13
エレナとサリーは動きを止めた。エレナの心が急速にざわめき始めた。
目の前に立っているのは、バナーム王国の第一王女であり、チャールズの手紙に出てきた人物だった。
「エレナ様……?」
サリーに声をかけられて、エレナはやっと我に返った。そして念のため、ゾフィーに確認した。
「ということは……あなたがチャールズ王子の新しい婚約者?」
ゾフィーの表情は一転して暗くなった。
「そうです。ただ今日はバナームとベガの軍事同盟を結ぶために来ました。使節に帯同した、と言うほうが正しいかもしれません」
「……それは国の機密情報なんじゃないの? 言っちゃっていいわけ?」エレナは眉をひそめた。
「エレナ様は信頼できる方だとお見受けしました。こうして向かい合っているだけでわかります」とゾフィーは微笑んだ。
その微笑みに触れたエレナの心は、少しずつ落ち着きを取り戻した。
「……まあいいわ。で、なんでお城を出て、兵士から逃げてたの? 何か悪いことした?」エレナの瞳がゾフィーを探るように見つめた。
「悪いことなんてしてません。怖くなったんです、お城にいることが。特にチャールズ王子が怖くて」
エレナはチャールズのどこが怖いのだろうと思った。確かに剣を振るう腕はすごいが、物腰もやわらかく、頭の回転も早い。手紙をやり取りしていても、いつもこちらが楽しくなるような返事をくれる。……くれていた、か。
「チャールズ王子は優しくて賢い方よ。私は素敵だと思っていたわ」
エレナは無意識にチャールズをかばった。
ゾフィーは言いにくいそうにしながら、
「……今日の午後に見てしまったんです。チャールズ王子が部下の人たちを痛めつけながら笑っているところを」と返した。
「それは……稽古をしながら、合間になにか冗談を言っていたとかじゃなくて?」
「いえ、ちがうんです。チャールズ王子は相手が降参しても木刀を振るのをやめませんでした。周りに止められてやっと落ち着くほどでした」
「今日は虫の居所が悪かったんじゃない? たまたま稽古で部下にあたっちゃったとか……」
エレナは戸惑いながらも、自分がまだチャールズを信じているという事実に気がついた。なぜかチャールズの味方をしてしまっている。婚約は一方的に破棄されたのだから、憎んでいても当然なはずなのに……心の中にチャールズへの未練が残っている。それを自覚したエレナは、理想的ではない自分の一面に向き合わざるを得なかった。
ゾフィーは変わらず沈んだ口調で続けた。
「わたしも今日だけなのかなと思ったんですが、その後、兵士たちが休憩中の様子を偶然目にしたんです。そして、どうやらこれはいつものことらしく、彼らはチャールズ王子の悪口ばかり言っていました。顔には青あざができていたり、痛々しい姿でした」
そう言い終わるとゾフィーは、周りをきょろきょろしながら「ここには兵士の追手がくるかもしれません。場所を変えましょう」と促し、エレナとサリーを連れた。
「ゾフィー様は、チャールズ王子のことが嫌い?」
エレナはゾフィーの後ろをついて行きながら訊いた。
(あれ……? ゾフィー様がチャールズ王子をどう思っているかなんて、関係ないはずじゃない……?)
エレナは質問をした瞬間から、このような質問をしたことを後悔し始めた。
しかしゾフィーはエレナの複雑な胸中を察してか、特に態度を変えることなく接した。
「ゾフィーでかまいません。わたしもエレナって呼んでいい?」
「ええ、エレナでいいわ」
エレナもゾフィーも分け隔てのない性格をしていたので、その点は互いに気楽だった。
街の薄明かりがぼんやりと照らす中、エレナたちは静かな通りを歩いた。周囲には閉じたお店や民家が立ち並び、遠くでは時計塔の時報がかすかに響いていた。その音に合わせて、エレナは心の中でも時計の針が進むような感覚を覚え、自身の現在と未来を捉えようとした。
ゾフィーは、考えを巡らすようにして言った。
「チャールズ王子のことは……好きじゃないわ。チャールズ王子は人柄が特殊で、昼は気性が荒く夜は大人しいの。太陽の光を浴びれば浴びるほど残虐になる感じで。わたしは……二面性のない優しい方が好き」
ゾフィーの瞳には、王女特有の深い憂いが宿っていた。その憂いが、彼女が抱える苦悩を物語っているかのようだった。それを見てエレナは、ゾフィーはゾフィーなりの真実を感じているのだと理解し、その気持ちを尊重したいと思った。
そのとき、エレナたちの足元では、どこからともなく野良猫たちがじゃれ合いながら歩いてきた。その姿は、重い話の途中でふと現れた軽やかな気晴らしのようで、三人の心に緊張が解ける瞬間を与えてくれた。
エレナは、懐いてきた子猫の耳の付け根を撫でながら、「へえ、そうなんだ。じゃあ、ゾフィーは他に好きな人がいるの?」と訊いた。
すると、ゾフィーは今までのさっぱりした態度とは打って変わってモジモジしながら言った。
「わたしは……ウィステリア王国騎士団の団長、バゼル様が好きなの」
エレナとサリーは驚きのあまり言葉を失った。二人は目を見張り、口が半開きのまま、信じられないという表情でゾフィーを見つめていた。
「ぶぶぶぶぶぶわわわわわわぁぁぁぁぁぁぁぜえええる???」
エレナの声が真夜中の街にこだました。しかし、周囲の家々からは誰も出てくる気配がなく、街には静かな時が流れるだけであった。




