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観客のいない世界  作者: 亀


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第三十四章 記録者の系譜

 青年は。


 画面に表示された自分の名前を見つめていた。


 ――現在の記録者。


 ――登録済み。


 その下には。


 さらに一行。


 ――記録継続中。


「……俺が記録者?」


 直人が。


 画面を覗き込む。


「そう表示されています」


「でも」


 青年は首を振った。


「俺は記録してない」


「箱は持っていますけど」


「箱を持ってるだけだ」


 装置は。


 何も答えない。


 ただ。


 画面の奥で。


 古い記録が次々と整理されていく。


 二百四十三年前。


 第一記録者。


 その後。


 第二記録者。


 第三。


 第四。


 そして。


 曾祖父。


 祖父。


 青年。


 一本の線になっている。


 しかし。


 そこには。


 奇妙な空白もあった。


「……待って」


 直人が言った。


「何?」


「この人」


 直人が。


 ある名前を指差す。


「曾祖父の前です」


「うん」


「でも」


 直人は。


 画面を拡大した。


「この人だけ、記録期間が短い」


 表示。


 ――記録開始。


 ――記録終了。


 期間。


 わずか十一日。


「十一日?」


「ああ」


「何があったんでしょう」


「分からない」


 青年は。


 その人物の記録を開いた。


     *


 最初の日。


 男は。


 地下施設に入っていた。


 年齢は三十代。


 服装は普通だった。


 研究者にも。


 軍人にも見えない。


 男は。


 装置の前に座る。


『今日から記録を始める』


 そこで。


 一度笑った。


『誰に頼まれたわけでもない』


『ただ、前の記録者が残したものを見つけた』


 画面に。


 前任者の記録が映る。


『彼は、これを「観測」と呼んでいた』


『私は違うと思う』


 男は。


 少し考える。


『これは、記憶だ』


 映像が進む。


 二日目。


 三日目。


 四日目。


 男は。


 毎日。


 同じようなことを記録している。


 食事。


 仕事。


 家族。


 街。


 そして。


 装置。


 七日目。


 男の表情が変わった。


『今日』


 一拍。


『別の記録を見つけた』


 画面に。


 未来側の通信記録が表示される。


『私たちより後の時代から』


『誰かが、この記録を見ている』


 青年は。


 身を乗り出した。


「ここだ」


 直人も。


 画面を見る。


『私は』


 男が続ける。


『その人間に質問した』


『なぜ、私たちを見るのか』


 通信記録。


 返信。


 ――「あなたたちの時代には、情報価値があります。」


 男が。


 苦笑する。


『またか』


『価値』


『情報価値』


『観測価値』


『未来価値』


 男は。


 机を叩いた。


『人間の人生を、数字で呼ぶな』


 映像が。


 そこで途切れた。


     *


 青年は。


 画面を見つめていた。


「この人」


 直人が言う。


「未来側に怒ってますね」


「そうだな」


「でも」


「うん」


 青年は。


 続きの記録を開いた。


 八日目。


 男は。


 装置の前に座っている。


『昨日の通信について考えた』


『彼らが悪いとは思わない』


 青年が眉を寄せる。


『私たちも』


 男は。


 窓の外を見る。


『過去の人間を調べている』


『歴史を読む』


『昔の人間の生活を知る』


『それと同じなのかもしれない』


 九日目。


『では』


『どこから違うのか』


 十日目。


『見ることか』


『利用することか』


『それとも』


『本人に選択権があるかどうかか』


 十一日目。


 最後の記録。


 男は。


 装置の前に座っていた。


 顔に。


 疲労が見える。


『私は』


 長い沈黙。


『この装置を閉じる』


 青年が。


 画面に近づく。


『理由は』


『危険だからではない』


『未来が怖いからでもない』


『自分たちが見られることが嫌だからでもない』


 男は。


