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観客のいない世界  作者: 亀


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第三十五章 第二記録者

 翌朝。


 青年は、箱を机の上に置いたまま、しばらく動かなかった。


 昨夜から何度も考えている。


 ――第二記録者を検索しますか?


 あの表示。


 消しただけで、なくなったわけではない。


 箱を開けば。


 おそらく、また出てくる。


 だからといって。


 すぐに調べる理由もなかった。


 昨日の記録を見ただけでも。


 分かったことより、分からなくなったことのほうが多い。


 第一記録者は、自分と少し似ていた。


 だが、血縁関係は確認されていない。


 彼が何百年も前に残した記録は、誰かに見られていた。


 しかも。


 その閲覧日時には、記録そのものより古いように見える時間が残っていた。


 そして。


 第二記録者という人物がいる。


 それだけだった。


「……順番に見るしかないか」


 青年は。


 箱を開いた。


     *


 画面には。


 昨日と同じ表示が出た。


 ――第一記録者。


 ――第二記録者。


 青年は。


 第二記録者を選択した。


 数秒。


 読み込みが続く。


 やがて。


 人物情報が表示された。


 名前。


 年齢。


 居住地。


 職業。


 どれも。


 断片的だった。


 そして。


 第一記録者との関係。


 ――直接的な血縁関係:確認できず。


「……またか」


 直人が苦笑する。


「似たような人ばかりですね」


「むしろ、こっちが普通なのかもしれない」


 青年は。


 記録開始日を確認した。


 第一記録者の最後の記録から。


 約二十年後。


「二十年」


「引き継いだんでしょうか」


「分からない」


「でも、時期は近い」


「うん」


 記録を再生する。


     *


 最初に映ったのは。


 工場だった。


 巨大な設備。


 金属を加工する音。


 人間が何人も働いている。


 第一記録者とは。


 まったく違う生活だった。


 第二記録者は。


 工場で働いていた。


 毎朝、同じ時間に起き。


 同じ道を歩き。


 同じ場所で仕事をする。


 昼になると。


 食堂で弁当を食べる。


 仕事が終われば。


 家に帰る。


 特別なことは。


 ほとんど起こらない。


 青年は。


 少し笑った。


「また普通の生活だ」


「この装置、普通の生活ばかり記録しますね」


「そうみたいだな」


 しかし。


 しばらく見ていると。


 第一記録者との違いに気づいた。


 第二記録者は。


 自分の生活だけを記録していない。


 同僚。


 近所の人。


 家族。


 街。


 工場。


 さまざまな人間を記録している。


 ある日。


 仕事を終えた男が。


 工場の門の前で誰かと話している。


 別の日。


 近所の店主が。


 商品の値段について客と揉めている。


 別の日。


 子供が転んで泣いている。


 別の日。


 老人が。


 同じベンチに座っている。


 第二記録者は。


 それらを。


 淡々と残していた。


     *


「この人」


 直人が言った。


「第一記録者とは違いますね」


「そうだな」


「第一記録者は、自分の人生を残していた」


「こっちは」


「周りの人間を見ている」


 青年は。


 記録を少し戻した。


 第二記録者の音声を再生する。


『自分だけを記録していると』


 若い男の声。


『自分が世界の中心みたいに感じる』


 一拍。


『だから、周りも残すことにした』


 画面には。


 街を歩く人々。


『自分が知らない人間にも』


『それぞれの一日がある』


『その人たちにとっては』


『自分の人生が、世界の中心なんだろう』


 青年は。


 黙って聞いていた。


『だから』


『一人だけ記録しても』


『時代は残らない』


     *


 記録は。


 さらに続いた。


 第二記録者は。


 少しずつ。


 記録の方法を変えていった。


 最初は。


 自分の目の前にあるもの。


 次は。


 近所。


 その次は。


 街。


 さらに。


 別の地域。


 彼は。


 装置を持ち歩くようになった。


 駅。


 市場。


 学校。


 病院。


 工場。


 住宅地。


 祭り。


 葬儀。


 結婚式。


 どれも。


 特別な事件ではない。


 しかし。


 それらが積み重なって。


 一つの時代になっていく。


 ある夜。


 第二記録者は。


 装置の前で言った。


『第一記録者の記録を見た』


 青年の手が止まる。


『私は最初』


『あの人が、自分の人生を残していると思っていた』


『でも』


 少し笑う。


『違った』


『あの人は、自分が生きた世界を残していた』


 画面が。


 古い第一記録者の映像に切り替わる。


 雨。


 市場。


 家族。


 仕事。


 雪。


『だから』


 第二記録者が続ける。


『私も、自分の周りを残す』


