた。
肌寒いこの時期、ミイスと一緒に寝ると少し暖かい。今日も諦めて隣へ入ろうとしたところで、さっきの匂いが記憶とつながった。
あのときも、最初にしたのは……。
「油……」
「え?」
油。
「油!」
「今度は何!? どこ行くのー!?」
私はエプロンから手を離し、吹き抜けの中央へ戻った。
上を見ても、無数の洗濯物と張り巡らされた紐に遮られ、吊るされたランタンの明かりさえところどころしか見えない。
そのとき、黒い粉のようなものが頬に触れた。
指で擦る。黒い汚れが何倍にも広がった。
「ミイス、来て!」
「いるよ。さっきから何してるの?」
ミイスへ、黒くなった指先を見せる。
「上で洗濯物が燃えてる」
ミイスは一瞬だけ上を見たあと、両手で耳を塞いだ。
「そんじゃ、どうぞ」
この騒ぎの中なら、絶対にミイスのほうが声は通るのに!でも今は、そんなことを言っていられない。
息を吸えるだけ吸って、一気に吐き出した。
「洗濯物もえてるよーーー!」
さっきまで騒がしかった寮が、途端に静まり返った。
「……ほんとだ、焦げ臭い!」
その声を皮切りに、寮中が一斉に騒がしくなる。四方で洗濯紐が引かれ、頭上の衣類が大きく揺れた。
「待って! 勝手に引っ張らないで、火が移るわ!」
四階から鋭い声が飛んだ。
「全員、今持っている紐を動かさないこと! ナナ、どこから匂うか嗅ぎ分けて!」
「分かった!」
答えた直後、ミイスが私の身体を抱き上げた。
「えっ、ちょっ!」
「行くよ!」
そのまま中央階段を駆け上がる。
「さすが問題児早いね!」
「私、もう、限界なんだけど……」
「がんばれー」
好き勝手な声を背に、ミイスは三階まで駆け上がった。
油の匂いが強くなる。
違う。その奥に、焼けた布の匂い。
「止まって。この階!」
「あった!」 「あれだ!」
ミイスと同時に指を差した。
四階の柵から渡された一本の洗濯紐が、重みに耐えられず三階まで垂れ下がっている。その一番低いところに干された白い下着が、明かりを取るために吊るされたランタンの笠へ触れていた。
触れた部分は黒く縮れ、縁から細い煙が上がっている。
「その紐だけ引き上げて!」
四階のメイドが紐を引く。下着がランタンから離れた瞬間、ミイスが近くに干されていた濡れたタオルを奪い、焦げた部分へ投げる。
じゅっ、と小さな音がした。
「消えた!」
安堵の声が吹き抜けを駆け上がる。
「で、これ誰の下着?」
「うそぉーそれ私の!」
一番上の階から声が落ちてきた。
「この紐を張ったのは誰よ!」
「私だけど……長さが足りなくて、少し垂れただけよ!」
「その上から洗濯物を増やしたのは!?」
「空いてると思ったの!」
吹き抜けのあちこちから、ため息が重なった。
緊迫していた空気が一段下がり、寮内がいつもの騒がしさを取り戻し始めた。
「あ、ナナついでに私の服見つけてくれない?」
「ええ、眠いよ」
その時だった。
ドンッ!
大きな音に、寮中の視線が一斉に扉へ集まる。
「Cランクども、緊急だ! 手が足りない。今すぐ下へ降りてこい!」
扉の前に立つお姉様が、吹き抜けの上まで届く声で叫んだ。
「返事は!?」
「「はい、お姉様!」」
上階の子たちは階段を待たず、張り巡らされた紐や柵を伝って次々と降り始めた。
私もすぐにミイスの腕から降り、人の流れに乗って手すりに沿って歩く。
「いいか、お前たちは早急に応接大広間の床を掃除しろ!」
「お姉様、質問!」
ミイスが腕を組み、鼻を鳴らす。
「普段そこって、Bランク以上が仕事する場所じゃん! それに、めっちゃ広いじゃん、あそこ!」
「うるさいぞ、Cランク! 私だって上から命令されて…お前たちを呼びに来たんだ。本来ならもう列に並んでいないといけないのに、こうして……あぁもう!早く来い!」
お姉様は踵を返し、早足で廊下へ向かった。
置いていかれないよう、私たちも廊下に用意されていた籠から雑巾を掴み、そのあとを追いかける。
―――
「うわぁ……すっごい」
「すてきな装飾……」
応接大広間の中央には、ベッドみたいに柔らかそうな赤いソファと、艶のある木で作られたアンティークのテーブルが置かれていた。
家具はたったそれだけだった。磨き上げられた白い石の床は、窓からの日差しの明かりを映していた。
「意外と素っ気ない部屋だね」
「うん…多分この部屋の主役がお姉様達だから…かな」
そして向かいの壁には、何人ものメイドが並んでいる。全員たぶんAランク。私たちを呼びに来たお姉様も、急いでその最後尾へ加わった。
列の中央から、一人のお姉様が前へ出る。
「ほら、床を拭き上げなさい」
爪も髪も服装も、乱れたところが一つもない。床を掃除する私たちを見下ろしているだけで、お姉様方は雑巾に触れるつもりもなさそうだった。
「きっと、服を乱したくないからでしょ」
ミイスが私の耳元で囁く。
「あ、ナナ!あそこならサボれる。行くよ!」
「あ、ちょっと」
ミイスに引かれ、それほど汚れていない床を雑巾で拭きながら、私たちは少しずつソファの陰へ隠れた。
「こんなことしていいの?」
「しっ! そんなことよりさ!よほどのお貴族様が来るんだよ。あのお姉様も、あっちのお姉様も、Aランクが勢揃いしてるよ」
数分後。
「よし、そこまで。直ちに退出しなさい」
もう終わり!?
