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観客のいない世界  作者: 亀


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第361章 狩る側の誤算

撤去された設備の搬出経路を追っていた男は、積み荷を載せた保守車両が第三搬送路へ入ったところで、足を止めた。


前方の通路が閉鎖されていた。


故障を知らせる警告灯が赤く点滅している。通行止めの表示は出ていないが、奥から戻ってくる作業員の姿もなかった。


「迂回するか」


カイが小声で尋ねた。


男は返事をせず、車両が消えた方向を見ていた。


搬送路の脇に、ひとつの荷物が落ちている。


黒い保守ケースだった。


さっきまで車両に積まれていたものと同じ規格だ。留め具のひとつが外れ、蓋がわずかに開いている。


「触るな」


男はカイを制した。


その直後、背後で金属音がした。


振り返るより先に、通路の照明が消えた。


暗闇の中で、靴底が床を擦る音が二つ。続いて、空気を切る短い音が走った。


男は横へ身を投げた。


刃が、先ほどまで首のあった場所を通過した。


床に肩を打ちつける。右手に痛みが走ったが、男は歯を食いしばり、負傷した手をかばいながら転がった。


カイが相手の腕をつかもうとした。


しかし、二人目の襲撃者が横から割り込み、カイの膝を蹴り払った。体勢を崩したカイは壁にぶつかり、息を詰まらせた。


「カイ!」


男が起き上がろうとした瞬間、足元に細いワイヤーが張られた。


踏めば転ぶ。避ければ、次の攻撃に間に合わない。


男は前へ飛び込むのをやめ、身体を低くした。


刃が肩口をかすめる。


襲撃者は追撃せず、男の逃げ道を塞ぐ位置に立った。もう一人がカイを壁際へ押さえつけている。


殺すことだけが目的なら、最初の一撃で終わっていた。


男は相手の手元を見た。


武器は二人とも同じ型ではない。装備の統一された部隊ではなく、個別に動ける人間を集めている。互いに距離を保ち、相手の退路を分担している。


こちらの動きを封じることを優先している。


「ケースを見たな」


襲撃者の一人が言った。


男は答えなかった。


「何が入っていると思った?」


「知らないから、追っていた」


「なら、知らないまま帰れ」


襲撃者が一歩近づいた。


男は後退した。背後には閉鎖された通路、横にはカイ、正面には刃を持つ相手がいる。


右手は使えない。正面から突破するのも難しい。


そのとき、床に落ちていた保守ケースの留め具が、かすかに動いた。


男は襲撃者ではなく、ケースを見た。


蓋の隙間から伸びている細い線が、床の排水溝に沿って奥へ続いていた。ケースが落ちた際に外れたものではない。線は通路の角を越え、壁面の保守パネルに接続されている。


男は一瞬だけ目を細めた。


「お前たち、あれを回収しに来たんじゃないな」


襲撃者の目が動いた。


ほんのわずかな反応だった。


だが、男には十分だった。


「俺たちをここに誘い込むために置いたのか」


「口を閉じろ」


襲撃者が踏み込んだ。


男は正面から受けなかった。右手を使わず、身体を横へずらす。刃が服を裂き、壁に突き刺さった。


男は相手の腕を押さえ込もうとせず、そのまま壁際を抜けた。


逃げるためではない。


保守パネルへ向かうためだった。


襲撃者が追う。男はパネルの蓋を蹴り開け、接続線を引き抜いた。


通路の奥で、低い駆動音が止まった。


同時に、閉鎖されていた隔壁が半分だけ持ち上がる。


襲撃者の表情が変わった。


男はその隙に隔壁の下をくぐり、向こう側へ転がり込んだ。


「カイ、来い!」


カイは壁から身を離すと、襲撃者の腕を振りほどいて走った。追撃の刃が背中を狙ったが、カイは身体をひねり、肩をかすめさせながら隔壁の向こうへ滑り込んだ。


二人が抜けた直後、隔壁が再び落ちた。


金属の衝突音が響く。


向こう側から、何度か扉を叩く音が聞こえた。しかし、追ってくる気配はない。


男は壁に背を預け、息を整えた。


右手が熱を持っていた。強く握らないようにしても、痛みは引かない。


カイは肩を押さえながら、男の顔を見た。


「今のは、あいつらが仕掛けた罠だったのか?」


「最初から全部が罠だったのかはわからない。だが、俺たちが来ることを知っていた可能性は高い」


「誰が漏らした?」


「まだ決めつけるな」


男はそう答えた。


誰かが情報を流したのかもしれない。あるいは、彼らの追跡そのものが、回収網の監視対象になっていたのかもしれない。


どちらにしても、これまでと同じやり方では動けない。


男は隔壁を振り返った。


「それより、あいつらは俺たちを殺せたのに、殺さなかった」


「何かを聞き出したかった?」


「違う。あいつらは、俺たちが何を知っているかを確かめていた」


ケースの中身を知っているか。搬送先を特定しているか。回収の全体像にどこまで近づいているか。


それを確認するために、わざわざ襲撃した。


つまり、相手は彼らの存在を把握しているだけではない。彼らがどこまで追跡しているのかを気にしている。


男はその事実を頭の中で整理した。


「ここから先は、追跡する側とされる側が逆になる」


カイが短く息を吐いた。


「だったら、どうする?」


男はすぐには答えなかった。


痛みをこらえながら歩き出し、角の先にある非常出口を確認する。


「今夜は戻る。お前の肩も診てもらえ。俺の手もこれ以上は無理だ」


「逃げるのか?」


「生きて戻るのと、逃げるのは違う」


男は足を止めた。


「次に動くときは、向こうが俺たちを待っている場所へ行かない。向こうが動かざるを得ない場所を選ぶ」


カイはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。


二人は非常出口を抜けた。


その頃、隔壁の向こうでは、襲撃者の一人が通信端末を取り出していた。


『対象は逃走。保守回路を切断されました』


通信の向こうから、落ち着いた声が返ってきた。


『負傷の程度は』


『一名は肩を負傷。もう一名は右手をかばっていました。戦闘能力は限定的です』


短い沈黙があった。


『それでも、あの回路を見つけたのか』


『はい』


『次は回収地点を変えろ。接続口もすべて交換する。二人を追うな』


襲撃者は一瞬、聞き返しかけた。


「追跡しなくてよろしいのですか」


『今はな』


通信が切れた。


襲撃者は床に落ちたケースを拾い上げた。


中身は空だった。


そこにあったはずの旧式部品は、すでに別の経路へ移されている。


今回の襲撃は、技術を守るためだけのものではなかった。


相手がどこまで気づいているかを測るための試験だった。


そして、その試験によって、回収網の側もひとつの事実を知った。


追跡者は、ただ後をついてくるだけの人間ではない。


放置すれば、いずれ回収経路そのものに手を伸ばしてくる。


通信端末に、新しい指示が届いた。


次の回収地点は、予定より二日早く変更される。


その決定によって、別の場所で動いていた人間たちの予定も崩れ始めた。


男はまだ知らない。


自分が追跡を続けたことで、敵の計画に初めて修正を強いたことを。


そして、その修正が、敵の内部で別の不満を生み始めていることも。

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