第三十一章 最初の記録者
箱に表示された名前を。
青年は何度も見返した。
知らない。
当然だった。
その名前は。
家系図にも。
曾祖父の記録にも。
残っていなかった。
ただ。
接続日時だけは。
はっきりしている。
――二百四十三年前。
青年は。
思わず呟いた。
「そんな昔から……?」
直人が横から画面を見る。
「この人、本当に未来と繋がっていたんですか?」
「分からない」
「じゃあ、何だったんでしょう」
青年は答えなかった。
箱の表示が。
さらに変わった。
――第一記録者。
――接続時間、三分十二秒。
――記録保存率、18%。
――会話記録、残存。
青年が。
画面を押した。
古い音声が流れ始める。
『……聞こえるか』
男の声だった。
低い。
少し掠れている。
『もし聞こえるなら、答えてほしい』
ノイズ。
『ここは、あなたたちが言うところの過去なのか』
青年は。
眉を寄せた。
直人も黙って聞いている。
『それとも』
声が続く。
『私たちが、あなたたちに見られているのか』
数秒の沈黙。
そして。
別の声が聞こえた。
『どちらでもありません』
青年が顔を上げる。
その声は。
未来側の管理者が使っている通信音声とは違った。
もっと機械的で。
感情がない。
『あなたたちは、観測対象です』
最初の男が聞く。
『観測対象?』
『はい』
『誰が観測している?』
『まだ決定されていません』
青年は。
そこで再生を止めた。
「……まだ決定されていない?」
直人が言う。
「どういう意味でしょう」
「分からない」
青年は。
もう一度再生した。
*
『観測対象として登録する理由は?』
『情報価値があります』
『誰にとって?』
『将来の利用者にとって』
最初の男が。
しばらく黙っている。
『利用者というのは?』
『あなたたちの未来に存在する人間です』
『未来の人間が、私たちを見るのか』
『はい』
『なぜ?』
『知りません』
『あなたも知らないのか?』
『私は記録装置です』
青年は。
再び止めた。
今度は。
直人が口を開いた。
「……最初から」
「何?」
「未来の人間が、今の人間を観測する仕組みとして作ったんじゃないのかもしれません」
青年は。
画面を見る。
「じゃあ何だ?」
「最初は」
直人が考える。
「ただの記録装置だった」
「……」
「それが後から、未来の人間に利用された」
青年は。
答えなかった。
だが。
その可能性は。
今まで考えていた歴史とは違っていた。
*
未来。
女性の管理室では。
古い資料が次々に開かれていた。
「第一記録者の名前は?」
女性が聞く。
「照合中です」
「家系情報は?」
「ありません」
「死亡記録は?」
「確認できません」
女性は。
画面を見る。
「二百四十三年前?」
「はい」
「その時代の運営記録は?」
「存在しません」
「観測プロジェクトの記録は?」
「ありません」
女性は。
少し考えた。
「では、この装置は」
一拍。
「私たちのプロジェクトより前から存在していた?」
部下が答える。
「可能性があります」
「可能性ではなく、記録を探して」
「了解」
部下が検索を続ける。
しかし。
該当する資料は出てこない。
女性は。
画面を見ながら呟いた。
「……私たちが歴史を観測していると思っていた」
誰に言うでもなく。
「でも、歴史の側が先に観測を始めていたなら」
そこで。
言葉を止めた。
今まで。
運営は。
自分たちを。
観測する側だと考えていた。
しかし。
観測という行為そのものが。
もっと古い人間の行動から生まれたものなら。
現在の運営は。
その流れの途中にいるだけなのかもしれない。
「……面白い」
女性は。
小さく言った。
部下が聞く。
「何がですか?」
「プロジェクトの外側に」
彼女は。
古い記録を拡大した。
「別の歴史がある」
*
同時代ネットワーク。
十二人の接続者は。
それぞれの地域で。
古い記録を調べ始めていた。
結果は。
すぐには出なかった。
しかし。
三日後。
一件の報告が届いた。
南部。
古い寺院の地下。
壁の内側から。
金属板が見つかった。
そこには。
奇妙な記号が刻まれていた。
北部。
閉鎖された研究所。
古い実験記録の中に。
「時間観測」という言葉が残っていた。
西側。
ある富裕家系の私文書。
百八十年前の手紙に。
こう書かれていた。
――「未来の客人は、私たちを見ている」
都市部。
廃棄された軍事施設。
地下倉庫から。
古い観測装置の部品が見つかった。
どれも。
同じものではない。
しかし。
共通点があった。
すべて。
現在の運営記録より古い。
そして。
どの地域にも。
未来の人間との接触を示す記録が残っていた。
青年は。
その報告を一つずつ読んだ。
「……多すぎる」
直人が言う。
「一人じゃないですね」
「ああ」
「最初の記録者は」
「一人じゃなかった」
青年は。
画面をスクロールした。
そこには。
新しい報告が届いていた。
――東部地域。
――古い観測施設。
――内部に大量の記録。
そして。
最後の一文。
「ここには、最初の観測者がいた。」
*
その夜。
青年たちは。
東部へ向かうことを決めた。
ただし。
全員ではない。
軍服の男は残る。
「俺はここを守る」
黒服の男も。
「俺も別の仕事がある」
北部の男は。
「必要な情報は送る」
南部の女性は。
「装置の解析を続けます」
直人だけが。
青年と同行する。
「二人で大丈夫ですか?」
直人が聞く。
「大丈夫じゃないだろ」
「ですよね」
「だから行く」
「理由になってません」
「それでいい」
直人は笑った。
「分かりました」
二人は。
翌朝。
都市を出た。
*
未来側。
女性は。
その動きを見ていた。
しかし。
今回も。
何も指示しなかった。
彼らが。
どこへ行くのか。
何を見つけるのか。
それは。
プロジェクトの予測モデルから。
すでに外れていた。
部下が聞く。
「東部に資源を送りますか?」
「送らない」
「観測設備の調査は?」
「する」
「現地への介入は?」
「しない」
「危険性があります」
「分かっている」
女性は。
画面を見ながら言った。
「でも」
一拍。
「今の彼らが、何を選ぶかを見る方が重要です」
部下は。
それ以上言わなかった。
彼女の画面には。
青年と直人が歩いている映像。
そして。
その先にある東部の施設。
さらに。
運営がこれまで存在を把握していなかった。
古い観測装置。
女性は。
その映像を拡大した。
装置の表面には。
運営側が使用しているものとは違う。
古い文字が刻まれている。
翻訳システムが。
数秒かけて解析した。
表示された意味は。
短かった。
「見る者もまた、見られている。」
女性は。
しばらく。
その文字を見つめていた。
そして。
画面を閉じた。
東部へ向かう二人の旅は。
まだ始まったばかりだった。




