↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
観客のいない世界  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/420

第三十三章 似ているだけの人間

 画面に映った顔を見て。


 青年は、しばらく何も言わなかった。


 古い映像だった。


 画質も悪い。


 輪郭はところどころ崩れている。


 それでも。


 目元。


 鼻の形。


 口元。


 顔全体の輪郭。


 自分とよく似ていた。


 直人も、画面を見たまま動かない。


「……似ていますね」


「うん」


「かなり」


「でも、俺じゃない」


 青年は即答した。


 画面の人物は。


 少なくとも青年が知っている自分より、ずっと年上だった。


 服装も違う。


 髪型も違う。


 時代も違う。


 そして何より。


 この映像は、青年が生まれる遥か前のものだった。


 装置の表示には。


 こう書かれている。


 ――記録者:第一記録者。


 ――本人確認:未完了。


 ――血縁関係:不明。


 ――顔貌類似度:94\.2%。


「血縁関係まで調べてないんだな」


 青年が言った。


「この装置に遺伝情報を調べる機能がないのかもしれません」


「じゃあ、顔が似ているだけか」


「今のところは」


 青年は。


 その言葉を聞いて。


 少し安心した。


 何百年前の人間が自分と似ている。


 それだけなら。


 珍しい話ではない。


 人間の顔には限界がある。


 どこか似た人間が生まれることくらい。


 あり得る。


 問題は。


 その人間が。


 なぜ、この装置を使っていたのかだった。


     *


 記録を再生する。


 最初に映ったのは。


 雨だった。


 屋根から落ちる水。


 濡れた道路。


 傘を差して歩く人。


 誰かが店の前を掃除している。


 それだけだった。


 数分。


 何も起こらない。


 十数分。


 まだ何も起こらない。


 青年が。


 思わず画面を見る。


「これ……ずっと?」


 直人が答える。


「たぶん」


「何を見てたんだ、この人」


「雨じゃないですか」


「……そうだけど」


 映像は。


 そのまま続いた。


 市場。


 食事。


 仕事。


 子供が走る。


 夫婦が話す。


 老人が椅子に座る。


 誰かが店を閉める。


 夜になる。


 朝になる。


 また人が歩く。


 青年は。


 しばらく見ていた。


 そして。


 少しずつ理解し始めた。


 この人物は。


 特別な事件を記録しているのではない。


 普通の日を。


 記録している。


     *


 記録期間。


 四十七年。


 青年は。


 表示を見直した。


「四十七年?」


「はい」


「ずっと?」


「途中で中断はあります。でも、最初から最後まで繋がっています」


 四十七年間。


 同じ人間が。


 自分の生活を記録していた。


 仕事を辞めた日。


 誰かと結婚した日。


 家族が増えた日。


 家族を失った日。


 病気になった日。


 雪が降った日。


 何も起こらなかった日。


 それらが。


 同じように保存されている。


 大きな事件だけが。


 特別扱いされているわけではない。


 青年は。


 ある映像で手を止めた。


 食卓だった。


 四人が。


 何かを話している。


 音声は悪い。


 何を話しているのか。


 ほとんど聞き取れない。


 ただ。


 途中で一人が笑った。


 それにつられて。


 別の人間も笑った。


 数秒後。


 映像は終わった。


「……これも残したんだ」


「そうですね」


「別に重要なことじゃない」


「だから残したんじゃないですか」


 直人の言葉に。


 青年は返事をしなかった。


     *


 記録の最後。


 第一記録者は。


 年を取っていた。


 髪は白く。


 顔には深い皺がある。


 昔の映像と並べると。


 青年との類似は。


 むしろ薄くなっていた。


 老人は。


 カメラの前に座る。


 しばらく。


 何も言わない。


 そして。


 小さな声で話し始めた。


『私は、長い間これを記録してきた』


 咳をする。


『最初は、何か重要なものが残ると思っていた』


『歴史になるようなものを』


 少し笑う。


『でも』


『実際に残ったのは』


『朝の食事だったり』


『仕事に遅れたことだったり』


『誰かと喧嘩したことだったり』


『雨だったり』


『何も起きなかった一日だったりした』


 老人は。


 少しだけ画面の外を見る。


『それでも』


『私は、それを消したくなかった』


 沈黙。


『忘れたくなかった』


 青年は。


 画面から目を離さなかった。


 老人は。


 最後に。


 こう言った。


『もし』


『この記録を見ている人がいるなら』


 一度。


 息を整える。


『私の人生に意味があったかどうかを、決めないでほしい』


 青年の指が。


 わずかに動いた。


『私は、ただ生きた』


『あなたが、それをどう思うかは』


『あなたの自由だ』


 映像が終わった。


     *


 地下室が。


 静かになった。


 直人も。


 何も言わない。


 青年は。


 暗くなった画面を見つめていた。


 しばらくして。


「……この人」


「はい」


「最後まで、自分の人生について説明しなかったな」


「説明してませんね」


「意味があったとも」


「言ってません」


「意味がなかったとも言ってない」


「はい」


 青年は。


 小さく息を吐いた。


「ただ、生きた」


 その言葉だけが。


 妙に残った。


     *


 そのとき。


 装置が。


 突然、音を出した。


 短い電子音。


 画面が切り替わる。


 ――記録終了。


 ――閲覧記録を表示しますか?


