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観客のいない世界  作者: 亀


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第三十章 利用する人間

最初に動いたのは。


 未来側の人間ではなかった。


 同時代ネットワークに接続していた。


 ある男だった。


 男は。


 都市の地下にある小さな部屋で。


 一人、端末を見ていた。


 画面には。


 未来との接続記録。


 同時代ネットワークの接続状況。


 そして。


 一つの名前が表示されている。


 青年。


 男は。


 その名前を指でなぞった。


「……使える」


 それだけ言った。


     *


 男の名前は。


 まだ。


 誰にも明かしていない。


 年齢は四十代。


 会社を一つ持っている。


 表向きは。


 物流関連の事業。


 しかし。


 実際には。


 未来側との技術取引によって。


 ここ数年で急速に規模を拡大していた。


 彼は。


 未来の存在を。


 信じているわけではない。


 信じていないわけでもない。


 重要なのは。


 利益が出ることだった。


 未来側から。


 輸送効率を上げる技術を得る。


 その代わり。


 特定地域の物流情報を渡す。


 契約は明確だった。


 双方に利益がある。


 それだけだ。


 だから。


 彼は。


 未来側の正義にも。


 同時代ネットワークの理念にも。


 興味がなかった。


 今。


 彼が興味を持っているのは。


 青年が持っている装置だけだった。


     *


「この箱を手に入れられるか?」


 男が。


 向かいに座る部下へ聞いた。


「難しいと思います」


「理由は?」


「彼の周囲に人が増えています」


「黒服の男?」


「それだけではありません」


 端末に。


 複数の人物が表示される。


「軍関係者」


「未来側との契約者」


「同時代ネットワークの接続者」


「それから」


 部下が一枚の画像を表示した。


「未来側の管理者」


 男は。


 画像を見る。


「この女か」


「はい」


「直接接続した」


「確認されています」


 男は。


 少し考えた。


「なら、なおさらだ」


「何がですか?」


「彼は」


 青年の画像を見る。


「未来側にとって価値がある」


「……」


「価値がある人間は」


 男は。


 淡々と言った。


「交渉材料になる」


     *


 地下施設。


 青年たちは。


 同時代ネットワークの接続方法について話し合っていた。


「接続点を増やすのは簡単じゃない」


 北部の男が言う。


「装置が必要だ」


「装置なら作れます」


 南部の女性が答える。


「ただし」


「何?」


「未来側に見つかります」


 黒服の男が笑う。


「もう見つかってるだろ」


「そうですけど」


「なら同じだ」


 青年は。


 黙っていた。


 最近。


 未来側からの干渉が。


 少し減っている。


 支援は来る。


 観測も続いている。


 しかし。


 以前のように。


 明確な指示は来ない。


 それが。


 逆に気になっていた。


「何か変だ」


 青年が言う。


「何が?」


 直人が聞く。


「未来側が」


「静かすぎる」


 黒服の男が。


 少し考えた。


「静かにしている理由がある」


「何だと思う?」


「分からない」


 黒服の男は。


 いつものように答えた。


「だから気をつける」


     *


 その日の午後。


 青年の端末に。


 一通のメッセージが届いた。


 差出人は。


 登録されていない。


 内容は短かった。


 『箱について話したい。』


 青年は。


 すぐには返信しなかった。


 直人が横から見る。


「誰です?」


「分からない」


「危ないんじゃ?」


「たぶんな」


「じゃあ無視します?」


「いや」


 青年は。


 返信した。


 『何を知っている?』


 数秒後。


 返事が来た。


 『あなたが知らないことを。』


 青年は。


 画面を見つめる。


「……嫌な言い方ですね」


 直人が言う。


「そうだな」


 もう一通。


 『あなたの曾祖父は、最初の人間ではない。』


 青年の表情が変わった。


     *


 未来。


 女性の管理室。


「地上側で接触が始まりました」


