第97章 夜道の襲撃者
南雲家から戻った翌日、主人公たちは榊原の手配した馬車で旧商業施設の跡地へ向かっていた。
前日に見つかった受領証について、もう一度現地の記録と照合するためだった。
出発前、南雲家の親族から新しい連絡が届いていた。古い事務所の資料を整理したところ、当時の雇用記録らしきものが見つかったという。
ただし、内容を確認するには、もう少し時間がかかるらしい。
「今日中に何か分かるといいんだがな」
直人が馬車の中で言った。
「期待しすぎないほうがいい」
主人公は受領証の写しをしまった。
「人の名前が一つ見つかったところで、箱のことまで分かるとは限らない」
向かいに座っていた復讐者は、窓の外を眺めていた。
「それでも、調べるしかないんだろう」
「そういうことだ」
馬車は街道を進んだ。
目的地までは、まだしばらくかかる。
***
日が傾き始めたころ、馬車は街道から外れた細い道へ入った。
周囲には低い丘と林が続いている。近くに集落はあるが、この道を通る人間は少ない。
御者が手綱を引いた。
「少し先で道が狭くなります。馬車を降りて歩いたほうが早いかもしれません」
主人公は窓から前方を確認した。
道の先に、荷車が横倒しになっていた。
その脇には、荷物らしいものが散らばっている。
「事故か?」
直人が身を乗り出した。
御者は馬車を止めた。
「様子を見てきます」
そう言って降りようとした瞬間だった。
林の中から石が飛んできて、馬車の側板に当たった。
御者が驚いて振り返る。
次の瞬間、黒い服を着た男が林から飛び出し、御者の腕をつかんだ。
「動くな」
低い声だった。
主人公はすぐに馬車を降りた。
左右の林から、さらに三人が現れる。
顔は布で覆われていた。
手には刃物や短い棒を持っている。
彼らは荷物を探す様子も、金品を要求する様子もなかった。
一人が主人公を指さした。
「箱を渡せ」
主人公は動きを止めた。
「何のことだ?」
「持っている箱だ」
相手はそれ以上説明しなかった。
直人が主人公の隣に立つ。
「誰の命令だ。何が目的なんだ」
返事はなかった。
男の一人が直人に向かって踏み込んできた。
直人は攻撃をかわしたが、続けて別の男が横から迫る。
復讐者も馬車の反対側で二人に囲まれていた。
人数では相手が上だった。
しかも、彼らは金品を奪おうとしているわけではない。
最初から箱だけを狙っていた。
主人公は御者に叫んだ。
「馬を逃がせ!」
御者は一瞬ためらったが、すぐに手綱を放した。
馬が驚いて走り出し、横倒しの荷車の脇を抜けていく。
男たちの一人が舌打ちした。
その隙に、主人公は馬車の中へ戻ろうとした。
しかし、背後から腕をつかまれた。
「箱を出せ」
「断る」
主人公は相手の手を振りほどこうとした。
男は力任せに引き寄せ、主人公の肩を地面に押しつけた。
息が詰まる。
主人公は相手の腕を押さえながら、身体をひねった。
その動きで拘束がわずかに緩んだ。
主人公は地面を転がり、どうにか距離を取った。
男は追ってきたが、直人が横から体当たりした。
「立て!」
主人公は起き上がった。
三人は馬車を背にして集まった。
相手は四人。
一人は御者を追って道の向こうへ走っていたが、残る三人がこちらを囲んでいる。
復讐者の額から血が流れていた。
直人も腕を押さえている。
主人公は、相手の動きを見た。
彼らは互いに大声で指示を出さない。
必要なときだけ短い言葉を交わし、誰かが動くと、別の一人がすぐに位置を変える。
だが、主人公には、それがどんな訓練や組織を意味するのか判断できなかった。
分かるのは、こちらが不利だということだけだった。
「箱を渡せば、帰してやる」
一人が言った。
主人公は相手を見返した。
