第三十三章 似ているだけの人間
画面に映った顔を見て。
青年は、しばらく何も言わなかった。
古い映像だった。
画質も悪い。
輪郭はところどころ崩れている。
それでも。
目元。
鼻の形。
口元。
顔全体の輪郭。
自分とよく似ていた。
直人も、画面を見たまま動かない。
「……似ていますね」
「うん」
「かなり」
「でも、俺じゃない」
青年は即答した。
画面の人物は。
少なくとも青年が知っている自分より、ずっと年上だった。
服装も違う。
髪型も違う。
時代も違う。
そして何より。
この映像は、青年が生まれる遥か前のものだった。
装置の表示には。
こう書かれている。
――記録者:第一記録者。
――本人確認:未完了。
――血縁関係:不明。
――顔貌類似度:94\.2%。
「血縁関係まで調べてないんだな」
青年が言った。
「この装置に遺伝情報を調べる機能がないのかもしれません」
「じゃあ、顔が似ているだけか」
「今のところは」
青年は。
その言葉を聞いて。
少し安心した。
何百年前の人間が自分と似ている。
それだけなら。
珍しい話ではない。
人間の顔には限界がある。
どこか似た人間が生まれることくらい。
あり得る。
問題は。
その人間が。
なぜ、この装置を使っていたのかだった。
*
記録を再生する。
最初に映ったのは。
雨だった。
屋根から落ちる水。
濡れた道路。
傘を差して歩く人。
誰かが店の前を掃除している。
それだけだった。
数分。
何も起こらない。
十数分。
まだ何も起こらない。
青年が。
思わず画面を見る。
「これ……ずっと?」
直人が答える。
「たぶん」
「何を見てたんだ、この人」
「雨じゃないですか」
「……そうだけど」
映像は。
そのまま続いた。
市場。
食事。
仕事。
子供が走る。
夫婦が話す。
老人が椅子に座る。
誰かが店を閉める。
夜になる。
朝になる。
また人が歩く。
青年は。
しばらく見ていた。
そして。
少しずつ理解し始めた。
この人物は。
特別な事件を記録しているのではない。
普通の日を。
記録している。
*
記録期間。
四十七年。
青年は。
表示を見直した。
「四十七年?」
「はい」
「ずっと?」
「途中で中断はあります。でも、最初から最後まで繋がっています」
四十七年間。
同じ人間が。
自分の生活を記録していた。
仕事を辞めた日。
誰かと結婚した日。
家族が増えた日。
家族を失った日。
病気になった日。
雪が降った日。
何も起こらなかった日。
それらが。
同じように保存されている。
大きな事件だけが。
特別扱いされているわけではない。
青年は。
ある映像で手を止めた。
食卓だった。
四人が。
何かを話している。
音声は悪い。
何を話しているのか。
ほとんど聞き取れない。
ただ。
途中で一人が笑った。
それにつられて。
別の人間も笑った。
数秒後。
映像は終わった。
「……これも残したんだ」
「そうですね」
「別に重要なことじゃない」
「だから残したんじゃないですか」
直人の言葉に。
青年は返事をしなかった。
*
記録の最後。
第一記録者は。
年を取っていた。
髪は白く。
顔には深い皺がある。
昔の映像と並べると。
青年との類似は。
むしろ薄くなっていた。
老人は。
カメラの前に座る。
しばらく。
何も言わない。
そして。
小さな声で話し始めた。
『私は、長い間これを記録してきた』
咳をする。
『最初は、何か重要なものが残ると思っていた』
『歴史になるようなものを』
少し笑う。
『でも』
『実際に残ったのは』
『朝の食事だったり』
『仕事に遅れたことだったり』
『誰かと喧嘩したことだったり』
『雨だったり』
『何も起きなかった一日だったりした』
老人は。
少しだけ画面の外を見る。
『それでも』
『私は、それを消したくなかった』
沈黙。
『忘れたくなかった』
青年は。
画面から目を離さなかった。
老人は。
最後に。
こう言った。
『もし』
『この記録を見ている人がいるなら』
一度。
息を整える。
『私の人生に意味があったかどうかを、決めないでほしい』
青年の指が。
わずかに動いた。
『私は、ただ生きた』
『あなたが、それをどう思うかは』
『あなたの自由だ』
映像が終わった。
*
地下室が。
静かになった。
直人も。
何も言わない。
青年は。
暗くなった画面を見つめていた。
しばらくして。
「……この人」
「はい」
「最後まで、自分の人生について説明しなかったな」
「説明してませんね」
「意味があったとも」
「言ってません」
「意味がなかったとも言ってない」
「はい」
青年は。
小さく息を吐いた。
「ただ、生きた」
その言葉だけが。
妙に残った。
*
そのとき。
装置が。
突然、音を出した。
短い電子音。
画面が切り替わる。
――記録終了。
――閲覧記録を表示しますか?
