表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眠れる君に出会うまで  作者: 里凪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

100/100

二人の秘密(10)

 ローレンスの言葉に、私は小さく唾をゴクリと飲み込んだ。全身にこれまでとは違った緊張が走り、肩がギュッと強張るのがわかる。まるで自分が咎められているかのような、動揺と気まずさを感じた。


 アンドレアがレンのことを気にしていた理由はただ一つ。彼から『結婚相手に公爵家の人間だけはダメだ』と言われたからだろう。つまりは……「ローレンスは結婚相手として認められない」ということで、公爵令息であるローレンス本人に話すには随分とリスキーな内容だった。下手すれば、レンとローレンスの間に不和を生み出しかねない。


(まさか……アンドレアはそれを話してしまったの?)


 レンがアンドレアの結婚相手として『公爵家の人間を認めていない』と知ったなら、ローレンスはどう感じただろう?

 自分たちの結婚に反対する人間に、嫌な感情を抱かずにいられるのだろうか?


 彼の穏やかな顔の下に、

 礼儀正しい振る舞いの陰に、

 敬意に満ちた眼差しの背後に、

 レンに対する負の感情が隠れているのでは?


 そう勘繰る私に不安が忍び寄った。

 一方のレンは、冷静な表情を全く変えていない。自分がアンドレアの結婚相手として「公爵家の人間を禁じた」と知られても、いっこうに構わないといった様子だ。


 レンは平然としており、ローレンスにも異変はない。それにも関わらず、私は不安を感じたままで悪い予想が止まらなかった。

 ローレンスが態度を豹変させ、レンへの敵意を露わにしたら?

 もしそうなってもショックを受けずに済むよう、前もって心の準備まで始める始末だった。


 しかし同時に、私はアンドレアがレンのことを気にかけていたと知って喜んでもいた。結果的にローレンスの求婚を受け入れたとはいえ、彼女はレンの言葉を無下にしたわけではなかったのだ。


 この後の展開に備えてシミュレーションをするように、私は頭の中でローレンスへと訴えかけた。


(レンが言ったことには、きちんとした理由があるのよ。彼は公爵家の人間に偏見を抱いているわけじゃないわ。公爵家の実情は、あなたが一番よく知っているでしょう? それなら、レンが「だめだ」と言った理由もわかるはずよ。彼は家柄で人を見ているわけじゃない。ただ、公爵家での生活にアンドレアが耐えられないから……だから……彼女を大切に思うからこそ言っただけ。ローレンス、決してあなた自身を否定しているわけじゃないわ。そこは絶対に誤解しないで……)


 私の弁明が、全て想像上のものに対してというのが笑える。アンドレアがローレンスにどこまで話したのか、ローレンスがそれをどう受け取ったのか、レンに対してどんな感情を抱いているのか、まだ何もわかっていない。

 実際にローレンスがレンを非難でもしたのか? 

 いや、全くしていない。その気配すらない。

 ……今の私が相手にしているのは、完全に「想像上のローレンス」だ。悪い方にばかり考え、彼は負の感情を隠し持っているだろうと決めつけている。


(こんなの馬鹿みたい。取り越し苦労もいいところじゃないの……)


 しかし、こうした過剰反応にも原因はある。

 誰かから「ローレンスに身構えるなんて変だ。どこにそんな必要があるんだよ」と言われたなら、「でも、『元いた世界』で、私はもっと奇妙なものに身構えてきたのよ」と反論しただろう。


 元いた世界で、私が身構えてきたもの。

 それは、インターネットやSNS上で見る『大好きなもの』だった。大好きな歌、感動した映画、尊敬する俳優、愛してやまないアーティスト、美味しそうなスイーツ、美しい花や風景……それこそ「本来なら身構える必要のないもの」ばかりだ。

 傍から見れば、確かに変だと思う。

 自分が好きなものを見るだけなのに神経を張り詰めるなんて、どこにそんな理由がある?