「箱を渡したあと、本当に帰してくれる保証はあるのか?」
男は答えなかった。
その沈黙で十分だった。
主人公は直人に目配せした。
直人が小さく頷く。
復讐者が足元の石を拾い、林の奥へ投げた。
石が木に当たり、乾いた音が響く。
一瞬、男たちの視線がそちらへ向いた。
主人公たちは反対側へ走った。
追跡する足音が聞こえる。
林の中は、道よりも歩きにくかった。枝が服に引っかかり、足元の石で何度もつまずきそうになる。
それでも止まらなかった。
しばらく走ると、斜面の下に浅い水路が見えた。
主人公たちは水路を越え、倒木の陰に身を隠した。
追跡者の足音が近づき、やがて遠ざかっていく。
誰もすぐには口を開かなかった。
***
十分ほど待ってから、主人公たちは周囲を確認した。
追手の姿は見えない。
直人は腕を押さえたまま、息を吐いた。
「何なんだ、あいつらは」
主人公は答えなかった。
服についた泥を払い、荷物を確認する。
受領証の写しは無事だった。
しかし、持ち歩いていた調査用の袋がない。
中には、これまでの調査で集めた資料の一部が入っていた。
「袋を落としたのか?」
復讐者が尋ねた。
「分からない。逃げる途中か、あの場所で奪われたか……」
主人公は唇を結んだ。
資料を失ったことよりも、相手が何をどこまで知っているのかが気になった。
箱を持っていること。
複数の箱を集めていること。
そして、彼らが自分を見つけたこと。
誰かが情報を得ていたのは間違いない。
ただし、それが榊原の側から漏れたのか、別の場所で調べられたのかは分からなかった。
「榊原に知らせるか?」
直人が尋ねた。
「知らせる。だが、あいつらが榊原と関係しているとは言わない」
主人公は立ち上がった。
「今は、分かっていることだけを伝える」
***
夜になって、主人公たちは街へ戻った。
馬車と御者は、少し離れた集落で見つかった。御者は軽傷を負っていたが、命に別状はない。
榊原は報告を聞くと、表情を変えた。
「箱を狙ってきたのですか」
「そうだ。金品には手をつけなかった」
「人数は?」
「少なくとも四人。顔は隠していた。名前も、所属も聞き出せなかった」
主人公は一つずつ説明した。
榊原は黙って聞いていた。
「こちらの人間が関係していると考えていますか?」
「まだ何も分からない」
主人公は答えた。
「あなたたちが箱を集めていたことを知る人間はいる。俺が箱を持っていることを知った人間もいる。どこから情報が漏れたのか、今は判断できない」
榊原は少し考えた。
「こちらでも、情報の流れを確認します」
「頼む。ただし、調べる対象を勝手に決めないでくれ。証拠がないまま誰かを疑っても、意味がない」
榊原は頷いた。
「分かりました」
主人公は、失った資料についても伝えた。
榊原は同じ内容を保管している記録がないか確認すると約束した。
話が終わるころには、夜もかなり更けていた。
主人公は部屋に戻り、傷の手当てを受けた。
肩が痛む。
直人の腕にも打撲があった。
復讐者の額には包帯が巻かれている。
三人とも、明日の調査を予定どおり進められる状態ではなかった。
主人公は机の上に残った受領証の写しを見た。
今日、箱を奪おうとした人間たちについて、分かったことはほとんどない。
彼らが誰なのか。
誰に雇われていたのか。
なぜ今、襲ってきたのか。
何一つ答えは出ていなかった。
ただ、彼らが箱を欲しがっていたことだけは確かだった。
主人公は受領証を引き出しにしまった。
明日は調査より先に、失った資料の内容を復元しなければならない。
箱の秘密に近づくための道は、少しだけ遠くなった。
そして、箱を手に入れようとしている人間が、榊原たちだけではないことも分かった。
それ以上のことは、まだ分からなかった。




