第340章 誰も全体を知らない
訓練開始時、主人公に渡されたのは小さな端末と、一枚の地図だけだった。
地図には三つの地点が記されている。
第一地点は物資集積所。第二地点は通信中継所。第三地点は目的地となる制御施設。
任務は、制御施設に必要な部品を届け、通信を復旧させること。
ただし、参加者全員が同じ情報を持っているわけではない。
主人公に与えられたのは、物資集積所から制御施設へ向かう経路と、出発時点で確認された周辺の敵影だけだった。通信中継所の状態は不明。ほかの隊員が何を知っているのかも、説明されていない。
「質問はあるか」
レイヴンが尋ねた。
「通信が使えない場合、情報を共有する方法に制限はありますか?」
「ない。ただし、相手が応答するとは限らない」
「分かりました」
「もう一つ。任務の達成条件は部品の搬入と通信の復旧だ。敵の撃破数は評価に含めない」
説明はそれだけだった。
主人公は地図を確認した。物資集積所から制御施設へ直接向かう道は一本。途中で通信中継所の近くを通る別経路もあるが、そちらは距離が長い。
どちらを選ぶかは、現地の状況を見て判断するしかない。
開始の合図が鳴った。
主人公は部品を運ぶ担当者と二人で、第一地点を出発した。
右手にはまだ負荷をかけられない。重量物の運搬は担当者に任せ、自分は地図と端末を確認しながら先行した。
最初の交差点に着いたとき、端末に短い通信が入った。
『こちら第二班。通信中継所へ向かっている。そちらの状況を教えてくれ』
主人公は返答する前に、現在地と周囲を確認した。
「こちらは部品輸送班。第一地点を出発して、制御施設へ向かっている。今のところ敵影は確認していない。そちらは中継所の状態を把握しているか?」
『まだだ。現地に着いて確認する』
「了解。確認できたら、通信が復旧しているか、敵がいるか、二点を分けて知らせてほしい」
『分かった』
通信はそこで切れた。
主人公は地図を見直した。
第二班が中継所へ向かっているなら、こちらは直接経路を進んでもいい。中継所の状態が分からないまま遠回りをするより、まず制御施設へ近づくほうが合理的だった。
だが、交差点を曲がる直前、前方の路面に新しいタイヤ痕があることに気づいた。
演習開始時の情報では、この道に車両が通る予定はなかった。
「止まろう」
主人公は担当者を制止した。
「何かあったのか?」
「車両の跡がある。敵のものとは限らないけど、ここを通る前に確認したい」
二人は道の脇へ移動した。
主人公は周囲を観察した。路面の跡は交差点から制御施設の方向へ続いている。幅は、物資集積所で使っていた輸送車両より広い。
ただし、跡が新しいというだけで、敵が近くにいるとは断定できない。
彼は端末を開き、管理側に周辺の車両情報を照会した。
返答を待つ間、担当者が道の先を確認する。
「前方に障害物がある。道路の半分くらいを塞いでいる」
「人影は?」
「見えない」
主人公は地図上の別経路を確認した。
迂回するなら、通信中継所の近くを通る道に切り替えることになる。距離は延びるが、障害物の向こう側を確認せずに進む必要はなくなる。
そこへ、第二班から連絡が入った。
『中継所に着いた。設備は動いていない。外側の電源接続部が破損している』
「敵は?」
『今のところ見えない。ただ、設備を修理するには時間がかかる』
主人公は考えた。
通信中継所が止まっている以上、第二班が修理を終えるまで全員の連絡が安定するとは限らない。
直接経路を進めば、制御施設への到着は早い。しかし、前方の障害物を確認できていない。
迂回すれば安全を確認しやすいが、部品の搬入が遅れる。
「こちらは直接経路の途中で障害物を確認した。迂回路へ切り替える可能性がある。中継所の修理を続けてくれ。復旧の見込みが分かったら知らせてほしい」
『了解』
主人公は担当者と相談し、迂回路へ向かうことにした。
ところが、別経路の入口に着いたところで、端末に管理側から返答が届いた。
タイヤ痕は、今回の演習で使われた別班の輸送車両が残したものだった。
予定表にはなかったが、訓練中の機材移動で使用されたという。
主人公は画面を見つめた。
敵の痕跡ではなかった。
ただし、道路を塞いでいる障害物については、まだ何も分かっていない。
「どうする?」
担当者が尋ねた。
「迂回を続けよう。車両の跡が説明できても、障害物が安全だと分かったわけじゃない」
二人は迂回路へ進んだ。
通信中継所に到着すると、第二班が電源接続部の修理を進めていた。設備の一部は破損していたが、交換部品があれば復旧できる状態だった。
「制御施設へ部品を運ぶんじゃなかったのか?」
第二班の隊員が尋ねた。
「そうだ。ただ、中継所の修理が終われば、残りの経路で連絡が取りやすくなる。修理に必要な部品はある?」
「ない。ここにあるのは作業工具だけだ」
主人公は、自分たちが運んでいる部品を確認した。
制御施設に届けるための部品を転用すれば、中継所の復旧は早まるかもしれない。しかし、それを使えば制御施設の任務を達成できなくなる。
別の手段を探す必要があった。
「管理側に、交換部品を別の場所から運べるか確認してくれ。こちらは制御施設への輸送を続ける」
第二班は頷き、通信中継所に残った。
主人公たちは再び移動を始めた。
今度は通信が安定し、制御施設の状況も確認できるようになった。施設側からは、敵の接近はないものの、予定より早く電源が低下していると報告があった。
部品の到着が遅れれば、設備の停止に間に合わない可能性がある。
主人公は担当者と歩調を上げた。
制御施設に到着したとき、残り時間はわずかだった。
施設の担当者が部品を受け取り、交換作業を始める。主人公は作業の邪魔にならない位置で周囲を警戒した。
数分後、電源表示が回復した。
任務達成の通知が端末に届いた。
通信中継所の修理はまだ終わっていない。しかし、制御施設への部品搬入は間に合った。
演習終了後、レイヴンは参加者を集めた。
「今回、誰か一人が全体の状況を把握していたわけではない。各班が自分の情報を持ち、必要な情報を共有しながら任務を進めた」
彼は主人公たちの経路を表示した。
「タイヤ痕を敵のものだと決めつけなかった点はよかった。一方、障害物の確認に時間を使った結果、迂回路の選択が遅れた。安全を確認する必要はあったが、確認方法はほかにもあったはずだ」
主人公は頷いた。
自分たちは危険を避けるために迂回した。その判断は間違いではなかったが、もっと早く障害物の情報を確認できていれば、別の選択もできたかもしれない。
「今回の課題は、情報が足りないことそのものじゃない。足りない情報を、どの方法で、どれだけの時間をかけて補うかだ」
レイヴンはそう言って、評価を終えた。
訓練場を出る前、主人公は右手を軽く動かしてみた。
痛みはまだ残っている。
それでも、今回の任務では、手を使えないことが直接の失敗にはつながらなかった。自分ができない作業を仲間に任せ、必要な情報を集め、状況に応じて経路を変えた。
次に同じ状況が来るとは限らない。
ただ、分からないことを分からないままにしておくのと、分からない理由を確かめるために動くのとでは、選べる行動が変わる。
主人公は端末をしまい、次の訓練場所へ向かった。




