王女と亡霊
聖域アルヴヘイムは静寂に包まれていた。
頭上を覆う巨大な白銀樹の枝葉が風で揺れ、鈴のような音を鳴らしていた。
街には人影もあり、住人の往来もある。
なのに、街全体が息を潜めている。
そんな感覚があった。
石畳を進むワイルドハントへ、無数の視線が向けられている。決して友好的なものではない。
侵入者の来訪。これが、街を静寂たらしめる理由かもしれない。
窓の隙間。
路地裏。
白銀樹の枝の上。
エルフ達は隠れようともせず、露骨な警戒心を向けていた。
その視線の大半は武器へ集まっている。
見たことのない長筒、機械の義手、不吉を運ぶような漆黒の装衣。
理解できないものを見る目だった。
「……居心地悪ぃな」
バスティオンがぼやくが、先導するエルフィアは振り返らない。
「人間の来訪など前例がありませんから」
「そりゃ光栄だな」
バスティオンは鼻を鳴らした。
だが、ここが完全な敵地であることくらい誰でも分かる。
もし囲まれれば逃げ場はない。
だから、レイヴンは周囲を観察していた。
エルフ達の多くは弓を携行している。
だが、それだけではない。
腰へ短剣を提げた者。
槍を持つ者。
中には武器すら持たないのに妙な威圧感を放つ者もいる。
油断できる相手ではなかった。
「……見世物みたい」
不意にアルメイサが呟く。
レイヴンは隣を歩くグリード──アルメイサを見る。
フードの奥の表情は暗い。
聖域へ入ってから、彼女はずっと静かだった。
いつもの無気力とは違う、何かを押し殺しているように見える。
「帰ってきた感想は」
短く問う。
アルメイサは少しだけ視線を上げた。
銀色の枝葉が空を埋め尽くしている。
昔は、この景色が世界そのものだった。
聖域の外など存在しないと、本気で思っていた頃もある。
だが今は違う。
世界はもっと広く、醜く、救いようがない。
「……別に」
小さく答える。
その声は少し掠れていた。
レイヴンはそれ以上聞かなかった。
踏み込めば嫌がる。
なんとなく、そう思った。
やがて、一行は巨大な建造物の前へ辿り着く。
白銀色の木材と石材で構築された半円状の建築。根のような柱が複雑に絡み合い、巨大な生物の骨格にも見えた。
「銀枝会議事堂です」
エルフィアが告げる。
その瞬間、レイスが小さく目を細めた。
「……増えていますね」
屋根の上、柱の陰。
見えない位置から、複数の気配がこちらを狙っている。
バスティオンが肩を回した。
「信用ねぇなぁ」
「当然です」
エルフィアは即答する。
「貴方達が危険と判断されれば、即座に制圧します」
「怖ぇ怖ぇ」
軽口を返しながらも、バスティオンの義手は僅かに軋んでいた。
無意識に力が入っているのだろう。
レイヴンは議事堂を見上げる。
理由は分からない。
だが、この建物は妙だった。
近づくほど不快感が強くなる。耳鳴りに似た違和感。肺へ冷たい水を流し込まれるような圧迫感。本能が警告していた。
ここは危険だと。
「入ります」
扉がゆっくりと開く。
内部へ踏み込んだ瞬間、バスティオンが顔をしかめた。
「……チッ」
空気が変わった。
円形の議場。
中央には巨大白銀樹の根が地面を貫くように伸び、その周囲を囲むように十二の席が並んでいる。
そして、そこへ座るエルフ達を見た瞬間、全員が理解した。
強い。
説明できないが、生物として格が違う。
猛獣の檻へ放り込まれたような感覚だった。
アヴェンジャーが静かに周囲を見渡す。
「これが聖域の統治者か」
「銀枝会です」
エルフィアが一礼する。
最上段へ座る老エルフが、ゆっくりと目を開いた。その視線が真っ直ぐグリードへ向く。
「……久しいな」
静かな声だった。
だが議場全体へ染み込むような重さがある。
「アルメイサ」
その名を聞いた瞬間、空気が揺れた。
銀枝会の視線が一斉に彼女へ集まる。
グリード──アルメイサは数秒黙り込んだあと、ゆっくりとフードを下ろした。
長い銀髪。
尖った耳。
紫色の瞳。
議場がざわめく。
「本当に……」
「生きていたのか……」
驚愕の声が漏れる。
亡霊でも見ているような反応だった。
「五十年前に失われた王族が帰還するとは」
老エルフが呟く。
「五十年?」
バスティオンが眉を寄せ、怪訝な表情を浮かべるとエルフィアが小声で補足する。
「おそらく、聖域と外界とでは時の流れが違うのでしょう」
「そりゃまた面倒な」
バスティオンが軽口を言い終えると、議場奥の扉が静かに開く。
空気が変わった。
エルフ達が一斉に頭を垂れる。
その人物を見た瞬間、アルメイサの表情が強張った。
銀髪。
紫色の瞳。
整った顔立ち。
アルメイサの鏡写しのようだった。
だが纏う空気が違う。
静かで、冷たく、揺るぎのない大樹のような存在感。王として完成された器。
その女はゆっくりと議場へ入り、アルメイサを見つめた。
「……お久しぶりです、アルメイサ」
柔らかな敬語。
だが、冷たさのある声にアルメイサは答えない。
ただ、その瞳だけが小さく揺れている。
重苦しい沈黙。
やがて銀枝会の一人が口を開いた。
「では報告を」
空気が切り替わる。
「エルフィア。侵入者達について説明しなさい」
「はっ」
エルフィアが前へ出る。
「対象は異界より出現。森にて崩壊獣ガルムと交戦しました」
その瞬間、議場の空気が変わった。
ざわめきが走る。
「……ガルムだと?」
「生き残ったのか?」
「ありえん……」
エルフ達の反応が変わる。
敵意より先に驚愕が来ていた。
エルフィアは続ける。
「崩壊獣“ガルム”と接触。加えて猿型個体ノーフェイスも確認しています」
銀枝会の表情が険しくなる。
「たった五人がガルムを相手に生き残るなど」
老エルフが鋭く目を細める。
「……それで?」
エルフィアは一瞬迷い、そして答えた。
「ノーフェイスを討伐。ガルムを退けました」
誰も言葉を発さない。やがて議場がどよめいた。
「撃退……?」
「人間が?」
「有り得ない……!」
疑念、そして困惑。
様々な感情が渦巻く。
その中でアルメイサが静かに口を開いた。
「本当だよ」
全員の視線が彼女へ向く。
「狼の崩壊獣は逃げた」
議場の空気が止まる。
「あのガルムが?」
「そんなはずは……」
「でも実際に見た」
アルメイサは銀枝会を真っ直ぐ見返した。
「私たちは生き残った」
重い沈黙が落ちる。
レイヴンは銀枝会の目が変わったことに気付いていた。
警戒だけではない。
値踏みだ。
利用価値を測っている。
やがて老エルフが静かに口を開いた。
「……興味深い」
その声に感情はない。
「異界の兵器が崩壊獣へ有効である可能性がある」
別のエルフが続ける。
「ならば利用すべきだ」
「聖域防衛へ投入するべきでしょう」
まるで道具を見るような目だった。
レイヴンは理解する。
歓迎されたわけじゃない、ただ価値を見出された。それだけだ。
銀枝会の一人が静かに言った。
「崩壊獣討伐への協力を要請します」
“要請”。
だが断れる空気ではない。
議場の奥。
アルテリアだけが静かにアルメイサを見つめていた。
その視線だけが、他のエルフ達とは少し違っていた。




