束の間の安息
議会が終わった頃には、空は茜色へ染まり始めていた。
ワイルドハントへ与えられた宿は、聖域中心部から少し離れた静かな場所にあった。
白銀樹の枝葉が頭上を覆い、窓の外では透き通った水路が流れている。
平和だった。
あまりにも。
「落ち着かねぇな」
宿へ入った瞬間、バスティオンがぼやく。
「同感だな」
アヴェンジャーも頷いた。
戦場の匂いがない、銃声もない、警報もない。
あまりにも平和すぎる。
それが逆に落ち着かなかった。
「隊服は清掃、補修を行います」
宿の管理人であるエルフが衣服を差し出した。
「こちらをお使いください」
それはエルフ風の衣服だった。
流石に隊服も限界だったから丁度よかったのだろう。
やがて着替えを終えた面々が食堂へ集まった。
そして、最初に吹き出したのはバスティオンだった。
「ぶはっ」
ケラケラと笑うバスティオンの視線の先には不機嫌そうなレイヴンが立っている。
白を基調とした簡素な上着。
動きやすさ重視のラフな服装だ。
だが腰には拳銃が残されていた。
「……なんだ」
「いや」
肩を震わせる。
「似合わねぇなと思って」
「同感だな」
アヴェンジャーが真顔で頷いた。
「隊長は軍服の印象が強すぎる」
「うん」
アルメイサも頷く。
「なんか変」
容赦のない言葉にレイヴンは無言になる。
「隊長が普通の服着てると違和感しかねぇ」
「まるで戦争が終わったみたいだな」
バスティオンが笑う。
「そ、その……」
レイスがおずおずと口を開いた。
「そんなことないですよ」
全員の視線が向き、レイスは少し慌てた。
その頬は少しだけ紅潮しているようだ。
「普通に似合ってると思います」
数秒の沈黙。
「甘いな」
アルメイサが言った。
「甘々だな」
アヴェンジャーも続く。
「ち、違います!」
レイスの顔が赤くなる。
食堂へ笑い声が広がった。
久しぶりだった。
死の危険性がない日常は。
翌日。
久しぶりに予定のない朝だった。
朝食を終えた後、自然と各々が街へ出ていく。
△▼
バスティオンが向かったのは工房街だった。
金属を打つ音、木材を削る音。
ここは活気に満ちている。
「おぉ……」
思わず声が漏れる。
見たことのない工具、見たことのない素材、魔法で動く設備。
不可思議な光景に興味が尽きない。
「そこの人間」
不意に声が掛かった。
振り向くと、年老いた職人エルフが立っていた。
「それは義手か?」
「おう」
バスティオンが義手を叩くと金属音が響いた。
「機械だ」
「魔道具ではないのか?」
「違うな」
職人達が集まってくる。
「動力は?」
「油圧」
「ユアツ?」
「圧力で動かすんだよ」
説明すると、職人達は目を輝かせた。
技術者同士の会話だった。
だが。
「失ったのか、その腕を。まだ若いだろうに」
憐憫のこもった言葉にバスティオンは少しだけ黙った。
「......戦争でな」
職人達は何も言えなくなった。
気まずい空気の中で、バスティオンは明るく振る舞う。
「そんな顔すんな。俺はこの腕、気に入ってんだぜ?」
バスティオンは空虚に笑った。
──身体を失うなんて怖くねえさ
仲間を失うことに比べたらな
△▼
レイスは街を見下ろせる高台にいた。
眼下に広がる聖域は絶景だった。
日本の発展した近代都市とは違う、自然の中に作られた美しい都。
だが。
「射線良好ですね……」
最初の感想がそれだった。
「しゃせん?」
横から声がする。
振り向くと幼いエルフの少女がいた。
「何してるの?」
「えっと……」
レイスは少し考える。
「ただ、景色を見ていました」
当たり障りのない返答に少女は小首を傾げる。
「とってもキレイでしょ」
レイスは苦笑する。
「そうかもしれませんね」
