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観客のいない世界  作者: 亀


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第45章 古い名前

町から戻った翌日の朝、直人が一枚の紙を持ってきた。


「これ、昨日の老人から預かった」


男は紙を受け取った。


古い紙だった。


端は黄ばんでいて、中央には町の名前と、いくつかの人名が書かれている。


昨日、公園で話した老人が帰り際に渡してきたものだった。


「何だって?」


「昔の記録らしい。本人も詳しくは知らないって」


男は紙を眺めた。


最初は何の意味もない名簿に見えた。


町の有力者。


商人。


役人。


土地を持っていた家。


そんな名前が並んでいる。


だが、その中に一つだけ見覚えのある名前があった。


祖父から聞いたことがある名前だった。


男の指が止まった。


「……この人」


「知ってる?」


「祖父の話に出てきた」


直人が紙を覗き込む。


「誰?」


「昔、祖先と一緒に仕事をしていた人らしい」


それ以上は、男にも分からなかった。


ただ、祖父はその名前を話すとき、いつも途中で話をやめていた。


理由を聞いても、


「昔のことだ」


そう言うだけだった。


男は紙を折った。


その日の午後、二人は町の古い資料館へ向かった。


建物は駅から少し離れた場所にあった。


入館者はほとんどいない。


受付の女性に名前を伝えると、古い地図と記録を見せてもらえることになった。


男は祖先の名前を検索した。


ほとんど何も出てこなかった。


出生記録。


土地の記録。


数回の商取引。


それだけだった。


「やっぱり何もないな」


直人が言った。


男は返事をしなかった。


検索結果を閉じようとしたとき、画面の端に古い登録番号が表示された。


現在の資料番号とは違う。


ずっと古い形式だった。


男はそれを紙に書き写した。


「これ、もう一回調べてみる」


職員に聞くと、その番号は現在の資料館には保存されていないという。


ただし、旧資料の一部が町の外に移管されたらしい。


場所を教えてもらった。


二人は翌日、そこへ向かった。


建物は使われていなかった。


古い倉庫のような場所だった。


管理人に番号を見せると、しばらく考えたあと、


「この辺じゃないかな」


と奥の棚を指した。


箱がいくつも積まれていた。


男は一つずつ確認した。


三つ目の箱で、番号が一致した。


蓋を開ける。


中には古い帳簿と手紙が入っていた。


一番上に置かれていた封筒には、祖先の名前が書かれていた。


男はしばらく手を動かさなかった。


直人も何も言わなかった。


やがて男は封筒を開いた。


中には一枚の紙しか入っていなかった。


文章は短かった。


――連絡方法を変える。


――以前の場所は使わない。


――次の連絡は、こちらから行う。


その下に、祖先の名前ではない別の名前があった。


男はその名前を見つめた。


「……誰だ?」


直人が聞いた。


「分からない」


だが、その名前の横には小さな印があった。


古い金属板に刻まれていたものと同じ印だった。


男は鞄の中から金属板を取り出した。


二つを並べる。


一致していた。


直人の表情が変わった。


「それって……」


「たぶん同じものだ」


男は紙を裏返した。


何もない。


だが、金属板を紙の上に置いた瞬間、紙の一部が淡く光った。


二人とも黙った。


光は文字になった。


最初に表示されたのは、祖先の名前だった。


その下に、短い一文が現れた。


――この記録を開いた者へ。


男は息を止めた。


文字はさらに続いた。


――私は、お前に何も残すつもりはなかった。


そこで一度、表示が止まった。


数秒後、次の文章が浮かんだ。


――それでも、これを見つけたなら、もう隠す意味はない。


男は画面を見つめた。


その瞬間、金属板の内部から小さな音がした。


以前聞いたものと同じ音だった。


通信装置が起動するときの音。


ただし、今回は以前とは違った。


画面に表示されたのは、見知らぬ番号だった。


そして、その番号の下に一つの文字列が現れた。


「接続先:第七管理区」


直人が小さく呟いた。


「管理区?」


男は答えなかった。


その言葉の意味を知っているわけではない。


ただ一つだけ分かった。


祖先は、単なる商人でも役人でもなかった。


そして、祖先が残したものは、偶然ここにあるわけでもなかった。


男は通信装置に手を伸ばした。


だが、触れる直前で止めた。


昨日までなら、すぐに接続していた。


今は違う。


祖先が何を知っていたのか。


誰と連絡していたのか。


そして、なぜ最後に何も残さず消えたのか。


それを先に調べる必要がある。


男は金属板をしまった。


「今日は帰ろう」


直人が少し意外そうな顔をした。


「接続しないのか?」


「まだ早い」


男は封筒を閉じた。


「向こうが何者なのか、少しでも分かってからにする」


倉庫を出ると、夕方の風が吹いていた。


男は歩きながら、紙に書かれたもう一つの名前を思い出していた。


祖先と連絡を取っていた人物。


そして、その人物の背後には、さらに誰かがいた可能性がある。


まだ、未来という言葉を口にする必要はなかった。


男が知りたいのは、ただ一つだった。


祖先は、誰と一緒に何をしていたのか。


その答えを探すために、男は古い名前を一つずつ追い始めた。

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