第70章 宝を持ち帰った男
蓮司家の屋敷に入ってから、男主人公はすぐに気づいた。
昨日まで遺跡で見た蓮司の態度とは、少し違っている。
屋敷の中を歩く使用人たちは忙しく、廊下を行き交う人間も多い。
しかし、誰も楽しそうではなかった。
話し声は小さい。
商談の部屋から出てくる者も、皆、顔を強張らせている。
「最近、何かあったのか?」
男主人公が尋ねる。
蓮司は少し黙ってから答えた。
「家の商売がうまくいっていない」
「どれくらい?」
「かなり悪い」
蓮司は笑わなかった。
「だから俺たちも、あの遺跡に行った」
「宝物を探すために?」
「ああ」
蓮司は廊下の先を見る。
「家には昔から、先祖が残した宝の話がある。それを見つければ、家の状況を変えられると思っていた」
男主人公は何も言わなかった。
昨日の遺跡で、蓮司が誰よりも必死だった理由が分かった。
あの箱に、家族の未来を賭けていたのだ。
「でも」
蓮司は続けた。
「まだ分からない」
その時、奥から数人の人間が歩いてきた。
その中に、昨日の遺跡で見た顔があった。
蓮司の兄だった。
男は男主人公を見ると、足を止めた。
「……お前か」
昨日、遺跡で会った時とは違う服装だった。
だが、男主人公を見る目は同じだった。
「昨日、蓮司と一緒にいた奴だな」
「そうです」
「紙切れを拾っていた」
兄は鼻で笑った。
「宝物には興味がなかったようだな」
「そうだ」
「それで、何を手に入れた?」
「まだ何も」
男主人公が答えると、男は笑った。
「やっぱりな」
隣にいた男も笑う。
「遺跡まで行って、古い紙一枚か」
男主人公は何も返さなかった。
蓮司が口を開く。
「兄さん」
「何だ?」
「彼は客だ」
「分かっている」
兄はそう言いながら、男主人公を見続けた。
「ただ、俺はああいう奴が嫌いなんだ」
「どうして?」
「目の前にある価値が分からないからだ」
男主人公は黙っていた。
兄はそれ以上話さず、その場を離れた。
直人が小声で言う。
「感じ悪いな」
「商売をしている家なんだろ」
「だからって……」
男主人公は止めた。
「今はどうでもいい」
自分には自分の目的がある。
この家に来たのも、昨日の手紙が理由だ。
それ以外のことは、まだ判断する必要がない。
その日の夜。
屋敷の広間では、遺跡から持ち帰った箱が開けられていた。
家族の人間が集まっている。
蓮司が蓋を開ける。
中には古い装飾品、金属製の器、古い文書などが入っていた。
「これが……」
誰かが息を呑んだ。
しかし、族長だけは冷静だった。
六十代ほどの男だった。
派手な服装ではない。
だが、周囲の人間が彼を見るだけで姿勢を正す。
彼が蓮司家の現当主だった。
「鑑定は?」
族長が尋ねた。
「明日、専門家に見せます」
「値段は?」
「まだ分かりません」
「なら、価値はまだない」
族長は箱を見た。
「価値があるかどうかは、誰が決める?」
「市場です」
「違う」
族長は淡々と言った。
「買う人間だ」
誰も反論しなかった。
族長は男主人公を見る。
「君が遺跡で一緒だった人間か」
「はい」
「何を探していた?」
「祖先に関係するものです」
「宝物ではない?」
「違います」
族長は少し興味を示した。
「なるほど」
それ以上は聞かなかった。
その時、使用人が走ってきた。
「当主様」
「何だ?」
「南側の取引先から連絡です」
「内容は?」
「今回の新商品の価格を、先方がすでに知っていました」
部屋が静かになった。
族長の表情が変わる。
「……またか」
「はい」
「誰が情報を流した?」
「分かりません」
族長はしばらく黙った。
そして、箱を閉じるよう命じた。
「今日は終わりだ」
家族が次々と立ち上がる。
男主人公は、その様子を見ていた。
宝物を見つけたはずなのに、誰も喜んでいない。
そして、商売の問題は別に続いている。
その夜。
男主人公が客室へ戻る途中、廊下の向こうから話し声が聞こえた。
「また漏れた」
「これで三件目だ」
「競争相手が、こちらの動きを全部知っている」
男主人公は足を止めた。
直人も振り返る。
「……何かおかしいな」
男主人公は黙って廊下の奥を見た。
昨日、遺跡で宝物を探していた蓮司。
その家族が今、別のものを失い続けている。
男主人公はまだ知らなかった。