 部下が報告する。


「誰と?」


「物流企業の経営者です」


 女性は。


 少しだけ眉を動かした。


「未来側との契約者?」


「はい」


「彼の契約内容は?」


「物流技術の提供」


「対価は?」


「地域物流データ」


 女性は。


 画面を確認した。


「それだけ?」


「現時点では」


「では、今回の目的は?」


「青年への接触」


 女性は。


 青年のデータを見る。


 そして。


 経営者のデータを見る。


 二つを並べた。


「直接的な敵対行動は?」


「確認されていません」


「なら、介入しない」


 部下が少し迷う。


「しかし」


「分かっています」


 女性は言った。


「彼が何を要求するかは、まだ分からない」


「……はい」


「要求が契約の範囲なら」


 一拍。


「契約として処理する」


「では、危険になったら?」


「その時に判断する」


 女性は。


 以前より。


 少しだけ慎重になっていた。


 青年を守る。


 という意味ではない。


 青年の選択を。


 自分たちの判断で先に消さないために。


     *


 夜。


 青年は。


 指定された場所へ向かった。


 廃業した物流倉庫。


 中には。


 男が一人。


「来たか」


「あなたが?」


「そうだ」


「名前は?」


「今は必要ない」


 青年は。


 一定の距離を取った。


「曾祖父について知っていると言ったな」


「知っている」


「何を?」


 男は。


 一枚の古い書類を出した。


「彼は」


 紙を机に置く。


「未来側と接続した最初の人間ではない」


 青年は。


 書類を見る。


 そこには。


 複数の名前があった。


 年代は。


 百年以上前。


 二百年以上前。


 さらに古いものまである。


「これは……」


「接続者の記録だ」


「誰が残した?」


「分からない」


「あなたはどうやって?」


「買った」


「誰から?」


「それも言えない」


 青年は。


 男を見る。


「じゃあ、何を要求する?」


 男は笑った。


「話が早いな」


「無料で教える人間には見えない」


「その通りだ」


 男は。


 一枚の写真を取り出した。


 写真には。


 地下施設のような場所が写っている。


 中央に。


 古い観測装置。


 その前に。


 数人の人間が立っている。


 その中に。


 青年は。


 見覚えのある顔を見つけた。


 曾祖父だった。


 だが。


 写真の日付を見た瞬間。


 青年は言葉を失った。


 曾祖父が。


 未来との接続を始めたと思っていた年代より。


 はるかに前だった。


「……おかしい」


「そうだろ?」


 男は。


 静かに笑った。


「だから、俺はあなたの箱が欲しい」


「なぜ?」


「箱そのものに価値があると思っているからだ」


 青年は。


 写真から目を離さない。


「それだけ?」


「今は、それだけで十分だ」


 男は立ち上がった。


「考えておいてくれ」


「何を?」


「箱を売るか」


「それとも」


 男は。


 倉庫の出口へ向かった。


「箱を持ったまま、もっと大きな問題に巻き込まれるか」


 青年は。


 追わなかった。


 男が消えた後。


 直人が姿を現す。


「……聞いてました?」


「ああ」


「どうします?」


 青年は。


 写真をもう一度見た。


 曾祖父。


 知らない人間たち。


 そして。


 古い観測装置。


 未来との接続は。


 曾祖父から始まったわけではなかった。


 もっと前から。


 誰かが。


 誰かを見ていた。


 そして。


 誰かが。


 その記録を残していた。


 青年は。


 箱を取り出した。


 しかし。


 まだ開かなかった。


「売らない」


 直人が聞く。


「理由は?」


 青年は。


 しばらく考えた。


「まだ」


 一拍。


「俺が、この箱を何なのか知らないからだ」


 その瞬間。


 箱の表面に。


 新しい文字が浮かんだ。


 ――過去接続履歴。


 ――第一記録者。


 そして。


 その下に。


 一つの名前が表示された。


 青年は。


 その名前を見た。


 知らない名前だった。


 だが。


 その人物の接続日時は。


 曾祖父より。


 さらに百年以上前だった。

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