 ゆっくりと言った。


『見られていることを理由に』


『自分たちの行動を変え始めたくない』


 そして。


 最後に。


『自分たちの人生を』


『観測される前提で作りたくない』


 記録終了。


     *


 画面が暗くなる。


 青年は。


 しばらく動かなかった。


 直人が。


 小さな声で言う。


「閉じたんですね」


「たぶん」


「でも、装置は残った」


「そうだな」


「じゃあ」


 直人は。


 少し考えた。


「閉じることと、消すことは違ったんですね」


 青年は。


 その言葉を聞いて。


 箱を見た。


 祖先も。


 この装置を消さなかった。


 未来との接続を。


 完全に断ったわけでもない。


 ただ。


 自分がどうするかを。


 残した。


     *


 未来の管理室。


 女性は。


 十一日間の記録を見終わった。


「この人物について」


 彼女が聞く。


「現在の資料では、詳細不明です」


「子孫は?」


「確認できません」


「その後の接続は?」


「ありません」


「本当に?」


「はい」


 女性は。


 少し考えた。


「なら」


 画面を閉じる。


「彼は消えたのではなく」


 一拍。


「記録を残さないことを選んだ可能性がある」


 部下は。


 少し驚いた。


「記録されていないのに?」


「そう」


「それをどう確認します?」


「できません」


 女性は。


 あっさり答えた。


「だから、可能性のままです」


 それ以上。


 彼女は語らなかった。


     *


 東部観測所。


 青年たちは。


 さらに奥へ進んだ。


 地下施設の最深部。


 そこには。


 一つの小さな部屋があった。


 机。


 椅子。


 古い照明。


 壁には。


 大量の紙が貼られている。


 青年は。


 一枚を手に取った。


 そこには。


 毎日の生活が書かれていた。


 朝起きる。


 仕事へ行く。


 昼食。


 帰宅。


 家族と話す。


 眠る。


 また翌日。


 直人が。


 別の紙を見る。


「全部、普通ですね」


「うん」


「普通すぎます」


「だから残したんだろ」


 青年は。


 一枚の紙を読む。


 そこには。


 短い文章があった。


 「何も起こらなかった日を、誰かが覚えていてくれるなら、それで十分だ。」


 青年は。


 その紙を。


 元の場所へ戻した。


 その瞬間。


 地下施設全体が。


 低く振動した。


「何だ?」


 直人が身構える。


 照明が消える。


 そして。


 中央の装置が。


 一つだけ点灯した。


 ――記録者認証。


 ――現在の記録者を確認。


 ――継承処理を開始。


「継承?」


 青年が。


 画面を見る。


 次の表示。


 ――記録者は、記録対象を選択できます。


 青年は。


 動かなかった。


 今まで。


 箱は。


 自分に情報を与えてきた。


 未来と接続させた。


 観測者の存在を見せた。


 だが。


 今回だけは。


 違う。


 装置は。


 青年に選択を求めている。


 ――何を記録しますか?


 画面には。


 三つの選択肢。


 【自分】


 【他者】


 【時代】


 直人が。


 青年を見る。


「どうします?」


 青年は。


 しばらく考えた。


 そして。


 画面に手を伸ばす。


 だが。


 どれも選ばなかった。


「全部?」


 直人が聞く。


「違う」


「じゃあ?」


 青年は。


 装置の電源に手を置いた。


「今は」


 一拍。


「選ばない」


 画面が。


 静かに点滅した。


 ――選択を保留。


 ――記録継続。


 そして。


 最後に。


 一行だけ表示された。


 「記録者は、記録されることを拒否する権利を持つ。」


 青年は。


 その文字を見つめた。


 未来から見られること。


 同時代から見られること。


 自分が誰かを見ること。


 そのどれも。


 完全に止めることはできない。


 それでも。


 少なくとも。


 この場所には。


 拒否するという選択肢が。


 最初から残されていた。


 そして青年は。


 まだ。


 その選択をしなかった。

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