青年は。
直人を見る。
「どうする?」
「見てみましょう」
青年が。
操作する。
画面に。
一件だけ表示された。
――閲覧者:1
「一人?」
「はい」
「誰?」
名前は表示されない。
代わりに。
日時だけが表示された。
青年は。
その数字を見て。
眉をひそめた。
「……おかしくないか?」
「何がです?」
「この時間」
第一記録者の最後の記録。
その日時より。
閲覧日時のほうが早い。
数十年。
いや。
それ以上。
記録そのものが作られる前に。
誰かが。
それを閲覧している。
直人が。
画面を拡大した。
「本当ですね」
「故障?」
「可能性はあります」
「時間表示の規格が違うとか」
「それもあります」
「じゃあ、時間そのものが違う?」
「分かりません」
二人とも。
すぐには結論を出せなかった。
装置が古すぎる。
記録方式も。
現在のものとは違う。
まして。
この装置を作った人間が。
どの時代の時間規格を使ったのかすら分からない。
だから。
この一件だけで。
時間を越えた閲覧だとは言えない。
青年は。
画面を閉じようとした。
その瞬間。
別の表示が出た。
――関連記録を検索します。
「関連?」
直人が言った。
画面に。
複数の名前が並ぶ。
第一記録者。
第二記録者。
第三記録者。
そして。
その中に。
青年が知っている名前があった。
曾祖父。
さらに。
祖父。
そして。
現在。
――登録記録者:一名。
青年は。
その表示を見つめた。
「俺?」
名前は。
まだ表示されていない。
ただ。
現在の記録が。
登録されている。
それだけだった。
「……いつ登録された?」
直人が聞く。
青年は。
答えられなかった。
箱を開けた日なのか。
もっと前なのか。
それすら分からない。
*
同じ頃。
未来の管理室でも。
一つの画面が開いていた。
女性は。
古い記録を確認している。
第一記録者。
四十七年間。
観測対象は。
本人。
観測内容は。
生活。
事件。
家族。
仕事。
そして。
何も起きなかった日。
女性は。
記録を閉じた。
「この人は」
部下が聞く。
「何でしょうか」
「分からない」
女性は答えた。
「でも、少なくとも」
一度画面を見る。
「私たちが考えていたより、古い」
「観測文化が?」
「そう」
彼女は。
別の資料を開く。
そこには。
現在の運営システムとは違う。
古い観測記録の一覧があった。
「私たちが歴史観測を始めた時点で」
女性は言った。
「すでに、誰かが自分自身を観測していた可能性がある」
部下は。
黙っていた。
「もしそうなら」
女性は続ける。
「私たちは最初の観測者ではない」
それ以上。
彼女は何も言わなかった。
*
地下施設。
青年は。
最後にもう一度。
第一記録者の顔を見た。
やはり。
似ている。
だが。
それだけだった。
血縁も。
関係も。
因果も。
まだ何も分からない。
青年は。
画面を閉じた。
「帰ろう」
直人が聞く。
「これでいいんですか?」
「今日はな」
「また来ます?」
「たぶん」
青年は。
箱を持ち上げた。
その瞬間。
画面の隅に。
小さな文字が残っていることに気づいた。
――第二記録者を検索しますか?
青年は。
すぐには触れなかった。
数秒。
その文字を見つめる。
そして。
画面を消した。
「今は調べない」
「どうしてです?」
「分からないままのほうがいいこともある」
直人は。
少し考えてから。
「確かに」
と答えた。
二人は。
地下施設を出る。
外では。
夕方の風が吹いていた。
特別なことは。
何も起きていない。
駅へ向かう人。
買い物帰りの人。
自転車に乗る人。
遠くで。
子供の声がする。
青年は。
歩きながら。
ふと思った。
第一記録者が残した四十七年も。
もしかしたら。
こういう日々の積み重ねだったのだろう。
誰かに見せるためでもなく。
誰かに評価してもらうためでもなく。
ただ。
忘れたくなかったから。
青年は。
箱を抱え直した。
まだ。
自分が何者なのかは分からない。
選ばれたわけでもない。
特別な血筋だと証明されたわけでもない。
ただ。
何百年も前の人間と。
顔が少し似ていただけだ。
そして。
その人間が残した記録を。
自分が見ている。
それだけだった。
少なくとも今は。
それ以上の意味を。
自分で決める必要はなかった。