     *


 青年は。


 画面を一時停止した。


「これ」


「はい」


「誰かから指示されたわけじゃないな」


「そう見えます」


「じゃあ」


 青年は。


 少し考える。


「記録者というもの自体が」


 一拍。


「誰かから誰かへ伝わっていったのか?」


 直人は。


 答えなかった。


 確証がない。


 第二記録者が第一記録者の記録を見ていたことは。


 記録上、確認できる。


 だが。


 第一記録者が第二記録者に直接装置を渡したとは限らない。


 誰かが発見した可能性もある。


 別の人間が間にいた可能性もある。


 装置そのものが。


 複数存在していた可能性もある。


 だから。


 まだ「継承」と呼ぶには早い。


     *


 その頃。


 未来の管理室。


 女性は。


 新しいデータを確認していた。


「第二記録者」


 部下が報告する。


「第一記録者との直接接触記録はありません」


「それでも、記録を見ている」


「はい」


「誰が見せた?」


「不明です」


 女性は。


 少し考えた。


「第一記録者の記録が公開された形跡は?」


「ありません」


「未来側のデータベースにも?」


「ありません」


「では」


 女性は。


 画面を閉じなかった。


「第二記録者は、どこから記録を知った?」


「それが分かりません」


 しばらく沈黙する。


「調べて」


「どこまで?」


「第一記録者から第二記録者までの空白期間」


「はい」


「その間に、誰が装置を持っていたのか」


 女性は。


 そこで一度止まった。


「ただし」


「はい」


「現地には接触しないで」


 部下が顔を上げる。


「観測だけですか?」


「そう」


 女性は。


 静かに答えた。


「まだ、何を調べているのかすら分かっていない」


     *


 青年たちは。


 第二記録者の最後の記録まで進んだ。


 そこには。


 小さな部屋が映っていた。


 第二記録者は。


 年を取っていた。


 机の上には。


 大量の記録媒体。


 紙。


 写真。


 古い映像。


 そして。


 一枚の封筒。


 男は。


 それを手に取った。


『私は』


 声が少し震えている。


『次の人間が、これを見るかもしれない』


 封筒には。


 名前がない。


『もし』


『あなたが、この装置を使っているなら』


 一度。


 画面を見る。


『あなたは、私と同じ人間ではない』


 青年は。


 画面を見つめた。


『同じ考え方をする必要もない』


『私のやり方を続ける必要もない』


『記録するのをやめてもいい』


『別のものを記録してもいい』


『自分だけでもいい』


『他人だけでもいい』


 そこで。


 男は笑った。


『ただ』


『自分が何を残しているのか』


『自分で決めてほしい』


 映像が終わる。


     *


 青年は。


 しばらく何も言わなかった。


 やがて。


「これ」


「はい」


「継承じゃないな」


 直人が。


 青年を見る。


「じゃあ、何です?」


「選択肢を渡してるだけだ」


 青年は。


 箱を見る。


「前の人間が次の人間を決めてるわけじゃない」


「……なるほど」


「装置を受け取った人間が」


 一拍。


「自分で続けるかどうかを決める」


 その瞬間。


 箱の画面が変わった。


 これまで表示されていなかった項目。


 ――記録者一覧。


 青年が。


 画面を見る。


 第一。


 第二。


 第三。


 第四。


 さらに。


 数十。


 数百。


 名前が並んでいる。


 その中には。


 知らない人間も。


 知っている人間もいる。


 しかし。


 最後の一行だけ。


 表示が違った。


 ――現在の記録者候補。


 青年は。


 そこを見た。


 自分の名前は。


 まだなかった。


 代わりに。


 空白が一つだけ表示されている。


 ――未選択。


 青年は。


 その文字を見て。


 少しだけ笑った。


「……まだ決まってない」


 直人が。


 画面を見る。


「何がです?」


「次が誰なのか」


 青年は。


 箱を閉じた。


「だったら」


 立ち上がる。


「今は、俺が決める必要もない」


 二人は。


 地下施設を出た。


 外は。


 昨日と同じ街だった。


 駅前では。


 会社員が歩いている。


 店では。


 店員が商品を並べている。


 道路では。


 車が信号を待っている。


 誰かにとっては。


 何も起こらない一日。


 誰かにとっては。


 人生の重要な一日。


 その違いを。


 外から見ただけでは。


 判断できない。


 青年は。


 歩きながら思った。


 第一記録者は。


 自分を残した。


 第二記録者は。


 周囲を残した。


 次の人間が。


 何を残すかは。


 まだ決まっていない。


 そして。


 その「決まっていない」という状態こそ。


 この記録の中で。


 最も長く残っているものなのかもしれなかった。

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