白銀の盟約
朝。
宿の食堂には焼きたてのパンの香りが漂っていた。
窓の外では透き通った水路が流れ、白銀樹の葉が風に揺れている。
戦場とは無縁の光景。
それでも。
「やっぱり落ち着かねぇな」
バスティオンがパンを齧りながらぼやいた。
「昨日も聞いた」
レイヴンが返す。
「だってよ」
バスティオンは肩を竦める。
「こんな静かな朝とか逆に怖ぇんだよ」
「同感だ」
アヴェンジャーも頷いた。
「警報も無ければ銃声も無い」
「良いことじゃないですか」
レイスが苦笑する。
「それが落ち着かないんだろ」
「今は食べることに集中して」
アルメイサは三枚目のパンへ手を伸ばしながら呟く。
レイヴンはその食いざまを見て呆れていた。
「まだ食うのか」
「成長期だから」
「便利な言葉だな」
「便利だから使うんだよ」
平穏な一幕の中、食堂へ宿の管理人が入ってくる。
「皆様」
「ん?」
「昨晩の件なのですが」
何やら嫌な予感がした。
「巡回警備隊から苦情が届いております」
全員の視線が管理人へ向く。
「深夜に屋根へ登るのはお控えください」
沈黙。
そして。
全員の視線がレイヴンへ向いた。
「……」
「隊長」
レイスが言う。
「何してるんですか」
「周辺確認だ」
「偵察だろそれ」
バスティオンが吹き出した。
「休めねぇのかお前」
「異世界だからな」
「関係あるか?」
「ある」
レイヴンは真顔だった。
食堂へ笑い声が広がる。
そんな空気の中。
「楽しそうだね」
軽い声。
ルシアンだった。
「朝から来るな」
バスティオンが露骨に嫌そうな顔をする。
「歓迎されてないなぁ」
「自覚あるなら帰れ」
「残念だけど今日は用事がある」
ルシアンは笑った。
そして。
「ガルムについてだ」
その名前が出た瞬間、食堂の空気が静まった。
△▼
一行は聖域中央部へ来ていた。
巨大白銀樹の根元、そこには古い神殿が建っている。
ルシアンに促され神殿へ足を踏み入れた瞬間、ワイルドハントは足を止めた。
「でかいな」
バスティオンが呟く。
神殿中央。
そこには巨大な石像が立っていた。
天へ向かって吠える白銀の狼。
神々しいほど美しい姿。
森で遭遇した崩壊獣とは似て非なる存在。
「守護獣ガルム」
ルシアンが静かに言う。
「聖域を守り続けた白銀の霊狼だ」
石像の土台には古代文字が刻まれていた。
ルシアンはその前で立ち止まる。
「これは聖域に伝わる盟約文」
静かな声で読み上げた。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
汝が民を導く灯火であるならば
我らはその灯火を守る牙となろう
汝が森を愛するならば
我らは森の獣を統べよう
汝が民のため剣を取るならば
我らもまた血を流そう
たとえ白銀の身が朽ちようとも
たとえ最後の牙が砕けようとも
我らは聖域を見捨てない
この命尽きるその時まで
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
神殿の中へ静寂が満ちる。
エルフの子供ですら暗唱できるほど有名な盟約。
千年以上前、初代王と霊狼ガルムによって交わされた誓い。
それが白銀の守護獣の始まりだった。
「以来、守護獣は代々聖域と共に在った」
ルシアンが語る。
「王族を守り、民を守り、聖域を守る」
そして。
視線がアルメイサへ向く。
「大袈裟だなぁ」
アルメイサが頭を掻く。
「私はよくガルムに怒られてたし」
「怒られてた?」
レイスが首を傾げる。
「背中に乗ったり」
「おい」
バスティオンが突っ込む。
「耳引っ張ったり」
「おい」
「尻尾で遊んだり」
「お前本当に王族か?」
アルメイサが笑う。
「でも優しかったよ」
その声だけは少し柔らかかった。
「アルテリアと一緒によく遊んだ」
懐かしそうに石像を見上げる。
「私達が転んだらすぐ助けてくれたし」
「王族の護衛みたいなものか」
アヴェンジャーが言う。
ルシアンは首を振った。
「違う」
少しだけ笑う。
「家族だったんだよ」
△▼
神殿地下。
そこにはこれまでの記録が保管されていた。
崩壊獣が現れた日、聖域は混乱した。
魔法が効かない。傷が再生する。何なのかも分からない。
誰も対処法を知らなかった。
そんな中、最初に戦ったのはガルムだった。
守護獣として。
聖域最強の存在として。
何十体。
何百体。
崩壊獣を討ち取った。
傷付いても。
血を流しても。
戦い続けた。
ルシアンは古い記録を見つめる。
「誰も命令していない」
静かな声だった。
「それでもガルムは退かなかった」
守護獣だったから。
盟約があったから。
守ると誓ったから。
やがて戦いは長期化する。
崩壊粒子は森へ侵食し、原生生物の命を蝕み、多数の生命を崩壊獣へと変性させた。
ガルムは戦い続けた。
そしてある日、異変が起きる。
守護獣ガルム。
崩壊粒子による侵食を確認。
後に消息不明。
数日後。
森の奥で発見。
額部より黒角発現。
崩壊獣化を確認。
誰も言葉を発さなかった。
ガルムは負けたのではない。
逃げたのでもない。
最後まで戦った。
戦い続けた。
その果てに蝕まれた。
「だから誰も責められない」
ルシアンが言う。
「ガルムは盟約を守った」
静かな言葉だった。
「最後まで」
アルメイサは俯いていた。
拳を握り締めながら。
△▼
夜。
宿の裏庭。
アルメイサは一人で空を見上げていた。
「眠れないのか」
振り向く。
レイヴンだった。
「ちょっとね」
しばらくの沈黙。
やがて。
「ガルムはさ」
ぽつりと呟く。
「約束守ったんだよ」
声が震えていた。
「ずっと」
レイヴンは何も言わない。
ただ隣へ立つ。
それだけだった。
「だから」
アルメイサは再び空を見上げる。
「会わなきゃいけない気がするんだ」
守護獣としてではない。
崩壊獣としてでもない。
家族として。
レイヴンは静かに頷いた。
「......そうか」
短い言葉だった。
だが、それだけで十分だった。
△▼
聖域外縁。
崩壊粒子侵食区域最深部。
巨大な漆黒の狼が歩いていた。
黒角を宿し。
理性を失い。
崩壊獣となった守護獣。
それでも、その足は無意識に聖域の方角を向いていた。
まるで今もなお、守るべき場所を忘れていないかのように。
守護獣ガルムは崩壊獣となった今もなお、千年前の盟約に縛られ続けていた。