その二つが、すでに繋がっていることを。
第70章 価値のない宝
翌朝。
蓮司家の屋敷には、数人の鑑定人が呼ばれていた。
遺跡から持ち帰った品々が、一つずつ机の上に並べられている。
蓮司は腕を組んで、その様子を見ていた。
族長も隣に座っている。
「これは?」
「古い装飾品です」
鑑定人が答える。
「歴史的価値はあります。ただし、市場価値はそれほど高くありません」
蓮司の顔が曇った。
「こっちは?」
「こちらも同じです」
「では、この箱は?」
「箱そのものには価値がありますが、中身は……」
鑑定人が言葉を濁した。
族長が聞く。
「いくらになる?」
鑑定人が数字を告げる。
蓮司は黙った。
家族が期待していたほどの金額ではない。
むしろ、探索に使った費用を考えれば、大きな利益とは言えなかった。
「……これだけか」
蓮司が呟く。
族長は淡々としていた。
「宝だと思ったから高いと思っただけだ」
「でも、祖父の記録には――」
「記録は金ではない」
族長は箱を閉じた。
「商売では、期待より結果を見る」
蓮司は悔しそうに黙った。
男主人公は少し離れた場所で、その会話を聞いていた。
昨日まで、蓮司はあの箱を見つければ家族を救えると思っていた。
だが、現実は違った。
その時だった。
別の使用人が駆け込んできた。
「当主様!」
「何だ?」
「北方の取引先が、契約を取り消しました」
族長の眉が動く。
「理由は?」
「競争相手が、こちらより安い条件を提示したためです」
「どれくらい安い?」
数字を聞いた族長の顔が変わった。
「……こちらの原価まで知っているな」
部屋が静かになった。
蓮司が言う。
「また情報が漏れた?」
「その可能性が高い」
族長は立ち上がった。
「調べろ」
使用人が頭を下げる。
「はい」
族長は歩き出した。
その途中で男主人公の前を通った。
「君」
「はい」
「昨日の紙を持っているか?」
「持っています」
「見せてくれ」
男主人公は一瞬迷った。
だが、封筒を取り出した。
族長は表面を見る。
そして、裏返した。
差出人がない。
族長の目がわずかに細くなった。
「……奇妙なものだな」
「そう思いますか?」
「商売をしていると、差出人のないものは信用しない」
族長は封筒を返した。
「誰が何の目的で送ったのか分からないからな」
男主人公は受け取った。
「俺も同じです」
族長はそれ以上何も言わずに離れていった。
昼過ぎ。
男主人公たちは町へ出た。
屋敷の外では、蓮司家の商人たちが忙しく動いている。
だが、どこか焦っている。
直人が言った。
「本当に危ないんじゃないか?」
「ああ」
「昨日の宝物が売れれば、少しは何とかなると思ってたけど」
「無理そうだな」
復讐者が黙って町を見ていた。
「商売の情報が毎回漏れているなら、敵はかなり近い」
男主人公が頷く。
「外から盗んでいるとは限らない」
「中にいる?」
「その可能性もある」
三人は歩きながら話した。
その時、蓮司が後ろから追いついてきた。
「お前たち」
男主人公が振り返る。
「何だ?」
「少し話がある」
蓮司は周囲を確認してから言った。
「俺の家が最近、かなり危ない」
「聞いた」
「なら話は早い」
蓮司は苦笑した。
「昨日まで俺は、宝物を見つければ何とかなると思っていた」
男主人公は黙って聞く。
「でも違った」
蓮司は遠くの店を見た。
「宝物なんて、今の俺たちには関係ない」
「じゃあ、何が必要?」
「商売を立て直すことだ」
男主人公は頷いた。
「それなら、俺にできることがあるかもしれない」
蓮司が驚いて見る。
「お前が?」
「まず、情報がどこから漏れているのか調べる」
「商売のことを知らないだろ」
「知らない」
男主人公は正直に答えた。
「でも、情報が漏れていることは分かる」
蓮司はしばらく考えた。
「……面白い」
「何が?」
「昨日は紙切れを拾う変な奴だと思った」
「今も?」
「今もだ」
蓮司は笑った。
「ただ、少しだけ見方が変わった」
男主人公は答えなかった。
まだ何も解決していない。
宝物も価値がなかった。
家族の商売も悪化している。
そして、誰かが蓮司家の情報を外へ流している。
男主人公にとっては、それだけで十分だった。
この家には、まだ調べる価値がある。
懐の手紙にも、そう書かれていた。