景色を見ていたはずなのに、頭の中では狙撃位置ばかり探していた。
──私はもう、こういう生き方しかできないんだ
△▼
アヴェンジャーは訓練場へ足を運んでいた。
若いエルフ騎士達が汗を流している。
「貴方も騎士なのか?」
一人の騎士が話しかけてきた。
「あぁ」
短く答える。
「なら手合わせを頼みたい、異郷の騎士よ」
結果は一瞬だった。
木剣が宙を舞い、若い騎士は泥の味を知る。
「何故貴女はそんなに強い」
アヴェンジャーは少し考える。
そして答えた。
「弱ければ死ぬ。だから強くなるしかなかった」
騎士は言葉を失った。
アヴェンジャーもそれ以上は語らなかった。
──私は強くならねばならない
身も、心も、憎しみに呑まれぬように
△▼
アルメイサは市場を抜け、人気のない石畳の道を歩いていた。
足が向かう先は決まっている。誰かに教えられたわけではない。
覚えていた。
大切な記憶だから。
やがて見えてくる、白銀樹の根元近くに広がる小さな庭園。
幼い頃、よく遊んだ場所だった。
「……」
立ち止まる。
景色は昔のままだ。
白い花。
小川。
揺れる木々。
不思議なほどに何も変わっていない。
幼い頃、アルテリアと追いかけっこをした。
ガルムの背中へ乗って怒られた。
母に見つかって叱られた。
久しい情景ばかり浮かんでくる。
「懐かしいなぁ」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
言葉にしてようやく帰ってきたという実感が湧いた。そう、帰ってきたのだ。
だが。
「……あれ?」
不意に違和感を覚える。
何かが足りない気がした。
バスティオンの馬鹿みたいな笑い声もない。
レイスの慌てた声もない。
アヴェンジャーの堅苦しい説教もない。
レイヴンの無愛想な返事もない。
アルメイサは小さく息を吐いた。
「なんだ」
自分で思わず笑ってしまう。
故郷なのに何故か落ち着かない。その理由がわかった。
宿へ戻ればきっといる。
あの面倒な連中が。
騒がしくて、壊れていて、救いようもなく戦場しか知らない仲間が。
胸の奥の重さが少しだけ軽くなる。
「……帰ってご飯食べよ」
その"言葉"に気付いて、少しだけ目を丸くした。
帰る。
聖域へ帰る、ではない。
宿へ帰る。
ワイルドハントのところへ──。
いつの間にか、そこが自分の居場所になっていた。
──ごめんねアルテリア
私の居場所はここじゃないみたい
△▼
レイヴンは市場を歩いていた。
活気がある、笑い声もある、戦争の影はない。
ありふれた平和がここにはあった。
だが、気付けば人の流れ、建物配置、逃走経路、防衛拠点。
そんなことばかり考えている。
それが当たり前だった。
ふと足を止める。
今日は休息日だ。
敵はいない、戦場でもない。
それなのに、結局やっていることは変わらない。
小さく息を吐いて、視線を上げる。
市場では住民達が笑っていた。
子供達が走り回り、商人達が声を張り上げている。
平和だった。
少なくとも、自分達が知る世界よりは。
「……」
レイヴンは黙ってそれを見ていた。
不思議な感覚だった。
嫌いではない。
だが馴染める気もしない。
こういう場所で何を考えればいいのか。
どう過ごせばいいのか、よく分からなかった。
"戦場なら分かるのになと"という言葉は胸にしまった。
「......いくか」
ぽつりと呟く。
分からないなら分からないでいい。
今さら生き方を変えられるとも思わない。
レイヴンは再び歩き出す。
枝葉に覆われた天蓋を見上げながら。
その足取りは、どこか穏やかに感じられた。
──帰ろう
────────────
銀枝会議事堂最上階。
巨大白銀樹を見下ろす執務室には静かな空気が流れていた。
