異邦の剣
議場の空気は凍っていた。
誰も動かない。
張り詰めた殺気だけが空間を満たしている。
銀枝会の数人は既に敵意を隠していなかった。
衛兵達もいつでも動けるよう身構えている。
円形議場の壁面へ刻まれた紋様が淡く発光していた。
防衛術式か。
あるいは拘束用か。
どちらにせよ歓迎用ではない。
レイヴンは静かに周囲を観察していた。
出口は三つある。
高所に狙撃位置が二箇所。
戦闘になれば、まず狙撃による制圧、次点で衛生との戦闘か、術式が起動するだろう。
逃げ切れる可能性は皆無だ。
だが、それでも引く理由にはならない。
「断る」
その一言が、議場を沈黙させる。
「こちらに義務はない」
冷たい声だった。
「報酬もなく死地へ行けと言うなら、断る」
一人の男エルフが立ち上がる。
「貴様、自分の立場を理解して──」
「理解している」
レイヴンがエルフの言葉を遮った。
敵対する意思はまだ見せていない。ただ、こちらの要求も通さなければ、ワイルドハントは再び消耗品として死地へ追いやられるだけだ。
エルフ達から並々ならぬ力の奔流を感じる。
あれが"魔力"という概念なのだろうか。
バスティオンの義手が低く駆動音を鳴らした。
内部シリンダーが圧力上昇を開始する。
重い金属音。
レイスは静かにブラックヘイルへ手を添え、アヴェンジャーも半歩前へ出た。
アルメイサだけは黙ったまま銀枝会を見ている。
もしここで戦闘になれば、無事では済まない。
それくらいは全員理解していた。
だが、ワイルドハントは誰も怯えていなかった。
それが銀枝会には気に入らない。
傲岸不遜な来訪者。下等な人間風情がエルフの要求を断るなど、あってはならないことなのだ。
エルフィアは内心で息を呑んでいた。
異常だ。
相手は銀枝会。
聖域最高権力。
エルフであれば視線を向けられるだけで萎縮する。
それなのに、この少年少女達は違う。
まるで巨大な猛獣を前にしている感覚がない。
「俺たちは兵器じゃない」
レイヴンは淡々と続ける。
「命を賭すならば対価が必要だ」
この場に上司はいない。Taccomも通信途絶している。ならば、レイヴンの判断で隊員の命運が定まる。故にレイヴンはこちらが不利になるような事態は避けたかった。
銀枝会の一人が冷たく口を開く。
「崩壊獣と戦えるだけで、自分達に価値があると思っているのか」
「ある」
レイヴンは一切視線を逸らさずに即答する。
「少なくとも、あんたらは崩壊獣を止められていないようだが」
完全な挑発だった。
議場の空気が爆発する。
「貴様ッ!」
殺気が噴き出した。
床へ光の亀裂のような模様が走る。
肺が軋む。
見えない圧力が全身へ叩きつけられていた。
普通の人間なら立っていられない。
だが、レイヴンは動かない。
真っ直ぐ銀枝会を見据えていた。
その時だった。
「──ははっ」
場違いな笑い声が響いた。
一瞬、空気が止まる。
銀枝会の一角。
長い銀髪の青年エルフが肩を震わせていた。
「いや、ごめん」
笑いを堪えるように手を上げる。
「ちょっと面白くてさ」
「ルシアン」
老エルフが低く名を呼ぶ。
だが青年──ルシアンは気にした様子もない。
椅子へ深く腰掛け、頬杖をつく。
「だって、この空気でまだ引かないんだよ?」
空色の瞳がレイヴンへ向く。
「普通はもう少し怯える」
「異物へ肩入れするおつもりですか」
銀枝会の一人が険しく言った。
「肩入れ?」
ルシアンは肩を竦めた。
「またその話か」
呆れたような声だった。
「人間だろうがドワーフだろうが獣人だろうが、使えるものは使うべきだろう?」
議場の空気が冷える。
「だから放蕩家などと呼ばれるのだ」
ルシアンは笑った。
「光栄だね」
反省の色は欠片もない。
銀枝会にあって異質な存在であることは、ワイルドハントの面々から見ても一目瞭然。
視線がルシアンに集まる中で、彼は少しだけ姿勢を正した。
「エルフィア達の報告は僕も確認している。なんなら使い魔越しに彼らの戦闘を見ていたよ」
軽い声だったが、その場の空気が変わる。
「彼らは、間違いなく崩壊を退ける剣足りえる」
空色の瞳がワイルドハントへ向く。
「ガルムとの接触から生還した時点で、君達は前例がない」
誰も反論できない。
「しかも、魔法では破壊できなかった黒角を破壊している」
ルシアンは続ける。
「僕達が何年も対処法を探している相手を彼らは退けたんだ」
銀枝会の誰も否定しない。付け入る余地がない。
「現状、聖域で一番崩壊獣を殺せる可能性が高い戦力だよ。まぁ、つまりは気に入ったのさ」
軽く言った。
だが、その言葉の重みを理解しているのは彼自身だった。
「気に食わないのは分かるとも」
周囲を見渡す。
「得体の知れない異邦人。しかも人間。聖域へ入れるなんて反吐が出るとか思ってるんだろう?
