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観客のいない世界  作者: 亀


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第79章 大商家の手

翌朝。


男主人公の前に、一枚の書状が置かれていた。


差出人は、この地方でも最大級の商家だった。


蓮司家とは長年、競争関係にある。


族長は書状を読み終えると、机の上に置いた。


「向こうから商談を申し込んできた」


蓮司が眉をひそめる。


「何の商談だ?」


「薬草だ」


男主人公は書状を見る。


「昨日、流した情報ですね」


族長が頷く。


「ただし、相手は薬草を買いたいと言っているわけではない」


「何を?」


「蓮司家の仕入れ先を知りたいらしい」


男主人公は書状を裏返した。


「直接聞いてきたんですか?」


「遠回しにな」


「つまり、こちらがどこから仕入れているか確認したい」


「そういうことだ」


蓮司が苛立った。


「何でそこまでしてうちを調べる?」


族長は淡々と答えた。


「商売だからだ」


「それだけ?」


「それだけだ」


族長は蓮司を見る。


「相手にとって、我々が邪魔だから調べる。それ以上の理由など必要ない」


男主人公は少し考えた。


「この商家は、蓮司家を潰したいわけではありません」


族長が見る。


「では?」


「弱らせたい」


「なぜ?」


「潰してしまえば、取引先や市場が混乱する」


男主人公は続けた。


「でも、ある程度の規模で残しておけば、こちらから情報を取れる」


族長は黙った。


男主人公は帳簿を広げた。


「ここ数か月、この家は何度も損をしています」


「だが、完全には潰されていない」


「はい」


「つまり相手は、こちらを利用している?」


「その可能性が高いです」


族長の表情が少し変わった。


「ならば、逆に利用してやればいい」


男主人公は頷いた。


「そのために、今日の商談を使います」


昼。


大商家から三人の商人がやって来た。


中央にいるのは、若い男だった。


名を宗一郎という。


商家の次期当主だという。


「久しぶりです、族長」


「そうだな」


族長は席を勧めた。


宗一郎は座ると、すぐに商談を始めた。


「最近、蓮司家が南方の事業で苦労されていると聞きました」


族長は笑った。


「噂は早いな」


「商売人ですから」


「それで?」


「もし南方の仕入れに問題があるなら、我々が一部を引き受けてもいい」


族長は少し考えた。


「代わりに?」


宗一郎は笑った。


「当然、今後の取引について相談したい」


男主人公は横から聞いていた。


話し方は丁寧。


条件も悪くない。


しかし、重要なことを一つも聞いていない。


蓮司家が本当に困っているのか。


借金はいくらなのか。


どの倉庫を売るのか。


そんなことには興味を示さない。


宗一郎が知りたいのは、仕入れ先と取引量だけだった。


男主人公は確信した。


この男は、情報を買いに来ている。


「宗一郎さん」


男主人公が口を開いた。


「何でしょう?」


「あなたは、この家の薬草を買いたいんですか?」


「もちろん」


「では、どれくらい?」


「今の取引量を確認してから決めたい」


「価格は?」


「市場価格に合わせます」


「利益は?」


「双方に利益が出る形で」


男主人公は少し笑った。


「曖昧ですね」


宗一郎の笑顔がわずかに消えた。


「商談ですから」


「でも、普通なら最初に数量と価格を決めます」


「その前に、相手の状況を知る必要があります」


「なるほど」


男主人公は頷いた。


「それなら、こちらも条件を出します」


族長が男主人公を見る。


「何を?」


「仕入れ先は教えません」


宗一郎の表情が変わった。


「それでは商談にならないでしょう」


「なります」


男主人公は続けた。


「こちらの商品を買うかどうかだけ決めてください」


「……」


「仕入れ先を知りたいなら、別料金です」


宗一郎が黙った。


族長が笑った。


「面白い条件だ」


「族長まで……」


「いや」


族長は宗一郎を見る。


「私は気に入った」


宗一郎はしばらく考えた。


「では、情報料はいくらです?」


男主人公は答えた。


「あなたが本当に払える金額を提示してください」


宗一郎の目が細くなった。


「ずいぶん強気ですね」


「欲しいのはそちらです」


二人はしばらく見つめ合った。


やがて宗一郎は笑った。


「分かりました」


彼は懐から書状を出した。


「この金額なら?」


族長が見る。


男主人公も見る。


かなりの金額だった。


蓮司が思わず息を呑む。


だが、男主人公は首を振った。


「安い」


宗一郎の表情が変わる。


「何?」


「あなたが本当に欲しいのは仕入れ先だけではない」


男主人公は言った。


「蓮司家がどの程度まで追い詰められているか。それも知りたいはずです」


「……」


「さらに、今後どの商品を増やし、どの商品を減らすのか」


「それも情報です」


「そして、競争相手が何を考えているのか」


男主人公は宗一郎を見る。


「そこまで欲しいなら、この金額では足りません」


広間が静かになった。


宗一郎はしばらく黙った。


そして突然、笑い出した。


「あなたは商人ではないと言いましたね」


「はい」


「それなのに、よく分かっている」


「必要だから調べただけです」


宗一郎は立ち上がった。


「今日は帰ります」


「商談は?」


「まだ終わっていません」


宗一郎は族長を見る。


「蓮司家が本当に困っているのか、もう少し調べさせてもらいます」


族長は笑った。


「好きにしろ」


宗一郎が去った後、蓮司が言った。


「逃がしていいのか?」


「逃がしたんじゃない」


男主人公は答えた。


「情報を持たせたんです」


「どんな情報を?」


男主人公は族長を見る。


「蓮司家は、思ったほど弱っていない」


族長が頷いた。


「そして、私たちは仕入れ先を売らなかった」


「つまり、相手はもう一度動く」


族長は笑った。


「その時に、こちらから条件を出す」


男主人公は窓の外を見た。


商業上の争いなら、最後に残るのは金と利益だ。


ならば、それを使えばいい。


この家を救うためではない。


自分が欲しいものを手に入れるために。


その日の夕方。


族長のもとへ、別の知らせが届いた。


大商家が、蓮司家の取引先の一つに対して、突然かなり高い金額を提示したという。


蓮司が驚く。


「取引先を奪うつもりか?」


男主人公は首を振った。


「違います」


「じゃあ何だ?」


「試しているんです」


「何を?」


男主人公は静かに答えた。


「この家が、どこまで耐えられるかを。」


そして族長は、初めて真剣な顔をした。


「ならば、こちらも見せてやろう」


「何を?」


「まだ、この家が潰れていないことを。」

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