第91章 数字の行き先
榊原家の書庫には、三つの帳簿が並べられていた。
一つ目は、榊原家が箱を集めてきた記録。
二つ目は、箱そのものを調査した記録。
三つ目は、川瀬修一が残した帳簿の写しだった。
主人公は三つを見比べながら、川瀬の帳簿に記された数字を紙へ書き写していた。
同じ数字が繰り返されている。
その前後には日付がある。
しかし、荷物の種類も、取引相手の名前も書かれていない。
「何か分かったか?」
直人が尋ねた。
「まだ何も」
主人公は紙を置いた。
「数字が何を意味しているのか、判断できない」
「箱の番号じゃないのか?」
「その可能性はある。でも、箱の番号なら、どうして一年半だけ記録方法が変わったんだ?」
直人は帳簿を見た。
「記録する人間が変わったとか」
「それも考えられる」
主人公は頷いた。
「ただ、川瀬はその期間の前後も倉庫を管理している。単純に記録方法を変えただけなのか、それとも何か別の事情があったのか。今のところ区別できない」
彼は、川瀬の帳簿に記された日付を一覧にした。
最初の記録は、三浦宗一郎の帳簿にある通常の荷物記録の直後から始まっている。
最後の記録は、地下部分を封鎖したという記述の少し前に終わっていた。
偶然なのかもしれない。
だが、少なくとも調べる順番は決まった。
主人公は榊原を呼んだ。
「この期間の取引記録を、もう少し広い範囲で探したい」
「三浦家以外の記録も、ということですか?」
「そうだ。川瀬が荷物を運んだ先や、倉庫に出入りしていた人間が分かればいい」
榊原は考えた。
「古い運送業者の記録を探してみます。すべて残っているとは限りませんが」
「残っている分だけでいい」
榊原は部下に指示を出した。
主人公は、もう一度帳簿に目を落とした。
数字の意味は分からない。
それでも、記録が残っている以上、当時の誰かが何らかの理由で数字を書き残したことだけは確かだった。
その理由を知る人間が、まだどこかにいるかもしれない。
***
昼過ぎ、榊原の部下が一人の男を連れてきた。
男は四十代後半で、古い運送業者の家系に生まれたという。
現在は家業を継いでいないが、父親が残した取引帳簿を保管していた。
「川瀬という人間のことを知っていますか?」
主人公が尋ねると、男は少し考えた。
「名前だけなら聞いたことがあります。父の帳簿に出ていたはずです」
男は持参した帳簿を開いた。
「これですね」
そこには、川瀬の名前と、いくつかの数字が記されていた。
主人公は身を乗り出した。
数字の形式は、川瀬の帳簿と似ていた。
ただし、完全に同じではない。
こちらには数字の前に短い記号がついている。
「この記号は何ですか?」
「分かりません。父も説明していませんでした」
「この記録は、何を運んだときのものですか?」
「普通の荷物なら、品名が書かれているはずです。でも、ここにはありませんね」
男は別のページをめくった。
「この時期は、記録が少し変わっています。父が誰かに頼まれて、普段とは違う仕事をしていたのかもしれません」
「誰に頼まれたか、分かりますか?」
「名前はありません。ただ、支払いの記録は残っています」
主人公は、その欄を確認した。
通常の運送料とは別に、一定の金額が支払われている。
金額は毎回同じではない。
荷物の重量や距離で計算したものとも、すぐには判断できなかった。
「この支払いについて、何か聞いたことは?」
男は首を横に振った。
「ありません。父は仕事の話をあまり家に持ち込まない人でしたから」
主人公は礼を言った。
新しい帳簿が一冊増えた。
だが、数字の意味はまだ分からない。
分かったのは、川瀬だけでなく、別の運送業者も同じ時期に通常とは異なる記録を残していたということだった。
直人が男を見送ったあと、主人公に言った。
「川瀬一人の事情じゃなかったわけか」
「そうだな」
「じゃあ、複数の人間が同じ仕事に関わっていた可能性がある」
「ある。ただし、同じ仕事だったとは限らない」
主人公は帳簿を閉じた。
「同じ時期に、似たような記録が残っている。それだけだ」
直人は苦笑した。
「何でも慎重に考えるんだな」
「ここで勝手につなげたら、あとで全部やり直すことになる」
主人公は、二冊の帳簿を並べた。
「まずは共通している部分を探す。それから、違う部分を調べる」
***
その日の夕方、主人公は川瀬の帳簿と運送業者の帳簿を並べ、日付を一つずつ照合した。
完全に一致する記録はなかった。
ただ、同じ週に記録が集中している箇所が三つあった。
主人公は、その三つの日付に印をつけた。
榊原が横から覗き込む。
「この日付に、何か意味があるのでしょうか?」
「まだ分からない。でも、調べる価値はある」
「その日に何があったのか、別の資料を探すのですか?」
「そうだな。倉庫の修繕記録や、川瀬が出入りしていた場所の記録が残っていればいい」
榊原は頷いた。
「探してみます」
主人公は一つ目の日付を指した。
「特に、ここだ。この日は川瀬の帳簿に数字が三つ並んでいる。その前後には、ほとんど記録がない」
「荷物が三つあったということでは?」
直人が言った。
「かもしれない。でも、数字が三つあるから荷物も三つとは限らない」
主人公は紙に書いた数字を見つめた。
箱の数なのか。
荷物の番号なのか。
取引の分類なのか。
あるいは、まったく別のものなのか。
今の情報だけでは判断できない。
彼は紙を裏返し、別の作業に移った。
一つの仮説にこだわりすぎると、違う可能性を見落とす。
箱の調査でも、同じことが言えた。
開け方が分からないからといって、箱の中に何かが入っているとは限らない。
箱が重要だからといって、持ち主全員が秘密を知っていたとも限らない。
そして、古い倉庫に地下があったからといって、そこに箱の秘密が眠っているとも限らない。
主人公は、分かったことだけを紙に残した。
その夜、榊原は追加の資料を探すために部下を各地へ向かわせた。
直人は集まった帳簿の整理を続け、復讐者は翌日の移動に必要な手配を進めた。
誰も、箱の秘密を解き明かしたとは考えていなかった。
ただ、次に何を調べるべきかが、少しずつ具体的になっていた。
***
夜が更けたころ、主人公の通信端末に短いメッセージが届いた。
『今日は進展があった?』
主人公は、しばらく画面を見つめたあと、返事を打った。
『少しだけ。昔の運送業者の帳簿が見つかった』
『それはよかったね』
『ただ、数字の意味はまだ分からない』
少し間が空いた。
『分からないものを、すぐに分かったことにしないのは大事だと思う』
主人公は、その文章を読み返した。
特別な助言ではない。
調査の方法を教えてくれるわけでもない。
それでも、返事を打つ手は止まらなかった。
『明日も調べる』
『うん。ちゃんと休んでね』
主人公は短く返事をして、端末を伏せた。
机の上には、二冊の古い帳簿が残っている。
数字の意味は分からない。
地下倉庫に何があったのかも分からない。
箱の秘密に近づいているのかどうかさえ、まだ確かではなかった。
それでも、明日は新しい資料が届くかもしれない。
主人公は灯りを消した。
今は、次に調べられることがある。
それだけでよかった。




