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観客のいない世界  作者: 亀


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第四十三章 三十日の試行

 三十日間の試験運用が始まった。


 女性のプロジェクトには。


 新しい評価画面が追加された。


 単独収益。


 視聴時間。


 継続率。


 新規流入。


 そして。


 プロジェクト間回遊率。


 再訪率。


 他作品への波及。


 以前なら。


 最後の三つは参考資料にすぎなかった。


 今は。


 正式な評価項目になっている。


「これで何が分かる?」


 女性が分析担当に聞いた。


「少なくとも、単純な視聴者の奪い合いかどうかは確認できます」


「それだけ?」


「もう一つ」


 分析担当が画面を開く。


「視聴者の滞在理由を追跡できます」


「滞在理由?」


「青年の次の行動を予測するために残っているのか。それとも、別の理由なのか」


 女性は頷いた。


「そこを見て」


     *


 その頃。


 青年は。


 知らない町にいた。


 列車を降りてから。


 二人はしばらく歩いた。


「ここ、どこですか?」


 直人が聞く。


「知らない」


「切符は?」


「ある」


「帰りは?」


「買ってない」


 直人は。


 一瞬黙った。


「……本当に何も決めてないんですね」


「うん」


 二人は。


 駅前の小さな商店に入った。


 飲み物を買う。


 店主が聞いた。


「旅行かい?」


「たぶん」


「たぶん?」


「目的はないので」


 店主は笑った。


「それなら旅行だな」


 二人も笑った。


 それだけだった。


     *


 未来。


 視聴者数は。


 大きく増えなかった。


 しかし。


 離脱率も上がらなかった。


 女性は。


 そこに注目した。


「新規流入が少ない」


「はい」


「なのに、継続率が高い」


「はい」


「つまり?」


「既存の視聴者が残っています」


「何を見ている?」


 分析担当が答える。


「青年と町の人間との会話です」


「会話?」


「はい」


 画面には。


 商店の店主。


 青年。


 直人。


 そして。


 数分間の雑談。


 特別な情報はない。


 事件もない。


 それでも。


 視聴者は残っていた。


「昨日の予測ゲームに参加していた人たちは?」


「一部は参加しています」


「でも?」


「それだけではありません」


 分析担当が別の画面を開く。


 視聴者コメント。


 ――店主さん、いい人だな。


 ――この町、静かでいい。


 ――こういう場所を見るのも悪くない。


 ――次にどこへ行くかより、今の会話を見ていたい。


 女性は。


 最後のコメントを読み返した。


「変わってきた」


「何がです?」


「観客の興味」


     *


 午後。


 青年と直人は。


 町の食堂に入った。


 店には。


 数人の客がいた。


 青年は。


 壁に貼られた紙を見ていた。


「何を見てるんです?」


「求人」


「働くんですか?」


「分からない」


 直人は。


 少し笑った。


「また、それですか」


「気になっただけ」


 紙には。


 短期の仕事が書かれていた。


 店主が。


 青年の視線に気づいた。


「仕事を探してるのか?」


「まだ決めてません」


「そうか」


 店主は。


 それ以上聞かなかった。


「飯だけ食っていきな」


「ありがとうございます」


 青年は。


 求人票をもう一度見た。


 そして。


 何も言わずに席へ戻った。


     *


 未来の管理室。


「求人票への接触時間、四分二十秒」


「記録して」


「はい」


「その後の行動は?」


「食事」


「応募は?」


「していません」


「問い合わせは?」


「ありません」


 女性は。


 画面を見ていた。


「でも、観客が増えています」


「はい」


「何を期待している?」


 分析担当は答えた。


「応募するかもしれない」


「つまり」


「未来の選択肢を見ている」


 女性は。


 その言葉を聞いて。


 しばらく黙った。


「未来そのものではなく」


 彼女は言った。


「可能性を見ている?」


「そのようです」


     *


 夜。


 青年は宿へ戻った。


 直人が聞いた。


「明日どうします?」


「まだ決めてない」


「今日の求人は?」


「応募しない」


「理由は?」


「仕事が嫌だからじゃない」


「じゃあ?」


「まだ、ここで働く理由がない」


 直人は。


 それ以上聞かなかった。


 青年は。


 窓の外を見る。


 知らない町。


 知らない人。


 明日も。


 ここにいるかもしれない。


 別の町へ行くかもしれない。


 戻るかもしれない。


 まだ決まっていない。


     *


 女性は。


 その日の最終データを確認していた。


 新規視聴者。


 大きな増加はない。


 視聴時間。


 微増。


 収益。


 ほぼ横ばい。


 従来の評価なら。


 特別な一日ではない。


 しかし。


 新しい指標には。


 変化が出ていた。


 長期滞在率――上昇。


 再訪率――上昇。


 他作品への波及――上昇。


 そして。


 もう一つ。


 視聴者による未来予測――減少。


 女性は。


 その数字を見て眉を動かした。


「予測が減ってる」


「はい」


「視聴者が興味を失った?」


「逆です」


「逆?」


「青年の行動を予測する人は減りました」


 分析担当が続ける。


「その代わり、町や人物についてコメントする人が増えています」


 女性は。


 画面を見た。


 ――あの店主は明日も店を開けるのか。


 ――あの町にはどんな人がいるんだろう。


 ――青年がここに残らなくても、この町をもう少し見たい。


 彼女は。


 しばらく何も言わなかった。


 最初。


 観客は青年を見ていた。


 次に。


 青年の次の選択を予測するようになった。


 そして今。


 青年の周囲にある世界そのものへ。


 視線が広がり始めている。


「対象が広がってる……」


 女性は呟いた。


「はい」


「青年一人から」


 画面には。


 町の映像。


 店主。


 食堂。


 駅。


 通りを歩く人々。


「その人がいる世界へ」


     *


 三十日の試行。


 まだ四日目だった。


 しかし。


 女性は。


 すでに一つの問題を感じていた。


 もし、この傾向が続けば。


 このプロジェクトは。


 一人の主人公を中心にした番組ではなくなる。


 主人公が何をするか。


 だけではない。


 主人公が誰と会うか。


 どこへ行くか。


 そこで何が起きるか。


 そして。


 何も起きない時間まで。


 観客が見るようになる。


 そのとき。


 従来の「主役」という概念は。


 意味を失うかもしれない。


 女性は。


 まだその考えを資料には書かなかった。


 ただ。


 新しい記録を一行だけ残した。


 ――観測対象が、人物から環境へ拡張している。


 そして。


 その変化が。


 やがて運営側に。


 さらに大きな問題を突きつけることになる。


 どこまでを「番組」と呼ぶのか。

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