くだらない、実にくだらないよ君達は。変化を受け入れない長命種なんて生きる屍も同然じゃないか」
何人かのエルフが顔を歪める。
「このまま変わることを拒んでいれば確実に聖域は滅ぶよ」
それまでの笑みが消えた。
その視線は同族へ向けていいようなものではない。議場が、静まり返る。
「崩壊獣は森の外縁まで来ている」
その一言が重く落ちた。
「あと数年持つかどうかも分からない状況で、まだ種族の話を続けるの?」
誰も答えない。
軽薄に見える男は、誰よりも現実を見ていた。
夢見る理想家では何も成し得ない。
現実を直視し、活路を見出すことこそが生存への鍵だ。
だからこそ、聖域はルシアンの手腕によって現在も崩壊獣に抗えていた。
その役割は、レイヴンと近いしいとも言えるだろう。
ふいに、ルシアンの視線が止まる。
レイヴンの左目。
煮えたぎるような赤い瞳。
「……それに」
僅かに目を細めた。
「その目」
空気が変わる。
アルテリアが静かに視線を上げる。
ルシアンはレイヴンを真っ直ぐ見ていた。
「何を視てる?」
数秒の沈黙。
エルフ達は、ルシアンが何を問うているのか理解していない。
レイヴンは淡々と答えた。
「答える義理はないな」
問いを一瞬にして切り捨てた。
議場の緊張感が張り詰める。
レイヴンの無礼とも取れる返答に、銀枝会の面々は怒りを浮かべているがルシアンは怒らない。
むしろ、楽しそうに笑った。
「ははっ」
本当に愉快そうだった。
「いいね、最高だよ君」
レイヴンは何も答えない。
ただ見返している。
その瞳の奥、そこに何かがある。
ルシアンは確信していた。
だが、それ以上は踏み込まなかった。
一方で、アルテリアは違った。
胸の奥へ嫌な感覚が残っている。
あの目に感じた強烈な違和感。
それは魔力ではない、精霊でもない。
何かもっと別の。
世界そのものを覗き込むような異質さ。
「……」
アルテリアは黙り込む。
言葉にできない。
だが確かに感じていた。
あの瞳は危険だと。
やがて老エルフが口を開く。
「……対価を提示しよう」
空気が変わる。
「崩壊獣討伐へ協力するのであれば、聖域はお主らへ滞在権を与える。加えて兵器維持への協力も行うことを約束しよう」
レイヴンが僅かに目を細めた。
「……弾薬の補充も目下の課題だ」
「素材次第だ」
レイヴンは沈黙する。
悪い条件ではない。
むしろ必要なものだった。
だが視線を見れば分かる。
歓迎されているわけではない。
利用価値があるから生かされているだけだ。
ならば、こちらも利用する。
「……いいだろう」
短く答える。
その瞬間、張り詰めていた空気が僅かに緩んだ。
交渉成立。
ワイルドハントと聖域に、奇妙な共闘関係が結ばれた瞬間だった。
だが、議題はまだ残っている。
老エルフが静かに視線を向けた。
「そして、もう一つ」
その視線の先にいたのはアルメイサだった。
フードを被った少女は面倒そうに視線を返す。
「アルメイサ・スタブグラム」
議場が僅かにざわつく。
それは、失われたはずの姫の名。
「貴女の処遇についてだ」
アルメイサは肩を竦めた。
「好きにすれば?」
興味なさそうな声だった。
だが、その言葉とは裏腹に、アルメイサの指先だけが僅かに握られていることに気付いた者はいない。
「生存は認める」
老エルフが言う。
「だが現在の聖域は既にアルテリア王女殿下の統治下にある」
紫の瞳を持つアルテリアは何も言わない。
「よって王位継承権の復活は認めないものとする」
静寂。
「異論はありますかな」
老エルフが問う。
アルテリアは静かにアルメイサを見た。
死んだと思っていた妹。失ったはずの半身。
僅かな沈黙。
「……ないよ」
紫の瞳が伏せられる。
それ以上、彼女は何も語らなかった。
「では、アルメイサ・スタブグラムは王族としてではなく、一個人として聖域への滞在を認める」
議場のざわめきが僅かに広がる。それは歓迎ではない。王族ですらない異界帰りの少女。
それが銀枝会の結論だった。
その中で、ルシアンだけが満足そうに笑っていた。
「よかった」
小さな声。
「苦労した甲斐があったよ」
レイヴンが視線を向ける。
「俺達をここへ連れて来させたのはお前だな」
ルシアンは楽しそうに笑った。
「そうかもしれないね」
「面倒な男だな」
「よく言われるよ」
レイヴンが視線を外す。
交渉は終わった。少なくとも表面上は。
議場を見渡せば、銀枝会の表情は重い。
眉を顰める者、露骨に不快感を隠さない者、警戒心を強める者。
誰もが歓迎していない。
異邦人。人間。そして崩壊獣を殺せる兵器。
ワイルドハントは聖域にとって必要な戦力であり、同時に危険な異物でもあった。
アルテリアもまた黙り込んでいた。
その紫の瞳はレイヴンの左目を見つめている。
あの瞳の奥にあるもの。
あの得体の知れない違和感が、胸の奥へ小さな棘のように残っていた。
それぞれが複雑な心境の中で、ルシアンは小さく笑った。
聖域では放蕩家として知られる異端児。
彼だけが愉快そうに口角を上げている。
まるで面白い玩具でも見つけた子供のように。
「退屈しなくて済みそうだ」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
その視線の先には、ワイルドハントの姿があった。




