第92章 地下へ運ばれたもの
翌朝、榊原から届いた資料は、主人公たちの予想とは少し違っていた。
新しい帳簿ではない。
古い倉庫の修繕を請け負っていた職人の記録だった。
「地下部分を封鎖する前後の記録です」
榊原が説明した。
「当時の職人の一人が、作業内容を個人的に書き残していました。正式な工事記録ではありませんが、日付と場所は確認できます」
主人公は資料を受け取った。
最初の数ページには、屋根の補修や床板の交換、壁の修理について書かれていた。
その中に、川瀬の帳簿に残っていた日付と近い記録があった。
《北側の床を撤去。下部に空間あり》
さらに数日後。
《依頼人の指示により、入口を閉鎖。内部の確認は行わず》
主人公はそこで手を止めた。
「内部の確認を行わず?」
直人が覗き込む。
「普通なら、空間が見つかったら中を確認するだろう」
「必ずしもそうとは限らない。崩落の危険があったのかもしれない」
主人公は次の記録を読んだ。
《資材搬入。北側区画の作業終了》
何を搬入したのかは書かれていない。
それ以降、地下部分に関する記録はなかった。
「これだけか?」
主人公が尋ねると、榊原は頷いた。
「残っていたのは、この数ページだけです」
主人公は資料を机に置いた。
地下に空間があったこと。
入口が閉鎖されたこと。
その作業が、依頼人の指示によるものだったこと。
少なくとも、その三つは記録から読み取れる。
しかし、誰が依頼したのか。
なぜ内部を確認しなかったのか。
そこに何があったのか。
答えは書かれていなかった。
「職人の家族は、まだ残っているのか?」
「調べています。ただ、当時の作業に関わった人間は、ほとんど亡くなっています」
「生きている人が見つかれば、話を聞きたい」
榊原は部下に追加の調査を指示した。
主人公は、もう一度資料を読み直した。
《内部の確認は行わず》
この一文が気になった。
単なる安全上の判断だったのかもしれない。
だが、依頼人があえて内部の確認を止めたのなら、そこには何らかの事情があった可能性もある。
どちらとも決められなかった。
***
昼前、職人の孫にあたる人物から連絡があった。
彼は祖父の記録について、いくつか覚えていることがあるという。
主人公たちは指定された場所へ向かった。
出迎えた男性は、七十歳近い年齢だった。
「祖父は、昔の仕事の話をあまりしない人でした。ただ、あの倉庫の仕事については、一度だけ話を聞いたことがあります」
「どんな話ですか?」
主人公が尋ねた。
「子供のころ、祖父が古い道具を整理していたときです。倉庫の話になって、あそこには面倒な仕事があったと言っていました」
「面倒な仕事?」
「ええ。ただ、それ以上は話してくれませんでした」
男性は少し考えた。
「それから、祖父は依頼人のことを、あまり信用していなかったようです」
主人公は直人を見た。
「理由は分かりますか?」
「分かりません。祖父は、頼まれた仕事は終わらせたが、あの件には二度と関わりたくないと言っていました」
「依頼人の名前は?」
「覚えていません。祖父が名前を口にしたかどうかも、はっきりしないんです」
主人公は、無理に答えを求めなかった。
何十年も前の話だ。
子供のころに聞いた言葉を、正確に覚えているとは限らない。
「ほかに何か、覚えていることはありますか?」
男性はしばらく考えたあと、首を横に振った。
「それくらいです。お役に立てず、申し訳ありません」
「いえ。ありがとうございます」
主人公たちは礼を言って、その場を離れた。
帰り道、直人が言った。
「依頼人は、職人にも信用されていなかったらしいな」
「そう聞こえるな」
「地下に何か隠していたのか?」
「可能性はある。でも、それを裏づけるものはない」
主人公は足を止めた。
「信用されていなかった理由が、地下の件だったとも限らない。仕事の報酬や、作業の進め方に問題があっただけかもしれない」
直人は納得したように頷いた。
「じゃあ、次は依頼人を探すのか」
「探せるならな」
主人公は資料を取り出した。
「まず、職人の記録に依頼人の名前が残っていないか、もう一度確認する」
***
榊原家へ戻ると、調査記録の整理が進んでいた。
川瀬の帳簿。
運送業者の帳簿。
職人の作業記録。
それぞれを並べると、地下部分を封鎖する前後に、複数の人間が関わっていたことが分かる。
しかし、誰が全体を指示していたのかは分からない。
主人公は、川瀬の帳簿に記された数字と、職人の作業日を照合した。
三つの数字が並んでいた日付の一つが、床を撤去した日の直前に当たっていた。
主人公は、その箇所に印をつけた。
「一致したな」
直人が言った。
「日付が近いだけだ」
主人公は答えた。
「でも、調べる理由は増えた」
「数字が運んだ荷物の番号だったら?」
「その可能性はある。だから、次は運送業者の記録をもっと詳しく調べる」
榊原は二冊の帳簿を手に取った。
「こちらでも、当時の運送記録を探します。もし数字の対応が分かれば、荷物の行き先を追えるかもしれません」
主人公は頷いた。
調査は少しずつ進んでいる。
しかし、地下に箱があったと証明されたわけではない。
箱の秘密がそこに残されているとも限らない。
それでも、倉庫の封鎖に複数の人間が関わっていたことは見えてきた。
主人公は、資料の端に新しい項目を書き加えた。
《依頼人の特定》
まだ名前すら分からない。
それでも、次に探すべきものが一つ増えた。
***
その日の夜、主人公は倉庫の記録を読み返していた。
《内部の確認は行わず》
その一文の下には、短い追記があった。
今まで見落としていたものだった。
《搬出物については、別途処理》
主人公は目を細めた。
搬出物。
何を運び出したのかは書かれていない。
地下を封鎖する前に、何かを外へ運び出したという意味にも読める。
ただし、資材や道具のことかもしれない。
彼はその一文を紙に写した。
明日、榊原と相談し、当時の運送記録と照合する必要がある。
箱があったのかどうか。
誰が持ち出したのか。
どこへ運ばれたのか。
今はまだ、何も分からない。
主人公は資料を閉じた。
答えが見つかったわけではない。
だが、地下に何があったのかを調べるための手がかりは、確かに一つ増えていた。




