第98章 失われた記録
翌朝、主人公はまず自分の怪我を確認した。
肩を動かすと、まだ痛みが残っていた。腕にもはっきりと痣ができている。直人は主人公より軽傷だったが、右腕に力を入れると痛むらしい。復讐者は額に傷を負い、包帯を巻き直していた。
三人とも、調査を中止するつもりはなかった。
ただし、昨日の襲撃によって、当初の予定を見直す必要が生じていた。
「先に、失った資料を整理しよう」
主人公は残された記録を机の上に並べた。
昨日、奪われたのは運送業者の帳簿の写し、受領証の複製、それから旧倉庫についての調査記録だった。
「持っていかれた資料を見れば、俺たちがどこまで調べたのか、ある程度は分かるだろうな」
直人が言った。
「分かるのは一部だけだ」
主人公は書類を一枚ずつ確認した。
「原本は榊原のところにある。俺たちが持っていたのは写しが多い。それに、調べた結果や気づいたことの一部は、俺自身の手帳にしか書いていない」
復讐者は机の上を見回した。
「なら、奪われた資料だけで、すぐに箱の場所を突き止められるわけではないか」
「そうとは限らない。写しでも、誰かが欲しがっていた情報なら十分に価値がある」
主人公は、昨日までに確認した内容を別の紙に書き直した。
旧倉庫の地下空間。
搬出物についての記録。
品名の記載されていない運送記録。
黒田家の預かり物に関する帳簿。
南雲家に残されていた受領証。
それぞれについて、どの資料から確認できたのかを記し、まだ確証のない部分には別の印をつけた。
直人がそれをのぞき込んだ。
「こうして並べると、何が分かっていて、何が分かっていないのかが見えやすいな」
「昨日、資料を失ったから、もう一度整理する必要が出てきたんだ」
主人公は筆を置いた。
「面倒ではあるけど、少なくとも、何を探し直せばいいのかは分かる」
失ったものを惜しんでいても、調査は進まない。
今ある情報を整理し直し、足りない部分を埋める。それが、現時点でできることだった。
***
昼前、榊原の一団から使いの者がやって来た。
届けられたのは、以前に集めた運送記録と、受領証の複製だった。
「榊原様からです。こちらで保管していた資料の一部を、お渡しするようにとのことでした」
使いの者は書類を差し出した。
「それから、昨日奪われた資料の中に、我々の収集記録が含まれていたかどうか、確認したいとのことです」
「含まれているものもある。ただし、全部ではない」
主人公は答えた。
使いの者は短くうなずいた。
主人公は届いた資料を、手元に残っていた記録と照合した。
その中に、昨日奪われた受領証と同じものがあった。
少なくとも、その記録については完全に失われたわけではない。
主人公は該当する紙を取り出し、別に置いた。
「榊原に二つ伝えてほしい」
「何でしょうか」
「一つ目は、過去に誰が箱の出所を調べていたのか。二つ目は、今回のような収集記録を、どの立場の人間が閲覧できたのかだ」
使いの者は少し考えてから尋ねた。
「誰かが情報を漏らしたとお考えですか」
「特定の誰かを疑っているわけじゃない」
主人公は首を横に振った。
「ただ、俺が複数の箱を持っていると知っている人間がいる。それなら、情報がどこを通って外に出た可能性があるのか、確認しておく必要がある」
「承知しました。伝えておきます」
使いの者が帰ったあと、直人が口を開いた。
「榊原のところから情報が漏れた可能性もあるのか?」
「可能性だけなら、どこにでもある」
主人公は書類をまとめた。
「でも、今の段階で誰かを疑っても、調査が進むわけじゃない」
「じゃあ、昨日の連中が何者なのかも、まだ分からないままか」
「ああ。箱を渡せと言ってきたこと以外、確かなことは何もない」
主人公は書類を袋にしまった。
「分からないことを、分かったことにするつもりはない」
***
午後、榊原本人が訪ねてきた。
彼は大勢の護衛を連れてくることもなく、随行者を一人だけ入口に残して部屋に入った。
「昨日の件について、こちらでも調べ始めた」
主人公は黙って続きを待った。
「今のところ、襲撃者が我々の一団に属していると示す証拠はない。誰が君の箱についての情報を外に伝えたのかも、まだ分かっていない」
「調査を始めたばかりなら、当然だろうな」
「そうだ。短期間ですべての人間の行動や記録を確認するのは難しい」
