第53章 十八年前の三日間
古い小屋の中には、川の音だけが聞こえていた。
男主は机の上に広げた記録をもう一度確認した。
十八年前。
家が襲われる三日前。
祖先の名前が、この取引記録に残っている。
そして、そのすぐ下に復讐相手の家の名前がある。
「この記録を、どうやって手に入れたんですか?」
男はしばらく考えた。
「最初に見つけたのは、襲撃から七年後だ」
「七年後?」
「ああ」
男は箱の中から別の紙を取り出した。
「俺は最初の数年間、ただあいつを探していた」
「証拠を集めていたわけじゃない?」
「そんな余裕はなかった」
男は紙を机に置いた。
「家がなくなって、金もなくなった。知っている人間もほとんどいなくなった」
「それでも探した?」
「探した」
短い返事だった。
「でも、見つからなかった」
男は紙の端を指でなぞった。
「だから、途中から別の方法を使った」
「別の方法?」
「あいつを探すんじゃない」
「周りを探した」
男主は頷いた。
「それで七年目に、昔の倉庫に入った?」
「そうだ」
「そこにこの記録が?」
「正確には、この記録の一部だ」
男は二枚の紙を並べた。
一枚目には取引の日付。
二枚目には運搬記録。
二つの記録に同じ番号が書かれている。
直人が身を乗り出した。
「これ、同じ取引?」
「たぶん」
男主が答えた。
「でも、何を運んだのかが分からない」
「それが問題だった」
男は頷いた。
「俺もずっと調べた」
「分かったことは?」
「一つだけ」
男は別の紙を取り出した。
そこには三人の名前があった。
「この三人が、あの日の前後に何度も会っていた」
「三人?」
「俺の家を襲った男」
「その家の族長」
「それから、もう一人」
男主は三人目の名前を見た。
知らない名前だった。
「この人は?」
「商人だ」
「どんな商人?」
「分からない」
男は首を振った。
「ただ、俺の家が襲われる三日前に、この三人が一緒にいた」
「証拠は?」
「これだ」
男は小さな紙片を差し出した。
そこには宿の名前と部屋番号が書かれていた。
「三人が泊まっていた?」
「そうだ」
「どうやって分かった?」
「宿の帳簿を買った」
直人が苦笑した。
「十八年間、よくそこまでやったな」
男は答えなかった。
しばらくして言う。
「俺には、それしかなかった」
その言葉を聞いて、誰も何も言わなかった。
男主は記録をまとめた。
「まず、この商人を探しましょう」
男が顔を上げた。
「もう死んでいる」
「本当に?」
「十年前に死んだ」
「家族は?」
「分からない」
「じゃあ、調べる価値はあります」
男は少し考えた。
「分かった」
三人は小屋を出た。
町へ戻る途中、男はほとんど話さなかった。
昨日までなら、復讐相手の名前を聞くだけで顔を変えていた。
今日は違った。
今は、十八年前の三日間に何があったのかを考えている。
町に着いたのは昼過ぎだった。
三人は小さな食堂に入った。
男主は麺を注文した。
直人は肉料理を頼んだ。
男は何も注文しなかった。
「食べないんですか?」
「食欲がない」
「昨日から何も食べてないでしょう」
男は黙った。
直人が店員を呼んだ。
「この人にも同じものを」
「俺はいらない」
「復讐するなら食え」
直人が言った。
男は少し驚いた顔をした。
それから、初めて笑った。
「お前、変な奴だな」
「よく言われる」
料理が運ばれてきた。
男はしばらく箸を持たなかった。
やがて、一口食べる。
「……うまい」
「そうか」
「十八年ぶりかもしれない」
「何が?」
「復讐以外のことを考えながら飯を食ったのは」
直人は何も言わなかった。
男主も黙って食事を続けた。
食事を終えると、三人は町の古い商人街へ向かった。
記録に残っていた商人の名前を知っている人間を探すためだった。
一軒目。
知らない。
二軒目。
知らない。
三軒目。
老人が名前を聞いて、少しだけ顔を変えた。
「その名前……」
「知っていますか?」
「昔の人だ」
老人は周囲を見回した。
「もう、その話はしないほうがいい」
男が前に出た。
「なぜ?」
「死んだ人間の話だ」
「家族は?」
老人は答えなかった。
男主が聞いた。
「娘がいたという記録があります」
老人の目が動いた。
「……娘?」
「知っていますか?」
しばらく沈黙したあと、老人は小さな声で言った。
「娘なら、一人いる」
「どこに?」
「町の外だ」
そして、老人は住所を教えた。
三人は店を出た。
男は歩きながら、何度もその住所を確認していた。
「これで何が分かると思う?」
直人が聞いた。
男主は答えた。
「分からない」
「分からないのに行く?」
「だから行く」
男が前を歩いている。
その背中は昨日より少しだけ違っていた。
復讐だけを見ていた男が、初めてその先にあるものを見ようとしている。
それが何になるのかは、まだ誰にも分からなかった。