窓の外では聖域の灯りが輝いている。
平和な景色だった。
少なくとも表面上は。
執務机へ向かうアルテリアは書類へ目を通していた。
その向かいに、ソファへだらしなく腰掛けている男がいる。
ルシアンだった。
「随分と楽しそうでしたね」
アルテリアが言う。
ルシアンは窓の外を見たまま笑った。
「だって面白かったじゃないか」
「面白い、ですか」
「うん」
頬杖をつく。
「銀枝会を前にしてあそこまで堂々としてる人間なんて初めて見たよ」
アルテリアは小さく溜息を吐いた。
「相変わらずですね」
「褒め言葉かな?」
「皮肉ですよ」
即答にルシアンが肩を竦める。
しばらく沈黙が続く。
やがてアルテリアが口を開いた。
「信用しているのですか」
「まさか。ボクはそんなにお人好しじゃない」
軽い口調。
だが瞳は笑っていなかった。
先ほどまでの軽薄な雰囲気が消える。
「ガルムと接触して生還、黒角を破壊、猿型個体も撃破」
一つずつワイルドハントの偉業を並べる。
「全部事実だ」
アルテリアは黙って聞いていた。
「現状、崩壊獣を倒せるのは彼らだけだ」
ルシアンは窓の外を見る。
街の向こうの聖域を囲む森、さらにその奥。
闇の中に潜む脅威。
「ボク達には時間がない」
小さく呟いた。
「結界は年々弱まり、崩壊獣は増えてる。侵攻は激化し、今や森の外縁部まで奴らは来ている」
静かな声だった。
「あと数年」
そこで言葉を切る。
「最悪、それより早い段階で聖域は滅びる」
アルテリアは目を伏せた。
否定できない。
銀枝会第一席として、ルシアンの報告は誰より正確だった。
「だから」
ルシアンは肩を竦める。
「今さら人間だからどうとか言ってる連中を見ると虫唾が走るよ」
「貴方らしいですね」
「そうかな?」
「私も排他的思想には思うところはありますが」
少しだけ、アルテリアが笑った。
それを見てルシアンも笑う。
だが、すぐに表情が変わった。
「まあ老害どもよりも、今はあの子だ」
「赤目の彼ですか」
「うん」
窓の外を見ながら頷く。
「かなりの修羅場を潜ってきたんだろうね。只者じゃない」
アルテリアは黙る。
同じことを考えていた。
あの違和感、あの不快感、説明できない異質さ。
「あの瞳」
ルシアンが呟く。
「妙なんだよね」
言葉を探すように視線を上げる。
「視られている感じがしたんだ」
「私もです」
アルテリアが静かに答えた。
「ですが私達を見ているのではない」
「そう」
ルシアンが指を鳴らす。
「それだ」
少し嬉しそうだった。
「ボク達を見てるんじゃない。もっと遠くを見てる」
あの目。
あれは何だ。
精霊ではない。
魔法でもない。
神代の秘術とも違う。
あれは、説明がつかなかった。
「何を宿しているのでしょうね」
アルテリアが小さく呟く。
ルシアンは少し考えた。
そして笑う。
「さあ。でも、だからこそ面白いんじゃないか」
アルテリアがまた溜息を吐いた。
「本当に貴方は……」
「だってそうだろ?」
ルシアンは窓の外を指差した。
聖域。
崩壊獣。
銀枝会。
何百年も変わらない閉塞。
何年も続く戦い。
「久しぶりなんだ、何を考えてるのか分からない相手っていうのは」
ルシアンは久方ぶりに興味を持った相手に想いを馳せる。
聖域の未来は決して明るくない。
崩壊獣の脅威も増す一方。
銀枝会も、アルテリアも、誰も楽観視していなかった。
だが、そんな中でルシアンだけは違った。
窓の外を見ながら笑っていた。
まるで面白い玩具でも見つけた子供のように。
「退屈しなくて済みそうだ」
その呟きは夜の執務室へ溶けていく。
窓の向こう。
聖域のどこかで休んでいるだろう異邦人達へ向けて。
銀枝会第一席ルシアンは、どこまでも楽しそうだった。