榊原は、調べがついたかのように取り繕わなかった。
主人公にとっても、その答えは予想の範囲内だった。
今の段階で、榊原が襲撃者の正体を断定できるはずもない。
「それとは別に、見せておきたい記録がある」
榊原は一枚の古い書類を取り出した。
「我々が過去の収集記録を整理していたところ、所在が途中で分からなくなった箱が二つ見つかった」
主人公は書類を受け取った。
そこには箱の外観、最後に確認された場所、調査を担当していた人物の名前が記されていた。
「いつ頃の話だ?」
「かなり昔だ。我々が現在ほど多くの箱を集める前のことになる」
「調査が中断した理由は?」
「記録には残っていない」
榊原は続けた。
「当時の担当者は、最終報告を提出しないまま一団を離れた。その後、我々も所在をつかめていない」
主人公は書類を読み直した。
箱がどこで確認されたのかは分かる。
しかし、なぜその後の調査が途絶えたのか、箱が誰の手に渡ったのか、あるいは今も残っているのか。それらについては何も書かれていなかった。
「その担当者は、今どこにいる?」
「現在、こちらで所在を調べているところだ」
「見つかったら、俺にも会わせてほしい」
「分かった。本人が話す意思を持っているなら、場を設けよう」
主人公は書類を机に置いた。
「その人物が、箱について何か知っている可能性があるからか?」
榊原は逆に尋ねた。
「可能性があるだけだ。何も知らないかもしれないし、当時の調査そのものが失敗していたのかもしれない」
「なるほど」
「ただ、箱の行方を調べるなら、途中で記録が途切れた理由も確認する必要がある」
榊原は納得したようにうなずいた。
「その件は、こちらでも調査を続ける」
「頼む」
それ以上、二人は余計な約束を交わさなかった。
主人公は榊原を信用しきっているわけではない。
榊原もまた、主人公にすべてを明かしているわけではない。
それでも、互いに持っている情報を交換することには、今のところ利益があった。
***
夕方、主人公は箱を保管している場所へ向かった。
一つずつ取り出し、表面の印と形状を確認する。
どの箱にも、目立った変化はなかった。
新しい傷も、無理に開けようとした痕跡も見つからない。
昨日の襲撃者たちは、箱そのものを奪うことには失敗していた。
だが、それで危険が去ったとは考えられなかった。
相手は箱を渡せと要求した。
つまり、少なくとも複数の箱を持つ主人公を、わざわざ狙う理由があったということだ。
次の襲撃があるかどうかは分からない。
誰が情報を持っているのかも分からない。
主人公は、今後の保管方法を変えることにした。
箱を一か所にまとめて置かない。重要な記録は複製を残す。調査に持ち出す資料も、必要なものだけに絞る。
誰かと戦うためではない。
これまでと同じやり方では、同じように失う可能性がある。それだけのことだった。
夜になって、通信端末にメッセージが届いた。
『今日はどうだった?』
主人公は少し考えてから返信した。
『昨日、少し面倒なことがあった。箱を奪おうとする連中に襲われた』
返事はすぐに届いた。
『怪我はしたの?』
『少しだけ。大したことはない』
『今は安全な場所にいる?』
『ああ。今のところは』
それ以上、相手は襲撃者について詳しく尋ねなかった。
主人公も、箱の数や調査の具体的な内容を伝えることはしなかった。
しばらくして、もう一通メッセージが届いた。
『調査が終わっていなくても、無理をして続けないでね』
主人公は画面を見つめたあと、短く返した。
『分かった』
端末を伏せ、机に向き直る。
失われた資料は、一部を取り戻せる見込みがあった。
所在の分からなくなった二つの箱についても、新しい調査先が見つかった。
ただし、どちらもまだ手がかりにすぎない。
箱の由来も、かつての持ち主たちが何を知っていたのかも、依然として不明なままだった。
主人公は、榊原から受け取った記録をもう一度確認した。
明日は、過去に調査を担当していた人物の足取りを追う。
襲撃者については、今はそれ以上調べようがない。
正体が分からない以上、勝手に誰かの名前を当てはめるわけにもいかなかった。
主人公は書類を閉じ、灯りを消した。
昨日の出来事は、何も解決していない。
それでも、調査を続けるために必要なものは、まだ手元に残っていた。




