第90章 倉庫を管理した男
三浦宗一郎の旧倉庫を管理していた人物は、川瀬修一という男だった。
三浦家の帳簿によれば、川瀬は宗一郎の事業を手伝っていた時期があり、晩年には倉庫の管理を任されていたらしい。
ただし、正式な雇用記録は見つかっていない。
給与の支払いも、通常の従業員とは別の形で処理されていた。
主人公は榊原から送られてきた資料を読み終えた。
「雇われていたというより、個人的に頼まれていたのかもしれないな」
直人が言った。
「そうかもしれない。でも、これだけでは分からない」
主人公は資料を机に置いた。
「問題は、どうして川瀬に倉庫を任せていたのかだ」
榊原は、川瀬の家族について調べた結果を説明した。
「川瀬には息子が一人いました。現在も同じ地域に住んでいることが分かっています。年齢は五十代後半です」
「会えるか?」
「連絡を取ってみます。ただ、川瀬家と三浦家の関係は、すでに長い間途絶えているようです」
「それでも構わない」
主人公は立ち上がった。
「まずは話を聞いてみよう」
***
川瀬家は、街の中心から少し離れた住宅地にあった。
出迎えたのは、川瀬修一の息子、川瀬正人だった。
「父のことを調べているそうですね」
正人は警戒を隠そうとしなかった。
「三浦家から何か頼まれたんですか?」
「いえ。父が管理していた倉庫について、確認したいことがあります」
主人公はそう答えた。
「倉庫?」
「三浦宗一郎が使っていた、古い倉庫です」
正人は少し考えた。
「父は確かに、昔、三浦という商人の倉庫を管理していました。でも、私はその仕事について詳しく知りません」
「地下に何かあったことは?」
その質問に、正人の表情がわずかに変わった。
「……どうして、そんなことを聞くんですか?」
主人公は、三浦家の帳簿に残されていた記述と、取り壊しの際に見つかった空洞の疑いについて説明した。
正人は黙って聞いていた。
話が終わると、しばらくしてから口を開いた。
「父は、あの倉庫について、家族にもあまり話しませんでした」
「何か理由を聞いたことは?」
「ありません。ただ、子供のころ、一度だけ言われたことがあります」
正人は遠くを見るような目をした。
「倉庫にあるものを、勝手に動かしてはいけない、と」
「何を動かしてはいけないんですか?」
「それは聞いていません。私が倉庫へ行こうとしたとき、父に止められたんです」
主人公は直人と目を合わせた。
「その倉庫には、よく出入りしていたんですか?」
「父は頻繁に通っていました。でも、私を連れていくことはほとんどありませんでした」
「三浦宗一郎も?」
「何度か見たことがあります。父と一緒に倉庫へ入っていく姿を覚えています」
「ほかに誰か来ていましたか?」
正人は首を横に振った。
「そこまでは覚えていません」
主人公は質問を続けた。
しかし、正人が知っているのは、子供のころに見聞きした断片的な情報だけだった。
父親が何を管理していたのか。
なぜ家族にも話さなかったのか。
倉庫の地下に何があったのか。
どれも分からなかった。
やがて、正人は立ち上がった。
「古い帳簿なら、家に残っているかもしれません。父が亡くなったあと、私が整理したものです」
彼は奥の部屋へ入り、しばらくして一冊の帳簿を持ってきた。
「これです。仕事の内容はほとんど分かりませんが、捨てずに残してありました」
主人公は礼を言い、帳簿を受け取った。
***
帳簿には、倉庫の修繕や荷物の移動について記録されていた。
三浦家の帳簿よりも簡素で、記述も断片的だった。
主人公たちは順番にページをめくった。
最初の数十ページには、特に変わった記録はなかった。
ところが、ある時期から、倉庫へ運び込まれた荷物の記載方法が変わっていた。
通常なら、荷物の種類や数量が書かれている。
しかし、その期間だけは、荷物の名称がなく、日付と数字だけが並んでいた。
「これ、何だ?」
直人がページを指した。
「荷物の記録には見えないな」
主人公は記載された数字を見比べた。
同じ数字が何度も登場している。
ただし、それが荷物の番号なのか、取引相手を示す符号なのかは分からなかった。
「川瀬さん。この数字に心当たりはありますか?」
正人は帳簿を覗き込んだ。
「ありません。父がこういう書き方をしていたことも、初めて知りました」
主人公は、記録のあるページをすべて確認した。
その期間は、およそ一年半。
その後、記載方法は元に戻っていた。
一年半の間に何があったのか。
なぜ、その期間だけ記録の形式を変えたのか。
帳簿からは読み取れなかった。
ただ、その期間が終わった直後、三浦宗一郎の帳簿には、旧倉庫の地下部分を封鎖したという記述が残されていた。
二つの記録が関係している可能性はある。
だが、時期が近いというだけで、同じ出来事を指しているとは限らない。
主人公は帳簿を閉じた。
「この帳簿、しばらくお借りできますか?」
正人は少し迷ったあと、頷いた。
「構いません。ただ、父の仕事について、私も知りたいことがあります」
「何でしょう?」
「父が、なぜあの倉庫を管理していたのか。結局、何をしていたのか。それを調べていただけるなら、協力します」
主人公は答えた。
「分かりました。ただし、何が分かるかは約束できません」
「それで結構です」
正人はそう言った。
彼が求めているのは、父親を立派な人間だったと証明することでも、隠された財産を手に入れることでもなかった。
ただ、父親が何をしていたのかを知りたい。
それだけだった。
主人公は帳簿を丁寧に袋へしまった。
***
帰り道、直人が口を開いた。
「地下に何かあった可能性は、少し高くなったな」
「そうだな」
「でも、箱があったとは限らない」
「その通りだ」
主人公は歩きながら、帳簿の記載を思い返していた。
一年半だけ変わった記録。
地下部分の封鎖。
倉庫に近づくことを禁じられていた川瀬の息子。
それぞれは、何らかの事情を示しているように見える。
しかし、そこから箱の秘密へ直接つながる証拠はなかった。
「次は何を調べる?」
直人が聞いた。
主人公は少し考えた。
「まず、数字の意味だ。これが何を示しているのか分かれば、一年半の間に何が運び込まれたのか、手がかりが見つかるかもしれない」
「数字の規則を探すのか?」
「それも一つだ。ただ、俺たちだけで考えても限界がある」
主人公は榊原から預かった資料を取り出した。
「榊原家の記録と照合してみる。似た数字が出てくるかもしれない」
「出てこなかったら?」
「別の方法を考える」
直人は苦笑した。
「相変わらずだな」
主人公は返事をしなかった。
何かが分かるたびに、別の分からないことが増えていく。
それでも、調査を始める前には存在すら知らなかった記録が、少しずつ手元に集まってきた。
その記録が箱の秘密につながるのかどうかは、まだ分からない。
ただ、川瀬修一が倉庫を管理していた一年半の間に、何かが変わったことは確かだった。
主人公は、次に調べるべき資料を頭の中で整理しながら、榊原家へ戻った。




