第三十七章 話すだけの時間
店の奥の席に。
青年と男は向かい合って座った。
直人は少し離れた席にいる。
男は。
注文した飲み物に手をつけないまま。
しばらく青年を見ていた。
「逃げないんだな」
「逃げる必要がある?」
「以前なら、逃げていた」
「以前と今は違う」
男は。
小さく笑った。
「変わったな」
「そうかな」
「少なくとも、前より話をするようになった」
青年は。
返事をしなかった。
男が店の外を見る。
人が歩いている。
車が通る。
店員が料理を運んでいる。
ごく普通の朝だった。
「俺も」
男が言った。
「少し前まで、お前を探していた」
「知ってる」
「今は?」
「探してない」
青年が聞く。
「なぜ?」
男は。
しばらく考えた。
「理由はいくつかある」
「聞いていい?」
「いい」
男は。
ようやく飲み物を一口飲んだ。
「一つ目は、俺たちに与えられていた情報が減った」
「未来側から?」
「そうだ」
「なぜ?」
「分からない」
男は。
正直に答えた。
「以前は、次にどこへ行くか、誰と接触するか、ある程度情報が来ていた」
「今は?」
「来ない」
「完全に?」
「いや」
男は首を振った。
「時々来る」
「じゃあ、減っただけか」
「そういうことだ」
青年は。
少し考えた。
「もう一つは?」
「二つ目は」
男は。
青年を見る。
「情報が当たらなくなった」
青年は。
黙った。
「お前が、予想通りに動かない」
「俺が?」
「そう」
男は笑った。
「逃げると思ったら残る」
「戦うと思ったら逃げる」
「誰かを利用すると思ったら、何もしない」
「逆に」
一拍。
「何でもないところで、人を助ける」
青年は。
少し困った顔をした。
「そんなに変なことしてないと思うけど」
「そこが問題なんだ」
男は。
苦笑した。
「普通の人間なら、そうすることもある」
「だから?」
「だから、予測できない」
*
未来。
同じ映像を。
女性が見ていた。
「まだ続いています」
部下が言う。
「何分?」
「三十二分」
「長い」
「はい」
「戦闘は?」
「ありません」
「情報交換?」
「会話だけです」
「視聴者数は?」
数字が表示される。
上昇している。
女性は。
少し眉を動かした。
「会話だけで?」
「はい」
「離脱率は?」
「低下しています」
「なぜ?」
「分かりません」
女性は。
画面を見続けた。
青年と男。
どちらも。
派手なことをしていない。
声も大きくない。
時々。
沈黙している。
それでも。
観客は離れない。
むしろ。
増えている。
*
店内。
「三つ目は?」
青年が聞いた。
男は。
一瞬黙った。
「三つ目は」
テーブルの上に手を置く。
「俺自身が、もう分からなくなった」
「何が?」
「何のために、お前を追っていたのか」
青年は。
男を見た。
「最初は仕事だった」
「そうだ」
「命令?」
「命令というより、契約だ」
「報酬は?」
「情報と資源」
「それで?」
「それだけだった」
男は。
少し笑った。
「別に、お前が嫌いだったわけじゃない」
「知ってる」
「そうなのか?」
「俺を追ってたときも」
「ずっと仕事の顔をしてた」
男は。
何も言わなかった。
しばらくして。
「その通りだ」
と答えた。
「でも」
男は続ける。
「最近は、自分が誰かの人生を追いかけていることに気づく」
「……」
「最初は情報だった」
「次は金だった」
「その次は、自分の立場だった」
「でも」
男は。
窓の外を見る。
「今は、ただ」
一拍。
「何をしているんだろうと思う」
青年は。
しばらく考えた。
「辞めれば?」
男が笑った。
「簡単に言うな」
「難しい?」
「生活がある」
「そうか」
「家族もいる」
「それなら、なおさら無理に辞めなくていい」
青年は。
そう言った。
「俺の敵である必要もないけど」
「……」
「味方になる必要もない」
「それでいいのか?」
「いいと思う」
男は。
少し驚いたような顔をした。
「お前は」
「何?」
「敵と味方を、そんなに簡単に分けないんだな」
青年は。
飲み物を飲む。
「明日また敵になるかもしれないし」
「今日だけ話せれば、それでいい」
男は。
黙った。
その言葉を。
すぐには理解できないようだった。
*
未来の管理室。
女性は。
会話の記録を止めた。
「今の部分」
「はい」
「保存して」
「どの部分ですか?」
「全部」
部下が少し驚く。
「三十二分間の会話を?」
「そう」
「重要な情報が含まれているからですか?」
「違う」
女性は。
画面を見る。
「この会話には、事件がない」
「はい」
「交渉もない」
「はい」
「勝敗もない」
「ありません」
「なのに」
視聴者数を見る。
「人が見ている」
女性は。
そこに注目していた。
これまで。
プロジェクトでは。
出来事を中心にデータを取っていた。
戦闘開始。
危険度。
死亡率。
勝敗。
情報開示。
感情変化。
視聴者反応。
だが。
今回の数字は。
そのどれにも当てはまらない。
ただ。
人間同士が話している。
しかも。
結論は出ていない。
男が味方になったわけでもない。
青年が敵を許したわけでもない。
契約も変わっていない。
ただ。
話をした。
「この時間」
女性が言った。
「番組として成立していると思う?」
部下は。
少し考えた。
「従来の定義なら、弱いです」
「従来ならね」
「でも」
「でも?」
「数字は強いです」
女性は。
笑わなかった。
ただ。
画面を見た。
「そう」
それだけだった。
*
店を出る。
男は。
青年と少し離れた場所で立ち止まった。
「俺は、しばらくここにいる」
「そう」
「また会うかもしれない」
「そのときは、そのときで」
「敵になるかもしれない」
「分かってる」
男は。
一度だけ頷いた。
「じゃあな」
「うん」
男は。
別の道へ歩いていった。
直人が。
青年の隣に来る。
「味方にしなかったんですね」
「する必要ある?」
「……ないかもしれません」
「今は」
青年は。
男の背中を見る。
「話しただけだから」
二人も。
歩き始めた。
*
その日の夕方。
未来のプロジェクト画面には。
新しい数字が追加されていた。
平均視聴時間――過去最高。
しかし。
女性が注目したのは。
その数字ではなかった。
視聴者の流入元。
これまで。
戦闘映像や大規模事件を見ていた観客が。
青年の会話を見始めている。
さらに。
別のプロジェクトから。
視聴者が流れてきている。
そして。
そのまま残っている。
「観客が」
女性は。
小さく呟いた。
「番組を選んでいるんじゃない」
部下が見る。
「何かを探している?」
「たぶん」
「何を?」
女性は。
答えなかった。
まだ分からない。
ただ。
少なくとも。
青年が何かを起こすから見るのではない。
青年が。
次に何をするか分からないから。
見ている。
その違いは。
数字以上に大きかった。
そして。
それを最初に理解した人間が。
まだ誰もいないことを。
女性は知っていた。




