失われた姫
森は静まり返り、そこには、戦闘の余韻だけが残っている。
抉れた地面。
砕けた巨木。
そして空気中を漂う、紫黒の粒子。
猿獣の死骸は既に霧散していた。まるで最初から存在しなかったかのように。
その激戦地の中心で、レイヴンは地面へ倒れ込んでいた。
右眼から流れた血が、頬を伝って土へ落ちる。
「隊長!」
レイスが駆け寄る。
膝をつき、慌てて止血剤を取り出した。
「しっかりしてください!」
「……問題ない」
掠れた声だった、だが意識はある。
レイヴンはゆっくり身体を起こそうとする。
しかし、視界が揺れた。
未来視の過負荷。
二体同時連続演算の反動が、まだ脳を焼いている。
「無理をしないでください」
レイスが肩を支える。その声には労いの情が強く滲んでいた。
少し離れた場所で、バスティオンが森を睨んでいる。副隊長として、周囲の警戒は怠らない。
「……消えたな」
ガルムの気配は完全に消失していた。
アヴェンジャーが静かに答える。
「撤退したのだろう。だが警戒は解くな」
高周波ブレードを握ったまま、周囲へ視線を巡らせている。未知の土地、未知の怪物。この数刻だけでありえない経験をしてきた。ならば、何が起きてもおかしくはない。
だからこそ、バスティオンとアヴェンジャーは未だに警戒を解かないでいる。消耗しきっている隊長の代わりに。
そんな中、グリードだけは黙っていた。
倒木へ寄りかかり、ただ森の奥を見つめている。
その横顔は、どこか苦しげだった。
そんな中、森の奥で木々が揺れた。
複数の統率された足音。
アヴェンジャーが即座に構えを取る。
「……複数の気配だ。私が前に出る」
「...待て」
未来視を酷使する。
充血した目を抑えて苦悶を漏らす。
そして、未来が流れ込む。
矢。
包囲。
緊張。
だが、戦闘にはならない。
こちらから手を出さなければ。
「……その場で待機だ」
短く命じる。
数秒後、木々の隙間から白銀の装束を纏った集団が現れた。
長耳。
白木の弓。
そして剣と杖。
人間ではない。
あれは、人間とは似て非なる生物だ。
先頭に立つ女剣士が、鋭い視線を向ける。
「その場を動くな」
空気が張り詰める中、バスティオンが小さく笑った。
「初対面だってのに愛想悪ぃな。その耳、どうなってんだ?」
「黙りなさい侵入者」
女剣士は冷たく返す。
「この周辺には崩壊獣の反応があった筈だ」
その言葉に、ワイルドハント側の空気が僅かに変わる。
エルフ達は周囲を見渡していた。
地面へ転がる薬莢、侵食された木々、砕けた大地、空間へ残留する粒子。
エルフ達は理解できなかった。
崩壊獣の暴威に晒されておきながら、生き残る人間の存在を。
互いに膠着状態で睨み合う。
いつ戦闘が始まってもおかしくない。
そんな中で、一人の若いエルフ兵が顔を青ざめさせる。
「これは……守護獣様の魔力……?」
ざわめきが走る。
女剣士──エルフィアが目を細めた。
「馬鹿な……退けたというのか?」
その時だった。
さらにもう一人の兵士が、グリードを見て固まる。
正確には“魔力”を見ていた。
銀色の輝き。
透き通るような高純度魔力。
そして、王族特有の魔力を帯びた狼の刻印。
兵士の喉が震える。
「……そんな」
周囲のエルフ達も気付いた。
動揺が広がる。
エルフィアが目を見開いた。
「その魔力は……」
グリードは深くため息を吐く。
「……あーあ」
面倒そうに頭を掻いた。
「バレちゃったか」
フードが落ち、銀髪が揺れる。
露わになった長耳を見て、バスティオンが絶句した。
「は……?」
バスティオンですら言葉を失う。
グリードは眠たげな目のまま肩を竦めた。
「隠してて悪かったね」
そして、少しだけ苦笑する。
「元エルフのお姫様なんだよ、私」
エルフ達は一斉にざわめきだす。
「アルメイサ様……!」
「生きておられたのですか……!?」
「ですが何故……!」
だが、エルフィアだけは険しい顔を崩さなかった。
驚愕。
困惑。
そして。
怒り。
「……なぜ今更戻ってきたのです」
アルメイサの表情が僅かに陰る。
レイヴンは黙ってその光景を見ていた。
未来は見える。
だが、過去は見えない。
彼女が何を背負っているのか、今はまだ分からなかった。
エルフィアは静かに剣を収める。
「聖域へ同行していただきます」
その声に滲む決意は硬い。
拒否は交戦を意味するだろう。
「長老達も……貴女の帰還を知れば黙ってはいないでしょう」
アルメイサは嫌そうに顔をしかめた。
「……面倒なことになったなぁ」
バスティオンが額を押さえて、一際大きなため息を溢す。




