第94章 受取人の名前
指定荷物の届け先だった商業施設は、現在の街並みからは想像しにくい場所にあった。
当時は複数の商人が共同で倉庫や取引所として利用していたらしいが、建物は二十年以上前に取り壊されている。
榊原が集めた資料によれば、施設の所有者は何度か変わっていた。
最初の所有者が亡くなったあと、親族が管理を引き継いだ。
その後、事業の整理に伴って別の商人へ売却され、さらに数年後には土地ごと買い取られていた。
主人公は資料を机の上に並べた。
「所有者は分かる。でも、実際に誰が使っていたのかは別の話だな」
直人が頷いた。
「共同で使っていたなら、荷物を受け取った人間が所有者とは限らない」
「そうだ。運送記録に名前がない以上、届け先の建物だけ分かっても足りない」
主人公は帳簿を開いた。
《指定荷物 一件》
その記載には、受取人の名前がなかった。
ただ、荷物の運送料とは別に、受取時の確認を示す印が残っている。
主人公は、その印を写し取った。
「この印を調べたい」
榊原が尋ねた。
「何か心当たりがあるのですか?」
「いや。だから調べるんだ」
主人公は写しを差し出した。
「所有者の記録や、ほかの運送帳簿に同じ印がないか探してほしい」
榊原は部下に調査を命じた。
***
午後、主人公たちは旧商業施設の周辺を訪れた。
建物は残っていないが、近くには昔から営業している商店がいくつかあった。
当時の取引について知っている人間がいれば、何か聞けるかもしれない。
最初に訪ねた古道具店では、店主が古い地図を見せてくれた。
「この辺りは、昔は荷物の出入りが多かったんですよ。運送業者も商人も、毎日のように行き来していました」
「指定荷物を受け取っていた人間について、何かご存じありませんか?」
主人公が尋ねた。
店主は首を横に振った。
「荷物のことまでは分かりません。ただ、あの建物には、いろいろな人が出入りしていましたからね」
二軒目でも、似たような答えが返ってきた。
建物が共同で使われていたことは確認できたが、特定の荷物について知っている人間はいなかった。
三軒目で話を聞いたのは、古い商家の帳簿整理を手伝っていたという女性だった。
彼女は、主人公が持参した印の写しを見て、少し考え込んだ。
「これと完全に同じかどうかは分かりませんが、似た印を見たことがあります」
主人公は顔を上げた。
「どこで?」
「昔、ある商家の帳簿を整理したときです。通常の取引記録とは別のページに、似た印が押されていました」
「その帳簿は、今も残っていますか?」
「分かりません。整理を依頼されたのはずいぶん前ですし、その商家も今はありません」
女性は少し考えた。
「ただ、帳簿を持っていた家の名前なら覚えています。確か、黒田家だったと思います」
主人公はその名前を書き留めた。
黒田家が指定荷物の受取人だったという証拠はない。
似た印を使っていたというだけで、関係があるとも限らない。
しかし、新しい調査先が一つ見つかった。
主人公は女性に礼を言い、直人とともに店を出た。
「また別の家か」
直人が言った。
「そうだな」
「箱の持ち主を調べていたはずなのに、商家ばかり追いかけているな」
「箱が商人の間を渡っていたのなら、商家の記録に残っていてもおかしくない」
主人公は歩きながら答えた。
「ただし、黒田家が箱を持っていたとは、まだ考えないほうがいい」
直人は苦笑した。
「分かっているよ」
***
榊原家へ戻ると、印について追加の情報が届いていた。
古い帳簿を複数確認したところ、似た印が二つ見つかったという。
一つは、商業施設の所有者が変わった時期の書類。
もう一つは、別の運送業者が残した荷物の受取記録だった。
主人公は、それぞれを並べて確認した。
印の形は似ている。
だが、細部には違いがあった。
同じ組織が使っていたのか。
似た形式を別々の商人が使っていただけなのか。
それとも、単に同じような形になっただけなのか。
まだ分からなかった。
「少なくとも、珍しい印ではなかったのかもしれませんね」
榊原が言った。
「そうだな」
主人公は答えた。
「これだけで、特定の誰かにつなげることはできない」
彼は二つの記録を返した。
「黒田家の資料を調べてみよう。それと、受取人の名前が書かれていない運送記録が、ほかにもあるか確認してほしい」
榊原は頷いた。
「分かりました」
主人公は、今回の調査で分かったことを紙に整理した。
指定荷物は、旧倉庫から別の商業施設へ運ばれた可能性がある。
その施設には、複数の商人が出入りしていた。
荷物の受取人は記録に残っていない。
似た印は別の帳簿にも見つかったが、同じものだとは断定できない。
そこまでだった。
箱が運ばれたと証明できたわけではない。
地下にあったものが、その荷物だったとも限らない。
調査は、まだ入口に立ったばかりだった。
***
夜、主人公は机の上の資料を片づけた。
この数日で、帳簿や地図、古い記録がずいぶん増えた。
しかし、箱そのものについて分かったことは、ほとんどない。
それでも、榊原家だけでは見つけられなかった記録が、少しずつつながり始めている。
彼は通信端末を手に取った。
『今日はどうだった?』
いつもの相手から、短いメッセージが届いていた。
主人公は返事を打った。
『昔の荷物の届け先を調べた。でも、受取人はまだ分からない』
『一つずつ調べているんだね』
『そうだな。まだ先は長そうだ』
『焦らなくてもいいんじゃないかな』
主人公は画面を見た。
その言葉に特別な意味があるとは思わなかった。
ただ、今すぐ答えが出るわけではないことは、自分でも分かっていた。
『明日も調べる』
そう送ると、相手から短い返事が届いた。
『うん。無理はしないでね』
主人公は端末を置いた。
翌日は黒田家について調べる。
そこで何も見つからなければ、別の記録を追うことになるだろう。
箱の秘密は、まだ遠い。
それでも、次に何をするべきかは分かっていた。




