第三十二章 最初の観測所
東部へ向かう列車は。
朝の六時に都市を出た。
青年は窓際に座っていた。
直人は。
向かい側で端末を操作している。
車内は。
特別な雰囲気ではなかった。
会社員。
学生。
旅行客。
眠っている人間。
新聞を読んでいる人間。
誰も。
この列車の二人が。
未来の人間に観測されていることを知らない。
青年は。
そのことを考えていた。
「なあ」
「はい?」
「俺たちって」
「はい」
「普通に見える?」
直人は。
顔を上げた。
「普通じゃないと思います」
「即答するな」
「だって、未来と通信してるんですよ」
「……それもそうか」
直人は笑った。
しかし。
少しすると。
表情が戻った。
「でも」
「何?」
「周りから見れば」
直人は。
窓の外を見る。
「普通の二人ですよ」
青年も。
窓の外を見た。
確かに。
そうだった。
街が流れていく。
道路。
住宅。
学校。
工場。
川。
何も変わらない。
観測されているかどうかで。
日常の見え方が変わるのは。
本人だけなのかもしれなかった。
*
午前十時。
列車を降りる。
東部の駅は。
都市より小さかった。
駅前には。
古い商店街がある。
青年は。
事前に送られてきた地図を確認した。
「ここから北へ三十キロ」
「車を借ります?」
「いや」
「歩く?」
「バスがある」
「……普通ですね」
「普通でいいだろ」
二人は。
バスに乗った。
乗客は少ない。
途中で。
老人が一人乗ってきた。
青年たちの隣に座る。
老人は。
しばらく二人を見ていた。
「旅行かね?」
「まあ」
青年が答える。
「どこへ?」
「北の方です」
「何もないぞ」
「それを見に行きます」
老人は笑った。
「若い人は変わったことを言うな」
そして。
窓の外を見る。
「昔は、あそこにも人がいた」
老人が指差した。
山の向こう。
「今は?」
「誰もいない」
「なぜ?」
「町が移ったからな」
それだけだった。
老人は。
それ以上説明しなかった。
バスが。
山道へ入る。
青年は。
その老人の話を聞きながら。
ふと考えた。
未来の人間が。
この会話を見たら。
どう思うのだろう。
重要な出来事だと思うだろうか。
それとも。
ただの無意味な会話だと思うだろうか。
*
午後一時。
二人は。
山の麓でバスを降りた。
そこから。
徒歩になる。
三時間ほど歩いたところで。
古い建物が見えてきた。
入口は。
半分崩れている。
周囲には。
雑草が生えている。
「ここ?」
「地図では」
直人が端末を確認する。
「一致しています」
青年は。
建物を見る。
「誰もいないな」
「だから、記録が残ってるんでしょう」
二人は。
中へ入った。
内部は暗い。
天井の一部が崩れている。
壁には。
古い配線。
床には。
錆びた金属片。
そして。
奥に。
一つの扉があった。
青年が近づく。
扉には。
文字が刻まれている。
――観測所。
直人が読む。
「これ、何年前ですかね」
「分からない」
青年は。
箱を取り出した。
箱が。
微かに振動した。
――接続可能。
青年は。
扉に触れた。
開いた。
*
地下へ続く階段。
二人は。
ゆっくり降りていった。
十段。
二十段。
三十段。
そして。
突然。
広い空間が現れた。
中央に。
巨大な装置がある。
形は。
未来側の観測装置に似ている。
だが。
はるかに古い。
表面は。
金属ではなく。
何か別の素材で覆われている。
直人が近づく。
「動いてます」
「まだ?」
「はい」
青年は。
装置に触れた。
画面が点灯する。
――接続を確認。
――記録者認証。
青年が驚く。
「記録者?」
次の文字。
――第一記録者系列。
直人を見る。
「あなたの家系?」
「分からない」
画面が続く。
――記録閲覧権限。
――一部解除。
そして。
巨大な画面に。
一つの映像が映った。
古い時代。
まだ都市が今ほど発達していない。
人々が。
市場を歩いている。
子供が走っている。
店の前で。
二人の老人が話している。
青年は。
息を止めた。
「……これ」
ただの映像だった。
戦争でもない。
災害でもない。
重要人物でもない。
ただ。
普通の人間たちが。
生活している。
*
直人が。
画面の隅を指差した。
「見てください」
そこに。
小さな数字があった。
――観測者数:1
青年は。
動かなかった。
たった一人。
二百年以上前。
誰か一人が。
この人々を見ていた。
未来の観客ではない。
未来の運営でもない。
同じ時代の。
たった一人。
青年は。
画面を見つめた。
「……何を見てたんだ」
直人が。
操作する。
記録が再生される。
観測者の視点。
市場。
道路。
家。
食事。
仕事。
子供。
老人。
喧嘩。
笑い。
誰かの葬式。
誰かの結婚。
何も起こらない日。
それらが。
記録されていた。
青年は。
しばらくして言った。
「戦争じゃない」
「はい」
「有名人でもない」
「はい」
「普通の生活を」
青年は。
画面を見る。
「ずっと見てたんだ」
*
未来の管理室。
女性は。
その映像を見ていた。
彼女は。
しばらく何も言わなかった。
部下も。
黙っている。
やがて。
「これ」
女性が言った。
「私たちのプロジェクトと似ていますね」
「はい」
「でも」
一拍。
「私たちより、ずっと前」
彼女は。
映像を拡大した。
そこには。
一人の人間が。
市場でパンを買っている。
ただそれだけ。
観測時間。
十二分。
何も起きない。
しかし。
記録者は。
停止しない。
女性は。
視聴データを確認した。
記録者数。
一人。
視聴時間。
数千時間。
「……」
女性は。
その数字を見ていた。
「ずっと見ていた?」
「記録上は」
「何も起きないのに?」
「はい」
女性は。
少し考えた。
そして。
静かに言った。
「だったら」
その声には。
驚きよりも。
理解に近いものがあった。
「私たちが最近発見したものは」
「新しい需要じゃなかったのかもしれません」
*
地下施設。
映像が。
最後の記録に入った。
観測者は。
一人の少女を見ていた。
少女は。
川沿いを歩いている。
誰かと話している。
笑っている。
そして。
家へ帰る。
その記録の最後に。
短い文章が残されていた。
「何も起きない日ほど、長く見ていたくなる。」
青年は。
その言葉を読んだ。
直人が。
小さく呟く。
「今の未来の人たちと」
「同じですね」
青年は。
すぐには答えなかった。
未来の人間が。
突然。
普通の生活を見始めたわけではない。
少なくとも。
この需要は。
ずっと昔から存在していた。
ただ。
誰かが。
それを見つけ。
誰かが。
商売にした。
誰かが。
大規模な仕組みにした。
そして今。
その仕組みの中で。
再び。
同じ欲求が表面に出てきている。
青年は。
装置を見た。
「……面白いな」
「何が?」
「未来の人間も」
一拍。
「俺たちと、そんなに違わない」
その瞬間。
装置の奥で。
何かが動いた。
古い機械音。
そして。
新しい記録が表示された。
――第一記録者。
――観測対象。
――一名。
青年は。
画面を見る。
そこに表示された人物の名前は。
さっきまで知らなかった。
しかし。
写真が表示された瞬間。
青年は。
言葉を失った。
その人物は。
現在の青年と。
驚くほどよく似ていた。