 その理由は……私が、目にしてしまうかもしれない暴言を恐れていたからだった。


 どれほど素晴らしいものであっても、それを貶す人はいる。ネットで好きな歌を検索すれば「歌声が気持ち悪い」と貶す人がいて、映画の投稿には「駄作」という書き込みがあり、SNSのコメント欄を覗き込めば“乱暴な言葉”を目にする羽目になる。

 心温まる動画に癒されたのも束の間、そのコメント欄で巻き起こる「称賛する人」と「貶す人」のバトルに心を乱されることになるのだから、無防備ではいられない。常に警戒が必要だった。


 誰にでも好き嫌いがあり、合う合わないがあるのは当たり前。それと同じくらい、『「嫌いだ」「合わない」からといって、酷い言葉を吐くべきではない』ということも私にとっては当たり前だった。そこからすれば、ネットやSNSは「その当たり前」が通用しない混沌とした場所だ。

 何の変哲もない『好きなものを見る』ということにさえ、傷つく可能性がついて回る。


 “貶す言葉”や“攻撃的な言葉”は痛い。

 他者に対する暴言も、私は我が身に受けたように感じる。“酷い言葉”を目にする度に、落ち込み、傷つき、自分が攻撃されているような感覚に陥ることもある。

 そんな事態から心を守ろうとして、ある種の“警戒態勢”が身につくのも自然なことだった。


 たとえ好きなミュージックビデオを見るという、ささやかな時であっても、「うっかり暴言コメントを見てしまっても傷つかないように」と身構えておく。

 それは、心の周りに防御の壁を張り巡らせるような感覚だ。『元いた世界』で、この“警戒態勢”は馴染み深いものだった。

 だが、『この世界』で生じるのは今が初めてだ。


 ただ「好きなものを見る」だけでも“身構える”必要があった私は今、「穏やかなローレンス」にまで“身構える”必要性を感じている。過敏反応だという自覚はあるが、一度こうなると抜け出すのは難しい。

 ローレンスならば『結婚相手に公爵家の人間はダメ』という言葉をきちんと理解するだろう。自分に対するものではなく、「公爵家」に対する懸念だと正しく受け取るだろう。そうした冷静な考えは、今の私に通用しない。


 私は二人の様子を静かに窺った。

 ローレンスは、先を続けるのに相応しい言葉を探しているようだった。その姿からは、微塵も負の感情を感じない。彼はひたすら一生懸命なだけだった。

 そんなローレンスを、レンは急かさずに見守っている。微笑んでいるわけではないが、彼の瞳からはローレンスに対する慈しみのようなものが感じられた。


「……」


 なんだろう、この感覚は?

 レンとローレンスを見ているうちに、私は自分の態度がひどく馬鹿げたもののように思えてきた。


 彼らは、あまりにも魅力的だ。

 ここで言っているのは容姿のことではない。彼らから感じるもの、彼らの内側から滲み出る“何か”に、私は強烈に惹きつけられていた。感動で胸がいっぱいになり、その“何か”が私の悲観的な考えを一掃していく。

 抗えない魅力に、自然とこう思う。

 “私も彼らのようになりたい”と——。


 揺らがない強さと誠実さ。堂々としたまっすぐな姿勢。

 彼らは「ああかもしれない」「こうかもしれない」と悪い予想を膨らませ、ビクビクと怯えることはない。シンプルに、目の前のことにしっかりと向き合う意志と明晰さを持っている。私の在り方が風前の灯のように貧弱なら、彼らの在り方は太陽の輝きのように力強い。

 この対比は、爽快なまでに私の思考をクリアにした。


「……」


 もしも私が彼らのようだったら、『元いた世界』で、私はもっと幸せだったんじゃないかしら?


 「好きなもの」に触れる時、身構える必要なんてない。

 純粋に大好きな歌を聴き、素晴らしいところに目を向け、文句よりも前向きな言葉に注目する。

 そんな風にあれたとしたら、どれだけストレスが減っただろう?


 『自分が大好きなもの』に対する“暴言”を目にしても過度に反応することなく、ひたすら「素敵」なことに意識を向けられたとしたら?

 それは可能だ。だって私は、『自分が大好きなもの』の素晴らしさを既に知っているのだから。


(目にするかもしれない辛辣な言葉にビクビクするより、ただ「ここが好き!」「ここが素敵!」っていう自分の気持ちを大切にすれば良かったな……。そうすれば、SNSで『大好きなもの』を見る時にも感じるのは愛や感謝だけで、気疲れすることはなかった。それなら、あの疲労困憊していた日々の中でだって、元気を回復する機会になったはずなのに……)


「……」


 私は黙ったまま、深呼吸をした。

 ストンと腑に落ちたように、気分がスッキリとしている。ローレンスについても、もう不安先取りの考え方はしていなかった。


 不意にこちらを見たローレンスと目が合う。

 私は気付かぬうちに、彼に向かって微笑みかけていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