何のために私たちを呼んだのだろう。
硬い床から腰を上げた瞬間、足の先までぞわぞわと鈍い感触が走った。
「あ、……」
足へ触れると、痺れが余計に広がっていく。
「何してるの、行くよ! 群れから外れたらバレちゃうじゃん!」
「群れって何。違う、足が痺れて……」
気づいたときには、Cランクの足音は一つも残っていなかった。
壁際にはAランクのお姉様方が並んだまま。念入りに纏われた香水の香りと
静かな息遣いだけが部屋に残っている。
終わった。
ミイスはソファの陰から何度も周囲をうかがい、私は痺れた足を抱えて動けない。
コンコン。
扉を叩く音がした。
ガチャリと扉が開いた瞬間、お姉様方の息遣いまで変わった気がした。
外の空気と一緒に、花の匂いが流れ込んでくる。
お姉様方の濃く整えられた香水とは違う。摘んだばかりの花が風に揺れたような、柔らかな生花の匂い。
その奥に、かすかな甘い匂いが混じっていた。
「「ようこそ、リアラ伯爵令嬢」」
「ええ。今日もよろしくね」
お客様が入ってきた。
どうしよう。
ミイスが私の腕を引く。私たちはソファの裏だけでは足りず、その下へ身体を捩じ込んだ。
「さあ、お嬢様。お掛けになってください」
「ええ。こんなに広いのだから、アルヴェナも座りなさい」
先ほどまで離れたところにあった声が、今度は頭上のソファから伝わってきた。
「それでは、これより私、ナルメが最初の面談を務めさせていただきます。お見知りおきを、リアラ伯爵令嬢」
「あら、シリスはいないのね。残念だわ」
「り、リアラ伯爵令嬢。今はこの場を――」
「下がりなさい」
「……かしこまりました」
これが、お姉様方の世界なんだ。
あのお姉様をたった一言で下がらせるなんて、どんなお客様なのだろう。一体どんな面接をするのか…。
私は耳栓を片方だけ外し、お客様の声がする方へ耳を向けた。ソファ越しに伝わる二人分の呼吸と、すぐ隣にいるミイスの息遣いが重なる。
「シリスが来るまで待つわ。」
「お嬢様、今日もですか。今日、明日と公務も学業だってございます。それに――」
「いいの。」
短い会話の後の息遣い…多分お客様、呼吸が浅い。
ソファから微かに伝わる鼓動も、隣に座る人より速かった。
これって……。
私はミイスの胸元へ手を伸ばし、服の上から柔らかな膨らみの間へ手のひらを押し当てた。
ミイスの身体がびくりと跳ねる。
でも今は気にしていられない。
ミイスも鼓動は速いほうだけど、お客様はそれより速い。呼吸も浅く、ときどき苦しそうに途切れている。
この感じを、私は知っている。
酷い熱を出た時と同じだ。
「お嬢様。どうやら、ネズミが二匹忍び込んでいるようです」
「あら、アルヴェナ。今更かしら」
お客様が小さく笑った。
部屋の空気がざわつく。
バレた。
私たちのことだ。
こんなことになったのは全部このバカミイスのせいだ。
躊躇う背中を躊躇なく膝でグイッと押して
ソファの下から這い出させる。狭い場所へ無理やり潜り込んでいたせいで、服は皺だらけになり、髪も白い埃にまみれていた。
「お、お前たち、そこで何をしている!」
「Cランク!?」「なんであの下に」
お姉様方の声が次々と飛んでくる。
お客様の隣には、淡い夕陽色の髪をしたメイドが座っていた。ソファへ深く腰掛け、足まで組んでいる。
「あら誰が口を開いていいと言ったのかしら」
先までの声が静まる。並んだAランクのお姉様方を前にしても、動じる様子がない。
この人が、アルヴェナお姉様。
「ありがとう、アルヴェナ。それで――」
お客様がこちらへ顔を向けた。
差し込んだ日の光を受けて輝く金色の髪。澄んだ青い瞳。耳へ柔らかく残る、艶のある声。
「ねぇどうして、ソファの下なんかにいたのかしら?」
「あ、えっと……」
「見てのとおり、ソファの下を掃除しておりました!」
ミイスが勢いよく一礼する。その拍子に肩から白い埃が舞い、お客様の座る赤いソファへ落ちた。
「あ、ミイス! ご、ごめんなさい、あの……」
「そうね。その姿を見る限り、」
お客様は楽しそうに笑った。
「いいことを思いついたわ」
「いけません、お嬢様」
「まだ何も言っていないじゃない」
すぐに止めたアルヴェナお姉様へ返してから、お客様は向かいのソファを指差した。
「さあ、二人とも。そこへ座りなさい」
その隣から、鋭い赤い瞳が私たちを捉えている。
向かいのソファへ目をやると、埃まみれのミイスがすでにちょこんと座っていた。
い、いつの間に。
しかも、視線があちこちへ泳いでいる。
綺麗な赤いソファを汚してしまう罪悪感はある。
でも、それ以上に座ってみたい。
私は恐る恐る腰を下ろした。
お尻が柔らかく深く包まれ、程よい硬さの背もたれが腰を支えてくれる。
なにこれ、ずっと座っていたい……。
はっ。そんなことより。
姿勢を正すと、澄んだ青い瞳と鋭い赤い瞳が、まっすぐ私たちへ向けられていた。
肩に力が入る。
「さあ、二人とも。面接を始めましょうか」




