第55章 残された記録
山を下りる頃には、日が傾き始めていた。
男主は歩きながら、商人の娘から借りた手紙を何度も読み返していた。
《三日前に話した件について、予定どおり進める》
短い文章だった。
それだけなら、何のことなのか分からない。
だが、その下には祖先の名前がある。
そして、紙の端にはあの印。
「やっぱり気になるな」
直人が言った。
「何が?」
「その印だよ」
「俺もそう思う」
「祖先の資料にもあるんだろ?」
「ああ」
男主は手紙をしまった。
「でも、今は印そのものより、誰が誰と取引していたのかを調べたい」
前を歩いていた男が振り返った。
「俺の家と、あいつの家だ」
「それだけじゃありません」
男主は言った。
「あなたのお父さんの話では、あの日の前に三人が会っていた」
「商人もいた」
「そうです」
男は黙った。
町に戻ると、三人は宿に入った。
夕食を済ませてから、部屋に資料を広げた。
十八年前の記録。
取引記録。
運搬記録。
宿帳。
そして、商人の娘から借りた手紙。
男主はそれらを日付順に並べていった。
「三日前」
指で一つを示す。
「この日に三人が宿で会っている」
「翌日は?」
直人が聞いた。
「ここ」
別の記録があった。
「商人が町を出ている」
「どこへ?」
「分からない」
「その翌日は?」
男主は記録を探した。
「……何もない」
男が口を開いた。
「その夜だった」
「何が?」
「俺の家が襲われた」
部屋が静かになる。
男主は記録を見つめた。
三日前。
商人と族長と土匪の頭目が会った。
二日前。
商人が町を出た。
一日前。
記録がない。
当日。
家が襲われた。
「おかしい」
男主が言った。
「何が?」
「商人の移動記録です」
「?」
「襲撃の前日に町を出ているのに、その後の記録がない」
直人が言った。
「別の町に行っただけじゃないの?」
「可能性はある」
男主は頷いた。
「だから、そこを調べる」
男が立ち上がった。
「俺も行く」
「危険です」
「分かっている」
「それでも?」
「十八年待った」
男は答えた。
「今さら、少し危険だからやめる理由はない」
翌朝。
三人は町の記録所へ向かった。
古い帳簿を管理している老人に、商人の名前を伝える。
老人はしばらく探した。
「十八年前か……」
「はい」
「古い記録だから、全部は残っていない」
「残っている分だけで構いません」
老人は棚から帳簿を一冊取り出した。
「この町を出た記録だ」
男主はページをめくった。
商人の名前があった。
日付も一致している。
「行き先は?」
「書いてない」
「その後、この町に戻ってきていますか?」
老人は別の帳簿を探した。
「……戻ってきている」
男主が顔を上げた。
「いつ?」
「三日後だ」
三人が黙った。
「三日後?」
「そうだ」
男が帳簿を覗き込む。
「つまり、あいつは襲撃の前日に町を出て、三日後に戻ってきた?」
「記録上はそうなる」
男主は考えた。
「その三日間、どこにいた?」
老人は首を振った。
「そこまでは分からない」
男主は帳簿を閉じた。
「でも、行き先を調べることはできます」
「どうやって?」
「商人なら、取引相手がいる」
男は黙っていた。
その目には、昨日までとは違うものがあった。
復讐だけではない。
自分の家が消えた三日間を、初めて具体的に追い始めている。
記録所を出ると、男主は言った。
「次は、商人が戻ってきた場所を探します」
男が頷いた。
「分かった」
「そこに、あいつが何をしていたのか残っているかもしれない」
男は少し歩いてから、低い声で言った。
「もし、そこで全部分かったら……」
「どうします?」
男主が聞く。
男は答えなかった。
ただ、しばらく黙って歩いた。
やがて言った。
「そのとき、自分で決める」
男主は何も言わず、前を向いた。
三人は次の町へ向かった。