――ここへ行けば、あなたが探しているものが分かる。
男主人公は手紙の存在を確かめるように、胸元に触れた。
そして、蓮司とともに屋敷へ戻った。
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第71章 漏れた秘密
その日の午後。
蓮司家の帳場には、十年以上使われてきた帳簿が並んでいた。
男主人公は一冊ずつ確認していた。
商売の知識があるわけではない。
だから、数字そのものを理解しようとはしなかった。
見るのは別のところだった。
誰が見たのか。
いつ動いたのか。
誰が持ち出したのか。
誰が戻したのか。
「これ」
男主人公が一枚の書類を指した。
蓮司が隣から覗く。
「何だ?」
「この価格表、三日前に作られてる」
「そうだ」
「でも、競争相手が同じ価格を出したのは二日前」
「……ああ」
「つまり、向こうは一日前には知っていた」
蓮司の顔から笑みが消えた。
「そうなる」
「誰がこの書類を見た?」
蓮司は記録を確認する。
「当主」
「他には?」
「俺」
「それだけ?」
「帳場の担当者が一人」
男主人公は頷いた。
「もう一枚」
別の書類を取り出す。
こちらは運送計画だった。
「これも漏れてる」
蓮司が黙った。
「でも、どうやって?」
「分からない」
男主人公は答えた。
「だから調べる」
夕方。
家族全員が食堂に集まった。
族長も席についている。
蓮司が説明した。
「最近、取引情報が外へ漏れている」
誰も口を開かない。
族長が尋ねる。
「証拠は?」
男主人公が答えた。
「あります」
族長が男主人公を見る。
「君が調べたのか?」
「はい」
「なぜ?」
「昨日、遺跡から帰ってきたら、あなたたちが困っていたからです」
族長は少しだけ笑った。
「ずいぶん簡単な理由だ」
「そうです」
族長はそれ以上追及しなかった。
「では、誰が漏らしている?」
「まだ分かりません」
族長の目が鋭くなる。
「分からないのに、犯人を探すと言うのか?」
「はい」
「面白い」
族長は椅子に背を預けた。
「やってみろ」
蓮司が驚いた。
「父さん」
「何だ?」
「本当に任せるの?」
族長は男主人公を見る。
「彼には目的がある」
「目的?」
「我々の家に来た理由だ」
男主人公は黙っていた。
族長は続ける。
「目的のためなら、多少は使えるだろう」
言い方は冷たかった。
だが、男主人公は気にしなかった。
「分かりました」
その夜。
男主人公たちは帳場を見張った。
復讐者は入口。
直人は裏口。
男主人公は帳簿のある部屋にいた。
深夜。
誰も来ない。
一時間。
二時間。
何も起こらない。
やがて、廊下から足音がした。
男主人公は灯りを消した。
扉が開く。
入ってきたのは、一人の使用人だった。
男は周囲を確認すると、机の上から一枚の紙を取った。
男主人公はすぐには動かなかった。
使用人は紙を懐に入れ、部屋を出ようとする。
その瞬間。
「それ、何に使う?」
使用人が振り返った。
顔が青ざめる。
「……誰だ?」
男主人公は暗闇から出た。
「それを聞いてる」
使用人は後ろへ下がった。
「俺は何もしていない」
「なら、その紙を置け」
男が逃げようとする。
扉の前には復讐者が立っていた。
「動くな」
男は止まった。
直人も後ろから入ってくる。
男主人公が手を伸ばした。
「紙を出せ」
使用人はしばらく抵抗した。
だが、やがて紙を差し出した。
男主人公が開く。
そこには、翌週の取引予定が書かれていた。
しかし、それだけではなかった。
紙の端に、見慣れない小さな印がある。
男主人公の目が止まる。
あの印だった。
祖先の記録に残っていた印。
遺跡で見つけた封筒にもあった印。
男主人公は紙を見つめた。
「……どうして、これがここにある?」
使用人は答えなかった。
男主人公は顔を上げる。
「誰に渡すつもりだった?」
沈黙。
族長の家。
遺跡。
祖先。
そして、この商家。
一つ一つの線が、まだ繋がっていない。
だが、偶然だけでは説明できなくなっていた。
男主人公は紙を握った。
「この家には、まだ何かある」
その言葉を聞いても、誰も答えなかった。
窓の外では、夜の町が静かに眠っていた。
だが、蓮司家の中では、十年以上続いてきた秘密が、少しずつ表に出始めていた。




