第87章 箱を追った人間たち
翌朝、主人公たちは榊原家の書庫に集まった。
窓の外では、使用人たちが倉庫から運び出した荷物を整理している。昨日の調査で、箱そのものについては新しい発見がなかった。しかし、収集記録にはまだ目を通していない部分が多く残っていた。
主人公は机の上に三冊の帳面を並べた。
「最初に確認したいことがある」
榊原が椅子に腰を下ろした。
「何でしょう」
「あなたたちは、箱を集めること自体を目的にしていたのか?」
榊原はすぐには答えなかった。
「最初は違います」
「最初は?」
「祖父の話では、最初の箱は商売の途中で手に入れたそうです。取引相手が代金の代わりに置いていったのか、それとも別の品と一緒に運ばれてきたのか、そこまでは分かりません」
「それを調べようとはしなかった?」
「もちろん調べました。しかし、相手はすでに亡くなっていました。残された家族も、箱の由来を知らなかった」
榊原は古い帳面を開いた。
「その後、似た箱が別の場所で見つかった。祖父は、二つに何らかの関係があると考えたようです」
「それで集め始めたのか」
「ええ。最初は好奇心だったのでしょう。そのうち、箱を持っている人間がほかにもいると分かった。祖父は彼らと取引し、場合によっては高い金を払って譲ってもらいました」
「断られた場合は?」
「諦めたこともあれば、何年も交渉したこともあります」
主人公は帳面をめくった。
「奪ったことは?」
榊原は主人公を見た。
「私が知る限り、我が家はありません」
「知る限り、か」
「昔の人間が何をしたか、すべて把握しているわけではありません。私が知らないことまで、なかったとは言えません」
主人公はそれ以上追及しなかった。
榊原が本当のことを言っているのか、都合の悪い部分を隠しているのか、今の段階では判断できない。
重要なのは、彼らが箱を集め始めた理由が、最初から明確だったわけではないということだった。
箱を手に入れた。
似たものを見つけた。
関係があるかもしれないと思った。
だから集めた。
それだけで、何十年もの時間が過ぎることもある。
「この帳面には、箱を売った人間の名前が残っているな」
主人公は一つの欄を指した。
「この人たちを調べたい」
榊原は頷いた。
「可能な範囲で協力します。ただ、全員が今も生きているわけではありません」
「生きている必要はない。家族や取引記録が残っていればいい」
直人が横から口を挟んだ。
「箱を持っていた人間が、全員同じ理由で集めていたとは限らないだろ」
「そうだな」
主人公は答えた。
「秘密を知っていた人間もいれば、何も知らずに持っていただけの人間もいるはずだ」
「だったら、持ち主を追うだけじゃなく、どこから手に入れたかも調べないといけない」
直人の言葉に、主人公は頷いた。
箱が人から人へ渡ったのなら、その移動経路にも何かが残っているかもしれない。
もっとも、すべての経路を遡れるとは思っていなかった。
途中で記録が失われているものもあるだろう。
持ち主が箱の価値を理解していなかった場合、取引の記録すら残っていないかもしれない。
それでも、調べる価値はあった。
***
昼前、榊原の部下が新しい資料を持ってきた。
「こちらは、箱を譲り受けた際の記録です。別の倉庫に保管されていました」
主人公は資料を受け取り、目を通した。
その中に、何度か同じ地域名が出てきた。
古い街道沿いの集落。
交易が盛んだった時代には人の往来が多かったが、現在は大部分が衰退している。
「この地域から、いくつも箱が流れてきているな」
主人公が言った。
榊原は資料を確認した。
「確かに、そうですね」
「偶然か?」
「分かりません。昔は交易の中心地だったので、珍しい品が集まりやすかったのかもしれません」
「それなら、箱がそこに集まった理由も説明できる」
直人が言った。
「ただし、箱がそこから生まれたとは限らない」
主人公は資料を机に置いた。
「そういうことだ」
特定の地域に箱が集まっているからといって、その地域に箱の秘密があるとは限らない。
単に、物が集まりやすかっただけかもしれない。
あるいは、箱を集めていた誰かが、意図的にそこへ運んでいた可能性もある。
どちらなのかを判断するには、まだ情報が足りなかった。
主人公は、地域名が記された箇所をすべて抜き出すよう榊原に頼んだ。
「その地域へ行くつもりですか?」
「記録を調べてから決める」
「もし、そこに何も残っていなかったら?」
「戻ってくるだけだ」
榊原は少し笑った。
「ずいぶん慎重ですね」
「何も分からないものを追っているんだ。慎重にならない理由がない」
主人公は資料をまとめた。
「それに、行けば必ず何かが見つかると思っているわけじゃない」
箱の秘密があると期待して出かけ、何も得られずに帰ることは、これまでにもあった。
そのたびに、次の手がかりを探すしかなかった。
彼は箱を手に入れたからといって、特別な知識を得たわけではない。
箱を開ける能力があるわけでもない。
ほかの人間よりも優れた推理ができる保証もない。
ただ、今は箱を複数持っている。
そして、箱を長年調べてきた人間たちの協力を得られるようになった。
使えるものが増えた。それだけだった。
***
夕方、主人公は一人で倉庫を訪れた。
榊原から預かった箱のうち、傷のある一つをもう一度確認するためだった。
「返却済み」。
その文字は、ほかの箱には見当たらなかった。
主人公は箱を裏返し、底面を調べた。
細い傷がいくつもある。
しかし、文字らしきものはない。
直人が倉庫へ入ってきた。
「まだ見ていたのか」
「少し気になってな」
「その文字か?」
「そうだ」
主人公は箱を元に戻した。
「返却済みということは、返す相手がいたんだろうか」
直人は腕を組んだ。
「普通に考えれば、そうだな」
「でも、誰に返した?」
「そこまでは分からない」
「返却先が存在しない場合、接続は閉鎖される」
主人公は、以前見つけた記録の文言を思い出していた。
あの記録には、契約終了後に権限を返却すること、後継者が存在する場合には再申請が認められることが書かれていた。
今回の箱に刻まれた「返却済み」が、あの記録と関係しているのか。
それとも、まったく別の意味なのか。
まだ分からなかった。
「この箱が、昔の契約者と関係している可能性はある」
主人公が言った。
「ただ、決めつけるのは早い」
直人は頷いた。
「調べることが一つ増えたな」
「そういうことだ」
主人公は倉庫を出た。
外は暗くなり始めていた。
明日からは、箱の持ち主たちの記録を追う。
その先に何があるのかは分からない。
箱を集めた人間たちが、同じ秘密を追っていたのかどうかさえ、まだ確かめられていなかった。
それでも主人公は、これまでより少しだけ広い範囲を調べられるようになった。
今は、それで十分だった。