 青年は。


 直人を見る。


「どうする?」


「見てみましょう」


 青年が。


 操作する。


 画面に。


 一件だけ表示された。


 ――閲覧者:1


「一人?」


「はい」


「誰?」


 名前は表示されない。


 代わりに。


 日時だけが表示された。


 青年は。


 その数字を見て。


 眉をひそめた。


「……おかしくないか?」


「何がです?」


「この時間」


 第一記録者の最後の記録。


 その日時より。


 閲覧日時のほうが早い。


 数十年。


 いや。


 それ以上。


 記録そのものが作られる前に。


 誰かが。


 それを閲覧している。


 直人が。


 画面を拡大した。


「本当ですね」


「故障?」


「可能性はあります」


「時間表示の規格が違うとか」


「それもあります」


「じゃあ、時間そのものが違う?」


「分かりません」


 二人とも。


 すぐには結論を出せなかった。


 装置が古すぎる。


 記録方式も。


 現在のものとは違う。


 まして。


 この装置を作った人間が。


 どの時代の時間規格を使ったのかすら分からない。


 だから。


 この一件だけで。


 時間を越えた閲覧だとは言えない。


 青年は。


 画面を閉じようとした。


 その瞬間。


 別の表示が出た。


 ――関連記録を検索します。


「関連?」


 直人が言った。


 画面に。


 複数の名前が並ぶ。


 第一記録者。


 第二記録者。


 第三記録者。


 そして。


 その中に。


 青年が知っている名前があった。


 曾祖父。


 さらに。


 祖父。


 そして。


 現在。


 ――登録記録者:一名。


 青年は。


 その表示を見つめた。


「俺?」


 名前は。


 まだ表示されていない。


 ただ。


 現在の記録が。


 登録されている。


 それだけだった。


「……いつ登録された?」


 直人が聞く。


 青年は。


 答えられなかった。


 箱を開けた日なのか。


 もっと前なのか。


 それすら分からない。


     *


 同じ頃。


 未来の管理室でも。


 一つの画面が開いていた。


 女性は。


 古い記録を確認している。


 第一記録者。


 四十七年間。


 観測対象は。


 本人。


 観測内容は。


 生活。


 事件。


 家族。


 仕事。


 そして。


 何も起きなかった日。


 女性は。


 記録を閉じた。


「この人は」


 部下が聞く。


「何でしょうか」


「分からない」


 女性は答えた。


「でも、少なくとも」


 一度画面を見る。


「私たちが考えていたより、古い」


「観測文化が?」


「そう」


 彼女は。


 別の資料を開く。


 そこには。


 現在の運営システムとは違う。


 古い観測記録の一覧があった。


「私たちが歴史観測を始めた時点で」


 女性は言った。


「すでに、誰かが自分自身を観測していた可能性がある」


 部下は。


 黙っていた。


「もしそうなら」


 女性は続ける。


「私たちは最初の観測者ではない」


 それ以上。


 彼女は何も言わなかった。


     *


 地下施設。


 青年は。


 最後にもう一度。


 第一記録者の顔を見た。


 やはり。


 似ている。


 だが。


 それだけだった。


 血縁も。


 関係も。


 因果も。


 まだ何も分からない。


 青年は。


 画面を閉じた。


「帰ろう」


 直人が聞く。


「これでいいんですか?」


「今日はな」


「また来ます?」


「たぶん」


 青年は。


 箱を持ち上げた。


 その瞬間。


 画面の隅に。


 小さな文字が残っていることに気づいた。


 ――第二記録者を検索しますか?


 青年は。


 すぐには触れなかった。


 数秒。


 その文字を見つめる。


 そして。


 画面を消した。


「今は調べない」


「どうしてです?」


「分からないままのほうがいいこともある」


 直人は。


 少し考えてから。


「確かに」


 と答えた。


 二人は。


 地下施設を出る。


 外では。


 夕方の風が吹いていた。


 特別なことは。


 何も起きていない。


 駅へ向かう人。


 買い物帰りの人。


 自転車に乗る人。


 遠くで。


 子供の声がする。


 青年は。


 歩きながら。


 ふと思った。


 第一記録者が残した四十七年も。


 もしかしたら。


 こういう日々の積み重ねだったのだろう。


 誰かに見せるためでもなく。


 誰かに評価してもらうためでもなく。


 ただ。


 忘れたくなかったから。


 青年は。


 箱を抱え直した。


 まだ。


 自分が何者なのかは分からない。


 選ばれたわけでもない。


 特別な血筋だと証明されたわけでもない。


 ただ。


 何百年も前の人間と。


 顔が少し似ていただけだ。


 そして。


 その人間が残した記録を。


 自分が見ている。


 それだけだった。


 少なくとも今は。


 それ以上の意味を。


 自分で決める必要はなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。