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観客のいない世界  作者: 亀


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第三十八章 増えていく観客

 翌日。


 青年が目を覚ますと。


 直人から短い連絡が届いていた。


 ――昨日の店、覚えていますか。


 青年は返信した。


 ――覚えてる。


 すぐに返事が来る。


 ――あの会話、広がっています。


 青年は。


 しばらく画面を見た。


 意味が分からない。


 昨日の会話は。


 誰かに公開したわけではない。


 記録装置を使ったわけでもない。


 ただ。


 男と話をしただけだった。


 青年は。


 直人に電話をかけた。


「どういうこと?」


「昨日の会話を見ていた人が増えています」


「誰が?」


「分かりません」


「未来側?」


「おそらく」


「俺たちの周囲に、そんな装置がある?」


「確認できていません」


 青年は。


 少し黙った。


「じゃあ、どうして?」


「それが分からないから連絡しました」


     *


 未来の管理室。


 女性は。


 昨日から増え続けるデータを見ていた。


 青年の視聴者数。


 前日比。


 さらに上昇。


 しかし。


 異常なのは人数だけではない。


 視聴者の構成が変わっていた。


「新規視聴者の割合」


 女性が聞く。


「四十七パーセントです」


「そんなに?」


「はい」


「どこから来ている?」


 部下が画面を切り替える。


 複数のプロジェクト名が並ぶ。


 戦闘型。


 恋愛型。


 政治型。


 歴史型。


 日常観察型。


 さらに。


 これまで青年とは無関係だったプロジェクトからも。


 少数ながら流入が始まっている。


「視聴者が移動しています」


「はい」


「一時的なもの?」


「今のところ、判断できません」


「再訪率は?」


「高いです」


「昨日の会話を見た人が、今日も戻っている?」


「その傾向があります」


 女性は。


 椅子に深く座った。


 普通なら。


 この数字は喜ぶべきものだった。


 プロジェクトの成長。


 新規顧客。


 高い継続率。


 長い視聴時間。


 どれも。


 管理者にとっては重要な数字だ。


 だが。


 同時に。


 一つの問題も見えていた。


「他のプロジェクトは?」


「一部で視聴時間が落ちています」


「どれくらい?」


「平均で四から六パーセント」


 女性は。


 画面を見る。


「まだ小さい」


「はい」


「でも」


 女性は。


 少し考えた。


「同じ傾向が続けば、問題になる」


     *


 別の管理室。


 別のプロジェクトを担当する男が。


 視聴者流入のグラフを見ていた。


「また移動した」


 部下が答える。


「はい」


「昨日も?」


「はい」


「一昨日も?」


「はい」


 男は。


 椅子から立ち上がった。


「このプロジェクトのどこがそんなに面白い?」


 部下は。


 資料を開いた。


「戦闘なし」


「大規模事件なし」


「新技術の公開なし」


「重要人物との接触もありません」


「じゃあ何だ?」


「普通の生活です」


 男は。


 黙った。


「それだけ?」


「はい」


 男は。


 少し笑った。


「それで、こっちの視聴者が減っているのか」


「現時点では相関しか確認できません」


「分かってる」


 男は。


 画面を閉じた。


「でも」


 一拍。


「原因を調べろ」


     *


 青年は。


 その頃。


 市場の近くにある小さな食堂にいた。


 昨日と同じような場所。


 昨日と同じような時間。


 ただ。


 今日は。


 少し違った。


 店に入ったとき。


 昨日の店員が青年を見た。


「あ」


 青年も。


 少し驚く。


「昨日も来ましたね」


「はい」


「今日も同じもの?」


「覚えてるんですか」


「昨日、ずっと話していたでしょう」


 青年は。


 少し笑った。


「じゃあ、それで」


 席に座る。


 直人も。


 向かいに座った。


「昨日の男」


 直人が言う。


「ああ」


「どうなると思います?」


「分からない」


「また会うでしょうか」


「たぶん」


「敵として?」


「それも分からない」


 直人は。


 苦笑した。


「本当に、最近そういう答えが増えましたね」


「分からないことを、分かったふりしても仕方ないだろ」


「それはそうですけど」


 二人は。


 食事を始めた。


 しばらく。


 何も話さない。


 窓の外を。


 人が通り過ぎる。


 その映像を。


 未来の観客が見ている。


 青年は。


 知らない。


     *


 女性は。


 その映像を見ていた。


「また何も起きていません」


 部下が言う。


「そうね」


「それでも視聴者が増えています」


「分かってる」


 女性は。


 映像を拡大した。


 青年が食事をしている。


 直人が話している。


 店員が料理を運ぶ。


 それだけ。


「これまでのモデルでは」


 女性が言った。


「視聴者が増える理由を、事件の強度で説明していた」


「はい」


「事件が大きいほど」


「視聴時間が増える」


「危険が高いほど」


「離脱率が下がる」


「強い敵が現れれば」


「新規流入が増える」


「でも」


 女性は。


 画面を見る。


「今は逆になっている」


「逆?」


「事件がないのに、増えている」


 部下は。


 答えられなかった。


「つまり」


 女性は。


 ゆっくり言った。


「事件を待っているのではない」


「……」


「人間を見ている」


     *


 その日の午後。


 青年たちは。


 街を歩いていた。


 すると。


 突然。


 遠くで大きな音がした。


 人々が振り返る。


 道路の向こうで。


 トラックが一台。


 故障して止まっている。


 周囲に人が集まる。


 誰かが警察を呼んでいる。


 青年も。


 一瞬そちらを見る。


 直人が言う。


「行きますか?」


「いや」


「見ない?」


「誰かが対応するだろ」


 青年は。


 そのまま歩いた。


 未来の視聴者は。


 少しだけ驚いた。


 これまでなら。


 青年が何かを確認すると思っていた。


 しかし。


 彼は行かなかった。


 別の道を歩いていく。


 数分後。


 視聴者数が。


 わずかに上がった。


 女性は。


 その数字を見ていた。


「今の」


 部下が言う。


「事件を見なかったことが、視聴者の関心を上げています」


「そうね」


「普通は逆です」


「だから面白い」


 女性は。


 少しだけ笑った。


 そして。


 初めて。


 一つの仮説を記録した。


 ――予測不能性そのものが、観測価値になっている可能性。


 彼女は。


 その文章を見つめた。


 すぐには確定しない。


 まだ仮説だ。


 しかし。


 この仮説なら。


 昨日から続く数字の変化を。


 ある程度説明できる。


 問題は。


 もし正しいなら。


 従来のプロジェクト設計そのものを。


 見直す必要が出てくることだった。


     *


 夜。


 青年は。


 宿の窓を開けた。


 街は静かだった。


 今日も。


 特別なことは起きなかった。


 それでも。


 誰かが。


 この一日を見ていた。


 青年は。


 そのことを知らない。


 未来の観客も。


 青年が何を考えているのか。


 完全には分からない。


 だから。


 見続ける。


 明日。


 どこへ行くのか。


 誰と会うのか。


 何をするのか。


 何もしないのか。


 それすら。


 分からない。


 女性は。


 最後に一つだけ。


 画面へ記録した。


 「次に何が起こるか」ではなく。


 「次に、この人が何を選ぶか」。


 その違いが。


 少しずつ。


 プロジェクトそのものを変え始めていた。

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