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観客のいない世界  作者: 亀


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第五章 勝つための力

 男の拳が、再び迫ってきた。


 青年は身体をひねった。


 拳が肩をかすめる。


 痛い。


 だが、さっきより動ける。


 支援補正が効いている。


 それだけは分かった。


「まだ避けられるのか」


 男が笑った。


 青年は答えなかった。


 相手の動きを見る。


 速い。


 力も強い。


 正面から殴り合えば勝てない。


 ならば。


 勝つ方法を探すしかない。


 男が踏み込んだ。


 右拳。


 青年は一歩下がる。


 次は左。


 避ける。


 続いて蹴り。


 青年は腕で受けた。


 衝撃で身体が数メートル吹き飛ぶ。


「ぐっ……!」


 地面を転がった。


 腕が痺れている。


 男は追ってこなかった。


「どうした?」


「……考えてる」


「戦いながら?」


「そうだよ」


 青年は立ち上がった。


「お前は強すぎる」


「分かってるじゃないか」


「だから正面から戦わない」


 男の表情が変わった。


 青年は周囲を見た。


 駅前。


 道路。


 信号。


 駐車している車。


 建物。


 そして、道路脇の工事現場。


 青年は工事現場へ走った。


「逃げるのか?」


「そう見えるなら、それでいい」


 男が追ってくる。


 青年は走りながら箱を確認した。


 支援値。


 現在――1.4。


 敵――51.3。


 差は大きい。


 だが、戦うための力だけが支援ではない。


 昨夜、箱から武器が出てきた。


 ならば。


 もう一度、何かを使えるかもしれない。


「……何かないのか」


 箱に触れる。


 表示が変わった。


 周辺環境分析


 青年は目を見開いた。


「これだ」


 画面に周囲の情報が表示される。


 電力。


 通信。


 道路。


 地下配管。


 建物構造。


 工事区域。


 青年は一瞬で理解した。


 この箱は、ただの通信装置ではない。


 戦うための情報も持っている。


 男が背後から迫ってきた。


「終わりだ!」


 拳が飛んでくる。


 青年はしゃがんだ。


 拳が頭上を通過する。


 そのまま男の脇を抜け、工事現場へ入った。


 男が振り返る。


「何をするつもりだ?」


 青年は答えない。


 工事現場の中央に、巨大な鉄骨が組まれている。


 青年は箱を見た。


 鉄骨。


 固定位置。


 重量。


 落下予測。


 すべてが表示される。


「……これなら」


 青年は走った。


 男が追ってくる。


 青年は鉄骨の支柱を蹴った。


 当然、それだけでは何も起きない。


 しかし。


 箱の表示に一つの項目が現れた。


 遠隔制御可能


 青年は迷わず触れた。


 鉄骨を固定していた装置が外れた。


 巨大な鉄骨が傾く。


「なっ――」


 男が初めて焦った。


 青年は横へ飛んだ。


 鉄骨が倒れる。


 轟音。


 土煙が舞い上がる。


 男の姿が消えた。


「やった……?」


 青年は息を切らしながら立ち上がった。


 だが。


 土煙の中から男が出てきた。


 傷はある。


 服も破れている。


 しかし、立っている。


「……なるほど」


 男が笑った。


「頭は悪くないらしい」


 青年は息を呑んだ。


「まだ動けるのかよ」


「この程度ならな」


 男の支援値が表示される。


 51.3 → 63.8


「……また増えた?」


「ああ」


 男は空を見上げた。


「今のは人気が出るだろ?」


 青年は黙った。


 戦っている最中にも。


 相手の強さが変わっている。


 未来の人間たちが見ている。


 そして、面白いと思えば支援する。


 それが力になる。


 ならば。


 自分も同じことをすればいい。


 青年は箱を見る。


 観測者数――36


 いつの間にか、増えていた。


 そして支援値も。


 1.4 → 2.1


 わずかだ。


 だが、増えている。


 青年は笑った。


「……少しだけ分かった」


「何が?」


「この戦い」


 青年は男を見た。


「俺たち二人だけのものじゃない」


 男は黙った。


「見てる奴がいる」


「そうだ」


「そいつらが力をくれる」


「そうだ」


「だったら――」


 青年は拳を握った。


「俺が勝つところを見せればいい」


 男が笑った。


「できるならな」


 男の身体から再び圧力が広がる。


 支援値――63.8。


 青年――2.1。


 圧倒的な差。


 それでも青年は逃げなかった。


 箱の表示が変わる。


 観測者数――41


 そして。


 その中の一人が支援を送った。


 支援値――2.2


 また一人。


 2.3


 さらに一人。


 2.4


 小さな数字が、少しずつ増えていく。


 青年はそれを見ながら思った。


 自分を見ている人間がいる。


 自分を応援している人間がいる。


 ならば。


 まだ負けるわけにはいかない。


 青年は前へ出た。


 男も同時に走る。


 二人の距離が、一気に縮まる。


 拳と拳がぶつかった。


 ――轟音。


 今度は。


 青年の拳が、男をわずかに押し返した。


 男の目が見開かれる。


「……お前」


 青年自身も驚いていた。


 たった数人。


 たった数ポイント。


 それだけなのに。


 確かに。


 昨日より強くなっている。


 未来のどこかで、誰かが呟いた。


「もう少し支援してみよう」


 その瞬間。


 青年の支援値が跳ね上がった。


 2.4 → 3.1


 青年の身体に、再び熱が走る。


 男が笑った。


「なるほど……」


 そして。


「そういう仕組みか」


 男の支援値も急激に上昇した。


 63.8 → 79.2


 青年の表情が固まる。


「……嘘だろ」


 男は拳を構えた。


「まだ終わってないぞ」


 遠くでサイレンが鳴る。


 工事現場の周囲に、人が集まり始める。


 未来では。


 観客が増えていく。


 そして誰もまだ知らない。


 この小さな戦いが。


 やがて、数え切れない人間を巻き込む最初の戦いになることを。

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